第4話 舞踏会〜後編〜


 昨日の舞踏会のあと、リュウは家へと帰ったが、キラは王子に頼まれた通り3日間ヒマワリ城に泊まることになった。
 3日後の夜にキラを迎えに来るようにと、リュウはリンクを通じて王子から伝言を承った。
 久しぶりにベッドを独占して眠ろうとしたリュウだったが、まるで眠れなかった。
 眠ろうとして目を閉じると、キラの泣き顔が浮かんですぐに瞼を開けてしまう。
 そのまま、朝が来た。
 キラお気に入りのネズミ型目覚まし時計が、チューチュー鳴きながらその場で回りだす。
 ネズミの鼻の部分を指で押して静め、リュウは身体を起こした。

「…仕事、行かねーと……」

 ベッドから出て、洗面所で顔を洗って歯を磨き、リビングへカーテンを開けに向かう。
 カーテンを開けると、リュウの心の中とは違って快晴の空が広がっていた。
 ソファーの上に置かれているクッションがふと目に入って、それを手に取る。
 キラお気に入りの、ネズミ型クッション。
 キラは留守番をしているとき、眠くなったら必ずこれを抱いて眠っていた。

(キラ、おまえは眠れたか……?)
 
 
 
 ヒマワリ城の料理は美味だし、城の中は駆け回って遊べる広さ。
 ビールが好きだと言えば飲みきれないくらい用意してくれるし、煌びやかなドレスや宝石だって沢山。
 泳げるほど広いバスタブに浮かべられた薔薇の花は食べてもおいしかったし、大きなベッドはふかふかのもふもふで、想像の中の雲のような寝心地だ。
 でも、

(昨夜は眠れなかった)

 城の中は、まるで楽園のようだ。
 でも、キラにとって何かが足りなかった。
 何かが無かった。

(きっと今夜も眠れない)

 見渡すほど広い庭に用意されたテーブルで、王子と2人でティータイム。
 常に優しい笑顔を向けてくれる王子に、キラは笑顔を返す。
 必死に笑顔を作る。
 ここで今の感情を露わにした態度を取っては王子に失礼にあたり、そしてそれはリュウの名を汚してしまうことになってしまうから。

「ムニエルはどうだ、キラ」

 香りの良い紅茶を一口飲んで、王子が訊いた。
 ティータイムだというのに、キラの前にはビールと魚のムニエル。
 しかもビールは大ジョッキ。
 一体どこがティータイムなのかと、注文したキラ自身も突っ込みたくなる。

「この城の料理は、みんなおいしいです」

「そうか。それならば良かった」そう言って、王子は本当に嬉しそうに笑う。手をぱんぱんと叩いて少し離れたところにいたメイドを呼び、王子が言う。「私にもビールとムニエルをくれ。グラスもキラと同じもので」

「へっ?」キラは思わず声が裏返った。「い、いや、あのっ、私に合わせなくて結構ですからっ…。無理なさらないでくださいっ…。それではオッサンになってしま……あっ、いえっ、その……」

「オッサン? そうか、私はオッサンか」王子がおかしそうに笑った。「良いのだ。私がそうしたいのだ」

 そう言って王子は、大ジョッキで用意されたビールを一口飲み、ムニエルをフォークとナイフで上品に口にする。

(さ…、最高に似合わなすぎるっ……)

 キラ、思わず絶句。
 快晴の空の下、花々の香りがする庭での昼下がり、乙女が頭に描きそうな王子とあろうものに、なんてことをさせてしまったのか。
 焼き魚ではなくムニエルというところが、不幸中の幸いだろうか。

「うむ。旨いな、キラ!」

 王子の笑顔が咲き乱れる。
 女ったらしだという噂も耳にしたが、その笑顔は純粋なものだった。
 ブルーの瞳だって、穢れが見つからなかった。
 衝撃的な光景にまだ呆然としているキラに、王子が言う。

「どうした、キラ? どっちが飲めるか、勝負でもするか?」

「え?」

「私はこう見えて結構、酒には強いのだぞ」

 勝負。
 その言葉を聞いて、キラの瞳が光る。

「王子が相手とはいえ、負けませんよ?」

「ふふ、望むところだ、キラよ。いざ…!」

「勝負っ!」

 キラのジョッキと王子のジョッキが、快晴の空の下でかちんと音を響かせた。
 
 
 
