第24話 それはイトナミ? 後編


 ジュリ宅の1階にある大きなバスルームの中。
 バススポンジにボディーソープを泡立て、リーナが自分の全身を擦っている。
 それはもう、マッハで。

(き、ききき、来たっ! きききききききききききき来たでっ! ついにこの日がっ…、ジュリちゃんとイトナミをっ……! 夜のイトナミをする日があぁああぁぁああぁぁああぁぁあっ!)

 シャワーで泡を流し、浴室から脱衣所に出てバスタオルで身体を拭く。

(ジュリちゃんに恋して10年以上っ…! ようやくうちもジュリちゃんにこの身を捧げるんやなっ……!)

 下着を身に着け、鏡と向き合ってみる。
 少し「しまった」なんて思うのは、勝負下着ではないところだろうか。

(でもま、バレへんよな…? 上下セットで980ゴールドの安物やなんて……。…よおおおおしっ!)

 と、気合を入れたリーナ。
 いつの間にか用意されていたバスローブを身に着け、2階にあるジュリの部屋へと駆けて行った。

 2階の向かって右から6番目の部屋がジュリの部屋だ。
 ドアの前に立ってノックしようとしたとき、リーナの白猫の耳が中にいるジュリの声をキャッチした。

「え? いきなりイトナミに入るな?」

 続いてサラの声。

「そ、リーナだって初めてで緊張してるだろうからね。まずはこのビールでも飲みながら楽しく会話して、女の子の緊張をほぐしてあげなきゃ駄目だよジュリ?」

「はい、サラ姉上!」

「で、そのあとイイ雰囲気作って、フィーバーしてらっ♪」

「兄上みたいに?」

「そそ♪ きっとリーナがカレンをパクッて『カモォォォン』て誘惑してくるから、ジュリは(バカ)兄貴みたいに『フィーバァァァァァァァァァァァ』って絶叫しながらリーナに飛び掛ってイトナミへゴーゴーっ!」

「わあ、カレンさんのカモォォォンと兄上のフィーバーって、イトナミに入るときに使うものだったのですね!」

「そそ♪」

「わあ、ジュリはまた1つお利口になりました! サラ姉上、僕頑張ります!」

「うぃ、それじゃあね!」

 というサラの声のあとに足音が近寄ってきて、何となく慌ててドアの後ろに隠れたリーナ。

 が、ドアを閉めて目が合っても何ら驚きはしなかったサラの様子を見ると、立ち聞きしていたことはバレていたらしい。
 ジュリの黒猫の耳に聞こえないよう、小声で会話する。

「ってわけで、頑張りなねリーナ」

「ちょ、ちょお、サラちゃん!? うちに、カレンちゃんみたいに『カモォォォン』とか見ててアホちゃうかと思うような台詞吐けって言うん!?」

「ここはフィーバー&カモォォォン・ジュリ&リーナバージョンを見せないとね」

「読者さまに!?」

「うん」

「めっちゃ恥かしいっちゅーねん!」

「んじゃ頑張って♪」

「って無視かいな!?」

「ご飯冷めちゃうからさ。んじゃーね♪」

 とサラが緩やかな螺旋階段を駆け下りていく。
 その背を見送ったあと、深呼吸をしたリーナ。

(……よし、いくで!)

 目の前のドアを開け、ジュリの部屋に入る。

「お…お邪魔しまぁーす……」

「いらっしゃい、リーナちゃん♪」

 とジュリ。
 リュウ作・カブトムシ型ミニテーブルの前に座って待っていた。
 ミニテーブルの上にはジョッキに入ったビールと、そのツマミであろう焼きタラコ、二膳の箸。

「どうぞ♪」

 とジュリが自分の向かいの席を指すと、リーナは右手と右足、左手と左足をそろえて歩いて行きながらそこに正座した。
 ジョッキを手に持ち、

 カ、カカカカカカチンッ…

 と小刻みに震えながらジュリと乾杯。

「いた、いたたた、いただきますぅっ」

 と声を裏返して言ってから、緊張をほぐそうとジョッキのビールを半分ほどごくごくと飲む。

「リーナちゃん、緊張してる?」

「えっ? そ…そのっ……」

 と頬を染めながらジュリから目を逸らしたリーナ。
 すこし間を置き、

「…う…うんっ……」

 と頷いた。

「そっかあ。じゃあ、僕が楽しいお話をして笑わせてあげるね!」

「お、お願いしま――」

「あのねー、テツオがねー♪」

 と始まったジュリの愛する召喚カブトムシ・テツオの話に、リーナは苦笑するしかない。

(た…楽しいか……?)

