第109話 『9番バッター、行くぜ』 前編
ジュリがリビングに戻ってくると、ドアの前でリーナがそわそわとしながら待っていた。
「あっ、ジュリちゃん! ど、どうしたん? ミカエルさまと、何かあったん? 大きな音や怒鳴り声が聞こえた気がしたんやけどっ……!?」
「何もないよ、リーナちゃん」
「……せ、せやけど、ミカエルさまはっ? 戻ってこんのっ?」
「トイレに行っただけだから、すぐに戻ってくるよ」
そう言ってジュリが笑うと、「そか」と安堵の溜め息を吐いたリーナ。
「ほな、次はシュウ君がうちと格ゲー勝負してやーっ!」
とリビングの中へと戻っていった。
ジュリも続いてリビングに入ると、ローゼと並んでソファーに座っているシオンが手招きしていた。
うんと頷いてシオンの隣に座ると、ジュリの方から小さく口を開いた。
「シオン、僕リーナちゃんに言わないから。ミカエルさまがユナ姉上のことも想ってる、なんてこと。だから作戦は、別のものを考えて」
それを聞き、シオンが呆れたように溜め息を吐いた。
「何だよ、ジュリ兄。その事実をリーナに言っちまえば、少なからずもリーナはジュリ兄に近付くってもんだろ。リーナが傷付くとか、思ってるわけ?」
「思ってるし、実際そうなるんだ。悔しいけど、リーナちゃんはミカエルさまのことも想ってるから」
「だからそこでジュリ兄が一気に――」
「たしかに」と、ローゼがシオンの言葉を遮った。「ミカエル兄上のこと、リーナさんに言わない方がいいかもですにゃ。だってリーナさんって、ジュリさんと兄上のどちらか失いそうになると、必死に取り戻そうとしますからにゃ。だからジュリさんが兄上のことをリーナさんにバラしたところで、リーナさんは兄上に『行かないで』ってすがるだけにゃ。しかも、ジュリさんの前で堂々と!」
「まー、そうかもな」
と、同意した9番バッターのシオン。
ならば作戦はどうしようかと考えて、10分。
「あーもー、めんどくせえっ!」と声を上げた。「こうなったらジュリ兄、手っ取り早く――」
ローゼが慌ててシオンの口を塞いだ。
リーナの方を気にしながら、小声で言う。
「リ、リーナさんに聞こえないように言うのにゃ、シオンっ……!」
うんうんと頷いてローゼの手を離し、シオンは小声になって言い直した。
「こうなったらジュリ兄、手っ取り早くリーナとヤっちまえよ」
「――は、はぁ!?」
と思わず声をあげたのはローゼだ。
顔を真っ赤にしながら、シオンの頬を抓る。
「どぉぉぉぉして、そういうスケベなことしか考えられないのにゃあぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「そうなりゃリーナもジュリ兄に絞るだろ」
「そ、そうかもしれないけど――」
「で、ローゼおまえは俺にいつヤらせてくれるわけ?」
「はぁ!? まっ、ままま、まだダメにゃっ!」
「Cになったのにいつまで焦らすんだ、おまえは」
「バ、バストの大きさの問題じゃないのにゃっ!」
「自分が王女であることでも気にしてんのか」
「そ、そうじゃなくて――」
「俺はそんなこと超お構いなしに手ぇ出してんのによ」
「う、うん、ありがとにゃシオン――って、少しは構えにゃあぁぁああぁぁああぁぁああああーーーっっっ!!」
とシオンがローゼに背負い投げされ、リュウに激突し、強烈な拳骨を食らって騒ぎ出し。
話が進まなそうだと溜め息を吐いたジュリ。
「ともかく、シオン。別の作戦を考えてね」
と、ソファーから立ち上がってリーナのところへと向かって行った。
「あ、おい、ジュリ兄! だからさっさとリーナとヤッちま――」
「そんなお下品なこと、ジュリさんには意味が通じないのにゃ」と、ローゼがシオンの言葉を遮って続ける。「おとなしく別の作戦を考えるのにゃ」
「めんどくせーな、もう」と言葉通り、さも面倒臭そうにシオンが溜め息を吐く。「俺から言わせりゃ、今までの作戦はどれもじれったいんだよ。もっと強引にいこうぜ、強引に。それくらいでいーんだよ、あの女には」
とシオンが親指でリーナを指すと、ローゼが「うーん」と唸った。
「た…たしかに、二人の間をふらふらしてるし、その方がいいのかもしれないにゃ……」
「だろ。よって作戦は、さっさとリーナとヤッちま――」
「ダーメーにゃっ、それは!」
「ハァー? もー他に考えつかねっつーの……」
とシオンがうんざりして声を上げたとき、ミカエルがリビングへと戻ってきた。
シオンとローゼが座っているソファーの前に腰を下ろす。
それから少ししてユナも戻って来、さりげなくミカエルの隣に座った。
リーナの方を気にしてほとんど口を聞かないミカエルとユナだが、たびたび見つめ合ったり、微笑んだり。
ふと手元に目を落とせば、指と指がしっかり触れ合っている。
そんな2人の顔を見、特にミカエルの顔を見、シオンはもどかしくて思わず苛々としてしまう。
(なんでこのチャンスを逃そうとするんだよ、ジュリ兄。一途にリーナのことだけ想ってんのはジュリ兄だけじゃねーか!)
