第100話 第二王子、生還
葉月町のネズミー通りの近くにある浜辺。
ジュリに肩を抱かれながらキスをしているリーナに恐怖が走る。
ミカエルの深く傷付いたブルーの瞳を見。
小さくなっていくその背を見。
(うち、このままミカエルさまのこと失ってしまうん…!? …い…嫌や、怖いっ……!)
とリーナがジュリを力一杯突き飛ばし、ミカエルの背に向かって「待って」と叫ぼうとしたときのこと。
遠くから誰かがやって来るを見つけ、その顔を確認した途端に身体中の血の気が引いていく。
一体何があったというのか。
左腕にキラを抱き、右腕にローゼを抱き、背にシオンらしき者をぶら下げた鬼の形相のリュウが物凄い勢いでこちらへとやって来る。
「リュ、リュリュリュ、リュウ兄ちゃん……!?」
と驚きのあまり裏返ったリーナの声を聞き、ジュリとミカエル、ユナが「え?」と声を揃えてリーナの視線の先を追った。
その途端、ぎょっとした3人の顔が蒼白していく。
そして聞こえてくるキラの絶叫。
「にっ、逃げるのだっ、ミカエルゥゥゥゥウウゥゥウウゥゥウウゥゥウゥゥウウゥゥウゥゥゥウウっっっ!!」
「はっ?」
とミカエルがぱちぱちと瞬きをした、次の瞬間。
シオンがリュウの背から降り。
リュウに離されたローゼがシオンの腕にキャッチされ。
キラが必死にリュウの首に巻きついてその足を止めようとするが――
「――うっ……!?」
とミカエルが呻き声をあげると同時に、その足が浜辺から浮いた。
ミカエルの首に掛かっているリュウの右手の指が、じわじわとミカエルの首に食い込んでいく。
「バァァァァァカァァァァァァエェェェェェルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………!」
「いっ…、一体何だというんだ、リュウっ……!?」
と、リュウの頭よりも高い位置まで持ち上げられたミカエルは、鬼の形相を見下ろして困惑してしまう。
だって、リュウを怒らせた理由がまったく分からなくて。
「何だ、だと……!? 己の胸に訊いて見やがれ、このセクハラ王子が!!」
と、さらにリュウの指が首に食い込み、ミカエルは呻き声をあげる。
「ぐあぁぁぁぁっ……!」
それを見たユナの手が、駆けつけてきたリーナの手が、ミカエルの首に掛かっているリュウの手を必死に引き剥がそうと掴んだ。
「やっ、やめて、パパ! ミカエルさまがセクハラ王子って、どういうこと!?」
「ミカエルさまが死んでまうで、リュウ兄ちゃん! ミカエルさまはたしかにセクハラ王の息子やけど、セクハラ王子ちゃうで!? 一体どうしたっちゅーねん!?」
続いてキラ、ローゼもリュウの手を掴む。
「止めるのだ、リュウ! ミカエルは何も悪くないだろう!」
「そ、そうですにゃ、リュウさま! 兄上も、それからユナさんも何も悪くないのですにゃっ!」
と自分の名が出てきて、ユナは「えっ?」と声を上げた。
そしてすぐに察した。
リュウがミカエルに対して怒っている理由を。
(あたしがミカエルさまを好きだってこと、パパにバレちゃったんだ……!)
