第86話 もうすぐバレンタインデーです


 普段は一般人があまり寄り付かぬ山の中。
 2月の上旬と真冬故に、凍るような冷たさの風が頬を打つ。
 そんな中、雪の絨毯の上に重なり合っているジュリとミカエルから呼吸が熱く激しく乱れていた。

「ハァッ…、ハァッ…、ハァッ……! だ…大丈夫か、ジュリっ……?」

「ハァッ…、ハァッ…、ハァッ……! は、はい、大丈夫です、ミカエルさまっ……!」

「…っ……い…痛くないかっ……?」

「…うっ…あっ……これくらい我慢できますっ…! だから気にしないでくださいミカエルさま――あああぁあぁぁぁっ!!」

「ジュリっ……!! 待ってろ、今――」

「ぷっ」と、ミカエルの言葉を遮ったのは、サラの失笑である。「あーーーっはっはっはっはっはっ! あんたたち何その会話!? BL!? ぼーいずらぶ!? ジュリが受けでミカエルが攻め!? あーーーっはっはっはっはっ!」

 とサラに爆笑され、ジュリを下敷きにする形で雪男を思わせる巨大モンスターに踏み潰されているミカエルの顔が引きつる。

 一週間前にリーナと別れて以来、サラを師匠に選んだミカエル。
 それ以来、ジュリと共に地獄の日々を味わっていた。
 サラを師匠に選んだ理由は、サラを師匠と選んだジュリがここのところメキメキと強くなったから。
 差を広げられまいと、同様にサラを選んだ。

 ――のだが、失敗だっただろうかと思ってしまう。

「お……おい、サラ」

「今は仕事中だよ。師匠って呼びなミカエル。ジュリもね」

「し、師匠」

「何、ミカエル?」

「私は誰を師匠にしようか考えたとき、おまえの他にリュウが思い浮かんだんだが」

「あー正解だったね、アタシを選んで。親父の弟子じゃ、アンタもう死んでたって♪」

「そ、それがそうでもないような気がしてな? 若干だが、リュウは私が男とはいえ、おまえより優しい気がするぞ……」

「何……アンタもジュリも、死にそうなわけ?」と、きょとんとしたあと、サラが深く溜め息を吐く。「この程度で情けない。あのね、そんなんじゃアンタたちリーナから本命バレンタインチョコもらえないよ?」

 とのサラの言葉に、ぴくっと眉を動かしたジュリとミカエル。

「チョ…、チョコォォォォォォォォォォォォォォォォ……!!」

 と声を上げながら腕に力を込め、二人合わせて巨大モンスターの足を背で押し返す。
 その後サラの力も借りてではあるが、モンスターを三途の川へ。

「南無阿弥陀仏っと。よーし、休憩していいよー」

 とサラに言われ、四つんばいになって息を切らすジュリとミカエル。
 雪の絨毯の上に汗と血を滴らせる。

「ほら、これ飲みな。あんたたちが重傷負うたび、親父たちに治癒魔法かけに来てもらうわけにはいかないからね」

 と、ジュリとミカエルがサラから受け取ったのは、マナの魔法薬――治癒薬。
 リュウの治癒魔法並に傷を回復してくれるそれを飲んだあと、ジュリとミカエルは顔を見合わせた。

「だ、大丈夫だったか? ジュリ」

「は、はい。ミカエルさまこそ、大丈夫でしたか?」

「あ、ああ、なんとか……」

 ジュリとミカエルのそんな会話を聞きつつ、持って来ていた缶ビールを飲みながらサラが言う。

「アンタたちって、恋敵だけど仕事中は仲いいよね」

「そりゃあ……」

 と、ジュリとミカエルは声を合わせて苦笑する。
 力を合わせて戦わないと、いつ命を落としてもおかしくないのである。

「さて」と、サラがにやりと笑って続ける。「リーナから本命チョコをもらえるのはどっちかね」

 見つめ合い、火花を散らすジュリとミカエル。
 ここのところ毎日のようにしているやり取りを始める。

「どう考えても僕ですよ、サラ姉上」

「どう考えても私だろう、サラ」

「だから仕事中は師匠って呼べっつの」

 と、サラに長戟の柄でゴツンと頭を殴られ、ジュリとミカエルは頭を押さえながら言い直す。

「ど、どう考えても僕でしょう、サラ師匠」

「ど、どう考えても私だと思わないか、師匠」

 ジュリとミカエルの顔を交互に見、「うーん」と首を捻りながら唸ったサラ。
 正直どちらか分からない。
 とりあえず知っていることは、

「リーナ、あんたたちにチョコあげるかどうか悩んでるらしいよ」
 
 
 
