第36話 波乱


 白猫の耳と、毛足の長い尾っぽ。
 濃い紫色をした瞳。
 ピンクブラウンの腰まであるウェーブヘア。

 シュウの元ペットのホワイトキャット――マリアが、再びシュウの前に現れた。

 自宅のキッチンから広間まで駆けて来たシュウの方へと、マリアがぴょーんと飛び跳ねる。
 次の瞬間、

「シュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!! 会いたかっ――」

 ズドドドドドドド!!

 宙に浮いているマリア目掛け、突然降り注いだ氷の結晶。
 シュウがぎょっとして広間から2階を見上げると、リン・ランが物凄い形相をして立っていた。

 さらに、

「うらあっ!!」

 ドガガガガガッ!!

 氷に埋もれているマリアにトドメを刺すように、2階から飛び降りたサラのカカト落とし。
 サラの足が、見事に氷の山の天辺から地に這いつくばっているマリアまで到達した。

「なっ、何てことしてんだよお前たちっ!! マリアっ、大丈夫――」

 驚愕しながらマリアへと駆け寄ろうとしたシュウ。

 シュルルッ……
 ガシッ!

 背後から飛んできたロープに、胴体がぎゅっと縛られる。

「なっ……!?」

 シュウが振り返ると、そこにはミラの姿。

「ミ、ミラおまえ、どっからロープ出して……!?」

「大丈夫よ、お兄ちゃん。そこの白猫さん、あの程度では怪我を負わないわ。よく知ってるでしょ」

「そっ、そうかもしれねえけど――」

「ママ、GO!」

 とミラが言った次の瞬間、キッチンから飛び出した黒い影。
 その正体はキラ。
 目にも留まらぬ速さで広間へと駆けて行く。

 キラがシュウの脇を通り過ぎたとき、シュウは慌てて声をあげた。

「やっ、やめてくれ母さんっ!!」

 あんたの爪を食らったら、どんな猫モンスターも一溜まりもねえっ!!

 そうシュウが叫ぼうとしたとき、もう1つの黒い影がシュウの脇を通り過ぎた。
 その影が、マリアに飛びかかろうとしたキラの手を押さえる。

「…おっ、親父っ……!」

 キラの手を押さえたのはリュウ。
 シュウはほっと安堵した。

 リュウに押さえられ、キラがじたばたと暴れる。

「放せっ! 放せリュウ!」

「落ち着け、キラ」

「落ち着けぬ! こんな主をぽんぽんと変えるような猫、私が成敗してくれるっ!! これ以上、このメス猫のせいで悲しむ主なんていなくて良いのだっ!!」

「今ここでマリアを殺したら、一応悲しむ主いるかもしれねえぜ? 首輪ついてんだからよ」

 そう言われ、マリアの首元を見たキラ。
 マリアの首には、白い首輪がつけられていた。

「だから落ち着け、キラ。主命令だ」

 夫である以前に己の飼い主であるリュウの顔を見上げ、キラはおとなしくなった。

「う、うむ……」

 しょげて黒猫の耳を寝かせるキラを、リュウが左腕に抱っこする。

 ここでようやく、シュウはマリアのところへと行くことができた。
 身体のロープを解き、マリアのところへと駆けつける。

「マリアっ……! だ、大丈夫かっ?」

「にゃあああん、痛いよぅ、シュウーっ」

 と、マリアが泣きながらシュウの胸にしがみ付く。

「あ?」シュウの傍らにいたサラが気色ばんだ。「嘘泣きしてんじゃないよ。無傷のクセに」

 シュウが見た限りでも、マリアは無傷だった。
 それでもシュウはマリアに治癒魔法を掛ける。

「ありがと、シュウ。相変わらず優しいにゃ♪」

 そう言ってマリアが、シュウを見上げて笑う。

 大好きだった懐かしい笑顔に、シュウの胸が熱くなった。
 去年の今頃そうしていたように、マリアの身体をぎゅっと抱き締める。

「あっ、兄上っ!?」

 リンとランの前だった。

「シュ、シュウ……?」

 騒ぎに駆けつけたカレンの前だった。

 2階から見下ろしているリンとランの顔が驚愕する。
 シュウの背後の方にいるカレンの顔が動揺する。

(だ……誰なの、この子。シュウの何……?)

 カレンの表情を見て、サラが言った。

「このホワイトキャット、兄貴の元ペットなんだよ」

「元ペット?」カレンがサラの顔を見て、鸚鵡返しに訊いた。「ペットって……ペットって、シュウも半分猫モンスターなのにっ?」

「モンスターを飼えるのは『ハンターの資格を持つ者』だからね」

「そ、そうだったわね。ハーフでも、シュウもハンターだものねっ……」

「まあ、半分人間とはいえモンスターがモンスター飼うのって変に思うかもしれないけどさ。ハンターであることに変わりはないから飼えるんだわ」

 カレンは再びマリアに顔を戻した。
 シュウに抱き締められて、嬉しそうに尾っぽの先を振っている。

(可愛い子……。こんな子が、シュウのペットだったなんて……)

 カレンの胸がずきずきと痛む。

(でも、どうして元ペットがまたシュウのところに来るの……?)