 これから夜のイトナミだというのに、雰囲気も何もあったもんじゃない。
 ジュリは物凄く楽しそうだが。

「それでねー、この間お仕事が早く終わったときにねー、テツオに乗ってお家の周り飛んでたらねー♪」

「は、ははは…、楽しそうやな……」

「ローゼさまから電話掛かってきてねー」

「…う、うん……?」

「ローゼさまも乗ってみたいって言うからねー」

「…うん?」

「テツオに乗ったままお城までお迎えに行ってねー」

「へ?」

「ローゼさまもテツオに乗せてねー」

「は?」

「一緒に葉月町の上を飛んでねー、山の上の飛んでねー、海の上を飛んでねー♪」

「……」

「また葉月町に戻ってねー、ちゃんと一旦テツオ消してからコンビニに入ってねー、お菓子買ってねー、またテツオに乗って海に行ってねー、それ食べながら砂浜で僕とローゼさまとテツオの3匹でたくさんお喋りしたんだー♪」

「…………」

「すっごく楽しかったぁー♪」

「………………」

 強張っているリーナの顔。
 笑っていたジュリは、はっとしてリーナの顔を覗き込んだ。

「ど、どうしたの? リーナちゃんっ……」

 とジュリの大きな黄金の瞳が困惑する。

 一方、ジュリから顔を逸らして立ち上がったリーナ。
 窓辺へと歩いて行き、ジュリに背を向けた。

(なんやねん、その話…。まるでデートやん……!)

 怒りを堪えるように、目の前のカーテンをぎゅっと握る。
 ジュリがおろおろとした様子で続けた。

「ねえ、リーナちゃんっ? お話、つまんなかったっ?」

(楽しいわけないやろ)

「それとも僕、何かリーナちゃん怒らせるようなこと言ったっ?」

(何で分からんのや)

「…リ…リーナちゃんてばぁ……!」

 とジュリの声に涙が混じるが、リーナは振り返ろうとはしない。
 その爪がカーテンに食い込む。

(大体、抜け駆けしよってあの王女はっ…! うちの知らないところでいつの間にジュリちゃんと……! 人が可哀相やと思って仲間に入れてやったっちゅーのに、ぬけぬけとデートやて!? ジュリちゃんとデートやて!? 10歳のガキンチョのくせして、生意気なあぁあぁぁあぁぁああぁぁあ……!!)

 ビリィッ!

 と爪でカーテンを引き裂いたリーナ。

(負けてたまるかっちゅーねえぇぇええぇぇええぇぇえええぇぇええぇぇええぇぇえぇぇぇえんっ!!)

 しゃくり上げているジュリに振り返り、

「ジュリちゃん!」

「は、はいっ」

 びくっとして顔をあげたジュリに向かって、

「ヘイ!」

「へ、へいっ?」

「カモォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!」

 誘惑の台詞、絶叫。

「えっ?」

 と、ぱちぱちと瞬きをしたジュリ。
 数秒後、顔を輝かせて立ち上がり、

「フィーバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」

 と続いて絶叫し、リーナに飛び掛った。
 ジュリとガシッと抱き合いながら、リーナは、

 ぶっちゅうううううううううっ!

 とジュリの唇に吸い付き、

 スポンッ!

 と唇を離し。

「イトナミするで、ジュリちゃん!」

「うんっ!」

「ほな、いざベッドへ――」

 レッツゴォォォォォォォ!

 と言おうとしたリーナの言葉を、ジュリが遮る。

「よいしょっと♪」

 と、夜だというのにカーテンを開けたジュリに、リーナは眉を寄せた。

「は? ジュリちゃ……?」

 さらにジュリが窓の鍵を開け、窓を全開にする。

「な、何して……?」

 訳が分からず、ぱちぱちと瞬きをしているリーナに、ジュリが笑顔を向ける。

「それじゃ、しよっかリーナちゃん♪」

「はっ?」と裏返ったリーナの声。「ちょ、まっ、ここ……、ま、窓辺で!?」

「だってその方がいいでしょ?」

「え、ええっ!?」リーナ、赤面。「ジュ、ジュリちゃん、そんないきなり刺激的なっ!」

「ちゃんと大きな声出してねリーナちゃん♪」

「え、えええっ!? き、聞こえちゃうやんかっ……!」

「だって聞いてもらうんだもん♪」

「え、ええええっ!? そ、そんな、うち恥かしっ……!」

「恥かしがってちゃダーメ♪」

「せ、せやかてっ…、せやかてぇぇっ……!」

「やっぱり僕とじゃ嫌?」

 なんて瞳を潤ませながら訊いてきたジュリに、それはもう母性本能をぐわしっと鷲掴みにされたリーナ。
 首を横にぶんぶんと振って覚悟を決める。

「せ、せやな! 恥かしがってたらあかんよな! うちはジュリちゃんの婚約者なんやから!」

「良かった、ありがとうリーナちゃん!」

 と再びジュリの顔が輝き、リーナは咳払いをして言う。

「ほ、ほな…、は…始めよかっ……!」

「うんっ♪」

 と、嬉しそうに大きく頷いたジュリ。
 リーナがもう一度キスしようと目を閉じて顔を近づけて言ったとき、

「せーのっ」

 と大きく息を吸い込み、

(は? せーの?)

