第115話 『11番バッター、いくぜ』 前編


 5月の頭。
 朝食後、ジュリと共に使っている部屋の中、寝癖のついた頭で寝巻きから着替えているハナ。
 窓際に置いている鉢植えの小さな桜の木を見ながら、残念そうに溜め息を吐いた。

「はぁ…、ついに花が散ってしまっただよ。当然だべね、もう5月なんだから……」

 それはハナが、己の中の本当の主――リュウから今年の逆バレンタインにもらったもの。
 ハナが大切に大切に育てて来たそれは、先月には小さいながらも見事に花を咲き誇らせたが、ついさっき目の前で最後の一輪も散ってしまった。

「でもまあ、また来年も、再来年も、その次の年も、その次の次も……ううん、オラが死ぬ年の春までずっと、花を咲かせて見せるだよ」

 と、ハナは若葉が萌え出始めたそれに小さなジョウロで水をやると、寝癖のついた頭を櫛で梳かして整えた。
 いつも通り耳の下で三つ編みを結ってお下げにし、その先にヘアアクセサリーを飾る。
 たくさんコレクションしているそれは、ジュリの机の引き出しの1つを借りて入れており、今日はジュリお気に入りのキラキラとしたカブトムシ型のものを選んだ。

「さて、今日もジュリちゃんの仕事のお手伝いに行くべよ! 今日もジュリちゃんをたくさん笑わせるよう努力しますだ、ご主人様――リュウ様!」

 とハナは部屋の中で一匹気合を入れると、1階へと続く緩やかな螺旋階段を元気良く駆け下りて行った。
 玄関広間でドアと向き合っているジュリの背に、ぴょんと抱きつく。

「ジューリちゃんっ♪ お待たせだべ! さあ、今日も張り切って仕事いくべよーっ!」

「うん、今日も頑張ろうね」と笑ったジュリは、「でも」と続ける。「もう少しだけ、待ってから……」

 一体何を待つのか、ハナは訊かなくても分かる。

 ジュリは、リーナを待っているのだ。

 リーナがジュリに、『今日は』ミカエルと2人で仕事に行く、なんて言ったのはもう約二週間前のこと。
 リーナはきっと、『今日も』ミカエルと2人で仕事に行くだろう。
 二週間前から、リーナは一度たりともジュリを迎えには来なかった。

(ああ…、今日もかなあ。今日もリーナちゃん、ミカエルさまと2人で仕事へ行く気なのかなあ……)

 と、小さく溜め息を吐くジュリに、ハナは笑いかける。

「もう少し待ってリーナちゃんが来なかったら、またオラと2人で遊びに行くべよジュリちゃん?」

「そうだね、ハナちゃん」と同意したあと、ジュリはまた「でも」と続ける。「ミカエルさまだけにリーナちゃんを任せるのは心配だから、先回りして仕事を終わらせてからね。そうなるとまた僕とハナちゃんの2人だけだから、大変かもしれないけど……手伝ってくれる?」