リュウがミカエルの首から手を離さぬまま続ける。
「俺の娘を誑かすとはいい度胸じゃねーか、え? 三途の川に送られる覚悟は出来てんだろうな……!?」
ミカエルがさらに呻き声をあげ、ユナは慌てて声を上げた。
必死に、嘘を吐く。
「や、止めて、パパ! 何か誤解してるよ! ミカエルさまがあたしを誑かしたって、何の話!? あ…あたし、ミカエルさまのことなんて何とも思ってないよっ……!?」
「何……?」
とユナに顔を向けてリュウが眉を寄せると、リーナも続いた。
「せやで、リュウ兄ちゃん! それにな、ミカエルさまが好きなのはユナちゃんやなくて、うちや! うちだけや!」
とのリーナの言葉にムッとしたユナだが、ミカエルが危ないのでここは合わせるしかない。
それに、リーナの言っていることは間違っていないと思うことだし。
「そ…、そうだよ、パパ。ミカエルさまはリーナにゾッコンだもん。あたしのことなんてどうだっていいよ。だからお願い、ミカエルさまから手を離して……!」
リュウがその心の中を見抜くように、ユナを見つめて言う。
「おまえを疑っているわけじゃない。が、おまえがミカエルのことを好きだと言ったのは、俺の命令に従ったハナだ。ハナが俺の命令に背くとも思えん」
「…そ…、それ、ハナちゃん誤解してるんだよ。あ、あたし、本当にミカエルさまのこと好きじゃないもん。あたしはずっとファザコンだし、ミカエルさまなんて眼中にないよっ……」
とユナは必死に嘘を吐くが、リュウはまだミカエルから手を離そうとしてくれない。
どうしようかと焦っていると、リーナが言った。
「あれやろ、リュウ兄ちゃん? ユナちゃんが4月から、うちとジュリちゃん、ミカエルさまに付いて仕事するっていうのも気に掛かってるんやろ? せやから、ますますユナちゃんはミカエルさまのこと好きなんやないかって、思ってしまうんやろ?」
「まあ、そうだな」
「ほな、リュウ兄ちゃん4月からユナちゃん連れて仕事に行ったってや。嬉しいやろ? ユナちゃん」
とリーナに目を向けられたユナは困惑する。
4月――来月からミカエルと共に働けるのを、とても楽しみにしていた。
2人きりで働けるわけじゃないけれど、それでもとても楽しみにしていた。
ほぼ毎日ミカエルの傍にいられるのだと思うだけで、とても幸せだった。
でも、
(ここで頷かなきゃ、ミカエルさまのこと助けられない)
だから、
「なあ、ユナちゃん。4月から、リュウ兄ちゃんと一緒に働きたいやろ?」
とリーナに念を押すように訊かれたとき、作り笑顔でこう答えていた。
「うん。パパと一緒に働けるなんて、あたし凄く嬉しい。あ、パパがあたしのこと足手まといって思わなければの話だけど」
当然、目に入れても痛くないほど可愛い娘であるユナのことを、リュウが足手まといなんて思うわけもなく。
「よしよし、そうかユナ。4月からパパと一緒に働こうなー」
と、ミカエルから手を離し。
ユナを左腕に抱っこして、鬼の形相は瞬く間に綻んだ。
リュウの足元、ミカエルが四つんばいになってむせ返る。
「ごほごほっ…ごっほ! …リュ、リュウおまえ、本気で私のことを殺そうと思っただろう……!」
「返答によってはな。何おまえ、死に掛けてたわけ」
「あっ、当たり前じゃないかっ……! ごほごほごほっ!」
「ったく、この程度で情けねーなあ」
とリュウが治癒魔法を掛けてやると、ようやく回復したミカエル。
立ち上がった途端、リーナに腕を取られた。
「今日はもう遅いから、うちミカエルさまのことヒマワリ城まで送るわ。ほな皆、またな!」
とリーナが手を振り、ミカエルを連れて瞬間移動。
その寸前ミカエルの視界に映ったのは、ユナの笑顔。
だけどそれは、今にも泣きそうなものだった。
そしてリーナとミカエルが消えてから、ずっと黙ってやり取りを見ていたジュリから溜め息が漏れた。
(リーナちゃんはやっぱり、僕よりミカエルさまを想ってるのかな……)
リーナがミカエルを連れて瞬間移動してきたのは、ヒマワリ城の前。
門衛に話し声が聞こえないところ。
「あー、危なかった! ミカエルさま、良かったな! きっとこれからユナちゃん纏わり付いてけえへんから、リュウ兄ちゃんに三途の川に送られずに済むで!」
とリーナは笑うが、ミカエルはとても複雑そうな顔をしていた。
「……なんやねん、ミカエルさま。ユナちゃんと会えなくなるのが嫌やなんて、言わへんやろな」
少し間を置き、ミカエルが口を開く。
「訊いてもいいか? リーナ」
「なんや?」
「おまえは私ではなく、ジュリを選んだのか?」
そんなミカエルの質問に、「あっ…」と声を上げたリーナ。
(あかん…! ジュリちゃんとキスしとるとこ、ミカエルさまに見られとったんやった……!)
