第75話 思い出のあの場所


 屋敷から飛び出していってしまったキラ。

 それから約3時間後、平常に戻ったリュウも屋敷を飛び出した。
 キラを探しに。

(あそこだろうな)

 リュウには分かっている。
 キラの居場所が。

 足の速くなる魔法をかけ、リュウはそこへと向かって走る。

(キラはきっと、あの場所にいる)
 
 
 
 ――とあるマンションの7階。

   広めのテラス。
 錆付いてきた手擦り。

 リビングにある、もう大分古くなった2つの3人掛けソファー。
 屋敷のリビングにあるものよりも、一回り小さいガラステーブル。
 壁に掛けられた一見謎の絵と、ダイニングキッチン。

 以前は武器だらけだった部屋と、洋服だらけだった部屋。

 寝室にある、長身の持ち主の背丈に合わせて作られたベッド。
 思い出のそのベッドに突っ伏して、キラは泣きじゃくっていた。

 ここはリュウとキラが結婚前に暮らしていたマンション。
 現在暮らしている屋敷を建てるときにこの部屋を買い、当時の家具などはそのままになっている。

 たまに掃除に来るときの他に、キラはときどきここに来たくなる。
 今日のように。

(分かっている…! リュウは薬を飲ませられただけだって、分かっている…! でも……!)

 でも傷付いた。
 リュウの言葉に、態度に、とても傷付いた。

 インターホンが3回連続で鳴る。

 キラは咄嗟に寝室に鍵を掛けた。
 誰がやって来たのかなんて分かっている。

 玄関の外からの声が、キラのよく利く黒猫の耳に聞こえてくる。

「開けろ、キラ」

 それは主命令。
 でもキラはむくれたまま開けようとはしない。

「開けろ」

 2度目の主命令。
 キラは開けない。

「開けろ」

 3度目のその声は強かった。
 でも、キラは戸惑いながらも開けなかった。

「仕方ねーな…」

 玄関の外から聞こえてきた溜め息。
 その次の瞬間、

 ガチャガチャ…、バキィっ!

 玄関の鍵が呆気なく破壊された。

(おっ…、おまえはグレル師匠かっ!)

 キラは驚倒したあと、あたふたとしながら寝室のあちこちを見回した。
 主が玄関のドアを開けて入ってくる。
 慌てて隠れる場所を探した。

(あああっ、どっ、どこに隠れてもすぐ見つかるぞっ……!)

 主の足音が寝室の前で止まる。

「そこにいるのは分かっている。観念して開けろ、キラ」

 ――って、それでは私が悪いことをして逃げ隠れしているみたいではないかっ!

 と口に出して突っ込みたくなる中、キラは寝室の中央で主に見つからない方法を考える。

(どっ、どうすれば良いのだ! かっ、考えるのだ私っ! 考えるのだ賢い私っ……!)

 寝室の外から聞こえてくる溜め息。

「寝室のドアまで壊したくねえ。だから開けろ、キラ。あと10秒だけ待ってやる」

 ――って、つまり10秒後には破壊する気満々なんだな、私の主よ……。

 と思わず顔が引きつってしまいながら、キラは引き続き主に見つからない方法を考える。
 そして、

(あっ、そーだ!)

 思いついた。

(どこに隠れても見つかってしまうなら、コレしかないぞ!)

 心の中、キラはふふふ、と笑う。

(コレしかない、コレしか。コレならば大丈夫だ! マネキンのフリならば! さすが私っ! 己の賢さには惚れ惚れしてしまうぞーっ)

 と、誇らしげに胸を張るキラだったが。

(…で、でもマネキンってどういうポーズ取っていた…!? ポーズ…、ポーズ…、ポージングっ…!)

 必死に考えるキラ。
 はっと頭に思い浮かぶ。

(そういえば昔、グレル師匠が月刊・NYANKOに載ったときに何かポーズを…! ええーと、両腕を横に真っ直ぐ伸ばして、肘から先は上に折り曲げ、手はぎゅっと拳を作って顔の方に向かって折り曲げてたな…。それで力を込めて上腕二等筋をムキムキっとさせて……)

 つまり、ポージングはポージングでもボディービルのポージングを取るキラ。

(よし、このままこのまま…。ハイっ、マヨネーズ♪ …って、それは写真撮るときだぞ私。ええーと、このままこのまま…、笑顔でハイっ、ポーズっ♪)

 にかっと笑って動きを止め、瞬きをしないで視線を一点に集中。
 寝室のドアの外から再び声が聞こえてくる。

「10秒経った。入るぞ」

 ふふふ、どんと来るのだ!