 午後3時頃からキラに会いにヒマワリ城へと遊びに行っていたミーナは、夜になってから戻ってきた。
 主がいる、リュウ宅のリビングへ。

「ただいまぁ」

「こら、おっそいで、ミーナ」ミーナの主であるリンクは、眉を吊り上げて言った。「心配するやないかい。……で、どうやった」

 リンクは訊いた。
 キラの様子は、どうだったかと。
 ミーナをヒマワリ城へと遊びに行かせたのは、他の誰でもないリンクだった。
 見るからに元気のないリュウのために。

「うん、楽しかった!」

 と、ミーナ。
 それってキラの様子ではなく、ミーナが城で遊んできた感想じゃなかろうか。
 そうじゃなくて、とリンクが続けようとしたとき、ミーナが言った。

「えらく面白いものが見れた」

「面白いもの?」

「うん。最初見たときは、思わず呆然としてしまったぞ」ミーナがリンクの傍らに座って続ける。「わたしが城へ行くと、キラと王子は庭でティータイム中だと言われた。それで庭へと案内されて見ると、何してたと思う」

「何って、ティータイムちゃうん」

「聞いて驚くな」

 と、ミーナが言い、リンクはぎくりとした。
 キラと王子が、リュウの傷つくようなことをしていたらどうしようと。

「でかいジョッキに入ったビール片手に、どっちが飲めるか勝負していたのだ!」

「は?」

「つまみはムニエルとか、軟骨のから揚げとか、タコわさびとか、仕舞いにはスルメを用意させていたな」

「え、えぇ……?」

 あの王子がビールのジョッキ片手に居酒屋メニューを食べている姿が想像できなくて、リンクの頭の中が困惑する。
 向かいのソファーにいるリュウを見ると、リンク同様想像がつかないのか眉を寄せている。
 ミーナが続ける。

「わたしはまったり飲んでいたのだが、キラと王子は会話を交わしつつも本気で勝負していたな。なんというか、ムードというものがまるでなかった」

(そりゃ良かった…)

 リンクは心の中で安堵した。
 ムードたっぷりだったなんて言われたら、リュウはきっと眠れないどころか食事すらできなくなってしまう。
 今日の朝も昼も夜も、食事を飲み物で無理矢理流し込んでいる状態なのだから。
 いつもリンクの目に大きく映るリュウの背が、とても小さく見えた。
 リュウが口を開く。

「…で、王子は何時ごろ潰れた」

 勝敗を分かっていたリュウに、ミーナが言う。

「結構強いぞ、あの王子。夕日が沈んだころに、ようやっとキラの勝ち誇った笑いが響いたぞ」

「…そうか」

 そう一言返して、リュウは口を閉ざした。

(楽しくやってるのか)

 リュウの心境を察して、リンクは慌ててフォローを入れる。

「あれやろなっ。キラは自分より酒弱い男になんて、振り向かないやろなっ」

「……」

 この日、リュウはもう口を開かなかった。
 
 
 
 城に泊まって2日目。
 昼食後、キラは庭へと歩いていった。
 桃色の蕾をたくさん付けている木の枝にぴょんと登って、そこに腰掛ける。
 今日の天気も快晴。
 心地よい春の風が、キラのガラスのような髪の毛をなびかせる。

(昨夜も眠れなかった。そして今夜も眠れない)

 昨日は王子が酔いつぶれたあとも、キラは飲み続けた。
 午後9時ごろになってミーナが帰っていったあとも、飲み続けた。
 でも、酔えなかった。
 城の外で0時を知らせる金が響いて、ふかふかでもふもふのお姫様ベッドに寝転がって、目を閉じても眠れない。
 何かがなくて眠れない。
 そのまま朝日を迎えた。
「そなたは、本当に美しいな」少し前から庭へ来て、少し離れたところからキラを見つめていた王子は言った。「…お転婆娘だが」

 そう付け足して、王子はドレス姿で木に登っているキラをおかしそうに笑う。

「あれ、王子……」いつからそこにいたのだろうと、キラは瞬きをした。「二日酔いはもう良いのですか」

 今朝になって目を覚ました王子は二日酔いで起き上がれず、昼食のときにも姿を見せなかった。

 王子が笑顔で言う。 「ああ。もうすっかり治った。キラには負けた。昨日は私の完敗だ」王子が、枝の上にいるキラに向かって両手を伸ばした。「おいで、キラ」

「……」

 キラは王子を見下ろした。
 両手を伸ばしたまま、微笑んで待っている。
 キラは枝の上から飛び降りた。
 王子がキラの身体を両腕で受け止める。
 やっぱり王子も男。
 キラの身体を軽々と腕に抱いた。