 カレンが思った疑問を、シュウがはっとしたように訊く。

「マリアっ……、おまえどうしてまたオレのところにっ? 飼い主はっ? 本当は捨てられたっていうんじゃないよなっ……?」

「シュウ……!」再びマリアの瞳に浮かぶ涙。「マリア……、マリア、捨てられちゃったにゃあああああっ!」

「――なっ……!」

 シュウに衝撃が走った。
 マリアがシュウの胸で泣き喚く。

「ふにゃああああん! 帰るお家ないよおおおおおおおお!」

「ど…どういうことだよ……!」わなわなと怒りが込み上げ、シュウは声をあげる。「あの人、マリアのこと大切にするって約束したじゃねーか!! どういうことだよ!!」

「ハァ? バカじゃないの、兄貴」サラが短く嘲笑した。「マリアが捨てられたんじゃなくて、飼い主の方が捨てられたに決まってんじゃん。飼い主の金がなくなったのを見て、マリアは捨ててきたわけ。飼い主を捨ててきたわけ。そういう女なわけ。分かる?」

「黙れサラっ! マリアを悪く言うなっ!」

「あー、苛々する。何だこのバカ兄貴。いっぺん死んで来い」

「なっ、何だと!?」

 始まったシュウとサラの兄妹喧嘩。
 カレンはキッチンへと踵を返した。

(シュウ、あの子のためにあんなに怒って……。そんなにあの子が大切なのね)

 弁当作りを再開しながら、カレンの胸が痛む。
 広間で怒鳴るシュウの声がキッチンにまで聞こえてくる。

 マリア、マリア、マリア。

 その名を何度口にすれば気が済むのか。

「ああもう、うるせえっ!!」

 そんなリュウの声が聞こえた。
 同時に、カレンはシュウがリュウの拳骨を食らったことを察する。

「いつまで喚いてやがる、シュウ! おまえ弁当作りはどうした!? 仕事へ行く準備はどうした!?」

「やべっ!」

 シュウが慌ててキッチンへ駆けて来る足音が聞こえる。
 でも今さらキッチンへ戻ってきても遅い。
 カレンはもう弁当作りを終えて、弁当の蓋を閉めていた。

「あれっ!? ご、ごめんカレン、一人で作らせちまって……!」

 カレンが振り返ると、シュウがマリアの手を引きながらカレンのところへとやって来た。
 マリアがカレンの顔を見て首を傾げる。

「にゃ? この子、マリア知らないよ。だぁれ?」

「ああ、えと、こいつは」と、シュウがカレンの頭に手を乗せながら言う。「カレンって言って、オレの弟子なんだよ。んで」

 と、シュウがもう片方の手をマリアの頭に乗せて言う。

「カレン、こいつマリアっていうんだ。オレの元ペットで、去年の大体5月から8月の間に飼ってて――」

「兄上っ!」

 シュウの言葉を遮るように、リンとランが現れた。
 眉を吊り上げ、リュウの腕をぐいぐいと引っ張る。

「わっ!? な、なんだよおまえたち!?」

「ちょっと来てなのだ、兄上っ!」

「こっち来るのだ、兄上っ!」

 シュウがリン・ランに半ば強引に引っ張れて行き、キッチンにはカレンとマリアが残された。
 カレンとマリアがじっと見つめあうこと7秒。

 マリアが先に口を開いた。

「カレンちゃんて、可愛いにゃ♪」

「えっ?」

 あらヤダ、褒められちゃったのですわ。
 良い子じゃない。

 なんて、思わず笑顔になったカレン。

「ありがとう、マリアちゃ――」

「マリアには劣るけどにゃ♪」

「……」

 前言撤回するのですわ。

 笑顔が消えた。

「カレンちゃんて、何歳なのかにゃ? マリアは18歳だよ♪」

「そ、そう。マリアちゃんはシュウより1つ年上なのね。あたくしは――」

「マリアね、マリアね、瞬間移動が大得意なんだよ♪ カレンちゃんは何が得意なのかにゃ?」

「そ、そう。ホワイトキャットちゃんだものね。あたくしは――」

「あとね、あとね、マリアって攻撃力はないんだけど、防御力はいーーっぱいあるんだよっ♪ カレンちゃんはどうなのかにゃ?」

「そ、そう。だからサラやリンちゃんランちゃんの攻撃を食らっても何ともなかったのですわね。すごいわ。あたくしは――」

「それでね、それでねっ♪」

「……」

 な、なんのかしら、この白猫……!?