 と、ジュリは二週間前から毎日同じような台詞を吐く。
 その度にハナは、頷いてこう言う。

「もちろんだべよ、ジュリちゃん」

 そして少しの間リーナを待った後、2人外へと出て召喚カブトムシ・テツオに乗り、リーナとミカエルよりも先に仕事を終わらせに向かう。

「では、いってきます」

 とハナと共にジュリが仕事へと向かった後、玄関広間の隅の方で小さく溜め息が漏れた。

「俺のせい……だよな」

 これから裏庭に剣術の修行をしに行く、シオンだった。
 傍らには共に修行をする従兄弟のシュン・セナと、恋人のローゼもいる。

「どうしたのにゃ、シオン?」

 とローゼが心配顔になって訊いた。

「いや……、ジュリ兄がリーナと上手くいかなくなったのって、俺の作戦からだからよ」

 とシオンが言うと、ローゼが大きな声で否定する。

「違うのにゃ、シオン! シオンは何も悪くないのにゃ! 悪いのはリーナさんにゃ! ローゼもう、リーナさんが何を考えてるのかサーーーッパリなのにゃ!」

「まあな」とシュンが同意して溜め息を吐いた。「どういうわけか、ミカエルの方とだけベタベタするようになったみてーだな、リーナ」

「もしかしてリーナのやつ、ユナ姉と二またかけてるミカエルの方をえらんだんじゃねーの」

 とセナが言うと、シオンが首を横に振った。

「それはねえと思う。なんつーか、リーナはジュリ兄のこと信じてるんじゃね」

「信じてるって?」

 とシュンとセナが声を揃えると、シオンが続けた。

「ジュリ兄は裏切らないから大丈夫……みたいな」

 シュン・セナと、ローゼが、納得してうんうんと頷く。

「だーからジュリ兄のことは放っておいて、ユナ姉にかたむきかけてるミカエルを取り戻そうと必死になってんのかリーナのやつ」

 と、呆れたように溜め息を吐いたシュン。
 少し間を置き、「よし」と声を高くした。

「シオン、おまえの失敗をオレが何とかしてやるぜ」

 何とかってどうするのかと、シオンが訊く前にシュンが続ける。

「ようは、リーナが安心しちまってるからダメなんだろ? ジュリ兄が他の女に――ハナに取られるって、あせらせればいいんだよ」

「だな。じっさい、ばーちゃんがジュリ兄とハナをくっつけさせようとしてるみたいだしな」と、続いたセナ。「よし、おれも手伝うぜ。剣じゅつのしゅぎょーがおわったら、いっちょ作戦といこーぜ」

 と一瞬張り切ったが、すぐに言い直す。

「って、ああ…ムリだ、わりぃ…。剣じゅつのしゅぎょーのあと、おれには人形師になるためのしゅぎょーが待っている……」

「おう、気にすんな、セナ。が…がんばれよ、ある意味剣術よりもきびしい修行……」

 とシュンは顔を引きつらせたあと、リビングの方へと向かって行った。
 セナが駄目ならばと、そこでテレビを見ていた2人の妹――カノン・カリンの頭の上に、ぽんと手を乗せて言う。

「なあ、オレの可愛い妹たち。11番バッターのお兄ちゃまの作戦に、協力してくれね?」

 と訊いたあと、続けてその作戦の内容をシュンが話すと、頷きながら黙って聞いていたカノン・カリンが声を揃えた。

「それはいい作戦でちゅわね、お兄ちゃま。あたくちたちもキョウリョクするわ」

「おお、サンキュ。それじゃ、オレが修行終わって昼飯食い終わった後にさっそく――」

「でも」と、カノン・カリンがシュンの言葉を遮って続ける。「お兄ちゃま、どのテイドのことをするつもりかちら?」

「どのテイドって……、リーナがあせるテイド。オレたち兄妹で、リーナの前でさりげなく『ジュリ兄とハナが最近仲良いよなー』的なことを、ちょっと大げさかなーテイドの演技を交えて話せば、じゅーぶんリーナはあせって――」

「ダメでちゅわ、お兄ちゃま。そのテイドじゃ」

 と、カノン・カリンが再びシュンの言葉を遮った。
 じゃーどのテイドのことをするのかとシュンが訊くと、カノン・カリンは掌に魔法で炎を浮かべながら、満面の笑顔でこう言った。

「どうせなら、もっとダイナミックなブタイをつくるのでちゅわ♪」

「は?」

 ダイナミックな舞台?
 
