第35話 元ペット


 シュウの脳裏に蘇る。

 白猫の耳。
 毛足の長い白猫の尾っぽ。
 濃い紫色をした瞳。
 腰まであるピンクブラウンのウェーブヘア。

「何で…マリアが……?」

「そう、それ…」電話の向こう、マナが言う。「マリアさんがいるよ、兄ちゃん…」

「な、何で……?」シュウの頭が困惑する。「そ、そうか、旅行か何かでっ……!」

「『NYANKO』の新人モデルだって……」

「…な、何でだよ。だってマリアは、卯月島に行って……。 そ、そうだ、飼い主はっ? 飼い主の姿、近くにねえっ?」

「それっぽい人は見当たらないけど…」

「く、首輪はっ?」

「首輪はしてる…」

「そうか……」

 良かった。
 また捨てられたんじゃなくて。

 シュウは安堵の溜め息を吐いた。
 マナが訊く。

「兄ちゃん…、ここ――海に来る気……?」

「あ、ああ。そのつもりだったんだけど」

「マリアさんに会いに…?」

「いや、マナが停学中に外出してるってんで慌てて走ってきただけ」

「あたしこれからちゃんと帰るから…、兄ちゃん来ない方がいいと思うよ…」

「でもオレ、マリアにどういうことか訊きたいんだけ――」

「兄ちゃん…」マナがシュウの言葉を遮った。「あたし帰らないよ…?」

「おっ、脅しかよっ!」シュウ、驚愕。「ついさっきちゃんと帰るって言ったじゃねーかよっ!?」

「わざわざ自分から波乱起こそうとする兄ちゃんにイラっとして…」

「べ、別に波乱なんか起きねえだろっ……」

「平和主義なんだよね、あたし…」

「ぼっ、暴力で停学になった奴が平和主義語るなっ!」

「とにかく来ないで…」

「ちゃ…ちゃんと帰ってくるんだろうな……!?」

「帰るから…」

「……わ、分かった」

「じゃあ切るよ…」

「あ、待った、マナ。その……、マリア元気そうか?」

「相変わらずだよ…」

「そうか……」

 じゃあいい。

 シュウはマナとの電話を切ったあと、踵を返した。
 
 
 
 その夜。
 書斎にいたリュウに、グレルから電話が掛かってきた。
 回転椅子に座って、仕事の書類を整理しながら電話に出る。

「なあ、リュウ。シュウが去年飼ってた猫って、ホワイトキャットだったのな」

「シュウが去年? ……ああ、そうっすよ。師匠見たことなかったっけ」

「おう。見る前に飼い主変わった言われてビックリだったぜ。オレはてっきりブラックキャットかと思ってたんだけどな。なんせシュウがブラックキャットのハーフだし、ブラックキャットと犬猿の仲のホワイトキャットは好かねえと思ってな」

「いや、うちの子供たちは幼い頃からホワイトキャットのミーナと接してるから」

「ああ、なるほど。だからホワイトキャット見ても何とも思わねーのか」

「んで、何で急にその話題?」

「うちの『NYANKO』の新人モデルが、そのシュウの元ペットらしくってよ」

「……は?」

 書類を整理するリュウの手が止まった。

「今日のマナとシュウの電話の会話聞いてたら、そんなこと言ってたぜ?」

「そのホワイトキャットの名前は?」

「マリア」

「特徴は?」

「ピンクと茶色混ぜたような髪してて、目が濃い紫。あと尾っぽの毛足が長くてふわふわしてたな」

 間違いなく、シュウが去年飼っていたホワイトキャット――マリアだった。
 リュウの眉が寄る。

「何であのマリアがまた葉月島に……?」

「だから、『NYANKO』の新人モデルだってばよ。卯月島から来たとは言ってたけど、もしかしなくても葉月島を出て行って戻ってきたのか。でも飼い主は卯月島にいるとか何とか」

「は?」ますますリュウの眉が寄る。「出張モデルすか?」

「いーや。マリアはこれから葉月島に住むけど、飼い主は卯月島に住んだままだってよ」

 どういうことか少しの間考えたあと、リュウは溜め息を吐いた。
 再び書類を整理しながら言う。

「あのメス猫、また飼い主捨てる気か」

「へ?」

「きっと葉月島で次の飼い主見つけたら、今の飼い主捨てる気すよ。マリアの最初の飼い主は二流ハンターだった。んで、その次の飼い主がシュウ。去年新米ハンターだったあいつは、俺の弟子の身分だから報酬なんてたかが知れてて、大して金持ってなかったんすけど」

