第25話 コウノトリはいないと知りました
ジュリとリーナがコウノトリを呼んで一週間。
葉月島の季節は梅雨に入り、数日前から雨が降りっぱなしだ。
リーナと正しいイトナミをしたと思っているジュリは、あれからえらく嬉しそうである。
そのせいか、以前に増してよく働くようになった。
この日ジュリたちは、仕事で葉月島葉月町の中央から少し離れたところに来ている。
そこには割と大きな街路樹が並んでいて、本日は通行止めになっていた。
その上を他の島から渡ってきた赤い鳥型のモンスターたちが幾多も飛び交っていて、とても危険が故に。
しかもすでに数人に危害が加えられたため、ジュリたちはこのモンスターたちを全滅させることが仕事だ。
車道の中央、カブトムシ柄レインコートを身にまとい、ジュリが両手に持ったチャクラムを元気良く振り回し、投擲し、空から飛んでくるモンスターを、次から次へと倒していく。
「わあ、凄いですにゃジュリさん!」
と、街路樹の下で傘を差し、レインコートを身にまとって雨宿りをしているローゼが声を高くした。
「本当、凄いなジュリ」と同意し、笑ったミカエル。「私も負けてられないな!」
と言って飛んで来るモンスターを剣で斬り捨てながら、背をつける形で背後に立っているリーナにちらりと目を向ける。
リーナの様子をよく見ているミカエルは気付いていた。
(ここ一週間機嫌がいいジュリの一方で、リーナは元気がないな……)
ジュリに顔を向けるときは笑顔を作っているリーナだが、ジュリから顔を逸らしているときは暗く沈んでいるのだ。
たびたび溜め息を吐いているし、ときどきボーッとしている。
「――おい、リーナ!」
とのミカエルの声に、はっとしたリーナ。
俯きがちだった顔を上げると、そこには背後に居たはずのミカエルの背があった。
いつの間にかリーナ目掛けて飛んで来ていた7匹の凶悪モンスターを、ミカエルがぎりぎりのところで斬り捨てる。
だが1匹に刃を交わされ、ミカエルの腕が引っ掻かれてしまった。
「ミカエルさまっ!」
と声をあげ、リーナは慌ててミカエルの腕を取った。
傷口はそんなに深くはないようだが、血が流れ出ている。
「あわわわわわ、あかん、うちのせいやあぁ!」
「あっ、兄上っ!?」
とローゼがミカエルに駆け寄り、
「ミカエルさま、大丈夫ですか!?」
とジュリもミカエルを引っ掻いたモンスターを倒してから駆け寄る。
あはは、とミカエルが笑って言う。
「なーに、気にするな♪ こんなん舐めとけば治る」
「そんなんあかん! ジュリちゃん、ローゼさま、ちょっとここで待っててや。リュウ兄ちゃんかシュウくん、ミラちゃんに治してもらってくるわ」
と言うなり、リーナがミカエルと共に瞬間移動で消えて行った。
ジュリがまだ凶悪モンスターが残っているのを見て、ローゼを街路樹の下に引っ張っていく。
「ここに居てくださいね、ローゼさま」
「はいですにゃ」
とジュリに笑顔を向けたローゼ。
凶悪モンスターを倒しているジュリを見つめながら、気になっていたことを訊いてみる。
「あの、ジュリさん。ここ最近とってもゴキゲンですにゃ。何かいいことでもあったのですかにゃ?」
「はい」と、一瞬ローゼの方を見てジュリが笑った。「僕、イトナミしたんです!」
「ああ、兄上とのことですかにゃ? そのことならリーナさんから聞きましたけど、どうやらリーナさんとローゼの勘違いみたいで――」
「リーナちゃんと!」
と続けたジュリの言葉に、耳を疑ったローゼ。
はっとして笑う。
「ああ、兄上のときみたいにイトナミのお話をしたんですにゃ? リーナさんと」
「いえ、お話ではなく、ちゃんとイトナミしたんです! 僕とリーナちゃん!」
「え…? イ…イトナミって、あの……やり方によっては赤ちゃんができるあの行為のことですかにゃ?」
「はい♪」
「…し…したんですかにゃ? リーナさんと……」
「はい♪」
「……」
笑顔が消えたローゼ。
じわりじわりと涙でぼやけていくジュリの顔を見つめながら訊く。
「…ロ…ローゼとは……?」
「え?」
「ローゼだってっ…、ローゼだって、ジュリさんのフィアンセですにゃ!」
「はい、そうで――」
「リーナさんとは出来て、ローゼとはイトナミ出来ないんですかにゃジュリさんっ!」
「ローゼさ――」
「それは、本当はリーナさんのことだけが好きだからですかにゃ!? だからローゼとはイトナミしようとしないんですかにゃ!? ローゼはまだ10歳だけど、赤ちゃん出来る大人の身体ですにゃ!」
「あの――」
「本当はローゼと結婚する気ないんですかにゃ!? あの城の中から、連れ去ってくれるおつもりはないんですかにゃ!? だからっ…、だからリーナさんとはイトナミして、ローゼとはっ……! ふっ、ふにゃああぁぁあぁぁああぁぁあん!」
