第34話 六女の家出


 グレルとレオンのマンションをマナが尋ねたのは、夜22時過ぎのことだった。

「おー、来た来た。来たか、マナ」と、玄関先でグレルがマナを抱っこする。「ついさっきリュウから電話あって聞いたぜ。シュウと喧嘩したんだって? よしよし、可哀相になあ」

 マナと聞き、レオンが慌てたように駆けて来た。

「ああ……、良かった」と、レオンがマナの姿を確認して安堵の溜め息を吐く。「リュウの予想通り、うちに来てくれて……」

 そう言いながら、レオンはマナが裸足でここまでやって来たことに気付く。
 足は泥だらけ、全身は雨でずぶ濡れだった。

 いつも無表情で寡黙なマナが、静かに口を開く。

「兄ちゃん…、あたしのこといらないって…」

「そんなわけないじゃない、マナ」

「兄ちゃん…、あたしに出て行けって言った…」

「シュウは頭に血が上りやすいからね。カッとなって、つい思ってもいないこと言っちゃっただけだよ」

「あたし、帰らない…」

 無表情なマナは感情が分かりづらい。
 それでも、淡い紫色の瞳が傷ついているのが分かった。

「とりあえずお風呂に入っておいで、マナ。ついさっき溜まったところだから」

 レオンが言うと、マナが頷いてバスルームへと入って行った。
 グレルが携帯電話を手に持ち、リビングのソファーに座りながらリュウに電話を掛ける。

「師匠っ!? マナは!?」

 狼狽しているリュウの声。
 その後ろからも家族の落ち着きのない様子が伝わってくる。

「落ち着け、リュウ。マナはうちに来たからよ」

「そ……そうすか、マナは師匠の家に」

 リュウの声が安堵する。
 リュウの言葉を聞いた家族も安堵したようである。

「んで、シュウはどうした?」

「シュウなら皆に責められて、今頃自分の部屋でカレン抱き枕にしてフテ寝してる。まあ、明日になりゃマナ迎えに行くと思うけど」

「エー」

「なんすか、エーって」

「停学3日間なんだろ? 3日間うちに泊めても――」

「自宅謹慎しなきゃなんねーのに外泊させんでください。停学中、課題だっていっぱい出されてんだ」

「だってよ、リュウ。聞けよ、おまえ」

「なんすか……」

 と、リュウが溜め息を吐く。

「もうしばらくレオンがよ、一緒に寝てくれねーんだぜ? オレもう寂しいったら」

「当たり前じゃないすか。いつまでレオンが子供だと思ってんだ。31と46のオッサンが一緒に寝てんじゃねえ、気持ちわりぃ」

「いーじゃねーか、レオンの外見年齢は20代前半なんだしよー」

「それでも気持ちわりぃわ」

「なんだよ、おまえやリンクは今でも愛猫と一緒に寝てるっていうのによ」

「夫婦すから」

「オレも一緒に寝てくれる猫がほーしーいぃぃぃぃぃっ!!」

「ガキかあんたは……」

「よし、決めたぞーっと♪」

「? 何をすか」

「マナ、オレの嫁さんにもらうぞーっと♪」

「――はっ!?」

 リュウの声が裏返った。

「えーと、あと約3年経てばマナ16歳になるし、結婚できるよなっ♪」

「ふっ、ふざけん――」

「よろしくな、お義父さん♪」

「……おっ、俺よりオッサンにオトーサン言われたくねえっ!!」

「んじゃ、マナの着替えとか課題とか、ミーナの瞬間移動を利用して持ってこいよ♪」

「はっ!? しっ、師匠――」

 グレルは電話を切った。
 レオンが苦笑して言う。

「何言ってんの、グレル……。マナがグレルのお嫁さんになってくれるわけないじゃない」

「ひでーこと言うなあ、レオン。なんだよ、ヤキモチか?」

「いや、僕もうそんなに子供じゃないから」

「ショボーンだぜ、オレは」

「別に昔よりグレルから気持ちが離れてるってわけじゃないよ? グレルを主と認めたときから、僕は生涯グレルのペットであることを望んでいるんだから。……猫モンスターはそういうものだって、分かってんでしょ? 猫モンスターとそのハーフ専門雑誌の編集長・グレル?」

「まーなっ♪」

「じゃあ落ち込まないでよ、もう」

「ごめんよーっと♪ でもまあ、稀に変わった性質の猫モンスターもいるよなあ」

「ああ…、いたね……」

 一匹のホワイトキャットがレオンの頭に浮かんだ。
 白猫の耳と尾っぽ、それからピンクブラウンの腰まであるウェーブヘア。

(あの子、今は卯月島にいるんだっけ……)

