第87話 『8番バッター、いくわよっ♪』 その1


「ああもう! うち、ジュリちゃんにもミカエルさまにも、バレンタインチョコやらへぇぇぇぇぇぇぇん!!」

 と、リーナがローゼとの電話でそう絶叫したのはバレンタインデー3日前の深夜。
 さんざん悩んで眠れない日々が続き、もう嫌になってそういうことにしたらしい。

 電話の向こうとはいえ絶叫したリーナの声は、ちょうど仕事から帰宅して2階の廊下へとやって来たジュリとハナの黒猫の耳に飛び込んできた。

「そっかあ…、リーナちゃんからチョコもらえないのかあ……」

 とジュリが溜め息を吐くと、少ししてシオンの部屋――向かって右から8番目の部屋のドアが開いた。
 顔を見せたのは、

「おかえりなさいにゃ、ジュリさん! ハナさん!」

 ローゼと、

「おかえり、ジュリ、ハナちゃん。今日もお疲れさま」

 ミラだった。
 それに続いて部屋の中から「おかえり」とシオンの声も聞こえて来た。

「ただいまです。ミラ姉上、こんな時間にシオンとローゼさまの部屋で何をしているのですか?」

「とりあえず先にお風呂に入って汗を流してきなさい、ジュリ。話はそれからするわ。大丈夫よ、ジュリはきっとリーナからバレンタインチョコをもらえるから」

 と、笑ったミラを見て首を傾げたあと、ジュリは承諾してハナと共に自分の部屋――向かって右から6番目の部屋に入った。
 バスルームに入ってシャワーを浴び、ハナと交代したあとにシオンとローゼの部屋へと向かって行く。
 タオルで頭をゴシゴシと拭きながら中に入ると、ベッドにシオンがうとうととしながら横臥していた。
 その前にミラとローゼが腰掛け、一緒に一冊の雑誌を見ている。

「あの、ミラ姉上?」

 とジュリが声を掛けると、ミラがジュリを手招きした。

「こっち来なさい、ジュリ」

 と言われ、ミラの隣に腰掛けたジュリ。
 ミラが見ていた雑誌をジュリに見せながら言う。

「これ、『月刊HALF☆NYANKO・MEN’S』の2月号――今月号なんだけどね」

「ああ…、グレルおじさんが毎月持って帰ってきてくれてるのに、僕読んでないなあ……」

「ほら見て、逆バレンタイン特集をやっているのよ」

「逆バレンタイン?」

 とジュリが鸚鵡返しに訊くと、ミラが頷いて続けた。

「そう、逆バレンタイン! 女性から男性へチョコをあげるんじゃなく、男性から女性へチョコをあげるの」

「へえ。でもミラ姉上、さっき僕がリーナちゃんからチョコもらえるって言ってませんでしたか?」

「そうよ、ジュリはきっとリーナからチョコもらえるわ♪ だってね、ジュリ。ほら見て、ここ!」

 と、ミラが開いているページ――『逆バレンタイン特集』の一部を指して言う。

「アンケートの結果、男性からチョコをもらえたら嬉しいって女性が95%以上もいるのよ? さらに、チョコをくれた男性を意識しちゃうって女性も多いの! そして男性からチョコを贈ることによって、そのお返しという形で女性からバレンタインチョコをもらえる可能性が高まるのよ?」

 シオンが欠伸をしながら口を開く。

「ふあぁ……、そこまでしてチョコ欲しいもんかあ?」

「チョコもらうための作戦じゃないのよぅ、私が言ってるのは!」と、ミラが続ける。「リーナがジュリとミカエルさまの間をうろうろとしてる今、逃がさないようにがっちりとリーナの心を引き寄せる作戦よぅ!」

「チョコごときで?」

「あんもうっ、シオンってば女心が分からないのね! さっきも言ったでしょ? 愛の告白をするバレンタインデーに渡されることによって、とぉーっても意識しちゃうものなのよ乙女は!」

