第37話 上空5000m
マナの言葉に、シュウの胸が不安に包まれる。
(マリアを飼えば、カレンを失う……?)
そんなわけがないと頭の中で繰り返しながら、シュウはキッチンへと向かった。
キッチンの入り口で立ち止まり、中にいるカレンを見つめる。
カレンは、マリアのマシンガントークに付き合ってやっているようだった。
背後に気配を感じたマリアがシュウの方に振り返る。
マリアの視線を追い、カレンもシュウを見た。
その瞬間、カレンの眉が吊り上った。
「シュウ!」
「お、おうっ?」
カレンは何を怒っているのか。
シュウは動揺する。
「ちょっと、あなた! Dカップのペット飼ってたのですわねっ!?」
「へっ?」シュウはぱちぱちと瞬きをした。「あ…ああ、マリアね……」
「あたくしにバストは小さい方が可愛いとか言っておきながら、本当はDカップはほしいのですわね!? あたくしに嘘を吐いたのですわね!?」
「うっ、嘘なんか吐いてねーよっ……!」
「うるせーな、何をまた騒いでんだよ」
と声が聞こえてシュウが振り返ると、リュウが溜め息を吐きながらシュウのところへとやってくるところだった。
マリアが訊く。
「えー? シュウ、マリアのおっぱい不満なのー?」
「へっ?」シュウはマリアに顔を向けた。「い、いや、不満だなんて思ってねーよっ?」
「じゃあ」と、カレンが顔を真っ赤にして声をあげる。「あたくしのバストは不満ってことなのですわね!?」
「え!?」と、シュウはカレンに目をやる。「ちっ、ちげーよっ! そうじゃねえって……! ぶっちゃけ、オレは胸のでかさなんてどうだっていいんだよっ! な、なあ、親父っ!?」
と、リュウに助けを求めたシュウ。
リュウがきっぱりと言う。
「俺の好みはF65だ」
キラのサイズである。
「は?」
「そして身長は155cm、ウエストは55cm、ヒップは82cmの絶世の美女といえる顔立ちのブラックキャットなんかすげー好み」
つまりキラが好みだと訴えているリュウに、シュウは顔を引きつらせて突っ込む。
「きっ……、訊いてねえっ!!」
「おまえが乳のでかさどうでもいいとか、俺にふられても知らねーし。んなことより、おまえどうする気?」
「何がだよ?」
「マリアのことに決まってんだろーが」
「あ…、う、うん……」
シュウはマリアを見た。
シュウが訊くよりも先に、マリアが瞳を潤ませて言う。
「マリア、またシュウのペットになりたいっ……!」
は……?
はぁ!?
カレンは驚愕してマリアの顔を見た。
黙っていられず、声をあげる。
「ちょ、ちょっとマリアちゃん! サラが言うには、あなた、お金がなくなった飼い主を捨てて来たのでしょう!?」
マリアが必死に首を横に振る。
「マリア、そんなことしないにゃっ……!」
「あたくしはあなたのこと知らないけど、サラたちのあなたに対する態度を見れば分かりますわ! 去年あなたがシュウから飼い主を変えた理由も、シュウのお金がなくなったからなのですわね!?」
「ま、そんなとこだ」と、リュウが口を挟んだ。「ちなみに、今の飼い主はまだ捨てられてねーよ。シュウを飼い主にしてから捨てるんだろーよ」
「ちっ、違うにゃっ!」マリアが慌てたように声をあげた。「マリア、捨てられて――」
「ハッタリもいい加減にしろ」リュウが溜め息を吐く。「おまえ、俺を誰だと思ってんの? おまえの飼い主の連絡先なんざ、ちょっと調べりゃ一発なんだよ」
「お、親父っ、マリアの飼い主と連絡取ったのかっ……!?」
シュウが訊いた。
「ああ、取ったぜ。ついさっきな。多額な借金抱えて毎日ぼろぼろになるまで働きながら、必死にマリアの行方探してたってよ」
「えっ……?」
シュウは困惑しながらマリアを見た。
マリアが笑顔になって言う。
「ばーれちゃったにゃ! てへっ♪」
「ほ……、本当なのか? マリア……」
「本当だよ? マリア、お金ない男の人なんか好きじゃないもん。増してや、いっぱい借金抱えてる人のペットなんてやってられないにゃ。ねえ、シュウ? マリアのこと、またペットにして?」
「ぬけぬけと……!」カレンの顔が引きつった。「ちょっと、あなたおかしいのですわ! そりゃ、お金は大切よ!? あたくしだって、お金には苦しまない環境で育ちましたもの! でもあたくしは、愛する人が借金抱えようと見捨てなくってよ!? シュウのこと一度捨てておいて、またペットにしてですって!? 笑わせないでちょうだい!」
「笑ってないよぅ、カレンちゃん。怒ってるよぅ」
「揚げ足を取らないで!」
「マリアを幸せにしてくれるのはお金だよ? 幸せがあるところに行って何が悪いのかにゃ? ねえ、シュウ? マリアをまたペットにしてほしいにゃ?」
マリアがシュウを見る。
リュウもシュウを見、カレンもシュウを見た。
2人と1匹の視線がシュウに突き刺さる。
キッチンの中が静まり返って十数秒。
シュウが口を開いた。
「分かった」
「えっ……!?」カレンに衝撃が走った。「そ、それって、マリアちゃんをまた飼うってこと……!?」
「ああ。オレもまったく借金ないわけじゃねーけど、あと少しで親父に返し終わるし。マリアがオレに飼われて幸せだっていうなら、オレはマリアを飼う。オレは、マリアを幸せにしてやりたいんだ」
何かしら、その台詞は……?