ふとソファーから立ち上がったシオン。
「やった、やった♪ シュウくんにも勝ったー♪」
とテレビの前ではしゃいでいるリーナのところへと向かって行った。
「ん? 次はシオンがうちと格ゲーで勝負してくれるん?」
「おう」と頷きながらリーナの隣に座り、シオンは近くにいたジュリを見て言う。「なあ、キッチンから追加のビール持ってきてくんね?」
「わかった」と承諾したジュリ。「リーナちゃんに勝たせてあげてね」
とシオンに耳打ちしてから、キッチンへと向かって行った。
それを確認したあと、シオンはリーナに顔を向けた。
(ジュリ兄が作戦実行しねえっていうなら、俺がしてやるよ。9番バッター、行くぜ。これで完全勝利のち終戦だ)
テレビゲームが始まり、
「っしゃあ! いっくでぇぇぇぇぇぇぇぇ!」
とはしゃいでいるリーナの笑顔が、次のシオンの言葉でふと消える。
「リーナおまえ、さっさとジュリ兄とヤッちまえよ」
「――はっ!?」
とリーナが声を裏返すと同時に、スッパーンとシオンの後頭部に飛んだローゼのスリッパ。
「ああ、間違えた。素で間違えた。さすが俺、エロいぜ」と軽く痛む後頭部を擦ったあと、シオンは顔を真っ赤にしているリーナを見つめながら言い直す。「リーナおまえ、ジュリ兄とミカエルの間をいつまでフラフラする気?」
「え……?」
「第三者の俺から見て、何を迷う必要があるんだって感じなんだが」
「せ…せやかて、うち……」
と、困惑して揺れ動いたグリーンの瞳を見つめながら、シオンは続ける。
「リーナおまえは、ジュリ兄とミカエルの2人に愛されて逆ハー気分でウハウハかもしれねーけどな」
「そ、そんなことっ……」
「実際におまえだけを一途に想ってくれてんのは1人だけだ」
「え……?」
「ジュリ兄1人だけなんだよ。ミカエル? アレのどこがおまえ『だけ』に見える」
とシオンがミカエルを指すと、リーナがそちらへと顔を向けた。
会話はしていないようだが、いつの間にかユナと隣同士に座っていた。
ふとユナを見つめるときの目が、とても優しい――
「…ま…まさか、ミカエルさま……」
「そのまさかなんだよ。あいつはおまえだけのことじゃなく、ユナ姉のことも好きなんだ」
「そ、そんなわけ…! せ、せやかて、うち、そんなこと聞いてへんもんっ……!」
「あいつ自身、まだハッキリと自覚してねーかもしれねーからな。自分はユナ姉のこと好きだってよ。でもあれは、誰がどう見てもユナ姉のこと好きだろ」
「――…っ……!」
ゲームのコントローラーを投げ捨て、立ち上がったリーナ。
歩き出そうとしたが、すかさずシオンに手を引かれた。
「待てよ。どうする気だ」
「どうする気って、決まっとるやろ」
「ジュリ兄、そろそろ戻ってくるぞ。ジュリ兄の前で、ミカエルに行かないでってすがるのか。止めろよ、おまえ。ジュリ兄すげー傷付くぞ」
「ちゃう」
「いや、違わねーだろ。またおまえはトリプルデートのときみたいに、焦ってジュリ兄の前にも関わらずミカエルを取り戻そうとす――」
「ちゃう」ともう一度言って、シオンの言葉を遮ったリーナ。「ミカエルさまは、うちとの約束をちゃんと守ってくれたんやで…!? それって、ミカエルさまはうちのことだけを想ってくれとるってことや…! ミカエルさまが、ミカエルさまが、うちのこと裏切るわけがないねんっ……! せやからうちが用あるんはミカエルさまの方やなく……ユナちゃんの方や!!」
そう声を上げてリビングの中を静まり返させるなり、シオンの手を振り払ってユナのところへと向かって歩いて行った。
一同の注目を浴びる中、ユナの手を「痛っ」と言わせるほど強く引っ張ったリーナ。
「ちょっと買い物付き合ってや」
と言い終わるか終わらないかのうちに、ユナを連れてその場から瞬間移動で消え去った。
その後、一体何事かと一同の視線がついさっきまでリーナと一緒にいたシオンに集まる。
「……」一同の顔を見渡したシオン。「……あれー?」
と眉を寄せながら首を傾げた。
(俺はただ単に、リーナをジュリ兄に近づけさせようと思ったんだが……)
何だか予定とは少し違う方向へと向かっている気がする。
ずっとシオンとリーナの会話に耳を傾けていたローゼが、慌てて駆けてきて喚く。
といっても、『作戦』を知らないミカエルの前だから小声で。
「な、何にしてるのにゃシオン…!? ど、どうしてリーナさんはミカエル兄上を嫌う方向じゃなく、ユナさんに当たる方向に……!?」
「俺も訊きてーよ」
「ユナさんに当たるなんて、お門違いにゃっ……!」
「だなあ」
そこへ、
「リーナちゃん!? さっき怒鳴り声が聞こえたけど、どうかしたの――って、あれ!? いない!?」
ビールを両腕に抱えながらリビングに戻ってきた来たジュリ。
リビングの中をきょろきょろと見回してリーナの姿を探したあと、一同が注目しているシオンに顔を向けた。
「…シ、シオン……?」
「悪い、ジュリ兄」
「な、何が?」
「(作戦が)失敗した……かも?」
「――へ?」
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