 と、見つからない自身満々のキラ。
 玄関のドアに続き、

 バキっ!

 と呆気なく寝室の鍵が壊される。
 そしてドアを開け、姿を見せたキラの主――リュウ。

「捕まえたぜ、キ…………?」

 固まった。

(…な…、何してんだ、キラ)

 と眉を寄せたリュウだったが、飼い主と夫を長年やっていれば察するもので。

(…も、もしかしてマネキンのつもりか、キラ…!? す、すげえ、さすがキラだぜ…!)

 リュウ、驚愕。

(よりによってボディービルのポージングが思いつき、そしてそれをおかしいと疑わず実行へと移すおまえの頭…!)

 ごくりと唾を飲み込み、リュウの喉が音を立てた。

(わ、分かってはいたが、やっぱり只者じゃねえ…! おまえ、甚だしい最強天然バカ黒猫だ…!)

 感動して揺れ動くリュウの黒々とした瞳。

(ああ、キラ…! 俺はおまえを心底尊敬している…!)

 リュウが固まってから数秒。

(な、なんだ…!? 怪しまれてるのか、私…!?)

 と心の中で焦るキラの傍ら、リュウが寝室の中をきょろきょろと見回し始めた。

「おっかしいな、キラがいねえ…」

 安堵するキラ。

(良かった、リュウは私に気付いていないぞ…)

 リュウが寝室の中を歩いて回る。

「どこ行ったんだ、キラ。ここにいると思ったんだがな」

 心の中、キラは笑った。

(ふふふ、分からないだろうリュウ! 何たって今の私は、どこからどう見ても完璧なマネキンだからなっ♪)

 リュウが部屋の中央――キラのところへとやって来る。

「あれ? こんなところにイイ女のマネキンがあるぜ。こんなもん買ったっけかな、俺」

 ギクっとしてしまい、一瞬身体が動いたキラ。
 リュウは気づいていないフリをして続ける。

「ま、キラが買い物行ったときに買ってきたんだろうな」

 安堵するキラ。
 リュウの手がキラの身体に触れる。

「にしてもキラそっくりなマネキンだな」

 再びギクっとするキラ。

「すげーな最近のマネキンは。本物みてえ。ケツ柔らけーぞ」

 さらにギクっとなり、

「おお、今日のキラと同じパンツはいてるぜ」

 冷や汗をかき始め、

「すげえ、乳の感触までキラと一緒かよ。たまんねーなあ」

 ぴくぴくと顔の筋肉が引きつり、

「どれ、一発ヤってくか」

 リュウの身体を突き飛ばした。

「おっ、おまえはマネキンと浮気するつもりか、リュウ!」

「いよう、キラ」

「――ハっ!」

 しまった!

 と慌てて再びマネキンのフリをするキラに、リュウがデコピンした。

「ふにゃっ!」と、キラが額をさする。「マっ、マネキンに何をする!」

「ほお、最近のマネキンは喋るのか」

「うっ…!」

「いつまでも遊んでねーで帰るぞ」

 伸びてきたリュウの手を、キラが振り払った。

「嫌だ! 帰らぬ!」

 ベッドの枕を引っ掴み、キラがリュウに向かって投げる。
 それを片手で受け止めながら、リュウは溜め息を吐いた。

「まだ怒ってんのかよ」

「当たり前だ! おまえはミラをこの世一愛していると言った! 私よりもミラを愛していると言った!」

「仕方ねーだろ、薬飲まされたんだからよ」

「おまえは私に飽きたと言った! 私と永遠の愛を誓ったことが謎だと己に疑問を持った! 天然バカの私とよく続いたなって己に感心していた!」キラの瞳から涙が零れだす。「もう私がいなくて良いと言った! 野生に戻るなり、王子のペットになるなりすればと言った!」