「あっそう」と、どうでも良いように言って再び欠伸をし、シオンがジュリに顔を向ける。「だってよ、ジュリ兄。良かったな、楽で。コンビニで1個5ゴールドのチョコ買って来いよ」

「ダーメーよっ、そんなんじゃ!」

 と、ボスンッと布団に入っているシオンの身体を叩いたミラ。
 ジュリに顔を戻して続ける。

「いい? ジュリ! あなたは8番バッターのお姉ちゃんの作戦で、バレンタインデーを利用してリーナの心をグッと引き寄せるわ!」

「は、はい、ミラ姉上」

「バレンタインデーには、リーナに逆チョコと、それから何かもう一つ贈るべきね」

「もう一つですか?」

「ええ、もう一つよ! 逆チョコも大切だけれど、そのもう一つもとても重要よ!」

「そうですか……、でも何が良いんだろう」

 うふふ、と笑ったミラ。

「例えば、お姉ちゃんだったらの話だけどぉ」

「はい?」

「好きな男性――パパから、バレンタインデーにこう花束を渡されながらぁ、『愛してる、ミラ。俺の金メダルを受け取ってくれ』なぁーんて言われたら、私もうダメェェェェェェェェェェェェェェェッッッ!!」

 と絶叫しながら盛大に鼻血を吹き、後方に寝ていたシオンの腹の上にぶっ倒れたミラ。
 ローゼが思わず「ふにゃあっ!」と声を上げて驚愕する中、ガバッと起き上がってジュリの両手を握る。

「――って訳で、オススメよ花束+口説き文句♪ むかーしむかし私たちが生まれる前、ママもパパから薔薇の花束もらって凄く嬉しかったって言ってたし! 女性はね、男性が思ってる以上にお花をもらうと嬉しいのよ!」

「はぁ、そうですか……。でもその口説き文句、『気持ち』を受け取ってくれなら分かるんですけど、『金メダル』を受け取ってくれっていうのは、一体どういう意味ですかミラ姉上」

「つーか」と、シオンが呆れたように溜め息を吐く。「手作りラブソングの次は、花束を渡しながら口説き文句だぁ? どうしてこう、俺たちの周りって乙女な脳内した女ばっかなんだよ。そんなの世間からしたらな――」

「ローゼも欲しいにゃ」

 とローゼが口を挟み、「は?」と眉を寄せながらローゼに顔を向けたシオン。

「何だって?」

 と訊くと、ローゼが瞳を輝かせながらシオンの顔を見つめた。

「ローゼもバレンタインデーに、シオンから花束+口説き文句が欲しいにゃーっ」

「バッ……、バカおま、俺にそんなキザなことさせんのかよ!?」

「してにゃ」

「ハァー!?」

 とシオンが驚愕しながら騒ぎ始める一方、ミラが部屋から出、階段を下りていきながら大声で叫ぶ。

「あぁん、パパぁ! 私、バレンタインにパパからの花束と口説き文句が欲しいわあぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁあぁぁあぁぁああっ!!」

