第85話 付き合ったらあかんのです


 シオンの部屋の中、ジュリが鼻歌を歌い始める。
 さっきリビングで歌った『Oh! derisious! ―君のbody―』の前奏だ。

(ジュ…、ジュリちゃんも歌詞作ってたなんてっ……)

 と、シオンの部屋の戸口にこっそりと立っているリーナ。
 思わずどぎまぎとしてしまいながら、ジュリの横顔を見つめる。

 少しして前奏が終わり、白猫の耳に響いてきたジュリのアカペラ。
 明るくポップな曲調だけれど、それはとても切ない声だった。

『ほんの少し前まで あなたは僕の傍にいてくれた
 子供で愚かな僕は あなたの傷付いた心に気付くことが出来なかったね
 僕はずっとその真夏の太陽のような笑顔を求めていたのに
 返ってきたものは泣き顔ばかり

 本当にごめんね そんな言葉ばかり浮かぶよ
 僕がもっとずっと 大人だったらあなたを傷付けずに済んだのに
 あの日のあなたの涙が僕の頭から離れてくれないよ
 きっと僕への戒めだね』

 ずきん、ずきんとリーナの胸が痛んでいく。

(ちゃうよ、ジュリちゃん…、ジュリちゃんだけが悪いんやないよ…、うちやてたくさんたくさん悪かったんよ……)

『今あなたは他の誰かを慕い愛し その視界にはいない僕だけど
 相変わらずな僕は あなたのことばかり見ているよ

 今あなたは他の誰かを慕い愛し またその笑顔を咲かせているのに
 大好きなそれを見れるというのに 僕の胸は素直に喜んでくれない』

(どうしてなん、ジュリちゃん…? ジュリちゃんやてめっちゃ傷付いたのに、どうしてそんなにうちのこと……?)

『もし願いが叶うのなら 一つだけ願うよ
 あなたのその笑顔を 誰よりも傍で見つめさせて

 そして またあなたは言ってくれるよ 「なあ、めっちゃ好きやで」』

 蘇る、昔ジュリと過ごした幸せな日々。
 突き刺さる、ジュリのその願い。

 リーナの胸が詰まる。
 呼吸が出来ないほど、痞える。
 裂けそうなほど、痛い。

(ああ、ジュリちゃん…! うち……、ほんまは――)

 すっと一筋の涙が頬を伝い、はっとして手の甲で拭ったリーナ。
 シオンの部屋の中にいるローゼとふと目が合い、慌ててその場から逃げ出す。

 階段を駆け下りようとしたとき、ローゼの声が後方から聞こえて来た。

「待ってくださいにゃ! リーナさん!」

 立ち止まったリーナ。
 何かと訊いた、振り向かずに。
 見せられるような顔を、していなかったから。

「素直になってくださいにゃ…、リーナさん。ジュリさんだけじゃなく、リーナさんだってとっても苦しそうですにゃ……!」

 返事をしないリーナ。
 静かに階段を降り、ジュリ宅を後にした。
 
 
 
 
 適当に買い物をし、ミカエルに荷物持ちになってもらって葉月町を歩いていたユナは、携帯電話をバッグから取り出して時刻を確認した。

(ジュリ、もうリーナへラブソング贈り終わったかな。そ、そして振られてたりして……)

 なんて思って苦笑したとき、傍らを歩いていたミカエルがふと立ち止まり、ユナはその顔を見上げて首を傾げた。

「どうしたの? ミカエルさま」

「なあ、食わないか?」

 とミカエルがにこにこと笑いながら指したのは、女子高生の行列が出来ているクレープ屋である。
 それを見て、ユナはぷっと短く吹き出す。

「ミカエルさま、クレープ好きなの?」

「ああ、ストロベリーのやつがな♪」

「しかもイチゴ? 結構、可愛いんだ」

「リーナがストロベリーが好きでな、それを知ったら私も好きになったんだ」

「……ふーん」

 ちょっとムッとしたユナ。
 クレープなんていらないと言おうとしたとき、ミカエルの後方遠くにある信号を渡っているリーナの姿が目に入って口を閉ざした。

(え、リーナっ? どうしてこんなところにいるの? パーティーはっ……?)