「やれよなー、小遣い」

「働き始めた息子に小遣いはやらねーよ。……んで、マリアが高価なものを何でもかんでもほしがるものだから、シュウの金はすぐ底を尽きた。報酬も、それまで溜めて持ってた小遣いも全て。それが分かった途端、マリアはシュウを捨てたんすよ。んで、当時シュウより金持ってた一流ハンターに媚びてペットにしてもらったってわけっす」

「その一流ハンターってのが、今の飼い主ってところか」

「だと思いますけど、卯月島から来たっていうなら。その飼い主の一流ハンター、俺が卯月島に送ったし」

「ふーん? あれか。その一流ハンターも金が底を尽きたわけか。んで、マリアは次の飼い主を探してるとな。ふむふむ。困ったちゃんだなあ、マリアは」

「そすね。人間の世界に入った以上、金は大事だけど……。猫モンスターらしからぬマリアの性格は好けねえな」

 リュウはそう言いながら、マリアが去っていったときのシュウを思い出す。

 シュウがマリアを飼っていたのは、ほんの3ヶ月間。
 それでも、これから先ずっとマリアを飼っていくつもりだったシュウにとって、マリアを失ったときの衝撃は傍から見ても大きかった。
 家族に心配かけないよう、必死に笑顔を作っていた。

 本来猫モンスターは、キラやミーナ、レオンのように主と決めた者を生涯愛してしまうもの。
 比べてマリアは、何の悪びれた素振りも未練もなくシュウの元を去って行くような猫モンスターだった。

 マリアが他の主を見つけたと言ったときも、マリアが去って行くときも、シュウは引き止めなかった。
 新しく主となるハンターの男に『マリアを大切にする』と約束させて、シュウは引き下がった。
 笑顔を作ってマリアを見送った。

 これでいいのかと問うリュウに、シュウは『マリアが幸せになるならいい』と答えた。

 シュウがマリアを失ってとても悲しんだのは事実。
 でも、マリアの幸せを心から願ったのも事実。

(あんときゃガキがかっこつけてんじゃねーぞバーカって思ったけど、あいつのそういうとこってキラを継いだのか。キラは俺にいらないと言われたら、すぐに俺の前から消える。死ねって言われたら死ぬ。己よりも愛する者の幸せが最優先。……それと一緒か)

 リュウの眉間に皺が寄る。

「シュウの奴、すげームカつくじゃねーか」

「は?」電話の向こう、グレルがぱちぱちと瞬きをする。「何だよ、いきなり?」

「あいつ、『マリアが幸せになるならいい』とか言ってマリア手放したんすよ」

「へえ。そういうとこキラっぽいな」

「俺は間違っても『キラが幸せになるならいい』とか言ってキラを手放せねーし」

「ああ……、おまえは弱いからな。キラがいなくなったら死んじまうような」

「うるせーな。だからシュウがムカつくってんだよ。あいつのが精神的に俺より強いみてーで」

「キラを継いでるなら、精神的には確実におまえより強いさ」

「あー、ムカつく」

 ドカッと、リュウが机の上に足を乗せる。
 グレルがおかしそうに笑った。

 間を置いたあと、リュウは言った。

「……師匠」

「ん?」

「…俺が本当は弱いってこと、子供たちには言わないで……、ダセーから」

「分かってんよ。ま、その代わりマナをオレの嫁さんにくれよなっ♪」

「ふっ、ふざけんじゃねえっ!!」

「3年後が楽しみだぞーっと♪」

「いい加減にしろ金メダル!! オッサン!! クマ!! バケモノ!!」

 リュウが騒ぎ出して数分後。
 書斎のドアをノックする音が聞こえて、リュウはグレルとの電話を切った。

 そのあと、苛々としながら戸口に向かって言う。

「入れ」

 顔を覗かせたのは、仕事から帰ったシュウだった。

「ただいまー。何騒いでたんだよ、親父?」

「何でもねえよ」

 という割りには不機嫌そうなリュウに、シュウは苦笑する。
 リュウがくるりと回転椅子で身体の向きを変え、シュウに背を向けて書類を整理しながら訊く。

「んで、どうしたシュウ」

「そのさ…、えと……」

「いい辛そうだな。マリアのことか」

「えっ……!?」ずばり言い当てられ、シュウの声が動揺する。「なっ、何で分かったっ……!?」

「ついさっきまで師匠と電話しててな。『NYANKO』の新人モデルがマリアだっていうからよ」

「ああ……、そうか。グレルおじさん、オレとマナの電話聞いて――」

「んで?」と、リュウがシュウの言葉を遮った。「俺に何を言いにきた。マリアをまた飼いたいとでも言うのか」

「そっ、そうじゃねえよっ……! マナが言うにはマリアは首輪してたみたいだけど、飼い主の姿が見えないのがやっぱりちょっと気になって……。ほ、本当はまた捨てられたんじゃないかって考えると心配で――」