と泣き出したローゼを見て、ジュリは慌ててローゼのところへと駆けて行った。
ポケットの中からカブトムシ柄のハンカチを取り出し、ローゼの瞼に当てる。
「ち、違います、ローゼさまっ…! 僕、ちゃんとローゼさまとも結婚する気ですしっ…! イトナミしたかったら言ってください、僕その度に頑張りますからっ……!」
「じゃあっ……!」
と傘を投げ捨て、ジュリの手とジュリの腕を引っ掴んだローゼ。
その場からジュリを連れ、葉月町の中央の方へと駆けて行った。
それから数分後。
戻ってきたリーナとミカエル。
「あれ?」
と、ジュリとローゼの姿を探して辺りを見回す。
空を見上げれば、まだ1匹凶悪モンスターが残っていた。
飛んできたそれをミカエルが斬り捨てたあと、リーナが眉を吊り上げた。
「ああもうっ! どこ行ったんやあの2人はっ! ローゼさまの仕業やな!?」
「うーん、葉月町の中央付近に行ったか? いつものクレープ屋もあるし」
と言いながら、ミカエルが落ちていたローゼの傘を拾い上げた。
それでリーナを雨から守る。
「ええよ、ミカエルさま。うちやてレインコート着とるし」
「腹冷やすとゲリピーになるぞ♪」
「なっ、ならへんわっ!」とミカエルの胸元にチョップを食らわしたあと、リーナは葉月町の中央の方へと向かって歩き出した。「まだその辺だらだら歩いとるかもしれんから、探しながら中央の方に行こ」
「そうだな」
と、ミカエルはリーナに傘を差しながら、その傍らを歩く。
レインコートで隠せない自分の顔は濡れるが、そんなことは気にならなかった。
「……なあ、リーナ。訊いてもいいか」
「ん? なんや、ミカエルさま」
「ここ一週間、元気がないのはどうしてだ。3日前のサラのバースデーパーティーでも、皆は楽しそうだったのにリーナだけ溜め息ばかりだった」
「えと……」
一瞬足を止めたリーナ。
はは、と笑って再び歩き出す。
「そんなことあらへんで?」
「あんまり自然な笑顔じゃないな。ま、言いたくないならいいけどな」
数秒の間、会話が途切れる。
その後、リーナが小さく口を開いた。
「イトナミしたんよ」
「ん? 何?」
「イトナミしたんよ」と、声を大きくして言ったリーナ。「ジュリちゃんと」
立ち止まり、ミカエルの顔を見上げた。
「――えっ……?」
衝撃を受け、呆然としてしまうミカエル。
見下ろしているリーナが、突然苦笑する。
「コウノトリさああああああん、ってな……」
「コウノトリっ?」
と裏返ったミカエルの声。
リーナが溜め息を吐いて続ける。
「もう、ミカエルさまジュリちゃんに教えてくれたんちゃうんかいな。ジュリちゃん、相変わらずコウノトリ信じとって、一緒にジュリちゃんの屋敷の窓からコウノトリコウノトリ絶叫やで」
それを聞いたミカエルが、ぷっと短く笑った。
「面白いことするな」
「わ、笑わんといてっ! う、うちやて、本気でイトナミしたかったんや、本当のっ……」
と言って赤面し、リーナが俯く。
それを見て、小さく溜め息を吐いたミカエル。
「…本当…、羨ましいなジュリは……」
と、呟いた。
その顔を、リーナが再び見上げる。
「え? なんやて?」
「腹減ったなって♪」
「まっ、また食うんかいなっ! さっきジュリちゃん家でお昼ご飯ご馳走なったばっかりやろ!? ああもうっ、仕方あらへんなっ!」と、ミカエルに背を向けたリーナが、レインコートを捲り上げて背負っているリュックを見せる。「中にタラコおにぎりがあるから取ってや。ジュリちゃんが大泣きしたとき用に作ってきたけど、仕方ないから食ってええわ……」
「えっ、いいのかっ?」
「近くで腹グーグーゴーゴー鳴らされとったら仕事に集中できないっちゅーねん。はようしてや」
承諾したミカエル。
いそいそとリーナのリュックの中からタラコおにぎりを取り出して頬張る。
「んまいっ♪ ありがとな、リーナ!」
「はいはい」
と呆れたように言ったリーナだったが、ミカエルの顔を見上げて笑う。
(ミカエルさまは、本当にうちの作ったもの美味しそうに食べてくれるんよな)
そこが嬉しかった。
再び歩き出した2人。
それで、とミカエルは話を戻す。
「リーナが落ち込んでいたのは、そのジュリ流のイトナミのことだけが理由なのか?」
「いや…、そのことだけならまだええねん、まだ……」
「他にも何かあったのか?」
「なんていうか……、ジュリちゃんとローゼさま仲ええなって思ってな。もしかしたらジュリちゃんの中で、うちだけが特別なんてことはないんやろか」
「いや、そんなことはない」
と、きっぱりと答えたミカエル。