 とリーナが眉を寄せながら目を開けた瞬間、

「コウノトリさあぁぁぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁああぁぁああぁぁあぁぁああぁぁあぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁああぁぁあぁぁあんっ!!」

 窓の外に向かって絶叫した。

「……は?」

 リーナ、呆然。
 ジュリの絶叫は続く。

「僕とリーナちゃんに、赤ちゃんくださぁぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁぁあぁぁあぁぁぁあいっ!!」

「ちょ……」

「コウノトリさぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁあんっ!!」

「あの……」

「もう、リーナちゃん!? 恥かしがってちゃダメって言ったじゃない! ほら、早く一緒に叫んで!」

「ジュ、ジュリちゃ……」

「せーのっ! コウノトリさぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁぁああぁぁぁああぁぁあぁぁああんっ!!」

「な、なあ――」

「ほら、はーやーくぅーーーっ!!」

 と真剣な顔のジュリに両肩を掴まれ、ぶんぶんと揺さぶられ、リーナは顔を引きつらせながらジュリに倣う。

「コ…、コウノトリさぁーん……」

「そんな小さい声じゃダメだよ! コウノトリさんに聞こえないよ!」

「コ、コウノトリさぁーんっ……!」

「もっと大きく!」

「コ、コウノトリさぁーんっ!」

「もっともっと!」

「コ、コウノトリさぁーんっ!!」

「もっともっともっと! もっとだよ、リーナちゃんっ!」

「ああ…、もう……!!」

 ダンッ!

 と片足を上げて窓の淵に乗せたリーナ。
 いざ、崩壊。

「っしゃあ!! コウノトリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」

 そこへちょうど帰宅したリュウの、滅多に聞けることのない爆笑が響いてくる中。
 リーナの絶叫は続く。

「さっさ赤ん坊連れて来んかい、おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおうっ!!?」

「わああ、リーナちゃんすごーい! そうそう、その調子だよリーナちゃん!」

「聞ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃとんのかい、コウノトリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィっ!! いつまで客待たせとんねんワレェッ!! 絞め殺すでぇぇええぇぇええぇぇえぇぇえぇぇえっ!!」

 さらにジュリも続き。

「コウノトリさあぁぁぁぁあああぁあんっ!!」

「ちんたらちんたらしてんやないでぇぇぇぇえぇぇえっ!!」

「僕とリーナちゃんに、赤ちゃんをぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

「さっさ運んで来いやあぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁあああぁぁああぁぁあぁぁああぁぁああぁぁぁあぁぁぁあっ!!」

「よし、これでいいかな♪」

 と、ジュリが窓から顔を出し、空をきょろきょろと見渡す。

「あれぇ? どうしたんだろう、コウノトリさん。来ないや」

「忙しいんちゃうかな」

「そっかぁ。色んな人に赤ちゃん運ばないといけないもんねー。今日はダメかあ……」

「せやな。そろそろ、うち帰るな?」

「あ、うん! 今日はありがとう、リーナちゃん! 初めてのイトナミ、楽しかったね♪ またしようね!」

「うん。ほな、またな」

 とジュリの部屋から出たリーナ。
 相変わらずのリュウの爆笑を聞きながら、緩やかな螺旋階段を下って1階へと向かう。

 玄関で一同に遠巻きに囲まれながら笑い転げているリュウが、顔をあげて2階から下りてきたリーナを見つめる。

「て、てーめえ、リーナ! 俺を可愛いキラと娘と孫娘の前でこんな姿にさせやがって許さ――」

「コウノトリさああああああん」

「ぶあーーーっはっはっはっはっはっ!! や、やめてくれ!! リ、リーナ、おまっ、おまえ最高だ!! さすがリンクの娘だ!! なんて面白いやつだ!! 俺は今、おまえの父親と親友をやってやっていることを誇りに思う!! ぶあーーーっはっはっはっはっはっはっはっはっはっ!! 父娘そろって、すげーブワァァァァァァァァァァカ!!」

 それはもう貴重なリュウの爆笑が屋敷中に響く一方。
 リーナに向けられる、哀れみの視線。

「…………」

 無言の一同の顔を、無言で見回したリーナ。

「……もう、ええねん」

 グリーンの瞳から、ぽろっと1粒の涙を零し。

「人生どーせこんなもんやねん。そう簡単に思う通りにはいかへんねん。失敗するときもあんねん。それに次があんねん。せやから今日のことは、もうええねん…! 気にしてないで、ほんまに。もう、ええねん。もうっ…、もうっ……!」

 2粒目、3粒目と涙を零し。

「もう、ええねぇぇぇぇぇぇぇぇえぇぇぇええぇぇええぇぇぇえぇぇぇぇえぇぇぇえぇぇええぇぇぇぇぇぇぇえんっ!!」

 号泣しながら、瞬間移動で消えていった。
 
 
 
 
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