第116話 『11番バッター、いくぜ』 中編


 昼食後、ジュリはハナと共にテツオに乗ってオリーブ山へと向かいながら、少し申し訳なさそうに笑った。

「ごめんね、ハナちゃん。ここのところ、いっつも仕事手伝ってもらっちゃって」

「ううん、ジュリちゃん。気にしたらダメだべよ。オラが好きで付いて来てるんだから」

「ありがとう。でも、危ないときはすぐに逃げてね?」

 とジュリは言うが、ハナを首を横に振る。

「ジュリちゃんを置いて逃げられねえだよ」と言って、ハナがにこっと笑った。「オラは自分の命を捨てたって、ジュリちゃんを守るだよ!」

 そう言ったハナの顔を見つめ、ジュリは苦笑する。

「ハナちゃんて、いかにも猫モンスターだね」

「うん、オラは猫モンスターだべ♪ 何よりもご主人さまのために生きるべ♪」

「でも自分の命を捨てるようなことはしないで。お願い……僕がとても悲しむから」

 というジュリの言葉を聞いてるのか、聞いていないのか。
 ハナはただにこにこと笑っているだけだった。

 それから少ししてオリーブ山の麓の上空へと辿り着くと、そこに赤い頭をした一人の少年――シュンの姿が目に入った。
 何故こんなところにいるのかとジュリとハナが首を傾げていると、テツオの羽音と地に映る影に気付いたシュンが顔を上げた。

「おー、来た来たー。ハナー、ちょっと話があるんだがー」

 ジュリとハナは顔を見合わせた。

「ハナちゃんに用があるみたいだね、シュン」

「みたいだべね」

「じゃー僕、先に指名手配の凶悪モンスター探してるね」

「分かったべ。でも、見つけてもオラが来るまで待ってるだよ?」

 うんと頷いてジュリが承諾すると、ハナはテツオから飛び降りてシュンの前に着地した。
 ジュリがオリーブ山の中へと入っていく一方、ハナは首を傾げてシュンに訊く。

「どうしたんだべ、シュン君? こんなところまで来て、オラに急用だべか?」

「おー、うん、あれだ。今日いい天気だよなー」

「だべねー、春風も気持ちいいべー」

「だなー」

 と他愛もない会話をして数分。
 ハナがシュンを不審に思い始めたとき、瞬間移動でリーナとミカエルが近くに現れた。

 ミカエルがハナを見、

「おお、ハナがいるってことは、ジュリもいるな? やっと追い着いたか!」

 と声を高くした次の瞬間、オリーブ山の一角から炎が上がった。
 
 
 
 
 ジュリよりも先回りしてオリーブ山の中へとやって来たたカノン・カリン。
 木陰に隠れながら、ジュリの姿を遠方に確認するなり、シュンの作戦のため身体に魔力を込め始めた。