慌てて首を横に振る。
「ちゃ…ちゃう! ちゃうんや、ミカエルさま! あ、あれは、うちが勘違いしとって……!」
「勘違い?」
「せ、せや、勘違いや。ミカエルさまがユナちゃんのこと好きなんやないかって思って、そしたら一瞬もうジュリちゃんにしようかなって思って…! せ、せやけど、ミカエルさまの傷付いた目を見たら、まだうちのこと想ってくれてるんやって分かって……! ……え…えと、その……、ミ、ミカエルさまが悪いんやでっ!?」
とリーナが声を上げると、ミカエルが眉を寄せた。
「私が?」
「せやかて、ユナちゃんにネックレス買ってやったってなんやねん! しかもそのあと、また買ってやるってなんやねん! 傍から見たらな、恋人同士にしか見えへんで!? うちが勘違いしても当然やろ!?」
「……あ…、ああ、そうか。そうだな、私が悪いなこれは。悪かった、リーナ」
とミカエルが謝ると、「分かればええねん」と背を向けたリーナ。
呟くように続けた。
「せやけど、うちもごめん…。あんなシーン見て、めっちゃ傷ついたやろ……?」
「そうだな、リーナはジュリを選んでしまったのかと思ってな。だが、事情は分かった。もう気にしていない」
とのミカエルの言葉を聞いて、リーナが「そか」と小さく安堵の溜め息を吐いた。
少し間を置いて続ける。
「なあ、ミカエルさま。約束してほしいことがあるんやけど」
「なんだ?」
「ユナちゃんに買ってやったっていうネックレス――ユナちゃんがいっつもいっつも首から掛けてるあのネズミのネックレスと、それからさっきジュエリーネズミで買ってやったもの、返してもらってや。はっきり言って、めっちゃ気分悪い」
とリーナが言ってから数秒後、ミカエルが呟くように答えた。
「……分かった」
再び安堵の溜め息を吐いたリーナ。
ミカエルの方に振り返り、
「ほな、またな!」
と笑顔になり、瞬間移動で帰っていった。
ミカエルもヒマワリ城の城門へと向かい、門衛と挨拶を交わし、城の中へと入って最上階にある己の部屋へと歩いて行きながら思い出す。
浜辺から瞬間移動する寸前に見た、ユナの泣きそうな顔を。
(泣き虫のユナのことだ。今はもう、泣いてしまっているだろうな……)
ユナはこのミカエルを助けるためにリュウに嘘を吐き、そして楽しみにしていただろう4月からの生活はなくなってしまった。
(そしてさらに、私からネズミのネックレスとブレスレットを返せなんて言われたら、ユナはきっと……)
泣きじゃくるユナの姿が脳裏に浮かんで、ミカエルの胸がずきんずきんと痛みをあげる。
本当は言いたくない。
あのネックレスとブレスレットを返せだなんて。
でも、リーナと約束してしまった。
だから――
(ごめんな、ユナ……)
時間遡って、本日夕方。
肉団子がリビングの窓から出て行った後のジュリ宅。
全室の窓がリュウにより粉砕される前、リビングから廊下へと逃げ込んだカレンとミヅキ、子供たち――シュン、セナ、カノン・カリン、ネオン。
カレンが電話でガラス屋を呼んだのち、一同顔を見合わせて溜め息を吐いた。
「家って、しょっちゅう窓がなくなるわよね。さあ、ガラス屋さんが来る前に飛び散ったガラスのお掃除をしてしまいましょ」
とカレンが言い切るか言い切らないかのうちに、セナが「あっ」と声を上げてその場から駆けていった。
「セナ? どこに行くの?」
とセナの父であるミヅキが後を追っていくと、辿り着いた場所は1階のとある部屋。
昼間ミヅキとレナが働いているドールショップの方にもあるが、ミヅキがドール工房として使っている――仕事に使っている部屋だ。
セナが、人形を作る台や床の上に飛び散った窓ガラスをせっせと手で集めてゴミ箱に入れていく。
「ったく、ししょーのヤツ! かえってきたらヒザげり入れてやらぁ!」
「まあ、お義父さんだけじゃなく、ウチの家族の力はときどき困りものだね……」と苦笑したあと、ミヅキは部屋の中に置いておいた箒とチリトリでガラスの破片を掃除し始めた。「いいよ、セナ。お父さんがやるから。手を切っちゃうでしょ」
「このテイドで切らねーよ。おれはオヤジとちがって、人間じゃねーんだから」
「そっか。手伝ってくれてありがとね、セナ」
とミヅキが笑うと、一瞬だけちらりとミヅキの方を見たセナ。
再びガラスを片付けながら、少し照れくさそうに「おう」と返した。
それから10分。
まだ片付かず、セナが苛々とした様子で声をあげる。
「ああもう! 風魔法でまき上げて一気にマドのそとに出しちまうかな!」
「こらこら…。まだガラスの破片だけ巻き上げるなんて器用なこと出来ないでしょ、セナ……」
「おう。人形の手とか足とか、小さいパーツごとマドのそとにポイだ」
「困るから、それ」と苦笑したあと、ミヅキが溜め息を吐いて続ける。「それにしても、本当に困ったね。色んなところにガラスが飛び散っちゃってるよ。明日の昼下がりお客さんが家に来るんだけど、ガラスで怪我したりしたら大変だ」
「ああ、明日は店のテイキュウ日だもんな。つか、きゃく? 家に?」
とセナが首を傾げると、ミヅキが言い直した。
「ああ、ごめん。お客さんじゃないや。お弟子さん、かな」
「は?」
弟子?
とセナが眉を寄せると、ミヅキは嬉しそうに話し出した――。
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