第31話 泣き腫らしました


 葉月島での7月頭の舞踏会が終わったあと、ローゼはジュリ宅に泊まりに来ていた。
 ミカエルの母と姉、妹から虐待を受け泣きじゃくるローゼを放っておけないからと、ジュリがリュウに頼み込んで。

「お願いです、父上! 今夜、ローゼさまをうちに泊めてください! 僕、ローゼさまをあのお城に置いておくのは可哀相で……!」

 溺愛している息子であるジュリの頼み。
 当然のごとく、リュウは「構わない」と受け入れた。

 だが、

「いいのか」

 そう、瞬間移動で自宅まで送ってくれたリーナの方を気にしながら訊いた。

「え?」

 と首をかしげるジュリを見たあと、リーナはリュウに笑顔を向けた。

「え、ええねんで、リュウ兄ちゃん。うちやて、ローゼさまのことこのままにしておけへんから」

「……そうか」と言い、リーナの頭の上に手を乗せたリュウ。「悪いな……」

 そう、呟いた。

「ええねん」

 ともう一度笑ったリーナ。
 ジュリ宅から葉月ギルドのギルド長室へと瞬間移動した。

 ギルド長室の中で、忙しいギルド長・リュウに変わって仕事をこなしていたリンクは、デスクから顔をあげて部屋の中心に立っているリーナを見た。
 その愛娘の顔を見た瞬間、不思議にも身体の疲れが取れていく。

「おお……、おかえりリーナ」

 とリンクが微笑むと、リーナも微笑んだ。

「ただいま、おとん」

「舞踏会、楽しかったか?」

「うん……、楽しかったで」

「今日のおまえドレスがよう似合っとって、ジュリもゾッコンやったやろ」

「うん……」

 と頷いたリーナが、2つある3人掛けソファーのうちの片方に腰掛けた。
 背を見せている娘の姿が元気無く見え、リンクは首をかしげる。

「リーナ…? どうかしたん……?」

「何でもないで、おとん」

「ほんまか? おまえは強がりなところがあるからな。おとん、あんまり頼りにならへんかもしれんけど、思いつめてへんで言ってみぃや」

 十数秒に渡り、間を置いたリーナ。
 静かに再び口を開いた。

「うち……、贅沢なんかな」

「え?」

 と、ぱちぱちと瞬きをしたリンク。
 慌てたように声をあげる。

「なっ、何言ってんねん! おまえはよう頑張っとるで!? おとんやて副ギルド長なんやから、おまえは本当はもっと贅沢しとってもおかしくないっちゅーのに、ミーナの金遣いが荒いせいで我が家の家計は――」

「ちゃうねん」と、リーナがリンクの言葉を遮った。「そういうん、ちゃうねん。ウチの家計のことやないねん」

「え?」と再び瞬きをしたリンク。「ほな、何のことや?」

 と訊いた。
 再び十数秒に渡り、間を置いたリーナ。
「なあ、おとんっ……?」と声を震わせた。「うち、贅沢なんかな。ジュリちゃんには、うちだけを好きになってほしいって思うのは、贅沢なことなんかな」

「リーナ……?」

「おとん、昨夜リュウ兄ちゃんから電話で聞いたんやろ? ローゼさまがミカエルさまのおかんや、娘さんたちから虐待されとるの」

「あ、ああ、聞いたで」

「ローゼさまな、今日もされたん。シオンが助けに行ってくれたんやけどな、ちょっと遅れてしもうて、やっぱりちょっと虐待されてしまったん」

「ほ…、ほんまか……」

「ほんまや。うちは直接見たわけやないけど、ほんまや。ローゼさまの様子を見れば、それはよう分かった。ローゼさま、ごっつ辛い思いしとるんやろうな。ジュリちゃんの第二夫人でも第三夫人でもええって言うねん。せやから、結婚しないなんて言わへんでって、ジュリちゃんに言うねん」

 と涙声になっていくリーナの声を聞いて、リンクは椅子から立ち上がった。
 ソファーに座っているリーナの前へと駆けて行ってその両肩を握り、膝を吐いて顔を覗き込む。

「リ…、リーナ……?」

「ローゼさまは王女さまやから、庶民が羨むものを持っとる。せやけど、うちが当たり前のように与えられてきた『愛情』はほとんど手にしてこれへんかったのや。母親のマリアちゃんは相変わらずやし、王さまは忙しくて充分にローゼさまのこと構ってやれへん。ミカエルさまのおかんと娘さんたちには虐待され、ミカエルさまの兄さんはまるで路傍の人や」

「せ…せやな、可哀相やなローゼ王女……」

「なあ、おとん。うち、贅沢なんかな…」と、リーナのグリーンの瞳から涙が零れ落ちる。「うちは贅沢してきたから、ローゼさまみたいなこと言えへんのかな。ローゼさまみたいに、ジュリちゃんの第二夫人でも第三夫人でもええって、言えへんのかな。うちが贅沢やから、それでもええって思えへんのかな。ジュリちゃんにうちだけ好きになっとってなんて言うのは、めっちゃ贅沢なことなんかな。……なあ、おとん。うち、贅沢なこと言うてるんかな……?」

 と、幾多も零れ落ちてくる涙を、リーナがその小さな手の甲で拭う。

「そ…そんなことないで、リーナ! そんなこと、あらへんっ……!」

 と言ってリーナの小さな身体を抱き締めるリンクだったが、リーナの泣き声は明け方まで泣き止んではくれはしなかった。
 
 
 
 
 今夜、ジュリ宅へと泊まることになったローゼ。
 2階に上って向かって右から6番目のジュリの部屋の中、共にベッドに入っていた。  どうしてもジュリと一緒に眠りたいと、我侭を言って。

