第110話 『9番バッター、行くぜ』 後編


 リーナが瞬間移動をしてユナを連れてきた場所は、ジュリ宅の裏に広がる森の中だった。
 ここはモンスターも出るわ、足はお互い靴下のままだわで、戸惑ってしまうユナの一方。
 怒りに歪んだリーナの顔には、そんなこと気にした様子はなかった。

「と…突然どうしたの? リーナっ……」

「ユナちゃん、どんな手ぇ使ったん?」

「え……?」

 何のことかと首を傾げるユナに苛立ち、リーナが声を上げる。

「ミカエルさまのことや! ベタベタしよって! うちが見てないとこでミカエルさまに何したんや!? え!?」

「あ…あたしはっ……」

 黒猫の耳をつんざくようなリーナの怒声に、見る見るうちにユナの淡い紫色の瞳に涙が溜まり、そして一粒涙が頬を伝った。

「またすぐそうやって泣く。ミカエルさまのこと、泣き落としでもしたんやろ自分? 泣けば優しいミカエルさまは傍にいてくれると思ったんやろ? 汚い手ぇ使いよって!」

 リーナに力一杯どつかれ、「きゃっ」と声を上げたユナ。
 背後にあった木の根元に、尻を着いた。
 泣き虫故に涙を零しながらも、リーナに怒りを覚える。

 リーナが言うようなことは一度もしたつもりはないし、思ったこともない。
 それ以前に、リーナに上から目線で怒られる意味が分からない。

「…何よ、リーナ…」ユナの声が震えた。「ミカエルさまの彼女気取り……!?」

「なんやて……?」

「ミカエルさまだけを想ってるならまだしも、ジュリとミカエルさまの間をフラフラしてるような子に怒られる筋合いはないわ!」

「…そ…それはっ……」

 言い返せず口をつぐむリーナに向かって、ユナの怒声が続く。

「あたしはただ、一途にミカエルさまを想ってるだけよ! 何か問題があったとしたら、それはあたしでもなくミカエルさまでもなく、自分が悪いんでしょ!? 違う!?」

 最もなことを言われ、ますます閉口してしまうリーナ。
 ユナの目を真っ直ぐ見ることが出来ず、少し俯く。

 そのときのこと。

「――え……?」

 ふと目に入った、膝を曲げて尻を着いているユナの足元。
 部屋着のズボンから覗く、細い足首。
 そこに、木の枝の間から差し込む月光に照らされてアクセサリー――アンクレットが光っている。

「ユナちゃん、それ、何……?」

 リーナの視線を追ったユナが「あっ」と声を上げ、慌てて足首を押さえてアンクレットを隠す。

 だが、リーナはしっかりと見た。
 初めて見るアンクレット。
 でも、知っている。
 覚えている。
 その、ネズミモチーフ――

「ユナちゃん、それ、どうしたん?」

「こ、これは――」

「今日の誕生日に、ミカエルさまからもろたん……!?」

 そう訊くリーナの心がざわめく。

「ち、違――」

 違う、と否定しようとしたユナの言葉を、リーナの怒声が遮った。

「違わへん! それ、前にユナちゃんがミカエルさまからもろたネックレスやブレスレットと同じネズミモチーフやん! ミカエルさまからもろたんやろ!? なあ、そうなんやろ!?」

