第111話 別の選択肢


 ミカエルが泣きじゃくるユナを腕に抱いてジュリ宅の玄関まで戻って来ると、そこでキラとミーナが待っていた。
 ユナの様子を見るなり、キラが言う。

「今夜はユナを連れ、城へ帰るのだミカエル」

「え?」

「ユナを心配して探しに行ったリュウが帰ってくる前に、早く。この状況を見てリュウに殺されるのはおまえだぞ、ミカエル。大丈夫だ。リュウが帰ってきたら、ユナはもう部屋で眠っているとでも言っておく」

「そうだぞ」と、キラに続いたミーナ。「ユナはリーナに泣かされたのだろうが、今のこの状況をリュウが見たらおまえは殺されるぞミカエル。早く城へユナを連れて帰るのだ」

「そ、そうだな……」

 と苦笑しながら同意したミカエルを見、ミーナが「では」と続けた。

「瞬間移動でユナとミカエルを城まで送ってくるぞ、キラ」

「ああ、頼んだぞミーナ。さあ、早くするのだ。リュウが戻ってきてしまう」

「うむ」

 とミーナが頷いた次の瞬間、ミカエルとユナの目の前の景色は、ヒマワリ城最上階の廊下に。

「ここで良いか? ミカエル」

「ああ。私の部屋はすぐそこだ。ありがとう、ミーナさん」

「うむ。では、ユナを頼んだぞミカエル。ああ…、わたしの娘が悪かったな、ユナ……」

 そう言いながらユナの頭を撫で、ミーナが去ったあと、ミカエルは自室へと向かって行った。
 ドアの前に立っている兵に、

「すまない。ペンチやニッパーなどの工具を持ってきてくれ。なるべく細かい作業が出来るものがいいんだが」

 と言って承諾させてから、中に入った。
 泣きじゃくっているユナをソファに座らせ、自分もその隣に座ってユナの頭を撫でる。

「待ってろ、ユナ。今直してやるからな」

 とミカエルがポケットにしまっていたアンクレットを取り出すと、ユナがしゃくり上げながら訊いてきた。

「な、直るっ…? ミ、ミカエルさまからもらった、ア、アンクレットっ……!」

「ああ、大丈夫だ。必ず直す」

 とミカエルが微笑むと、ユナが涙を止めて頷いた。

 少しして、兵が持って来てくれた工具でミカエルが壊れたアンクレットを直し始める。
 細いチェーンを再び繋ぎ合わせるだけなのだが、城にあった工具が少々大きくて手古摺り、直し終わるまでに30分ほど掛かった。

「ふう、やっと直ったぞ」

 その間ずっと作業を見つめていたユナから、ようやく笑顔が零れる。

「ありがとう、ミカエルさま……!」

「ああ」

 と笑顔を返すと、ミカエルはユナの足元に膝を着いた。
 ユナの細い左足首に、直ったアンクレットをつけてやる。

「元より少しチェーンが短いが、ユナの細い足首には逆にちょうどいいだろう」

 ユナが再び己の足首で輝くアンクレットを見つめる。
 すると少しして、その淡い紫色の瞳から再び涙がぽろぽろと落ち始めた。

「ど、どうしたユナ? チェーン、これでは駄目かっ? ユナっ?」

 とユナの両肩を掴み、顔を覗き込んで狼狽したミカエルだったが、ユナの涙はそういう意味ではなく、安堵の意味だった。

「良かった…! 良かったぁ……!」

 と泣きじゃくるユナを見た途端、胸が熱くなるのを感じたミカエルの手が、ユナの肩から背へと滑っていった。
 何をされるのか察したユナがドキッとした次の瞬間、ミカエルの腕がぎゅっとユナを抱き締める。

(何をしているんだ、私は……)

 ミカエルの耳に、ユナの動悸が聞こえる。
 だがそれ以上に、己の強い動悸が聞こえる。

(何をしているんだ、私は…何を……)

 止めろ。

 と己に言い聞かせるのに、止まらない。

「ミ…ミカエルさまっ……?」

 と様子を窺うように覗き込んできたユナの顔に、吸い寄せられるように顔が近付いていく。

(やはり私は、ユナのことが……)

 ユナがぎゅっと目を閉じ、その唇と唇が重なろうか瞬間――

「おおーっ、麗しのユナよ! よくぞ来てくれた!」

 王が部屋に入って来、ミカエルは慌ててユナから離れた。

「お、親父っ…!? …ひ、人の部屋に勝手に入ってくるなよっ……!」

「ユナを独り占めにするでない、ミカエル! ずるい奴め! ユナよ、今そなたの好きな料理を作らせているから、楽しみに待っていてくれ♪」

 と言いながらユナの傍らに座り、しばらくはこの場に居座る気満々の王――父に深い溜め息を吐いたミカエル。
 その胸は、まだ動悸が止んではいなかった。

(やはり…やはり私は、ユナのことが好きなのか……?)
 
 
 
 
 ユナを探しに自宅屋敷から出、葉月町を走り回っていたリュウは、キラから「ユナはもう帰ってきた」と電話をもらって踵を返した。
 玄関に入るなり、そこで待っていたキラとミーナに訊く。

「ユナは無事か」

「ああ。無事だから安心するのだ。リュウ」

 と言ったキラに、ミーナも続く。

「うむ、ユナは無事だぞリュウ。でもユナは、もう部屋にこもって眠ってしまったから邪魔しちゃダメだぞ」

「眠った……?」

 とリュウが眉を寄せると、キラが頷いて続ける。

「どうやら今日の誕生日が楽しみで楽しみで、昨日はあまり眠れなかったらしいぞ」

 ユナの部屋がある二階を見上げ、「そうか」と返したリュウ。
 靴を脱ぎ、キラとミーナと共にリビングへと向かって行った。

 一時は止まった三つ子のパーティーだが、今は再び開始され、通常通り一同食っちゃ飲みして騒いでいた。
 当然その中に、もう眠ったらしいユナの姿はない。
 加えて、リンクとリーナ、ミカエルの姿もなかった。

 さっきまで座っていたソファーに再び座り、リュウはジュリに顔を向ける。

「……ジュリ」

「はい、なんでしょう父上?」

 と、にこっと笑って顔を向けてきたジュリを見て思う。

(ああ…、ジュリおまえ、やっぱり俺の可愛い黒猫似で可愛いな。何で男なんだ、こんちくしょう……!)