「おやすみなさい、ローゼさま」

「おやすみなさい、ジュリさん」

 と暗い部屋の中、笑ったローゼ。
 猫の目を持つ2人には、闇の中でもお互いの顔がよく見える。
 ジュリが瞼を閉じたあと、ローゼも瞼を閉じた。

 いつもは城の中の自分の部屋で、怯えながら眠っているローゼ。
 見回りの警備兵の足音に目を覚まし、微風が窓ガラスを叩いた音に肩を震わせる。
 朝まで眠れないことだって、たびたびある。

 だが、ジュリの傍らで眠ることによって安心感に包まれていた。
 ジュリと一緒に眠りたいと我侭を言ったのは、眠っている間にミカエルの母や姉、妹が襲ってきそうで怖かったから。

(罵声を浴びせられるのも、殴られるのも蹴られるのも、ドレスをぼろぼろにされてしまうのも、ローゼはもう嫌にゃ。お城になんか帰りたくない…。もう、ずっとずっとここで、ジュリさんと暮らして行きたい……)

 布団の中でジュリの温かい手を握り、ローゼは夢の中へと誘われていった。
 
 
 
 
 翌朝。
 リンクと共に自宅マンションへと帰ってきたリーナ。
 リンクは少し眠ったあとまたすぐ仕事へ向かったが、リーナはベッドから起き上がれそうにも無かった。

 まだ涙が止まらない。
 ジュリの顔を見たら、さらに泣いてしまいそうだった。

(あかん…、仕事行けへんわ……)

 そう思い、ギルド長であるリュウに電話を掛ける。

「もしもし…、リュウ兄ちゃん……?」

 そんなリーナの掠れた声を聞き、電話の向こうでリュウが小さく溜め息を吐いて言った。

「分かってる」

「え……?」

「ジュリたちには適当に心配しないような言い訳作っておいてやるから、今日は家でおとなしく寝てろ。瞼腫れて不細工なんだろ?」

「はは…、お見通しやな……」

「おまえのことは産まれたときから見てんだ。当然だろ。……で、今のおまえに追い討ちをかけるようで悪いんだが」

 そんなリュウの言葉に、嫌な動悸を感じたリーナ。
 黙ってリュウの言葉の続きを待つ。

「そのうちバレる気がすっから言うぞ。ジュリがな、ずっとローゼを家に置いておきたいって言い出したんだよ」

「――え……?」

 覚悟をして耳を傾けていたが、それでもリーナに衝撃が走る。
 ローゼを家に泊めたいなんて言うのは、昨夜だけだとばかり思っていた。

「まあ、朝起きて最初にそう言いだしたのはローゼなんだが。ジュリはそれを叶えてやろうと、俺に必死に頼み込んできたわけだ」

「…そ…それで、リュウ兄ちゃんOKしたん……?」

「いや。ずっと王女を家に置いておくだなんて、ジュリの頼みとはいえ、そう簡単に許可は出せねーよ」

「せ、せやな。リュウ兄ちゃん、ローゼさまのおとん……王さまのこと、大嫌いやもんな」

「まあ、もちろんそれもあるんだが」

「うん……?」

「ジュリの婚約者はおまえだろ」

「…リュ…リュウ兄ちゃっ……」

 リュウの言葉に、リーナの瞳から涙が溢れ出す。
 普段は俺様で鬼のくせに、リュウは時たま優しいことを言う。

「おまえはリンクに似てバカだからローゼに同情してあーだこーだ考えちまってんだろうけど、自分の幸せってもんを優先しろ。好きな男に自分だけ見ててほしいって思うことは、何も贅沢なことじゃねえ。ちょっとくらい我侭を言え。この俺みてーに」

 あはは、と笑ったリーナ。

「それ、ちょっとどころちゃうで」

 と涙を拭った。

「おう、そうか。さすが俺」

「自慢すんなっちゅーねん。……ありがとな、リュウ兄ちゃん。うち、ジュリちゃんのこと頑張るな!」

 リュウと一言二言話したあと、電話を切ったリーナ。
 冷凍庫からアイスノンを取って、瞼に当てる。

「口は悪いけど、やーっぱりリュウ兄ちゃんはかっこええなあ。同じ内容の台詞でも、おろおろとしながら言うおとんとはちゃうわ」

 と言って笑った。
 困ったとき皆が頼るリュウの応援は、とても心強い。
 さっきまではまるで止まらなかった涙が、嘘みたいに引っ込んでいた。

 それから数時間が経ち、リーナの瞼の腫れが引いた頃。

 ピンポンピンポンピンポーーーン…

 と、インターホンの音。
 リンクもミーナもいないので、リーナが玄関へと向かっていく。

「はいはいー? 勧誘はお断りやでー?」

「リュウが『リーナは今日1人でやらなければいけない仕事に向かった』なんて言っていたが、やっぱり嘘だったか」

 と、ドアの外から聞こえてきた男の声に、リーナは声を高くする。

「ミカエルさまっ?」

「おうっ♪」

 リーナがドアを開けると、いつものミカエルの明るい笑顔がそこにあった。

「どうしはったんです? ミカエルさま。てか、どうやってここまで?」

「チャリンコだ♪」

「は!? まさか補助輪ガラガラさせてきたん!?」

「いーや、先日ついに外れたんだ、補助輪♪」

「そ、そうかいな。そら良かった……。で、わざわざ訪ねて来て、どうしはったんです? 用があったならケータイで――」

「リーナ」

 と、リーナの言葉を遮ったミカエル。
 リーナの手を取り、にっこりと笑った。

「チャリンコ2ケツで爽やかにデートしようぜっ♪」
 
 
 
 
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