 カレンの顔が引きつる。

 訊いたなら答えさせなさいよ!
 あたくしにちゃんと答えさせなさいよ!
 あたくしのことも喋らせなさいよ!

 何なのよ。
 何なのよ、何なのよ、何なのよ!

 こうなったら質問にソッコーで答えてやるわよ!
 あなたが言い切る前に答えてみせるわよ!

 あたくしだって登場し立ての頃は口が達者だったのよ!
 負ける気はないのですわ!

 そこの白猫!
 ヘイ、カモオォォォォン!
 ですのよおおおおおおっ!!

「マリアはね、身長162cmなんだっ♪ カレンちゃんは――」

「152cmですわよ」

 カレン、訊かれる前に(早口で)返答する。

「マリアはね、趣味がショッピングなんだっ♪ カレンちゃん――」

「テディベア作り、ドール遊び、一人ファッションショーですわよ」

「マリアはね、宝石の中ではダイヤモンドが一番好きなんだっ♪ カレンちゃ――」

「ルビーかしら」

「マリアはね、お金持ちの男の人が大好きなんだっ♪ カレン――」

「お父様に似て外見や強さは申し分ないのだけれど、ときどき本気で呆れるくらい鈍感な男が好きな状態ですわねえ」

「マリアはね、ブラジャーがDカップなんだっ♪ カレ――」

「Aカップですわよ」

「……」

 よし!
 この白猫、ついに黙ったのですわ!

 心の中、高らかに笑うカレン。

 おーーっほっほっほ!
 この勝負、あたくしの勝ち――

「カレンちゃんのおっぱい寂しいにゃ」

「――なっ……」

 なんですってええええええええええええええ!?

 カレン、完敗。
 
 
 
 その頃。
 シュウは双子の部屋に閉じ込められていた。

 部屋に鍵を閉め、リン、ランとシュウに詰め寄る。

「何をしていますかなのだ、兄上っ!!」

「何を考えていますかなのだ、兄上っ!!」

 リン・ランの迫力にたじろぎながら、シュウは訊く。

「な……、何だよ?」

「訊いているのはわたしたちですなのだ、兄上っ!!」

「マリアのことどうするつもりですかなのだ、兄上っ!!」

「…ど…どうするつもりって……」シュウはリン・ランに背を向けた。「……何とかしてやりたいって思ってるよ」

「何とかって!?」

 リンとランが声をそろえた。

「だからっ……、何とか。マリア、飼い主に捨てられちまったんだぜ? 困り果ててオレのところに来たんだろうし、このまま放っておけねえよっ……」

「マリアをまた飼いますかなのだ!?」

 シュウは戸惑ったのち、答えた。

「……マリアがそうしたいって言うなら、そうしてやりたいと思ってる」

「――」

 リン・ランに衝撃が駆け抜けた。

「去年のオレは親父の弟子だったから金なんてなかったけど……、今のオレは一流ハンターとしてちゃんとそれなりに稼いでる。今度こそ、マリアを幸せにしてやれるかもしれない」

「マリアのことなんか、うちの家族は誰も認めませんなのだ!」

「分かってる。マリアが戻ってきたことで、うちの家族が揉めちまうことは分かってる。でもオレ、本当にマリアが大切だったんだ。今でもそうだ。だから……」

 それを聞いたリン・ランの声に、涙が混じる。

「わ、わたしたちが……、わたしたちが、飼わないでって言ってもですかなのだっ……?」

「……ごめん」

 シュウが呟くように言って、リン・ランの部屋を出た。
 ドアを閉めても、泣き出したリン・ランの声は廊下まで響いてくる。

 シュウがキッチンに戻ろうとすると、目の前にマナが立ちはだかった。

「マナ……」シュウは苦笑した。「おまえや親父が言ったとおり、本当に波乱がやってきちまったな」

「波乱を起こしたのは兄ちゃんでしょ…」マナの冷淡な瞳がシュウを見上げる。「すぐにマリアさんを追い返せば、波乱なんか起きなかった…」

「お…追い返せねえよっ……!」

「あたしたちは家族だから、そう簡単に失わないだろうけど…」

「う、うん……?」

「カレンちゃんは失うかもね…」

「――えっ……?」

「それでもいいなら…」マナがシュウに背向け、その場を去りながら言う。「マリアさん飼ってもいいんじゃない…」

 呆然として立っているシュウの視界から、マナが消えていく。

(カレンを失う……?)

 シュウの胸に嫌な動悸が走った。

(そんなわけ…ねえよな……?)
 
 
 
 
次の話へ
前の話へ

目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ
inserted by FC2 system