第62話 クリスマス・イブはもうすぐです
転んだフリをしたサラに後頭部を掴まれたミカエル。
その顔があっという間に自分の顔目掛けて近づいてきて、ユナが目を丸くした瞬間。
ガツンッ!
とお互いの前歯をぶつけ合いながら、豪快に2人の唇が重なった。
「あ、ごめーん。わざとじゃないよ、わざとじゃ」
と笑い、サラがミカエルから手を離す。
その瞬間、ユナから唇を話したミカエル。
「…っっっ……!!」ユナと共に、己の口を手で押さえて前歯に走る激痛を堪える。「…お、おい、サラ……!?」
と、手を離したミカエルの口の端から血が垂れてるのを見て、サラは眉を寄せた。
「あれぇー? 口の中切ったの?」
「な、何を考えてるんだおまえは……!?」
「転んだだけだってば♪」
「き、気をつけてくれ……!」
と顔を引きつらせたあと、ミカエルはユナに顔を向けた。
まだ口を押さえているユナの手を剥がし、ユナの口元を見ながら訊く。
「おい、大丈夫か……!?」
「う、うん、大丈夫……」
と、口の端から血を垂れ流しながらユナ。
ミカエルの顔を見つめ、ぽっと頬を染める。
(ああ…、流血おそろい……)
というか、
(ミカエルさまとキスしちゃった……、あたし)
そんなことにユナが喜んでいると、ドアがノックされた。
「サラ、ユナ? どうした、父上の胸に飛び込んでこないのか」
どうやらついさっき帰宅したばかりのリュウのようだ。
(えっ、パパ!?)
とあたふたとしてしまうユナの一方、ミカエルがドアの向こうのリュウに向かって口を開いた。
「ああ、ちょうど良かったリュウ! ユナに治癒魔法を掛けてやってくれ!」
と言い切るか言い切らないかのうちに、鬼の形相のリュウがドアを蹴り開けて姿を見せた。
「てーめえ、バカエル……! 何、俺の可愛い娘の部屋に居座ってやがる……! ――って、ユナに何?」
と、眉を寄せ、ユナに顔を向けたリュウ。
ユナが口から流血しているのを見て驚愕し、瞬間移動でもしたのではないかと思うくらいの速さでユナの元へとやって来た。
「どうした、ユナ! 大丈夫か!?」
「う、うん、大丈夫だよパパ。ありがとう」と、リュウに無駄に多く治癒魔法を掛けられながら、ユナが笑顔を作った。「えと……、ミカエルさまにも治癒魔法をお願い」
「は?」
とミカエルに顔を向けたリュウ。
言われるまで気付かなかったが、ミカエルの口の端からも血が出ているのを見て眉を寄せた。
ミカエルの口元に治癒魔法を掛けてやりながら訊く。
「何でユナとてめーが揃って血ぃ垂れ流してんだ」
「ああ、アタシが悪いのアタシが」と、サラが手を上げて笑った。「アタシが転んだせいで、2人に怪我させちゃってさ。ちなみにミカエルを呼び出したのもアタシ。別に大した用はなかったんだけど、元気かなーと思って」
そうか、と頷いたあと、リュウがミカエルを追い払う。
「もう用は済んだだろ。いつまでウチにいんだ、てめーは。さっさと城に帰れ」
「ああ……」と苦笑しながら承諾したと、ミカエルはユナに笑顔を向けた。「それじゃ、またな」
「う、うん、またっ……!」
とユナが手を振ったあと、ミカエルはサラ・レオンの部屋を後にした。
1階へと続く緩やかな螺旋階段へと向かう途中、自分の部屋から顔を出したジュリと目が合う。
「……帰るんですか、ミカエル様」
「ああ」
とミカエルが頷くと、シオンの部屋のドアからローゼが少し顔を覗かせた。
ドレスは城に置いてきたようだが、舞踏会から帰って来たばかりで華やかなヘアスタイルをしている。
「って、来てたんですかにゃ、兄上」
「はあ? 何で」
と、ローゼに続いて同じ部屋から顔を覗かせたのは、シオンだ。
肩や腕が露出していることから、燕尾服から着替えている途中らしい。
「今日のリーナの仕事は深夜まで掛かるって聞いてたんだが、もう終わったのかよ?」
「ああ……。訳あって、早く仕事を切り上げたんだ」
