第120話 『12番バッター、行くべよ』 中編
ジュリとのデートの前、自室に置いてある鏡の前に立ったリーナ。
3日前仕事帰りに、数時間掛かって選んできたデート服にいそいそと着替える。
「うーん…。うちって普段はショーパンが多いけど……可愛らしいミニワンピもめっちゃ似合うやん♪ ああ、おかん。うちをおかんそっくりなプリチーフェイスに産んでくれてありがとうっ♪」
と満足そうに笑み、その独り言は続く。
「メイクもばっちり決めたし、ジュリちゃんイチコロやんな! って、何言ってんねん、うちは。ジュリちゃんは今までもこれからも、うちにゾッコンやんかあっ♪ それに比べて……」と、リーナから溜め息が漏れる。「ミカエルさまは最近、信用あらへんなあ…。前はたしかにうちだけを想ってくれてたのに、今は……」
とリーナは顔を曇らせる。
(今日少しだけミカエルさまと会う約束もしとるけど……、それってやっぱり別れ話やろうか。いや、今は恋人やないんやから、別れ話言うのはおかしいけど……でも……)
でも、感じる。
ミカエルが離れて行ってしまうのを。
ミカエルが、ユナのところへと行ってしまうのを。
(そんなこと…させへん……!)
と、リーナが小刻みに震える手をぎゅっと握り締めたとき。
白猫の耳がインターホンの音を捕らえて、はっとして戸口の方へと振り返った。
「えっ? あっ、もう10時っ? あかん、ジュリちゃんがお迎えに来た!」
とリーナはベッドの上に置いておいたバッグを持つと、自室から飛び出した。
廊下を駆け玄関へと向かい、ドアを開けるとそこには予想通りの姿がある。
「迎えに来たよ、リーナちゃん」
と微笑んだその顔は、母親――絶世の美女と並ぶほど美しく、そこらの女の子よりもずっと愛らしく、そして一年前と比べると、とても大人びた。
「う、うんっ…、ジュリちゃんっ…! 今準備できたとこっ……!」
と言いながら、リーナはジュリの頭の先から爪先まで見つめて頬を染める。
オシャレをして来てくれたその姿は、いつもよりも3割増しの格好良さだ。
同様に、リーナの頭の先から爪先まで見つめたジュリが、また微笑む。
「今日のリーナちゃん、いつもに増して可愛いね」
「あっかーん、もうジュリちゃんてば! お上手やこと!」
「ううん、本当に思ったから言ったんだ。ドキドキしちゃうよ」
そう言いながら差し出してきたジュリの手は白魚のようだが、以前より少し男っぽくなった。
それに己の手を乗せながら、リーナも感じる。
己の心地よい鼓動――ドキドキ。
(ああ、うちってやっぱりジュリちゃんのこと好きやねんな…めっちゃ、めっちゃ……)
ジュリが、「それじゃ」と嬉々とした様子でリーナの手を引く。
「デートに、行こっか!」
(リーナちゃんが、ジュリちゃんかミカエル様かまだ迷ってるようだったり、ミカエル様を選びそうだったそのときは、オラが12番バッターとして動く……のだけんども、何もこんなことしなくていいべよ。無粋極まりないべ)
とハナは己の行動に苦笑する。
こんなこと、というのはデートを楽しむジュリとリーナの『尾行』だった。
いつもはお下げにしている髪の毛を一本に縛り、あまり似合っているとは言えないイカついサングラスを掛け、変装したつもりになっている。
(いや、でも、ジュリちゃんがいつリーナちゃんに話を切り出すか分かんないし、仕方ないんだけんども…。まあ、話を切り出す場所はおそらく、デートを楽しんだ後に待ってる高級ホテルのスィートルームで、だべなあ……)
ジュリが話を切り出したそのとき、リーナはどんな答えを出すだろうか。
ジュリを選ぶ?
それともミカエルを選ぶか、相変わらず迷っている?