「謝ってやるよ、うるせーな」

「うっ、うるせーとは何だ! 大体、謝ってやる、だと!? 何だその上から目線は!? おまえが悪いのだから謝るのは当然ではないか! 帰らないからな、私は! 帰ってやらぬ!」

「ったく、おまえは…」と、深く溜め息を吐くリュウ。「俺の何が気に食わねえんだよ!?」

「――そっ…」キラの中で、ブチっと切れた何かの音。「その態度だあああああああああああああああっっっ!!」

 近くにある物をリュウに向かって、手当たり次第に投げつけるキラ。
 それらをひょいひょいと避けながら、リュウが言う。

「俺のこの性格は今に始まったことじゃねーんだから、今さらゴチャゴチャ言うなよおまえ」

「直せっ! 今すぐ直せっ!」

「俺がおまえに上から目線で言うのは当然だろ。おまえの飼い主なんだから」

「私はおまえのペットだが、おまえの妻でもあるのだぞ!?」

「なおさら俺の命令聞け」

「なっ、何だと!? 亭主関白な奴だなおまえは! そんなの今時流行らぬぞ!」

「世間の流行なんて知ったことかよ」

「少しは知れ! そして倣えええええええええええええええええええっ!!」

 最後にベッドをリュウに投げつけ、キラが肩で息をする。

 ベッドを受け止め、それを床に置いたリュウ。
 キラのところへと歩いて行って腕を引く。

「もう気ぃ済んだだろ。帰るぞ」

「嫌だっ!」

 キラがリュウの腕を振り払う。

 リュウの顔が強張った。
 怒声を上げる。

「いい加減にしろ!!」

「おっ…」キラ、驚愕。「おまえがいい加減にせぬかっ! こっ、これだけ言ったのにまるで反省なしなのか!?」

「うるせえっ! 俺はおまえの飼い主だ! おまえの旦那だ! おとなしく俺の言うことを聞けっ!!」

「なっ――」

「俺がっ…」リュウが手を伸ばし、キラの腕を強引に掴んだ。「俺が、おまえがいないと駄目だってことくらい分かってんだろうがっ……!!」

「――」

 吊りあがっていたキラの眉が下がる。
 怒りが消えていく。

(そうだ、そうだった…。忘れるところだった…。リュウは薬を飲まされただけだったというのに…、何をしているのだ私は……)

 キラは両腕を伸ばし、リュウの首を抱き締めた。

(私の飼い主は…、私の旦那は、とても弱い。自惚れているわけじゃないが……、リュウは私なしでは生きていけない)

 リュウが安堵したように小さく溜め息を吐いた。
 キラの小さな身体に抱きつく。

「不安にさせてしまったな、リュウ。ごめん」

「ふん…」

「私はおまえが死ぬまで傍にいる。おまえが墓に入ったら、そう遠くないうちにまた傍へ行く」

「…当然だ。おまえは、骨になっても俺と一緒にいるって約束したんだからな」

「ああ…」キラは微笑んだ。「そうだな、リュウ…」

 キラの顔を見、続いて微笑んだリュウ。
 いつも通り、キラを左腕に抱っこする。

「さて…」

 帰るか。

 と言うと思いきや、

「一発ヤってくか」

「――はっ!?」キラの声が裏返る。「かっ、帰るのではなかったのか!?」

「喧嘩のあとはセックス。これ基本」

「みっ、皆が心配するぞっ!」

「あとでシュウに電話入れときゃいーだろ」

 リュウが携帯電話の電源を切る。

「あ、あとでっ?」

「だってあいつも今カレンと真っ最中だろ」と言いながら、リュウがキラをベッドに寝かせた。「バカ全開で『ううーん、デリシャス…!』とか言いながらカレン抱いてるあいつが目に浮かぶぜ」

「……。そうだな」

 キラの唇にリュウの唇が重なった。
 
 
 
 カレンの部屋の中、カレンと入浴後のシュウはそわそわとしていた。

「あああ、もうっ…!」と手に握っている携帯電話を見つめる。「何で連絡してこねーんだよ、親父っ…! 電話しても電源オフになってるしっ…! …まっ、まさか母さんとヤバイことなってんのか……!?」