「魔力をこめるっていっても、ひかえめにしないとダメよ、カリン」

「ええ、わかってるわ、カノン。あたくちたちが全力で魔力をこめていっしょに炎魔法をつかったら、ジュリお兄ちゃまとてあぶないもの」

 と小声でひそひそと話しているうちに、ジュリの姿がだんだんと大きくなってきて、カノン・カリンは「あれ?」と首を傾げた。

「よていがいよ、カリン。ジュリお兄ちゃまがあたくちたちのいる方向へやってくるわ」

「よていがいね、カノン。ジュリお兄ちゃまの背後をねらおうと思ったのに、このままではみつかってちまうわ」

「ていうか、カリン。ジュリお兄ちゃまがこっちへとやってくるということは、こっちの方に凶悪モンスターがいるってことじゃないかちら?」

「そうね、カノン。ジュリお兄ちゃまはきっと、こっちの方に凶悪モンスターがいるからやってきているのでちゅわ」

「……」

「……」

「って、なんか……?」

「後ろにケハイが……?」

 くるっと、後方に振り返ったカノン・カリン。
 そこにいつの間にか、ジュリが探している熊型の凶悪モンスターが仁王立ちしていて絶叫する――

 かと思いきや、身近に酷似した人物がいる故に見間違え、そのことに気付かない。

「あら、グレルおじちゃま。どうちたのかちら、こんなところで?」

「……」

「ああ、わかったわ。おてつだいにきてくれたのね、グレルおじちゃま」

「……」

「こころづよいわ。ありがとうごじゃいまち、グレルおじちゃま」

「……」

「ところでグレルおじちゃま、今日は服をきていないのね」

「……」

「ああ、お天気がいいから日光浴をちて体毛にまとわりついてるダニを殺ちてるのね、わかるわ」

「……」

「それにちても、グレルおじちゃまって服をきていないとケモノ臭がすごいのね、ワイルドだわ」

「……」

「でもまわりにハエもたかってるち、ちゃんとおフロにはいった方がよろちくてよ?」

「……」

「ワイルドな男性でも、せいけつ感は大切でちゅもの」

「……」

「ていうか、さっきからお返事しないで、あたくちたちの話をきいてるのかちら、グレルおじちゃま?」

「……」

「ねえ、グレルおじちゃま? グレルおじちゃまってば……?」

 とカノン・カリンが首を傾げたとき。
 後方からジュリの声。

「カ、カノン・カリン!?」

「まあ」と、ジュリの方へと振り返り、「た、たいへん、ジュリお兄ちゃまに見つかってちまったわ!」

 とカノン・カリンは狼狽するが、一方のジュリはそれ以上に狼狽しているようだった。
 顔面蒼白して、2人を手招きする。

「こ、こっちへ…! ぼ、僕のところにおいで…! は、早く……!」

「そうはいかないわ、ジュリお兄ちゃま。あたくちたち、作戦があるの」

「さ、作戦? い、今はそんなことどうでもいいから、早くこっちにおいで…! 早く、危ないから……!」

「大丈夫よ、ジュリお兄ちゃま。まだ凶悪モンスターはあらわれていないもの♪ それにグレルおじちゃまだっているち、大丈夫よ♪」

 とのカノン・カリンの言葉に、ジュリは「はっ?」と声を裏返した。

「なっ…、何言ってるの、カノン・カリン……!? それ、グレルおじさんじゃなくて、僕が探してる凶悪モンスターだよ!」

 とジュリが指した方向――後方にいる熊型モンスターに「え?」と首を傾げながら振り返ったカノン・カリン。

「………………」

 ジュリの言葉を理解するまでに数秒かかり。
 その後、熊型モンスターが牙を剥いて飛び掛って来て、絶叫しながら全身全霊の魔力を込めて炎魔法をぶっ放した。

「きっ、きゃあああぁぁああぁぁあぁぁあああっ! 助けてくだちゃい、おじいちゃまあぁぁああぁぁああぁあああぁぁあああーーーっっっ!!」

 熊型モンスターが一瞬にて灰になったかと思った瞬間、ジュリとカノン・カリンを囲うようにして燃え上がった炎。
 それはあっという間に四方八方に広がっていき、辺り一面が火の海と化す。

「――ちょ……!? カ、カノン・カリン、今すぐ炎を鎮めて!」

 と驚愕したジュリは言うが、カノン・カリンはおじいちゃま――リュウを呼んで泣き喚くばかり。

  「ああ、まずい…! 早くここから逃げ出さなきゃ……!」

 とジュリはカノン・カリンを両腕に抱くと、炎の中を駆け出した。

 カノン・カリンはまだ小さいとはいえ、この世で一番魔力が強いであろう祖母――キラ似。
 二人が力を合わせた上に全身全霊の魔力を込めて魔法をぶっ放したら、その力はそれはもう莫大で。
 同様にキラ似のジュリとて敵わず、黒焦げになり三途の川を渡ることになるかもしれない。

 こうして、カノン・カリンという『壁』がなかったら。

「もうちょっとだよ、カノン・カリン。もうちょっとでこの山から抜け出せるから、泣かないで」

 と、ジュリは余裕のある様子で炎の中を駆ける。
 いや、顔や腕、脚をときどき炎が掠って余裕といえるほどの余裕はないのだが、黒焦げになって三途の川を渡ることになりそうなほどのダメージはなかった。

 この炎魔法をぶっ放した張本人たち――カノン・カリンを両腕に抱いているが故に。
 カノン・カリンがぶっ放した炎魔法は、カノン・カリンを囲う魔力の壁に掻き消されていく。
 当然襲ってくる炎魔法は、カノン・カリンがぶっ放した=カノン・カリンと同等の魔力故に、カノン・カリンに到達する寸前のところまで襲って来て危ないのだが。
 2人がいなかったらもろに炎魔法を食らっていただろうジュリにとって、充分な壁になってくれた。

 まあ、今壁になってくれているのがカノン・カリンではなく、もっとずっと強く、魔力の壁が非常に分厚いリュウやキラだったら無傷で済んでいたジュリだが……。

   間もなくして、ジュリは炎の届いていないオリーブ山の麓に辿り着いた。
 
 
 