 
 
 
 昼食中、シュンは一旦戻ってきたジュリとハナに訊いた。

「なあ、昼飯食いおわったら、次はどこに仕事にいくんだ?」

 答えは、オリーブ山だと返ってきた。

 普通、ハンターが優先して片付ける仕事の順番は、なるべく早く終わらせなければならない危険度の高いものから。
 故に、ジュリとハナがオリーブ山へと向かうというのならば、きっとリーナとミカエルも昼食を終えたらそこへと向かうのだと察した。

「みなちゃま大体同じ時間におひるごはんを食べおわるのだから、次に向かうオリーブ山でジュリお兄ちゃまたちと、リーナちゃまたちが行き合うカノウセイは高いわよね。オリーブ山にブタイを作りまちょ♪」

 そう言って張り切った様子で「うふふ」と笑うカノン・カリン。
 その手を引き、ジュリたちよりも早く昼食を終えてオリーブ山へと向かっているシュンは、顔を引きつらせる。

「わ…わが妹ながら、なんと恐ろしいことを考えつくのか……。ああ、ごめん……ごめんな、ジュリ兄……」

 と思って止めようと思うのに、可愛い妹に押されて従ってしまう。

「なぁにお兄ちゃま? あたくちたちの作戦、ダメかちらっ……?」

 と涙ぐまれ、シュンはギクッとしてしまいながら続けた。

「ダ、ダメなんて言ってねーぞ、お兄ちゃまは!」

「よかった。さすがお兄ちゃまね、大好きよ」

「おう、そうか。お兄ちゃまのこと、大好きか!」

 と一旦にやけたシュン。
 ハッとして、「でも」と続ける。

「危ねーだろっ…!? だっておまえらの魔力は、子供でまだまだとはいえ、この世で一番強いだろうばーちゃん譲りなんだぞ? おまえらが師しょーからか、オヤジからか、はたまたオフクロからか受け継いだ炎魔法をオリーブ山でぶっ放したら、どうなるか分かってんだろっ……!?」

「あたり一面、火の海でちゅわね……山だけど。あたくちたち、2人あわせれば魔力も2倍だち♪」

「そう、2倍なんだぜ…!? おまえらが力を合わせたら、2倍の魔力――いや、本気でぶっ放したら3倍、4倍、5倍…! い、いくらジュリ兄もばーちゃん似だからとはいえ、そんな炎に包まれたら……!」

 と蒼白するシュンの傍らで、カノン・カリンはまた「うふふ」と笑った。

「大丈夫でちゅわ、お兄ちゃま♪ ジュリお兄ちゃまだっておばーちゃま似なのだもの、死にはしないのでちゅわ♪」

「そ、そうだけどよ、でも……」

「それくらいのブタイを作らないととダメでちゅわ、お兄ちゃま♪ ジュリ兄ちゃまを助けに行けるとちたら、かろうじてハナちゃまだけ」

「そう、かろうじて、かーろーうーじーて、ハナだけだ! かろうじて、だぞ!?」

「イザとなったらおじーちゃまか、おばーちゃまをよんでくれば大丈夫でちゅわ♪ だってあたくちたちの魔力なんて、まだまだおじーちゃまとおばーちゃまの足元にもおよばないもの。でも、ハナちゃまはきっとジュリお兄ちゃまを助けるのでちゅわ♪ そんなハナちゃまにジュリお兄ちゃまは感きわまり、思わずハナちゃまときつくホウヨウ! リーナちゃまの前で、ラ・ブ・ラ・ブ♪」

 再び、「うふふ」と笑ったカノン・カリン。

「そのとき、リーナちゃまはどんな反応するのかちらぁぁぁああぁぁあぁぁああっ!?」

 と、きゃっきゃとはしゃぐ。

 その傍らで、ひたすらジュリが黒焦げにならぬよう祈っている11番バッターのシュン。
 たしかにカノン・カリンの言う通り、目の前でジュリとハナがひしと抱擁なんてしていたら、リーナは焦るだろう(いや、ジュリが火の海に呑み込まれた時点で焦るだろうが)。
 そして、慌ててジュリ一筋に……なんてなる可能性も充分にある。

 だけど、ふとこんなことを思った。
 これはたしかにジュリとリーナを近づける作戦だ。
 それはもう、ダイナミックな。

 でも、

(これって、ジュリ兄とハナを近づける作戦……にもなってね?)
 
 
 
 
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