その訳とやらを訊かなくても、シオンとローゼは何となく察する。
今日の昼間、ユナがリーナにライバル宣言をしに行ったことが関わっているのだと。
ミカエルがふと笑顔になってローゼに話しかける。
「来月はクリスマスだな、ローゼ♪ 兄上がサンタさんにおまえの欲しいものを頼んでおいてやるぞ♪」
「はいですにゃ! ありがとうございますにゃ、兄上!」
と、ローゼは笑った。
毎年クリスマスは、血族の中で父とミカエルだけがプレゼントをくれる。
「それじゃ、それじゃ、うーん……。今年は、ネズミー通りのおもちゃ屋さんに売ってる、ネズミの巨大ぬいぐるみが欲しいですにゃ♪」
「オイ」と、シオンが顔を引きつらせた。「邪魔だっつの。小さいのにしろ、小さいのに」
「嫌にゃ! ローゼは大きいのが欲しいのにゃ!」
と頬を膨らませるローゼを見て、シオンが溜め息を吐く。
「分かったよ…、仕方ねーな……」
ローゼがはしゃぐ一方、ミカエルがおかしそうに笑った。
「妹が世話になってるな、シオン」
「まったくだぜ……」
「ローゼはそんなに多くの者相手にワガママを言わない子なんだ。シオンのこと、本当に信頼しているんだな」
「ふーん……?」
と、シオンがローゼの顔を見ると、ローゼが照れくさそうに顔を逸らした。
ミカエルが続ける。
「おお、そうだ。シオン、おまえの欲しいものもサンタクロースに頼んでおいてや――」
「俺はいらねーよ」
「なんだ、遠慮することないぞ? 外見を見ても中身を見ても、年齢をサバ読んでるのではないかと心から疑ってしまうが、一応おまえもまだ10歳なんだからな」
「じゃー、金」
「……。そ…そんな夢のないものを頼まないでくれ……」
「ならいらね」
と、シオンが顔を引っ込めて部屋の中へと戻って行く。
ミカエルが苦笑して螺旋階段を下りようとしたとき、ジュリが呼び止めた。
「あの、ミカエル様」
ミカエルが振り返るのを待ち、ジュリは続ける。
「その……、今月のミラ姉上たちのお誕生日パーティーには来ますか?」
「いや、来れそうもないんだ。リーナの仕事がたくさん入っていてな」
「そうですか……。では、来月のクリスマスパーティーには来れますか?」
「来月のリーナの仕事までは分からないが……。それはイブか? それともクリスマスの日か?」
「クリスマスの日です。毎年イブは、それぞれ好きに過ごしてます」
去年まで、リーナとイブを過ごしていたジュリ。
ミカエルからの返事は分かっているが、一応訊いてみる。
「今年のイブは、リーナちゃんと過ごすのですか?」
「まあ、クリスマスの日がパーティーだというなら、そうするな」
「そうですか……」
と小さな声で言ったあと、ジュリは自分の部屋に入ってドアを閉めた。
螺旋階段を下りて行くミカエルの足音が聞こえてくる。
玄関のドアが開け閉めされた音を聞いたあと、溜め息を吐く。
「オラが風呂入ってる間に、何かあっただか? ジュリちゃん」
と声が聞こえて振り返ると、風呂上りのハナがバスルームから出てきたところだった。
「ううん…、ただ、予想通りだったなあと思って……」
「何がだべ?」
「去年までね、クリスマス・イブは僕とリーナちゃん一緒に過ごしてたんだ。でも今年はやっぱり、リーナちゃんはミカエル様と過ごすみたい……」
「そーかぁ……、残念だっただね」
と、ハナの手がジュリの頭を撫でる。
「うん……」と、頷いたあと、ジュリは続けた。「いつもね、僕サンタさんからたくさんプレゼントもらって、すっごく嬉しいんだけど」
「うん?(そういえば、ジュリちゃんて未だにサンタクロース信じてるんだったべね……)」
「リーナちゃんとプレゼント交換するのも、すっごく嬉しかったんだ。リーナちゃんからのプレゼントも嬉しいし、それ以上にリーナちゃんが僕からのプレゼントで嬉しそうに笑ってくれることが嬉しかった」
そう言ってから少し間を置き、ジュリは呟くように続けた。
「だから今年のクリスマス・イブも、リーナちゃんに何かプレゼントしたいなあ……」