「さぁて、今日は何をして遊ぼうか、キラ。何でも良いぞ」

 この王子は、言葉通りきっとどんな遊びにも付き合ってくれるだろう。
 というわけで、キラはいつもリュウが付き合ってくれない遊びを口にしてみた。

「…ネズミ捕り」

 王子が張り切って、袖をまくった。
 
 
 
「ぶほっ! げほげほっ……ごほっ!」

 リュウ宅のリビングにて、本日のキラの様子をミーナから聞いたリンクは、缶チューハイを飲んで思わずむせ込んだ。

「というわけで」ミーナが言う。「今日も面白いものを見たぞ」

「なっ、なんってことを王子にさせてんねん、キラ…!」

 リンクは驚愕してしまう。王子がキラと一緒にネズミ捕りをしていたと言うのだ。
 ミーナが続ける。

「でも王子、ものすごく楽しそうだったぞ。しかも上手いし、キラもわたしも負けじと夢中になってしまった」

「あ…あかん。キラと一緒にいたら、王子が王子じゃなくなってしまうでっ」

「…そうだな」リュウがリンクに同意した。「…本当、王子はキラのためなら何だってしてやるんだな。…こうなったら、俺も一緒にネズミ捕り――」

「いや、せんでええから」

 リンクは突っ込んだ。
 リュウがネズミ捕りをする姿など、間違っても見たくない。
 口を閉ざしたリュウに、リンクは明るい声で言った。

「明日やなっ、リュウ! キラ迎えに行くの」

「……」

 この日、リュウはもう口を開かなかった。
 
 
 
 今日、リュウはヒマワリ城へとキラを迎えに行く。
 仕事帰り、よく寄るバーでリンクとミーナと一緒に晩ご飯を食べながら、リュウはこの日初めて口を開いた。

「…王子、何時にキラを向かえに来いって言ってた」

「えと、たしか0時ちょっと前」リンクは答えて、店の中の時計に目をやった。「今8時半やから、3時間後に向かえに行けばちょうどええやろ」

 リュウが時計を見て時刻を確認したあと口を閉ざした。

「あ…、リュウは酒飲んでええで」リンクは笑って言った。「おれが車運転するから」

 リュウは頷き、ウィスキーのロックを注文した。
 ミーナもビールを注文した。
 飲み始めて2時間後、ミーナがリンクの膝枕で眠りだす。
 リンクがミーナの頭を撫でていると、リュウが再び口を開いた。

「……リンク」

「ん」リンクは顔を上げて、リュウの顔を見た。「なんや、リュウ」

 リュウは窓の外を見ていた。
 リンクもそちらに顔を傾けると、さっきまで星を輝かせていた空が、いつの間にか雨を降らせていた。

「キラは、俺を待ってると思うか」

 そんなリュウの台詞が聞こえて、リンクは再びリュウの顔を見た。
 リュウと付き合いが長いリンクは見逃さない。
 感情を表に出さないようにしているリュウだが、その黒々とした瞳の奥が不安に揺らいでいるのを。
「あっ…、当たり前やんかっ。何言ってんねんっ」

「……舞踏会の日」リュウが外を見たまま続ける。「キラと初めて喧嘩した」

「…うん」

 リンクは頷いた。
 それはリュウの様子を見ればすぐに分かったことだった。

「俺、キラを泣かせたんだ」ウィスキーのグラスを握るリュウの手に、少し力が入った。「何も……、言えなかった」

「そか…。おまえは言葉が不器用やからな」

「うるせーよ」そうリュウは憎まれ口を叩いたが、否定はできなかった。「…比べて王子は、キラを泣かせねーよな。万が一泣かせたとしても、すぐに言葉を見つけられる。見つかった言葉を、簡単に口にすることができる」

「王子はさらっとクサイ台詞吐くもんなぁ。あれはおれでも無理やっちゅーねん」

 リンクは苦笑した。
 リュウが続ける。

「王子は、俺が言えないことをキラに言ってやれる。王子は、俺がキラと一緒にしてやらなかったことをしてやった」リュウが声を詰まらせ、もう一度リンクに訊く。「なあ、リンク。キラは、俺を待ってくれてると思うか」

 リンクは微笑んで言った。

「キラの主はおまえだけやで、リュウ」



 城で最後の晩ご飯を食べ、キラは3日間過ごした自分の部屋へと向かった。
 舞踏会の日に着ていた赤いドレスに着替えたキラを見て、王子の瞳が動揺した。

「帰るのか、キラ……?」

「もうすぐリュウが、迎えに来る」

「…っ……!」王子がキラを抱きしめた。「行かないでくれ、キラ…! この3日間、私はこれまでに感じたことのないくらい楽しかった。そなたといると心が弾んだ。お願いだ…、お願いだ、キラ。行かないでくれ…! 私は、そなたを愛している……!」