 どうしたのかとその目線を追ってミカエルが後方に顔を向け掛け、ユナは慌てて声を上げる。

「ミカエルさまっ!」

「な、なんだ?」

 とミカエルが驚いて顔を戻すと、ユナは続けた。

「あたしクレープがすっっっごく食べたいから買ってきて!」

「あ、ああ、分かった。どれが食べたいんだ? ちなみに私はイチゴチョコスペシャルだ♪」

「マロンチョコカスタード生クリーム!」

「ああ、分かっ――」

「それじゃ、行列に並んでてね!? あたし、クレープ買い終わる頃にはまた戻ってくるから!」

「って、どこ行くんだユナ?」

「レディにそんなこと聞かないで!」

 と言うなり、ユナがその場から去っていく。

「あ、悪い。トイレか」

 と思って、ミカエルがおとなしくクレープ屋の行列に並ぶ一方。

 リーナを追い掛けて来たユナ。
 先ほどリーナが渡っていた信号が赤になる寸前で渡り切り、俯きがちに歩いていたリーナの手を取った。

「リーナっ……!」

 リーナが振り返り、ユナの顔を見るなり狼狽したように辺りを見渡す。
 ユナには分かった。
 リーナは今、ミカエルと顔を合わせたくないのだと。

「大丈夫、ミカエルさまは今ここから見えない場所にいるから」

「…そ…そうか……」

 と安堵した様子のリーナ。
 瞼が少し濡れている。

「どうしたの、リーナ? 今日のパーティーの主役でしょ? どうしてここにいるの?」

「…う…うち……」

 と涙ぐむリーナに、ユナはごくりと唾を飲み込んで訊く。

「ま、まさかリーナ……。あのパパと兄ちゃんとリンクさんの作った歌詞に感動して泣いたっていうんじゃ――」

「ありえんっちゅーねん」

 とのリーナのずばっとした突っ込みに何だか安堵してしまったあと、ユナは「それじゃ」と続けて訊いた。

「どうしたの? さっきまで泣いてたって顔してるよ?」

「……」

 リーナはユナの質問には答えなかった。
 代わりに、質問を返してきた。

「なあ……、ユナちゃんはまだミカエルさまのこと好きなん? ミカエルさまに振られてめっちゃ傷付いたはずなのに、まだミカエルさまのこと好きなん?」

「えっ……?」

 と、動揺して淡い紫色の瞳を揺れ動かしたユナ。
 リーナから目を逸らし、小さく頷いて答えた。
 自分の気持ちにはっきりしている以上、嘘は吐けない。

「……好きだよ。あたしやっぱり、ミカエルさまのことが凄く好きだよ」

 数秒間を置き、「そうか……」と呟いたリーナ。
 再び涙が溢れ出て来て、それを手の甲で拭う。

 深く、痛感した。

「やっぱり、やっぱりっ…、うちが一番中途半端や…! ユナちゃんもジュリちゃんもミカエルさまも、一人だけを想い続けてるのに…! ジュリちゃんとミカエルさまの間をうろうろしてるうちが、一番中途半端で最低やっ……!」

「リーナっ……」

 バッグからハンカチを取り出し、それをリーナに渡そうかと思ったユナ。
 ふと疑問が浮かんできて思い止まった。

「そう思うなら、これからどうするの?」

 どうすれば良いのか。

 リーナは泣きじゃくりながら考える。
 だけど、

「分からへん! 分からへん! 分からへん! うちは、うちのことを支えてくれたミカエルさまのことが好きや! そのことに嘘なんかあらへん! せやけどっ…、せやけど、ジュリちゃんのことが頭から離れへんのも事実なんや! ああ、もう……!」

 どうすれば良いのか。

 懸命に考えて分かったことは、

「うち、ジュリちゃんともミカエルさまとも、付き合ったらあかん……!」

 ということだった。
 どんなに独りになるのが怖くても、寂しくても、そうしなければならないと思った。
 ジュリとミカエル、二人の間をうろうろとしている以上は。

「そうだね……」

 と小さな声で同意したユナ。
 リーナの涙をハンカチで拭いながら続けた。

「別に、リーナとミカエルさまが別れて欲しいから言ってるんじゃないよ? あたし、ミカエルさまがリーナに振られて傷付くところみたくないし。今はミカエルさまの方がリーナに近くて優位って感じだけど、ジュリとミカエルさまが同じ立場に立ったときにね、リーナは自分が本当はどうしたいのか分かるんじゃないかって……思うんだ」