 
 その夜、リビングのソファーでくつろいでいたローゼの携帯電話が鳴った。
 隣に座っていたシオンが呆れたように訊く。

「またリーナか?」

 頷いたローゼ。
 溜め息を吐いてその電話――リーナからの電話に出る。

「もしもし、ローゼですけど?」

「なあ、ローゼさま。うち、どないしようっ…! ジュリちゃんとミカエルさまへのバレンタインチョコ、どないしようっ……!」

「またそのことですかにゃ……」

 とローゼも呆れてしまう。
 3日前からリーナが何度も電話やメールをよこしてくると思ったら、ジュリとミカエルへのバレンタインチョコのことばかりである。

「せ、せやかて、バレンタインまであと一週間しかないんやもん! ど・な・い・し・よぉぉぉぉーっ!」

「だーかーらぁ、そんなに悩むならどっちにも本命チョコあげればいいのでは? まあ、ローゼはジュリさんにあげるべきだと思いますけどにゃ」

「ど…どっちにも本命チョコなんて、そんなんうちが浮気者みたいで嫌やっ……!」

「じゃあ、どっちにも義理チョコあげるか、いっそのことどっちにも何もあげなければいいと思いますにゃ」

「そ、そんなん、うちが二人のこと好きやないみたいやんかあぁぁぁ!」

「……」

 ぶちっと、己の中で何かが切れる音がしたローゼ。
 思わずといったように声をあげる。

「ああもうっ、どうしたいんですにゃリーナさん!?」

「せやから、どうすればええのか分からんから相談してるんやんかぁぁあぁぁああぁぁあぁぁあああっ! こんなことリュウ兄ちゃんに相談しても適当に答えられそうやったからぁぁああぁぁあぁぁああぁぁあぁぁあぁぁあああっ!!」

「そんなに大声で叫ばないでくださいにゃ、猫耳がキンキンするっ……!」

 とローゼが溜まらず白猫の耳から携帯電話を遠ざけたとき、玄関のドアが開け閉めされる音が聞こえて来た。
 続いて聞こえて来たのは、

「今帰ったぞー。俺の可愛い黒猫、娘、孫娘よ、さあ俺の胸に飛び込んで来い」

 リュウの声。
 ローゼは「あっ」と声を上げてリーナとの電話を切ると、誰よりも真っ先に玄関へと駆けて行った。

 ちょうど靴を脱ぎ終わってスリッパを履いたリュウに抱きつく。

「おかえりなさいにゃ、リュウさま!」

「――って、俺の胸に飛び込んできたのは孫の(将来の)嫁。さすが俺。とことん罪作りだぜ。ああ、シオンの悔しそうな顔を思い浮かべると楽しくて仕方ねえ」

 と、にやにやとしながらローゼを抱き上げたリュウ。
 こちらへと駆けてくるシオンのものだろうスリッパの音を聞きながら、ローゼに訊く。

「どうした、ローゼ。そんなに俺のことが好きか」

「はいですにゃ♪ ローゼ、リュウさまにお訊きしたいことが――」

 ビュンッ!