意味が分からないのですわ。
カレンが呆然としてシュウを見つめる。
マリアを幸せにしてやりたい?
何かしら、それ。
どういうことかしら、それ。
シュウ、あなた、どういうつもりなの?
あたくしの気持ちを知ってて言っているの?
それがあたくしへの答えなの?
さんざんあたくしのこと構ってきたクセに。
キスしたクセに。
今までのその態度は何だったの?
最近、サラがあたくしに言ってくれていたわ。
シュウは、もうすぐであたくしに振り向いてくれるって。
あたくしもそれを感じていたところなのに。
もう少しであたくしのこと好きだって、言ってくれると思っていたのに。
それが何?
元ペットが戻ってきたから幸せにしてやりたい?
しかもあなたのお金だけが目当てのような?
あたくしじゃなくて、そんな子を選ぶというの?
現在あなたの一番近くにいたのは、あたくしのはずだったのに。
あたくしは、純粋にあなたのことが好きだったのに。
期待って、するものじゃないのね――。
マリアが舞い上がってシュウの首に抱きつく。
それを見ながら、リュウが溜め息を吐いた。
「……おまえのバカさにはほとほと呆れたぜ、シュウ」
そう言い、リュウがカレンの手首を引いてキッチンから去っていく。
「おっ、おい、親父っ……!」シュウは慌ててリュウを追った。「カレンどこ連れてくんだよっ……!?」
「カレン、仕事行く準備してこい。おまえ今日から俺の弟子にする」
リュウがそう言ってカレンの背を押すと、カレンが頷いて2階へと上って行った。
シュウは狼狽しながら言う。
「カっ……カレンが親父の弟子ってどういうことだよ!? 親父、弟子なんていらねーって言ってたじゃねーかっ!」
「仕方ねーだろ。カレンはもうおまえのファンに目ぇ付けられちまってんだ。ハンターやめさせて実家に帰せば、またこの間みたいなことが起こってもおかしくねえ」
シュウの顔が困惑する。
「…い…、意味わかんねえよ、親父っ……」
「おまえ、本当バカだな」リュウが溜め息を吐いた。「カレンを失ったことも分かんねーのか」
「えっ……!?」
「マリアを飼うっていうことは、そういうことだ。おまえごときがどっちも幸せにできるわけがねえだろ? おまえはマリアを幸せにすることを選んで、カレンを捨てたんだよ」
「ちっ、違――」
「違わねーよ。おまえ、自分がカレンのこと好きだって知ってる? 知ってるわけねーよな、バカの上にすげー鈍感だもんな。ほんの少し手を伸ばせば届くところにカレンはいたってのに、とんだ大失態だったな。カレンはもう上空5000m地点まで行っちまったぜ。手ぇ伸ばしても届かない。ハイ残念バーカ、ご愁傷様」
リュウが玄関へと向かっていく。
マナの言葉がシュウの頭に再び蘇った。
(マリアを飼えば、カレンを失う)
そんなわけがないと、シュウは頭の中で繰り返して願っていた。
(オレ…、カレンを失ったのか……?)
そんなわけがない。
そんなわけがない。
そんなわけがない。
シュウは頭の中で繰り返す。
2階からぱたぱたと駆け下りてくる足音が聞こえて、シュウは慌てて玄関へと走って行った。
カレンがリュウの前に立っている。
「準備できましたわ、リュウさま」
「ん。じゃ、行くぞ」
「はい」
「まっ、待ってくれっ! カレンっ!」
カレンに向かって伸びたシュウの手。
「触らないで!」
露骨に嫌な顔をしたカレンに振り払われた。
「――」
じょ、上空5000mっ……!
シュウ、大衝撃。
リュウが自分に足の速くなる魔法を掛け、カレンに上着を被せて脇に抱えた。
「んじゃ、おまえもさっさと仕事行けよ」
シュウにそう言い、雨の中を走って行ったリュウ。
もともとバケモノ並の足の速さに加えて魔法も掛かったとなれば、その背はあっという間に見えなくなってしまった。
呆然と立ち尽くすシュウの背に、ぴょんぴょんと駆けてきたマリアが抱きついた。
「シューーウっ! マリア今日モデルのお仕事オフだから、シュウのお仕事瞬間移動で手伝うにゃん♪ いっぱい稼ごうねっ♪」
「……マリア」
「にゃ?」
「オレ、おまえには本当に幸せになってほしいんだ」
「分かってるよぅ」
「でもオレ、カレンのこと失いたくなったんだ」
「ふーん?」
「ど、どうしよう。や、やばい……」
シュウはごくりと唾を飲み込んだ。
(プリーズ上空5000mからダイビーーーング……!)
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