今こうしてリーナの様子を見ている限り、答えは前者のように見えた。
(だって、リーナちゃん、とっても幸せそうだべよ……)
ニャクドニャルドバーガーで、ジュリの顔を見つめながらハンバーガーを齧っているときも。
ジュリと手を繋ぎながら、ショッピングしているときも。
ゲームセンターのクレーンゲームで、ジュリにぬいぐるみを取ってもらっているときも。
映画館で、ジュリの肩にもたれ掛かって爆睡しているときも。
とてもとても、幸せそうに見えた。
リーナも、そしてジュリも。
(お願いだべ、リーナちゃん…。お願いだから、ジュリちゃんを選んでけろ。やっぱりそれが、ジュリちゃんにとっての……)
一番の、幸せだから――
夕刻過ぎ。
昔シュウがカレンにプロポーズしたことのある高級ホテルの、レストランにて。
ディナーを堪能した後、イチゴのデザートを頬張るリーナから笑顔が溢れる。
「んーーーまいっ♪ あかーん、美味しすぎてほっぺが落ちそうやあぁぁぁぁ♪」
「わあ、本当だ。美味しいね、ここのイチゴのデザートって!」
と、ジュリからも笑顔がこぼれる。
本当はイチゴよりもバナナの方が好きなジュリであるが、リーナの笑顔とワンセットだと何よりも美味しく感じた。
「な、めっちゃ美味いな! ここのイチゴのデザート! 噂はほんまやった!」
「デザートおかわり自由のコースを選んだから、たくさん食べてね、リーナちゃん」
「えっ、ほんまーっ!? めっちゃ嬉しいわ! せ、せやけど……」
「けど?」
「そ、そんなたくさん食べたら、お腹出てしまって格好悪いやんかっ…! ど、どうすんねん、このあと……」
初イトナミかもしれないのに!
と頬を染めるリーナの心境を、ジュリはきっと察していないだろう。
だが笑ってこう言ってくれる。
「お腹? そんなことより僕は、好きなものをたくさん食べて喜ぶリーナちゃんの姿が見たいよ」
「えっ…? あ、そ、そうっ? ほ、ほな……イチゴタルトおかわり」
と、リーナがはにかむと、ジュリが承諾した。
軽く手を上げてウェイターを呼び、デザートのおかわりを頼む。
そしてデザートが運ばれてくると、嬉しそうに頬張りながらリーナが笑った。
「ありがとう、ジュリちゃん。いつかまた、ここに連れて来てな」
「うん。いつか…また……」
と薄れたジュリの笑顔を見て、どうしたのかとリーナが首を傾げたとき。
「ちょっと、ごめんね」
と、ジュリがすっと立ち上がってリーナの後方へと歩いて行った。
「あ、トイレいってらっしゃい」
とリーナはジュリが用を足しに行ったと思ったが、そうではなく。
ジュリはリーナの後方5つ目のテーブルに一匹で座っていたメスのブラックキャットの手を引き、リーナがいるテーブルの死角へと連れて行った。
そしてそのブラックキャットからサングラスを外し、苦笑する。
「何してるの、ハナちゃん……」
と、リーナの白猫の耳に聞えぬようジュリが声を小さくすると、そのブラックキャット――ハナも苦笑して声を小さくした。
「あちゃー……ついに見つかったべ」
「こんなところでサングラスなんて掛けてたら、目立ちすぎるから」
「う゛…。ご、ごめん、ジュリちゃん……」
と謝るハナに溜め息を吐いた後、ジュリは訊く。
「どうして尾行してたの?」
「ジュ、ジュリちゃんが、いつリーナちゃんに話を切り出すかと思って…。ほ、ほら、オラ、12番バッターだからっ……」
「ああ、そっか……それで」とジュリは納得して小さく数回頷くと、一呼吸置いて続けた。「これからだよ。これからレストランを出て、取ってあるスィートルームに行ってから」
とジュリがその部屋の鍵を見せると、ハナがそれを取った。
「オラ、先に行ってるだよジュリちゃん。なぁに、大丈夫だべ。リーナちゃんがジュリちゃんを選んだそのときは、すぐに帰るから」
ジュリとハナがそんな会話をしている頃、リーナはイチゴのデザートを食べる手を止めていた。
携帯電話に電源を入れ、メールを確認する。
今日もう1つ入っている約束を忘れたわけではない。
(あ、来てた。ミカエルさまからメール。10分前や)
その内容は一言、
『そろそろ会えないか?』
というものだった。
(舞踏会まで、あと30分やもんな。今日ミカエルさまと会う約束は『舞踏会が始まる前に少し』やし、焦っとるんやろうか)
リーナは手早く、
『部屋で待っといて』
と返信すると、また携帯の電源を切った。
本当はゆっくりと堪能したいイチゴのデザートを急いで口に運びながら、嫌な動悸に襲われる。
ついさっきまで、幸せ一杯の気持ちでいられたのに。
(うち、ミカエルさまに何を話されるんやろう。『少し』の時間で済む話って、やっぱり……)
別れ話だろうか。
フォークを握るリーナの手が小刻みに震える。
(そして、ミカエルさまはうちのことを捨てて、舞踏会に参加するんや。舞踏会で踊るんや……ユナちゃんと! せやから、焦ってメールしてきたんや! せや、そういうことなんや! 今日の舞踏会にはユナちゃんがおって、2人で踊り明かして、そして……!)