 なんてことではなく(いや、超思ったが)、

(リーナと何かあったな……)

 ということだった。
 ジュリのそのリュウを恍惚とさせるようなキラ似の笑顔は、いつも通りのようで、そうでない。
 作り笑顔だった。

「リーナはどうした」

「はしゃぎ疲れたみたいで、リンクさんと一緒に帰りました」

「じゃあ、ミカエルはどうした」

「王さまから呼び出されたみたいです」

「そうか」

 と返したリュウだが、ジュリが嘘を吐いていることは察した。
 ジュリの傍らにいるペットのハナが、たびたびジュリを心配そうな目で見つめている。

 少ししてジュリが箸を置き、立ち上がった。

「ごちそうさま。僕も今日はもう休むね」

「待て、ジュリ。まだあんまり食ってねえだろう」

「いえ、父上がいない間にもうたくさん食べました。おやすみなさい」

 そう言い、もう一度作り笑顔を見せてジュリがリビングから出て行った。

 それを見てジュリの皿に料理を盛り、続いてリビングから出て行くハナ。
 廊下を小走りで駆け、玄関広間の階段から2階へと上ろうとしたとき、後方から声が掛かった。

「おい、ハナ」

 振り返ると、リュウがこちらへと向かって歩いて来ていた。

「あっ、リュウ様……! 大丈夫ですだべ、オラがちゃんとジュリちゃんに食わせますべ」

「そうか」と返し、一呼吸置いて続けるリュウ。「ジュリとリーナの間に、何かあったんだな」

 と、ハナならば正直に答えるだろうと思って訊いた。

「あっ…、えと……」と返答に戸惑った後、ハナが小さく頷く。「どちらかといえば、リーナちゃんとミカエル様の間に……ですだべ。でも、そのことでジュリちゃんも……少し……」

「そうか」と再び返したリュウ。「やっぱりジュリは、また落ち込んでるのか……」

 そう呟くように言って小さく溜め息を吐き、リビングへと戻っていった。
 リュウは口では言わないものの、悄然としたその様子にハナの胸が痛む。

(ああ…、ジュリちゃんだけでねえ。リュウ様も――ご主人様も、落ち込んでるべ……)

 ハナが階段を上り、2階の向かって右から6番目の部屋――ジュリと自分の部屋に入ると、ジュリはベッドに横臥して目を瞑っていた。
 ドアが開け閉めされる音を聞き、目を開けて戸口に立っているハナに目を向ける。

「あ……、僕があんまり料理食べてなかったから、持って来てくれたんだね。ありがとうハナちゃん」と笑ったジュリだったが、「でも」と続けた。「今は食欲ないから、机の上に置いておいて。あとでお腹が空いたら食べるから」

 承諾し、頷いたハナが言われた通り机の上に持ってきた料理を置くと、ジュリが話を続けた。

「ねえ……、ハナちゃん。昔の僕って、酷く子供だったよね」

「誰にだって子供の時期はあるべよ、ジュリちゃん」

「そうだけど…。でも僕は、リーナちゃんのことをあんなにも臆病にさせちゃったんだ。リーナちゃん、前みたいに僕に笑顔をくれるけど、でも、でも……それはミカエルさまも傍にいてくれるからなんだ。僕が傍にいるだけじゃ、リーナちゃんは笑ってくれないんだ……!」

 と、胸がつまり、ジュリが顔を歪める。

「ねえ、どうしようハナちゃん…! リーナちゃん、泣いてた。ミカエルさまを呼んで、泣いてた。僕はどうすればいいの? ミカエルさまに頭を下げて、リーナちゃんの傍にいてくれるようにお願いすればいいの? そんなの、考えるだけで血を吐きそうだ……!」

「落ち着くだよ、ジュリちゃん」と言いながら、ハナがジュリのベッドの端に腰掛けた。「今日リーナちゃんとミカエルさまは喧嘩してしまったけんども、オラはミカエルさまがそう簡単にリーナちゃんから離れるとは思えねえべ」

「それはそれでミカエルさまのこと葉月湾に沈めたくなるね」

「ジュ、ジュリちゃん……」

 と苦笑したあと、ジュリを見つめるハナの顔が真顔へと変わっていく。

「なあ…、ジュリちゃん……」と、ハナの手がジュリの頬に触れた。「オラ、ずっとジュリちゃんがリーナちゃんと元の鞘に収まるよう応援してたけんども……」

「うん?」

「もういい加減、別の選択肢を選んでもいいかもしれないべね」

「え?」

 と首を傾げたジュリの額に、そっとキスをしたハナ。
 脳裏に浮かぶのは、悄然としたリュウの姿。

(あんなご主人さまなんて、オラは見たくねえだ……)

 見たいのは、己にとっての本当の主――リュウの、笑顔。
 その、幸せ。
 でもそれは、リュウにとって大切な家族であるジュリが笑ってくれないと叶わない夢。

 だから――

「なあ、ジュリちゃん。リーナちゃんでなく、オラじゃ駄目だべか……?」

「――え……?」

「オラなら少なくとも、ジュリちゃんのこと落ち込ませたりしねえだよ……」
 
 
 
 
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