「ち、違う! ミカエルさまからもらってない!」

 と必死に否定をするユナの足首に――アンクレットに、リーナの手が掛かる。

「外してや! 早く、外してや!」

「や、やだ、止めてリーナ! 離して! アンクレットがっ……!」

 壊れてしまう。

 慌ててリーナを突き放そうとしたユナだが、細いチェーンで出来ていたそれは呆気なくリーナに千切られてしまった。

「あっ……!」

 と声をあげ、大地の上に落ちたアンクレットを慌てて拾い上げたユナ。
 掌の中、壊されたそれを見て泣きじゃくる。

 それを見、

「どうせ、ミカエルさまを泣き落としてプレゼントさせたんやろ? 図々しい女。うちに壊されて当然や」

 とリーナがふんと鼻を鳴らしたとき。
 ローゼの声と、複数の足音が聞こえてきた。

「こっちこっち! こっちですにゃ、リーナさんとユナさんの声が聞こえたのは!」

 リーナが声のした方に振り返ると、ローゼを先頭にミカエルとシオンがこちらに駆けて来ていた。

「リーナ、ユナっ……!?」

 と息を切らし、2人の前で立ち止まったミカエル。
 戸惑いながら尻を着いて泣きじゃくっているユナを見、そのあとリーナを見た。

 するとリーナが先に口を開いた。

「災難やったなあ、ミカエルさま」

「何がだ?」

「ユナちゃんに、嫌々プレゼント買うてやったんやろ?」

「え……?」

 と、もう一度ユナに目を落としたミカエル。
 ユナの握られた手から細いチェーン――プレゼントしたアンクレットのチェーンが見え、ユナの傍らに膝を着いた。
 そして、

「ユナ? アンクレットがどうかしたのか?」

 とユナに手を開かせるなり、目を丸くする。
 さっきプレゼントしたばかりのアンクレットが、もう壊れている。

「これは……」

「うちがやったん。適当に直して質屋に持って行ったら、そこそこお金戻ってくるやろか。結構高かったんやろ、ミカエルさま? 可哀想に」

 とユナに大して何ら悪びれた様子もないリーナに、ミカエルの顔が強張った。

「……違う」

「ん?」

「これは、ユナに嫌々買ったんじゃない。私が、ユナにプレゼントしたくて買ったんだ」

「え……?」

 と耳を疑ったリーナの目に映る、ミカエルの顔。
 怒りに強張った顔。

 困惑したリーナのグリーンの瞳が、揺れ動く。

「ど…どゆことやっ…? ミカエルさまっ…? な、何でユナちゃんにプレゼントなんかっ…? ネックレスとブレスレット返してもらったのに、何でまたプレゼントなんかあげ――」

「違うんだ」と、ミカエルがリーナの言葉を遮った。「違うんだ、リーナ。本当は、私はリーナとの約束を守っていない。守れなかったんだ」

「――え……?」

 呆然とするリーナを見つめ、ミカエルが続ける。

「ごめん。私はユナに、そんなことは出来なかった」

「…ほ…ほな…、ほな、うちに嘘吐いてたん…? そうなん……!?」

 と歪んでいくリーナの顔を見つめ、「ああ」と頷いたミカエルに、リーナの怒声が降りかかる。

「なんやねん、それ!! うちのことっ……、うちのこと、裏切ってたんか!?」

「……済まない」

 そう言って認めたミカエルに、ますますリーナが声を荒げる。

「ふざけんなや、どあほう!! うちはミカエルさまのこと信じて疑わなかったんに……!! どうして!? なあ、どうしてやミカエルさま!? どうしてうちに嘘吐いたん!? なあ、どうして!?」