 レオンがそんなことを考えていたとき、リュウがミーナと共に目の前に現れた。

「あ、リュウ」

 やっぱり来た。

 とレオンが言う前に、リュウがグレルに詰め寄る。

「師匠!? マナは!? マナどこに隠したんすか!? え!?」

「隠してねーよ、別に。人聞きが悪いぜ」と、グレルが口を尖らせる。「マナなら風呂に入ってんぜ。雨でずぶ濡れだったからな」

「あんた、マナを嫁にするなんて冗談っすよねえ!?」

「エー? オレ本気だそーっと」

「ふっ……、ふざけんな金メダルっ!!」

「銀メダルよりカッコイイじゃねーかよー?」

 リュウとグレルが言い争う傍ら、レオンはソファーから立ち上がりながらミーナに言う。

「ごめん、ミーナ。マナの着替えや学校で出された課題を持ってきてくれないかな?」

「分かったぞ」と、ミーナ。「着替えは何日分だ?」

「停学は3日間の自宅謹慎みたいだけど……、マナの様子からすると、たぶんその間は帰らないと思うんだよね」

「ふむ。シュウと結構な喧嘩をしたのか」

「そうみたいだけど……、まあ、シュウの方は明日には言い過ぎたって反省すると思うから。そのあとはマナ次第だよ」

「そうか。マナはリュウとキラの子供たちの間で一番分かりづらい子だから、わたしもマナがこれから先どうするのか読めないが……。とりあえず、課題と一週間分の着替えを持ってくるぞ」

 ミーナが一旦去って行くと、レオンはとりあえずマナが着る用の服をバスルームの脱衣所に持っていった。
 そのあとリビングに戻り、まだグレルと言い争っているリュウを見て溜め息を吐く。

「そんなに心配してくても大丈夫だよ、リュウ。マナがグレルを選ぶわけないじゃない」

「そ、それもそうか。師匠みてーな、すげー天然バカでクマだか人間だか分からない上にバケモノで金メダルのオッサンなんか、マナが選ぶわけねーよな」

「そうそう。だから心配しなくていいよ。マナの様子だと停学中はまず帰らないと思うけどね」

「いや、おまえそれ困るし」

「パパ……」

 と、マナの声。
 リュウが振り返ると、風呂上りのマナがレオンの服を着てリビングに入ってきたところだった。

 リュウが口を開く前に、マナが言う。

「あたし、帰らないよ…」

「何言ってんだ、マナ」とリュウが小さく溜め息を吐き、マナを抱っこした。「停学中に家にいないわけにはいかないだろ?」

「帰りたくない…」

「先生からおまえに電話かかってきたらどうするんだ?」

「帰りたくない…」

「帰るの」

「兄ちゃんなんか嫌い…」

「それは構わないけどよ」

「だから帰らない…」

「パパが好きなら帰るの」

「パパ…」と、マナが溜め息を吐く。「嫌いになるよ…?」

「ちょ、おま……!?」リュウ、衝撃。「おっ、脅しかよ!? 一体、パパが何した……!」

「あたしが帰りたくないって言ってるのに、どうして帰らせようとするの…」

「どうしてもクソも……! つーか、そのワガママっぷり誰に似たんだ、マナ……!?」

「パパでしょ…」

「なっ……!? パパもっとすげえよ!?」

「自慢にならないから、それ」

 レオンは苦笑しながら突っ込んだ。
 溜め息を吐き、リュウの肩を叩く。

「もう諦めなよ、リュウ。今ミーナにマナの課題と着替え取りに行ってもらってるから」

「なっ、何勝手なことしてやがるっ!」

「今は停学中だし、なるべくなら僕もこんなことはしたくないけどさ。マナが帰りたくないって言うんだから仕方ないじゃない。それに、本当にもう諦めないとマナに嫌われるよ、リュウ?」

「うっ……!?」

 リュウは顔を引きつらせながらマナの顔を見た。
 それはもう冷淡な紫色の瞳が、じっとリュウを見つめている。

(あっさり嫌いって言われそうだぜっ…、俺っ……!)

 リュウは、マナの停学中の外泊を許可した。
 魔法学校の先生からマナに電話が掛かって来たら、ミーナの瞬間移動を利用することにした。
 
 
 
 翌朝。
 シュウは一斉に鳴り出す10個の目覚まし時計をいつものように手で鮮やかに叩き止め、ぱちりと目を開けた。

(……懐かしい夢を見たな。あいつの夢、最近はまったく見てなかったのにな。それより……)

 と、シュウは苦笑した。

「オレ、マナに何てこと言っちまったんだよ……」

「今頃反省?」

 と呆れたように言ったのは、シュウの抱き枕にされていたカレンである。

「なあ、カレンーーーっ」と、シュウがカレンにすがる。「マナの奴、帰ってきてくれるかな。一生家出しっぱなしだったらどうしよう……」

「マナちゃんのことは、あたくしもよく分からなくってよ。でも、とりあえず今日レオンさんとグレルさんのお宅を伺って、マナちゃんに謝ってみるのがよろしいと思いますわ」

 シュウはそういうことにした。
 
 
 