リーナの手から、フォークが落ちる。
すぐさま新しいフォークを持って来たウェイターの目に映ったリーナの顔は、酷く歪んでいた。
(そんなこと、絶対にさせへん……!)
間もなくして戻って来たジュリ。
リーナがイチゴのデザートを食べ終わったのを見るなり訊いた。
「リーナちゃん、もう満足した? それとも、もっと食べる?」
「ううん、お腹一杯や。満足、満足。ごちそうさま」
「それじゃ、行こっか」
とジュリは会計を済ませると、レストランを後にした。
リーナを連れ、リーナお望みのスィートルームへとやって来る。
「あれ? 鍵開いとる?」
「あ、えと……、実はさっきトイレに行ったんじゃなくて、部屋の下見に来てたんだ」
とジュリが咄嗟に吐いた嘘をあまり考えることなく、リーナは「ふーん」と返して中に入っていった。
頭の中は別のことで一杯で、
「わあ、夜景めっちゃ綺麗やなあ」
と窓の外の100万ゴールドの夜景を見て、さも感動した風に言って見せたが、窓に映るその顔は曇っていた。
部屋に入ってから真っ直ぐに窓辺へとやって来て、そこに立ち尽くしているリーナに、ジュリはソファーに腰を下ろしながら言う。
「リーナちゃん、座ったら? 疲れたでしょ? バッグも置いて。ソファーからでも夜景見れるよ」
「ううん……座らへん。バッグも、置かへん」
と答えたリーナに、どうしてかと首を傾げたジュリ。
そのあと察して、ずきんと胸が痛んだ。
「これから……ミカエルさまのところに行くの?」
「今日、ちょっとだけ会う約束しとったから」
「ちょっとだけ? ちょっとだけなら、すぐに戻って来てくれるよね?」
その答えは、返ってこなかった。
「…リ…リーナちゃんっ……!」
ソファーから立ち上がったジュリが、リーナの身体を後ろから抱きしめる。
窓に映るその顔はとても不安そうで、今にも泣きそうにすら見えた。
「ねえ、リーナちゃん…。僕、今日、訊きたいことがあるって、言ったでしょっ……?」
と話を切り出したジュリに、リーナが頷いて訊く。
「何や、ジュリちゃん……?」
「あのね……」と、一呼吸置いて続けたジュリ。「僕とミカエルさま、どっちが好きっ……?」
思い切って訊いたその声は、少し震えていた。
期待する反面、とても答えを聞くのが怖かった。
「え……?」
「急かすようで、ごめんね。でも、そろそろ選んで欲しいんだ。僕か、ミカエルさまか……」
「ジュリちゃ――」
「お願い、リーナちゃん」
とリーナの声を遮ったジュリの腕に、力が入る。
尚のこと、声が震える。
「…僕を…、選んで……!」
「ジュリちゃん、うち――」
「好きだよ、リーナちゃん。大好きだよ。リーナちゃんのためなら、何だってするよ。どんなことだって、やってみせるよ。だからっ……」
だから、お願い。
僕を選んで。
お願い。
お願い。
お願い、リーナちゃん――
心の中、ジュリは必死に願う。
「あのな、ジュリちゃん……」とリーナが口を切ったのは、十数秒後のことだった。「うち、めっちゃジュリちゃんのこと好きやで。今日1日、めっちゃ楽しかったし、めっちゃ幸せやった。ありがとう。うち、ほんまにジュリちゃんのこと、めっちゃめっちゃ……大好きやで」
「――リーナちゃん……!」
と窓に映るジュリの顔が綻んだと思った瞬間、リーナが「せやけど」と言葉を続けた。
ジュリの顔が再び曇る。
「え…? 何……?」
「せやけど……せやけど、ごめん。ジュリちゃん、うち……まだミカエルさまがおらんと、あかんみたいや」
「――」
そんな言葉に脱力し、ジュリの腕がリーナの身体から滑り落ちる。
呆然としながら、窓に映るリーナの顔を見つめる。
(2度目の…ばいばい……?)
いや、まだ分からない。
まだ、可能性がある。
(助けて、ハナちゃん――)
次の瞬間、バスルームの中からハナが飛び出してきた。
「本当にその答えでいいんだべか、リーナちゃん?」
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