「捨てられた、だと?」再びリュウがシュウの言葉を遮り、椅子を回転させてシュウの方を見た。「バカか、おまえ。おまえがマリアを飼い始めたとき、マリアは前の飼い主を捨てたんだ。マリアはおまえのことも捨てたんだ。んで、これからまた今の飼い主を捨てるところだ」

 シュウの顔が気色ばんだ。

「何でそういう言い方すんだよ」

「マリアはそういうメス猫だぜ? 気付けバーカ」

「アッタマ来んな!!」シュウが思わずと言ったように声をあげる。「マリアのこと悪く言うんじゃねーよ! 今の飼い主の連絡先調べてもらおうと思ったけど、もういい! 親父には頼まねえっ! リンクさんに頼む!」

 どかどかと足音を鳴らし、戸口へと向かっていくシュウ。
 ドアノブを握ったとき、リュウが言った。

「わざわざそんなことしなくても、どーせ近いうちにマリア本人が尋ねて来るっての」

「は?」

 シュウは眉を寄せながら振り返った。
 リュウが溜め息を吐いて言う。

「これからまた、我が家に一波乱がやってくるぜ……」
 
 
 
 マナの3日間の停学が終わった。
 マナの起こした事件で、魔法学校に通う双子や三つ子のことを色々と心配したシュウだったが、今までと変わりなく過ごせているようだった。
 むしろ、ユナを泣かせたり、マナを停学に追い込んだ男子生徒の方が冷たい視線を浴びているとか何とか。

(そういや、親父と母さんが相手の男の子の家に謝罪に行ったとき、逆に相手の親御さんの方が申し訳なさそうだったんだっけ……。よく考えれば、うちの親父と母さんの子供を停学させたとなりゃ恐縮してしまうわな。親父もすごい男だけど、母さんなんてこの世の英雄だしな。ああもう、相手のご家族に本当申し訳ねえ……)

 なんてことを思い、シュウは魔法学校に通う双子と三つ子の弁当を作りながら苦笑する。
 そんなシュウの顔を覗き込み、カレンが首を傾げた。

「どうかしたのかしら、シュウ?」

「いや、うん……。うちの家族って恐ろしいなって……。特に親父と母さんが……」

「ん?」と、シュウの傍らで朝食の後片付けをしていたキラが振り返った。「恐ろしいって、何がだ? 母上、良い子には優しいぞーっ」

「そうだけど、なんていうか……存在そのものが偉大すぎて。世間の人々から見たら、うちの家族ってどう思われてんだろ。すごいこと想像されてんのかな。スゲエェェェ変なのばっかなのに」

「コラ、最後の一言は余計だぞ」

 と、キラが頬を膨らませたとき。

「おっじゃまっしまああああああす♪」

 家族ではない女の声が聞こえてきた。
 キッチンにいたカレンとキラ、ミラがぱちぱちと瞬きをする傍ら、シュウの動きが止まる。

 こ、この声は……!

「シュウーっ? どっこにゃあーっ?」

 姿を現す前から、シュウには見える。

 その白猫の耳が。
 毛足の長い白猫の尾っぽが。
 濃い紫色をした瞳が。
 ピンクブラウンの長いウェーブヘアが――。

 シュウは弁当作りを放り出し、キッチンから飛び出した。
 玄関の方へと向かって走っていく。

 広間へと入ったとき、シュウは一瞬目を丸くした。
 そこにいる者の姿が分かっていても、驚いてしまった。

「――マリアっ……!」

 シュウの元ペットのホワイトキャット――マリアが、今目の前にいる。

 シュウの姿を捉えたマリアの濃い紫色の瞳がきらきらと輝く。
 白猫の耳をぴんと立たせ、毛足の長い白猫の尾っぽの先を振り、シュウのところへと向かって、マリアがぴょーんと飛び跳ねた。

「シュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥっ!!」
 
 
 
 
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