 と問い詰めてくるリーナに、ミカエルが問い返す。

「……私がユナからネックレスとブレスレットを返してもらえなかったと言ってたら、おまえはどうしていた?」

「はあ!? 何やねん、その愚問!! そんなの決まってるやん!! ミカエルさまが出来へんって言うなら、うちが力ずくでもユナちゃんから取り返して――」

「だからだ」とリーナの言葉を遮り、ミカエルは続けた。「だからだ、リーナ。だから私は、おまえに嘘を吐いたんだ」

「――えっ…? …そ…それって……」

「そんなことをすればユナは泣く。悲しむ。だから私はおまえに嘘を吐いた」

「…それって…、それって……」

 リーナの視界に移る、ミカエルの怒りに強張った顔。
 それが目に浮かんだ涙でぼやけていく。

「それって…、ユナちゃんのこと、好きってことなん……?」

 リーナから顔を逸らし、

「分からない……」

 と呟くように答えたミカエル。
 泣きじゃくっているユナを抱き上げながら「でも」と続けた。

「少なくとも、こんなことをする今のリーナよりは好きだ」

「――」

 呆然とするリーナに背を向け、ミカエルがジュリ宅へと踵を返していく。
 ユナを大切そうに抱いて。
 だんだんと、小さくなっていく――。

 立ち尽くしたまま涙を幾多も零し始めたリーナを見、傍にいたシオンとローゼが口を開こうとしたとき。

「リーナちゃん!」

 ジュリの声が聞こえてきた。
 シオンとローゼが振り返ると、ジュリとそれからリンクの姿があった。

 リーナのところへと駆けて来るなり、ジュリがリーナを抱き締める。

「どうしたの、リーナちゃん? どうしたのっ?」

「…ジュ…ジュリちゃ…っ……!」ジュリにしがみ付いたリーナが、声を上げて泣きじゃくる。「行っちゃうっ……! ミカエルさま、うちから離れて行っちゃう!」

「えっ?」

「嫌やっ! 嫌やあっ!」

 そのときのジュリの気持ちを考えられるほど、リーナに余裕はなかった。
 ミカエルを失うと思うと、怖くて堪らない。
 ジュリにしがみ付いて、ミカエルの名を――別の男の名を叫ぶ。

 見兼ねたリンクが、リーナをジュリから引き剥がした。

「リーナ、今日はもう、おとんと家に帰ろう。な?」

 そう言って、リーナを抱っこしてリンクが踵を返していく。

 その姿が見えなくなるなり、溜め息を吐いたシオン。

「悪い、ジュリ兄。やっぱり9番バッター、大失敗に終わったぜ」

 と、ジュリの方へと顔を向けた。
 そこには、ジュリの強張った顔がある。
 シオンを睨むように見ていた。

「……シオン、言ったの? リーナちゃんに」

 何のことか訊かずとも察したシオンは、頷いて言う。

「言った。俺は、ミカエルはユナ姉のことも好きだって、リーナに言った」

 その途端、ジュリが声を上げた。

「何で言ったの!? そのことを言ったらリーナちゃんが傷付くって、僕言ったじゃない!」

「そうやってジュリ兄が作戦実行しねーから、俺がしてやったんじゃねーか。見ててもどかしいんだよ。まあ、予定外なことに作戦は失敗したけど」

「ああ、本当に大失敗だったよ! リーナちゃん、あんなに泣いて……! 勝手なことしないでよ!」

 シオンにそう怒鳴り付けたあと、踵を返すジュリ。
 5、6歩進んだとき、後頭部に硬いものをぶつけられた衝撃を感じ、再びシオンの方に振り返る。
 シオンの反撃だと思ったのだが、それはシオンではなくローゼのようだった。

 シオンの一歩前に出、涙目になってこちらを睨みつけている。
 ふと己の足元を見ると、そこにはローゼの右足の靴が落ちていた。

「ローゼさま、さすがにヒールは痛いです……」

「なんでシオンを怒るんですにゃ!? ただジュリさんのために何とかしようと思ったシオンは、何も悪くないのですにゃ! 悪いのは、リーナさんですにゃ! あそこでミカエル兄上じゃなく、ユナさんに当たるなんてお門違いにもほどがありますにゃ! ミカエル兄上に愛想をつかされて当然ですにゃ!」

「……」

 ローゼの靴を拾い、それに付いた土を手で払ってローゼの足元に置いたジュリ。
 シオンの顔を見、再び口を開いた。

「そうだね。シオンは悪くないね。ごめんね、シオン」

「別に気にしてねーよ」

 というシオンに「ありがとう」と笑ったジュリ。
 一呼吸置き、「でも」と続けた。

「リーナちゃんも、悪くないんだ。元を正せば、悪いのは僕なんだ。リーナちゃんを深く傷付け、あんなにも臆病にさせてしまった僕が……」

 ジュリの脳裏に蘇る。

 子供だった自分。
 弱かった自分。

 それ故に、傷つけてしまったリーナの泣き顔。

「だからすべては、僕の責任なんだ。こうしてリーナちゃんがまた僕だけを想ってくれないのは、きっと僕への……制裁――」
 
 
 
 
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