 
 オリーブ山の一角から炎があがった瞬間、リーナが仰天して声を上げる。

「わっ、わああぁああぁぁあああーーーっ!? なっ、なんやあぁぁああぁぁああーーーっ!?」

「な、何だ!? 誰かが焚き火を消し忘れたのか!?」

 と一瞬思ったミカエルだが、どうやらそうではなく、誰かの炎魔法だということをすぐに察した。
 だって、あれよあれよという間に凄まじい速度で猛火がオリーブ山に広がっていくのだ。
 こんなこと、魔法を使える者にしか出来ない。

「――お、おい、待てハナ!」突然、シュンの声が上がった。「いくらおまえだって、この炎魔法はきつい! 待て! 待て、ハナ! 待て!」

 リーナとミカエルがはっとしてシュンの視線を追うと、ハナがオリーブ山の中に――猛火の中に突進していく姿が目に入った。
 シュンが慌ててハナを追おうとしたが、それをミカエルが瞬時に抱すくめて止める。

「やめろ、シュン! おまえはリュウ似だが、まだ子供だ! こんな炎の中に入ったら、あっという間に火達磨になるぞ!」

 シュンが顔面蒼白して叫ぶ。

「あの炎の中には、ジュリ兄がいるんだ!!」

 との言葉に、リーナとミカエルが肝を潰す。

「――ジュ…ジュリちゃ!? ジュリちゃんが、おるん…!? そ、そんなっ…、ああっ! たっ、助けてっ…、誰か、誰か助けてっ! ジュリちゃんがっ…、ジュリちゃんがぁっ……!!」

 とリーナが平静を失って泣き喚き、ミカエルが大慌てで助けを求めてリュウに電話を掛ける。

「早く出てくれ、リュウ! 早く……!」

 そこへ、

「ハァッ、ハァッ…! ああ、危なかったーっ……!」

 と、少し離れたところからジュリの声。
 リーナとミカエル、シュンが「えっ!?」と声を揃えてそちらに顔を向けると、炎から抜けたところにジュリが泣きじゃくっているカノン・カリンを腕に抱いて跪いていた。

「――ジュ、ジュリちゃんっ! ああ、良かった! 大丈夫か、ジュリちゃん!?」

 とリーナがジュリに駆け寄ると同時に、安堵の溜め息を吐いたミカエルとシュン。
 だが、それは束の間のこと。

 ジュリを探しに行ったはずの、ハナの姿がない。

「ジュ、ジュリ兄、ハナは!?」

 とシュンが訊くと、きょとんとして首を傾げたジュリ。

「え…? ハナちゃんが、どうかしたの……?」

 そう訊いた後、駆け寄ってきたシュンの顔が真っ青になっているのを見、ふと先ほどのハナの言葉が脳裏に蘇った。

『オラは自分の命を捨てたって、ジュリちゃんを守るだよ!』

 次の瞬間、状況を察し、ジュリは腕に抱いていたカノン・カリンを半ば投げ捨てて炎の中へと再び向かっていく。
 だが、慌てて飛び掛ってきたミカエルに背後から押し倒されるようにして地に這いつくばった。

「ダメだ、ジュリ! この炎は、おまえだってきついはずだ!」

「離してください、ミカエルさま! 僕はハナちゃんを助けに行く!」

「無理だ! 死にたいのか!」とミカエルは暴れるジュリを力いっぱい押さえつけると、リーナに携帯電話を投げ渡した。「リーナ、リュウを呼んで来てくれ!」

 はっとしたリーナが、慌ててミカエルの携帯電話を耳に当てる。
 すると、リュウの声が聞えてきた。

「おい、何事だ。ずいぶんと騒がしいじゃねーか」

「リュウ兄ちゃん、今どこ!?」

「何だ、ミカエルじゃなくてリーナか」

「なあ、今どこ!?」

「今仕事の移動中で、ちょうどギルドの前辺りだが」

 と答えたリュウにリーナは、

「そこで動かずに待っといて!」

 と言うなり、そこへと向かって瞬間移動した。
 葉月ギルドの前で、一体何なのかと眉を顰めていたリュウの腕を引っ掴み、すぐにまた瞬間移動でオリーブ山の麓へと戻ってくる。

 その途端、

「げっ、なんだこりゃ」

 と、猛火が舞い上がっているオリーブ山を見て顔を引きつらせたリュウ。

「おっ、おじいちゃまあぁぁああぁぁあぁああーーーっ!」

 と泣きじゃくりながら駆け寄ってきたカノン・カリンを抱きしめつつ、辺りにいる一同を見回して状況を瞬時に察する。
 そして次の瞬間、水魔法で豪雨を降らせながら火の中に駆けて行った。

(――あの、バカ田舎猫がっ……!)
 
 
 
 
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