 頷いて同意したあと、リーナは不安を口にする。

「せやけど、こんなうちにジュリちゃんとミカエルさま呆れたりせえへんかな? うちのこと、嫌いになったりせえへんかな?」

 短く失笑したユナ。
 ジュリやミカエルと親しい者たちならば、誰だって確信出来ることを言ってやる。

「ジュリもミカエルさまも、リーナのこと嫌いになったりしないよ。二人ともリーナのこと支えてくれるし、傍にいてくれる。そして何より……、そう簡単に忘れられないほど惚れ込んでるよ?」
 
 
 
 
 翌日――2月の頭。
 深夜に仕事から帰宅したジュリは、自分の部屋に入るなり「わっ」と声を上げて仰天した。
 ベッドのところに、ミカエルが落ち込んだ様子で腰掛けている。

「どっ…どうしたんですか、ミカエルさま……!? 舞踏会の帰りですか?」

 静かに首を横に振ったミカエル。

「舞踏会へは行かなかった。本当はリーナと行く予定だったんだが……」

 と溜め息を吐いた。

「どうしたんですか? リーナちゃん、具合でも悪いんですか?」

「いや……、言われたんだリーナに」

「何てです?」

「『考えたいことがあるから今は距離を置いてくれ』と……」

「ああ、振られたんですか」

「しかし曖昧なことに、私のことは凄く好きだと言うんだ」

 と再び溜め息を吐いたミカエル。
 ジュリの顔をじっと見つめて続けた。

「おまえ、昨日どんな歌詞の曲を歌ったんだ?」

 と訊かれ、机の方へと歩いていったジュリ。
 引き出しを開け、リュウとシュウ、リンクにより書かれた歌詞の紙をミカエルに渡す。

「これですけど?」

「……。…な、なんだこれ……」

「歌いましょうか。あ、サビのコーラスの部分はシオン・シュン・セナだから呼んで来――」

「いや、いい。シオン・シュン・セナが哀れだ」と苦笑したミカエル。「他にはリーナの前で歌ってないのか?」

 と続けて訊いた。

「他には……、あ、そういえば」

 と、ジュリは再び机の方へと歩いていった。
 また引き出しを開け、自分で書いた歌詞の紙を取り出してミカエルに渡す。

「これリーナちゃんのいないところで歌ったつもりだったんですけど、リーナちゃん聴いていたみたいだってローゼ様が仰ってました」

 それを受け取ったミカエル。
 目を通した後、呟くように口を開いた。

「これか……」

「え?」

「これ、おまえが作った歌詞だろう?」

「はい、そうですけど」

 と答えたジュリの顔を見つめて数秒したあと、ミカエルが「どうやら」と続けた。

「リーナはおまえのことを気にしているらしい」

「――えっ? 僕のことをですか?」

 とジュリは耳を疑う。
 ミカエルはそうだと頷き、またまた溜め息を吐く。

「何だか感じさせられるな……、長年付き合ってきたリーナとおまえの絆みたいなものを」

「そうですか、凹みますか。じゃーおとなしくリーナちゃんのこと諦めてください」

「そうはいかないな、凄く好きだと言われては」

「未練がましい男ですね」

「って、おまえに言われたくないぞ……」と、苦笑したミカエル。「まあ、おまえと私は同じ立場になったわけだが……とりあえず、アレだな」

 ジュリの机の上の卓上カレンダーに顔を向けた。

「バレンタインデーには、どっちがリーナから本命チョコをもらえるか気になるところだな」

「そりゃ僕でしょう。だってリーナちゃん、僕のことを気にしてミカエルさまのこと振ったんでしょう?」

「たしかにそうだが、振られたものの凄く好きだと言われた私のはずだ」

「いーえ、僕です」

「いーや、私だ」

 ジュリとミカエルの間に火花散る。
 何はともあれ、バレンタインデーは2週間後だ。
 
 
 
 
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