「大丈夫よ、シュウ」

 カラーはピンクと白、装飾は薔薇やリボンなどで出来たやたら乙女な鏡台の前。
 カレンがその赤い髪を櫛で整えながら口を開いた。

「リュウさまとキラさまの絆は、そう簡単に壊れたりなどしないのですわ」

「そ、そうだけど…」

「本当、リュウさまとキラさまはあたくしの理想の夫婦ですわ」

「…ふーん…?」

 カレンはオレと結婚する気あったりすんのかな…。

 鏡に映るカレンの顔を見ながら、そんなことをシュウは考える。
 ふと鏡のカレンと目が合って、シュウはどきっとして目を逸らした。

「ねえ、シュウ?」

「な、何?」

「来月のクリスマスのことだけど」

「う、うん?」

「あたくしやっぱり、何もいりませんわ。だからお仕事無理しないで」

「…ん、分かった」

 と言いつつ、シュウはカレンへクリスマスプレゼントを用意するつもりだが。

(カレンの誕生日のときみたいに何百万もするものは買えねえけど…、何か喜んでくれるものあげてえな……)

 シュウの携帯電話が鳴る。
 そこに出ている名前を見て、シュウは咄嗟に出た。

「もっ、もしもし親父!?」

「おう。今夜のカレンはどうだった」

「ううーん、デリシャス…! 今日は風呂場でフィーバーしちゃってさあ、オレー♪ ――って…」シュウ、赤面。「なっ、何言わせんだよ親父っ!!」

「そこまで訊いてねーし、俺。それよりよ、シュウ」

「な、何だよ?」

「俺とキラ、今日帰らねーことにしたから頼んだぞ」

「へっ?」シュウは眉を寄せた。「親父たち今どこいんの? まさかラブホ?」

「いや。俺やキラたちにとっての思い出の場所」

「それって――」

 何処だよ?

 とシュウが訊く前に、リュウが続けた。

「んじゃ俺とキラ、これから2回戦だから切るぜ」

「えっ!?」と、聞こえてきたキラの声。「にっ、2回戦!? さっ、さっき一発って言ったではないかあああああああ――」

 切れた電話。
 カレンがぱちぱちと瞬きをして訊く。

「リュウさまとキラさま、何ですって?」

「えと…、今日は帰らないって」

「どこに泊まるんですって?」

「親父や母さんたちの思い出の場所らしいんだけど…」と言いながら、シュウは察した。「…ああ、あそこか。親父と母さんが、結婚前に住んでたマンション」

「まあっ」とカレンが声を高くした。「思い出のお部屋でロマンチックに仲直りなさったのね!」

「ロマンチック…か、どうかは危ういが、とりあえず仲直りしたっぽい」

「素敵なのですわあああああっ!」とカレンがベッドに寝転がる。「ああ…、脳裏に浮かぶわ…。思い出のお部屋でダイヤモンドのような涙を流されるキラさまと、それを見つけて後ろから優しく抱き締めるリュウさま…! そしてっ…、ああそしてっ……!」

 実際はボディービルのポージングでマネキンのフリをしていたキラと、それに痴漢をしていたリュウなのだが。
 一体どんな妄想に浸っているのか、カレンの瞳が恍惚としてしまっている。

「乙女だなあ、おまえの脳内…」

 と苦笑しながら、シュウは電気を消してカレンの隣に寝転がった。

 窓ガラスをキラに粉砕されたが故に、外から冷たい風が舞い込んでくる室内。
 シュウはカレンの肩まで布団をかけた。
 さらにカレンの小さな身体をしっかりと抱き締める。

「寒くねえ?」

「ええ、大丈夫よ」とカレンがシュウの胸に抱きついた。「おやすみなさい、シュウ」

「おう、おやすみ」

 おやすみのキスをしたあと、カレンがシュウの胸に顔を埋めて瞼を閉じた。

(さて…、カレンのクリスマスプレゼントは何がいいかな…。喜んでくれるもの、何かな……)

 そんなことを考えているうちに、シュウも夢の中に誘われていった。
 
 
 
 
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