「…愛してる」キラは呟いた。「一度で良いから、リュウの口から聞いてみたい台詞だ」

「私ならば、毎日だって言ってやる! 聞き飽きるほど、言ってやる!」

「…ありがとう。でも、ごめんなさい」

「何故だ…!? 城での生活は、気に入らなかったか……!?」

 キラは首を横に振った。

「料理はおいしいし、城の中は駆け回って遊べた。ビールをたくさん飲めたし、綺麗なドレスや宝石も身につけられた。バスタブに浮かべられた薔薇の花の味も気に入ったし、ベッドはふかふかのもふもふで嬉しかった。3日間、あなたは私とたくさん遊んでくれた。とても嬉しかったし、楽しかった」

「じゃあ、じゃあ、何故行ってしまうのだ……!」

「ここには…、ここには」キラの瞳から、涙が零れた。「リュウがいない。ネズミの抱き枕もないし、リュウもいない。眠ることができない……! リュウの腕に抱かれて夢を見る幸せは、何にも変えられない……!」

 そう言って、キラが泣きじゃくる。

「――…そうか、そうか、キラ。分かった」王子が、キラの涙を指で拭った。「私は、そなたが毎晩泣いているのを知っていた。リュウの名を呼んで泣いているのを知っていた。それなのに私の欲で閉じ込める形になってしまって、悪かった。辛かっただろう。私の相手をしてくれて、ありがとう、キラ」

 キラは必死に首を横に振った。

「私こそ、本当にありがとう…、ありがとう王子様」

 王子は微笑んでキラの手を引いた。

「さぁ、もうすぐ9時だ。リュウが迎えにくるから行こう、キラ」

 キラは笑顔で頷いた。
 
 
 
 王子が舞踏会の夜にリンクを通じてリュウに伝えた伝言は、「念のためにキラを迎えに来ることになったら、3日後の夜9時に城の城門の前まで来るように」。
 それなのに、9時を30分過ぎてもリュウの姿は現れなかった。

「何をしているんだ、リュウは……」

 苛立った様子の王子に、キラは笑顔を向けて言った。

「リュウは忙しいから、仕事がまだ終わらないのかも。王子、もう結構ですからお城の中へ」

「駄目だ、そなたをこんなところに1人にしてはおけない」

「ありがとう」

 城門の下、キラは夜空を見上げた。
 だんだんと雨雲が立ち込めてきて、30分後には雨が降り出した。

「ええい、リュウはまだか……!」

「緊急の仕事かも…、きっと」

 雨が強くなり、さらに1時間後。
 時刻は午後11時を回った。
 まだリュウの姿は見えない。
 王子が言う。

「もう駄目だ、待っておれぬ。キラをこんなにも待たせるとは、どういうことだ。キラ、待っておれ。私が今、馬車で家まで送ろうぞ」

 キラは首を横に振った。

「リュウを、待っていたいから」

「しかしっ……」王子は戸惑ったあと、言い直した。「…分かった。リュウが来るまで、一緒に待とうぞ」

「ありがとう」

 キラは王子に笑顔を向けたあと、再び空を仰いだ。
 雨はさらに強さを増していく。

(リュウ、まだ…? 今、どこ……?)キラの胸が不安に駆られる。(リュウ、まだ怒ってるの? 私のこと、もういらないの? 捨てたの? ねぇ、リュウ…、今どこにいるの……?)

 辺りに0時を知らせる鐘が鳴り響き、キラの瞳から堪えていた涙が零れ落ちた。

「――…リュウっ…! どうして来ないのっ……!?」

「おのれっ、おのれ…、リュウ! 何をしておるのだ!」王子は泣き出したキラを抱きしめた。「もう見てられん、奴は駄目だ! キラ、やはり私を選べ!」

 王子の腕の中、キラは必死に首を横に振る。

(もう、文句なんか言わない。過去のことなんかどうだって良い。だからお願い、リュウ…! 私を迎えにきて……!)