ジュリはリーナともローゼとも結婚すると言っていたが、ジュリの普段のリーナに対するものを見ているとやっぱり特別だ。
ジュリのリーナに対する『好き』とローゼに対する『好き』はきっと違うと、ミカエルは思う。
もっとも、ジュリ本人はその違いにいまいち気付いていない気もするが。
「そか? ありがとう、ミカエルさま」
と言って笑ったリーナの笑顔を、ミカエルは微笑んで受け取る。
正直複雑な気持ちだったが、リーナの悲しんだ顔を見るよりはずっとマシだった。
「それにしても」と、リーナの顔が引きつる。「あの2人、ほんまにどこ行ったんや! もう中央付近でクレープ食っとんのやろか!?」
「かもしれないな」
とミカエルが同意したとき、リーナの携帯電話が鳴った。
取り出してみると、相手はローゼからだった。
「もしもし!? ちょお、ローゼさま!? 今どこにおるん!?」
と、リーナ。
ミカエルも身体を屈め、リーナの携帯電話に耳を近づけて返答を待つ。
「い、今、葉月町のキラさんの銅像前でっ…! た、助けてくださいにゃっ……!」
「おい、どうしたんだローゼ」
と、ミカエル。
携帯電話の裏側から喋ったが、ローゼの白猫の耳には充分届くだろう。
「あ、兄上、ローゼはホテルを探しに来たというのに、その、ジュリさんが――」
というローゼの言葉を遮るように響いてきた、
「コウノトリさあぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあんっ!!」
ジュリの絶叫。
「ぶっ」
とミカエルの口から米粒が吹き出し、
「ジュ、ジュリちゃん!?」
リーナの声が裏返る。
ローゼの泣き声が聞こえてくる。
「ふにゃあぁぁああぁぁあああんっ! 助けてくださいにゃ兄上っ、リーナさんっ! は、恥かしいですにゃあぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!」
間近で顔を見合わせたリーナとミカエル。
瞬時に瞬間移動でキラの銅像前――葉月町の中央に移動した。
「コウノトリさああぁぁああぁぁあああぁぁぁぁあぁぁあんっ!! ココですよおおぉぉぉおおおぉぉぉおおおおぉぉおおおおっ!!」
と前方1m先で叫んでいるジュリの口を、リーナが顔を真っ赤にして慌てて塞ぐ。
ローゼはジュリの傍らで恥かしそうに蹲っていた。
「ジュ、ジュリちゃん、しーっ! しーっ、やで!」
「あ、リーナちゃんにミカエルさま! コウノトリさん来ないんだけど、雨だからお休みしてるのかなあ」
「ジュリ……、おまえのイトナミってある意味凄いな」
と、思わず苦笑したミカエル。
葉月町の中央を行き交う人々が目を丸くしてジュリに注目しているのを見たあと、続ける。
「こんなところでは人々の迷惑になってしまうぞ」
「あっ」と声をあげたあと、ジュリが狼狽する。「ごめんなさいっ! そうですね、うるさかったですよね僕っ……」
「それに、コウノトリは赤ん坊を運んでこないぞ、ジュリ」
というミカエルの言葉に、きょとんとするジュリ。
一方、ぎょっとしたリーナ。
「ちょ、ミカエルさ――」
「えっ?」と、首をかしげ、ジュリがリーナの言葉を遮る。「コウノトリさんは、赤ちゃんを運んできてくれるんじゃ……?」
「そんなものは単なる伝説に過ぎない。だからな――」
リーナがミカエルの口を塞いだ。
何かとぱちぱちを瞬きをするミカエルの顔を見上げ、リーナは顔面蒼白しながら必死に首を横に振る。
こんなところでジュリに現実を教えないでくれと。
だが、もう遅かった。
「そ…そんな…! 赤ちゃんは、コウノトリさんが運んできてくれるものじゃないなんて……!」
と大衝撃を受けたジュリ。
多くの人々が行き交う葉月町の中央で、
「ふみっ…、ふみっ……!」
としゃくり上げ始め。
「あかんっ! こんなところでジュリちゃんに大泣きされたら怪我人多数やで! ミカエルさま、タラコおにぎりをっ!」
「ああ、リーナ! ほーらジュリ! 私の食いかけで悪いが、タラコおにぎりだぞー♪」
「――って、ミカエルさま……!?」
「し、しまった! タラコの部分はもう食ってしまったぞ!」
「な、何してんですか兄上っ!!」
と狼狽するリーナとローゼ、ミカエルの傍ら。
「ふみっ、ふみっ……、ふみゃあぁぁあああぁぁあああぁぁああぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁぁああぁぁああぁぁあぁぁああぁぁあんっ!!」
ジュリが大泣きしてしまった。
次の話へ
前の話へ
目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