そんなジュリの言葉を聞き、ハナが微笑んだ。
ジュリの両手を取って言う。
「プレゼントしようべよ、ジュリちゃん。リーナちゃんに!」
「でも、リーナちゃんはミカエル様とデートだから――」
とジュリの言葉を遮るように、部屋のドアが開いた。
姿を現したのは、ユナ。
中に入り、ドアを閉めて鍵を掛ける。
「どうしたんですか? ユナ姉上」
とジュリが訊くと、ユナが口を開いた。
「次の作戦――5番バッターは、あたしだよジュリ」
「え?」
と、ジュリがぱちぱちと瞬きをしたのを見たあと、ユナは続ける。
「さっきのジュリとミカエルさまの会話、聞いてたの。リーナ、イブにミカエルさまとデートするみたいだね」
「そうみたいです……」
「イブにリーナに会いたいよね? ジュリ」
「はい。リーナちゃんに、プレゼント渡したいから……」
「だから、5番バッターのあたしが会わせてあげる。そのときにプレゼント渡して、リーナを喜ばせて、そして少しでもリーナに近づいてきて」
「えっ?」と、ジュリは声を高くして訊く。「イブにリーナちゃんと会わせてくれるって、本当ですかユナ姉上っ?」
うんと頷いたユナ。
本当は、必ずジュリにリーナを会わせてあげられるか分からなかった。
だけど、会わせてあげたかった。
(そして、あたしもミカエルさまと会う……! なんとかして、必ず……!)
だって、
(クリスマス・イブは恋人たちにとって、とても特別な日なんだもん)
嫌な予感がするのだ。
(何だか、リーナとミカエルさまの間に、キス以上のことが起こりそうで……)
キス以上のこと。
それを考えるだけでユナの胸がずきずきと痛み、瞳に涙が溜まる。
(そんなこと、絶対にさせない……!)
一方、シオンの部屋の中。
バスルームの中でシャワーを浴びているローゼと、バスルームのドアに凭れて座っているシオン。
会話中。
「ねー、シオンさん?」
と、ローゼが人間の耳を持つシオンに聞こえるよう声を大きくする一方、シオンは猫耳を持つローゼに大きくも小さくもない声で返す。
「なんだ、ローゼ。一緒にシャワー浴びて欲しいのか」
「ちっ、違うのにゃ、このドスケベっ! の、覗いたら張り倒しますにゃっ!」
「いーじゃねーか、ちょっとくらい。減るもんじゃあるめーし」
「そーゆー問題じゃないのにゃっ!」
「まあ、乳がまだまだな分、我慢できるけどよ」
「…にゃ・ん・か・言っ・たぁぁぁぁぁぁぁ……!?」
とローゼの低い声を聞いたあと、シオンは話を戻した。
「んで、何だって?」
「あ……、えと、シオンさんとローゼは平和だにゃーと思って」
「平和?」
「はい。…だって、ジュリさんもユナさんもリーナさんも兄上も、これからとても大変なことになりそうで……」
「だな」
「比べて、シオンさんとローゼは……っていうか、その、ローゼはそのっ……」
「何だよ」
「その、えとっ……、し…幸せですにゃっ……!」
そんなローゼの言葉を聞いて、ふと微笑んだシオン。
「ああ…、俺も……」
そう返したあとに、笑顔が薄れた。
突然思い出した。
約2ヶ月前の己の誕生日の日、ローゼとデートに行く前、父親・レオンに言われた言葉を。
『いくら恋人だと宣言しても、ローゼは王族。本当は身分差のある自分たちが、そう簡単に恋愛をして良い相手ではない』
だからローゼとこれから先ずっと一緒にいたいのならば王に頭を下げて頼み、そして認めてもらえと、レオンは言った。
(あのセクハラ王なんかに、誰が頭下げるかってんだよ)
ふん、と鼻を鳴らしたシオン。
(大丈夫…、王に認められなくとも、ローゼをずっと傍に置いておける……)
バスルームの中、きっと頬を染めているだろうローゼの顔を想像し、再び微笑みながら問い掛けた。
「なあ……、イブはどこ行こうか」
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