 キラがそう願ったとき、暗闇の中に車のライトが見えた。

「リュウっ…!?」眩しい光に目を細め、キラはその車がリュウのものであることを確認した。「リュウっ……!」

 車が城門の前で止まり、リュウが後部座席から降りて、雨の中をこちらへと向かって歩いてくる。

「リュウっ!!」キラが王子の腕の中から飛び出し、リュウの胸に飛び込んだ。「リュウっ…リュウっ……!」

「な…に、泣いてんだよ?」

 リュウは動揺しながら、着ていたジャケットをキラに被せた。
 必死に胸にしがみ付いてくるキラを見て、やっとリュウの心の中の不安が取り除かれる。

(キラは、俺を待っていてくれた)

 キラを抱きしめたかったリュウだったが、城門の下に王子がいることに気付いてやめた。

「…キラ、車の中に入ってろ。リンクとミーナもいるから」

 ミーナと聞いて、キラは涙を拭った。
 王子に一礼して、車の後部座席へと駆け込む。
 キラが車へ入ったあと、リュウは城門の下にいる王子のところへと歩いていった。

「王子――」

「リュウ!!」

「――!?」王子がほぼ飾りにしている腰の剣をリュウに向かって振り下ろし、リュウは瞬時に真剣白刃取りで受け止めた。「あっ、危ねえっ……!!」

「うるさい! 来るのが遅いのだ!!」

「遅いって、1分しか遅刻してないはずですが」

「何を言っておる! 9時に向かえに来いと言ったはずだ!」

「は?」リュウは眉を寄せた。「0時ちょっと前って聞きましたけど」

「何……?」

 王子の眉も寄る。
 2人の目線は、車の中のリンクへ。

「……。リュウ、あのバカに制裁を加えておけ」

「御意」

 2人はリンクに呆れたあと、再び顔を合わせた。
 王子が口を開こうとしたとき、リュウが頭を下げた。

「申し訳…ございません、王子」

「…キラのことか」

「……はい」

「…頭を上げよ」

 王子に言われ、リュウは頭を上げて続けた。

「キラは…、キラだけは、お譲りすることができません。王子だろうと、王だろうと、キラだけは譲ることはできません。キラがあなたを選ぼうと、俺はキラを強引にでも傍に置く」

「……」

「俺が…俺が、キラがいないと駄目なんです。キラがいないと、眠ることすらできない。俺はキラがいないと、駄目なんです」

 王子は驚かずにはいられなかった。
 王子はリュウがどんな男かよく知っている。
 とても誇り高く、王子の知っている中では一番強い男だ。
 そんな男の口から、まさかそんな台詞が出るとは思いもしなかった。
 そんな、弱い者を思わせる台詞が出るなんて。

「…キラも、同じことを言っていた。おまえがいないと、眠れないと。おまえの腕の中で夢を見る幸せは、何にも変えられないと言われた」

「……」

「おまえは私がほしくて仕方がないキラに、それほど想われているのだ。泣かせるでない」

「…はい」

「よし…、行け」王子がリュウに背を向けた。「キラが待っている。早く行って抱きしめてやれ」

「はい」

 リュウが王子に礼をして城門から駆け出そうとしたとき、王子が言った。

「それから」

「?」

「たまにはキラに、『愛している』と言ってやれ」

「……まじで?」

「まじだ」王子が振り返って、威厳たっぷりに言う。「私の命令だ、リュウ」

「……。御意」

 リュウはもう一度王子に礼をしたあと、車の後部座席に乗り込んだ。

「よっしゃ、帰るで?っ♪」と、車を発進させるリンクの頭に、リュウの拳が飛ぶ。「…って、なにすんねんっ、リュウ! 痛いやないかい!」

「うるせー、バカが。何が0時ちょっと前に迎えに行く、だ。9時じゃねーか、9時!」

「えぇっ? ほんま?っ!? ご、ごめん、ごめんなっ、キラ――」

 バックミラーで後部座席を見たリンクは、言葉を切って微笑んだ。
 必死にキラを抱きしめているリュウと、必死にリュウにしがみ付いているキラ。
 リンクは笑いながら言った。

「ここで始めるんやないで?、ミーナおんねんから?」

「始めるって、何をだ?」

 助手席のミーナが、訊きながら後部座席に振り返る。

「はいはい、子供は前見て」

 リンクは片手でくるりと、ミーナの頭の方向を変えた。
 リュウの唇がキラの唇に重なる。
 数分の間、唇を奪い合う。
 そのあと、リュウがリンクやミーナに聞こえないようにキラの耳元で囁いた。

「……愛してる」

「――」

「愛してる、キラ」

 リュウが、キラを押し倒した。

「!? だっ、だから始めるなって――」

 顔を真っ赤にして振り返ったリンクは、ぱちぱちと瞬きをして言葉を切った。
 ミーナも振り返って言う。

「死んでるぞ」

「殺すな」

 リンクはミーナに突っ込んで、再び前を見て運転し始めた。
 なるべく、静かに。
 極力、安全運転で。
 幸せそうに眠るリュウとキラを、夢の中から引き戻してしまわないように。
 
 
 
 
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