 それは、寝室でリュウに襲われていたキラの耳に入り。

「お、おい、待ってくれリュウっ……!」

「待てねーよ」

「で、では聞いてくれっ……!」

「何だ、俺の可愛い黒猫。『今日はいつも以上に激しくして欲しいのだ(はぁと)』か? ったく仕方ねーな、任せろ――」

「死ぬわっ!! わ、私が言いたいのはそうではなく!」

「何だよ」

「私も花束ほしいぞ、昔みたいに」

「おう、そうか――って……、ハァ!? バ、バカおま、また俺にそんな柄じゃねーことさせんのかよ!?」

「バレンタイン――結婚記念日にいっつもくれる指輪と一緒に持って来てくれ♪」

 キッチンで食事をしていたサラの耳にも入り。

「へー、逆バレンタインかあ。ねー、レオ兄。アタシにも」

「うん、いいよ」

「やったー。口説き文句は『僕は死ぬまで君と一日十発』がいいな」

「うん、分かった――って、一日十発って何のこと……!?」

「イトナミ♪」

「――!?」

 一階のバスルームでシュウと共に入浴していたカレンの耳にも入り。

「まあ、花束! あんもう、素敵っ! あたくしも欲しいわ、シュウ!」

「え…、えぇ!? ちょ、おま、花束って、オレそんな恥ずかしいこと出来ね――」

「お願い(はぁと)」

「オッケィ(はぁと×3) ――って、しまったぁぁぁあぁぁあぁぁあああーーーっっっ!!」

 一階のバスルームの前でシュウを待っているリン・ランの耳にも入り。

「おおーっ! わ、わたしたちに花束渡しながら『オレと不倫しようぜ』って言ってくださいなのだ兄上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」

「――って、おまえらも花束!? つか、何だよその口説き文句はよ!?」

「わ、わたしたち、いつでも兄上の銀メダルを受け取る準備は出来てま――」

「あーら、こんなところにマシンガンが♪」

 ズババババババッ!!

 とカレンが一階のバスルームのドアを穴だらけにしている頃、一階にあるグレルの部屋で晩酌をしていたマナも言う。

「たまには逆バレンタインもいいな…」

「おう! 任せろよーっと♪ おじちゃんがマナのために、両手一杯の食用菊買ってきてやるぞーっと♪」

「バケツ一杯の三杯酢用意しとく……♪」

 これから寝ようとミヅキとベッドに入ったレナも頬を染めながら言う。

「へー、逆バレンタインかぁ。いいなあ……」

「ここ近年流行ってるらしいね、逆バレンタイン。ボクも今年は渡す側になろうかな」

「えっ? 本当っ?」

「うん。レナ(の巨大な胃袋)に相応しい(尋常じゃない量の食べられる)花束を持ってくるからね」

「きゃーっ! ありがとうミヅキくんっ!」

 さらに、

「おじいちゃまあぁ、あたくちたちもバラの花束と一緒にプロポーズちてくだちゃああぁぁいぃぃぃ……」

 と、すでに眠っているカノン・カリンも寝言で呟き、

「オ、オオオ、オラもリュウ様から花束もらってみたいべええぇぇえぇぇえぇぇええーーーっっっ!!」

 と、ハナも赤面しながらバスタブの中で大暴れ。

 そして、マナがグレルの部屋に行っているが故に一人の部屋の中、ミカエルに電話を掛けているユナ。
 右耳で呼び出し音を聞きつつ、左耳で皆の声を聞き取りながら呟いた。

「へー…、今年は皆、逆バレンタインなんだぁ……」

「逆バレンタイン?」

 と、ちょうど電話に出たミカエル。
 長い呼び出し音のあとに突然聞こえて来たその声に、ユナは驚いて声を裏返す。

「わあっ!? い、今の独り言だから気にしないでっ! ていうかごめんなさい、寝てたっ……?」

「いや、シャワーを浴びていて電話に出るのが遅れたんだ」

「そ、そっか、良かった」

「で、おまえの家、今年は男たちが女性たちにチョコを贈るのか?」

「み、みたいっ…。だけどチョコじゃなくて、花束っぽい……」

「へえ。意外なことをするな。レオンやミヅキなら普通にやってそうだが、他はそういうことしなさそうな感じなんだが」

「うん。パパとか兄ちゃんとかシオンとか、気が進まないみたい」

「だろうな」と笑ったあと、ミカエルが続ける。「で、ジュリもバレンタインにリーナに花束を贈るってことか?」

「えっ?」

 ギクッとしたユナ。
 困惑した後、正直に答えた。

「う、うん…。た、たぶん……」

「そうか」

 と答えたミカエル。
 数秒後、「うーん」と唸って呟くように言った。

「これは私も何もしないわけには行かないな……」
 
 
 
 
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