 と音を立て、ローゼの言葉を遮るようにリュウの横顔を目掛け豪速球で飛んできたスリッパ。
 リュウはそれを右手で受け止めると、それを投げてきた者――シオンに顔を向けた。

「おう、シオン。どうした、すげー剣幕だな」

「うるせー、バカ師匠が。人の女たぶらかしてんじゃねーぞ」

「何の話だ。ローゼの方から俺の胸に飛び込んできたんだぜ」

「……」

 顔を引きつらせるシオンを見てさらににやけた後、リュウはローゼに顔を戻して訊く。

「で、俺に訊きたいことって何だ」

「はい! あ…あのっ…、バレンタインには何がいいかと思いましてにゃっ……?」

 と少し頬を染めたローゼに、シオンの顔がますます引きつる。

「ああ、バレンタインか。おれは甘いもんがとことん駄目だからな、それ意外で頼む」

「はい、分かりましたにゃ! じゃあローゼ、何か頑張ってお料理しますにゃ!」

 と満面の笑みで承諾したローゼをリュウの腕から引き摺り下ろし、シオンはローゼにデコピンをする。

「ふにゃっ! な、なにするのにゃシオン!」

「うるせ。リーナに続いて、おまえもアッチふらふらコッチふらふらか」

「ロ、ローゼそんなことしてないのにゃっ!」

「してるじゃねーか。さっきのおまえ見てると、俺と師匠の間ふらふらしてる。違うか、え? はっきり言ってな、俺はそういう女は嫌いなんだよ!」

 と怒鳴るなり背を向けたシオンを見、ローゼの青い瞳に涙が込み上げる。

「ふっ…、ふにゃあぁぁあぁぁああん! だってっ…、だってっ……、リュウさまは将来のシオンみたいでカッコイイんだにゃあぁああぁぁあぁぁあああぁぁあああん!!」

 と、泣き喚くローゼに、

(…お…俺の女、可愛いじゃねーか……)

 なんて思ったシオン、完敗。
 振り返り、赤くなったローゼの額に治癒魔法を掛ける。

「お、俺が悪かった。おまえは部屋に戻って風呂に入れ。な?」

 頷き、ローゼが階段を上っていったあと、リュウがシオンを見下ろして再び口を開く。

「おまえさっき、自分の女のこと可愛いって思っただろ。ローゼもローゼだし、バカップルだな」

「う、うるせーな。あんたにゃ言われたくねーよ」

「俺が妻を褒めまくるのは当然だろ、絶世の美女なんだからよ」

「た、たしかにそうだが、女はちょっとブスなくらいが可愛いんだよ!」

 と言ったシオンの後方から聞こえて来る、女の尖り声。

「やーねぇ、シオン。ローゼさまだって相当の美少女よ? ママと比べられたら、どんな美少女・美女だって劣るのは仕方ないんだから、ブスだなんて言っちゃ駄目よ」

 ミラだった。
 ファザコンであるが故に、リュウの首にしがみ付いて親子の間柄にしては異常なおねだりをする。

「おかえりなさい、パパ。寂しかったわ…! ねぇ、お願い、キスしてぇぇぇんっ……♪」

「ああ、俺の可愛い娘。寂しかったか、よしよし……」

「…あぁん、もっとよパパ…! そんなキスじゃ私の寂しさは癒えないわっ……!」

「そ、そうか。しかしだな、ミラ……その、キラが――」

「あぁん、パパ愛してるぅぅぅぅぅぅぅ!」

 ぶっちゅううううううううっ!!

 と、ミラに熱く唇を奪われ、キラの目を気にするリュウの顔が蒼白していく。

 リュウに目で助けを訴えられ、さっきの仕返しに無視しようかと思ったシオンだが。
 今このシーンをキラが見たと思うと激しく恐ろしいので、慌ててリュウからミラを引き剥がしてやった。

「あー、あー、あー、あれだ、ミラ姉っ……」

「あんもう、何よシオン?」

 とミラに訊かれ、シオンは頭の中で話題のネタを必死に探す。

「あ…あれだ、ミラ姉……」

「だから何よ?」

「あ、あれだ……、その…ジュリ兄、ローゼのお陰で一歩前進したと思わね?」

「ええ、そうね」と同意したミラ。「ローゼ様の作戦、大成功だったわよね。私、こんなに早くリーナがミカエルさまと別れると思ってなかったもの」

 と声を高くした。

「ああ、俺も」

「ジュリに運が向いてきたのよ、きっと。ここはどんどん積極的に作戦を頑張らなくっちゃ!」

 と張り切った様子のミラは、その作戦を頭の中であれやこれやと考える。
 そして十数秒後、にっこりと笑った。

「8番バッターは、私かしら♪」
 
 
 
 
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