 ――のだが。

「なっ、なっ、なっ、何でマナがいねえ……!?」

 昼食後、ミーナの瞬間移動でレオン・グレル宅へとやってきたシュウは驚愕した。

 仕事のレオンとグレルの姿がないのは分かる。
 だが、何故マナの姿までないのだろう。

「あれ?」と、ミーナが部屋の中をきょろきょろと見回する。「本当だぞ、マナがいないぞ。これでは学校の先生からマナに電話が掛かってきても、マナをすぐに連れて帰れないぞ」

「ど、どこ行ったんだよ、オイ……!」

「マナに電話してみたらどうだ?」

「オレからの電話に出てくれねーんだもん、あいつ……」

 シュウは苦笑した。
 朝から何度もマナに電話を掛けているのに、マナは一向に出る気配はない。

「では、わたしから電話してみるぞ」

 ミーナがそう言い、マナに電話を掛ける。
 3コール目でマナが出た。

「はい……」

「ミーナ姉だぞ、マナ。今どこにいるのだ?」

「グレルおじさんに着いて…」

「グレル師匠に着いて?」

「海で『月刊・HALF☆NYANKO』8月号に載るページの撮影中…」

「おおっ、邪魔したぞ」

 ミーナが電話を切る。
 シュウは眉を寄せた。

「ミーナ姉?」

「マナは今、『月刊・HALF☆NYANKO』のモデル中だそうだぞ」

「は?」

「海で撮影だそうだ。居場所が分かったから安心するのだ、シュウ♪」

「あっ……、安心できねええええええええええええっ!!」シュウ、驚愕。「いっ、今マナは停学中なんだぞ、ミーナ姉っ!? 邪魔したぞって電話切らないでくれよっ!! 遠慮せずに邪魔してくれよっ!!」

「何を言っているのだ、シュウ。人の邪魔なんて、そんな悪いことしてはいけないのだぞ? 小さい頃にキラから教わっただろう。まったくもう……」と、ミーナが溜め息を吐く。「あまりキラを悲しませないでくれ」

 あんたはそのバカを何とかしてくれ。

 シュウは、レオン・グレル宅の玄関から外へと飛び出した。
 
 
 
 その頃のマナは海にいた。
 小雨の中、グレルに肩に座りながら月刊『HALF☆NYANKO』のモデルを務めている。
 といっても、撮ったマナの写真は全部無表情である。
 まるで表情を変えないマナに、カメラマンは苦笑してしまう。

「えーと……、マナちゃんもう少し笑ってくれない?」

「……」

「いーんだよ、これで」と、グレル口を挟む。「これがマナの売りなんだぜーっと♪」

「は、はあ、そうすか編集長……。ま、まあいいか、可愛いことには違いないし……」

「そそっ♪」

「どうせなら、メンズモデルにシュウ君連れて来てくれれば良かったのに。何で編集長なんすか、むさ苦しいなあ……」

 カメラマンは苦笑しながら、マナにピントを合わせてシャッターを切り続けた。
 無表情とはいえ、リュウとキラの子供たちは目を見張るほど綺麗な顔立ちをしている。
 シャッターを切らずにはいられない。

 ふと、マナが顔を傾けて遠くを見た。
 マナの視線を追ったカメラマンが言う。

「ああ……、向こうの集団は『NYANKO』の撮影だよ。今日は新人モデルさんの撮影でね。ホワイトキャットの女の子なんだけど、これがまたすっごく可愛い子なんだ。まあ、それでもマナちゃんに敵うとは言わないけどね」

「……」

 カメラマンの言葉を聞いているのか、聞いていないのか。
 マナはじっと遠くの集団を見つめている。

 グレルやカメラマンには見えないようだが、キラの視力を継いだマナにははっきりと見える。
 集団一人一人の顔が。

(何で…)

 マナの瞳に映る、一匹のホワイトキャット。
 ピンクブラウンの腰まであるウェーブヘア、マナよりも濃い紫色の瞳。

(あの猫、葉月島にいるんだろう…)

 周りから見たら、分かるか分からないかくらいの角度でマナが首を傾げる。

 マナのポケットの中、携帯電話が鳴った。
 相手の名前を見てみると、今朝からずっと無視しっぱなしのシュウからだった。

 グレルが言う。

「またシュウか? そろそろ出てやってもいーんじゃねーか?」

 マナは頷いて、シュウからの電話に出た。

「はい…」

「マナっ!? おおっ、マナ!」電話の向こう、シュウの声が歓喜に高くなる。「やっと出てくれたのか、マナ! 昨日はごめんな! 兄ちゃん、思ってもないこと言っちまって…」

「……」

 シュウの声を聞きつつ、マナは再び遠くの集団に顔を向ける。
 マナの声が返ってこないものだから、シュウが狼狽したように続けた。

「えっ!? マ、マナ!? お、怒ってる!? お、怒ってるよな、うん! ごめんな! 本当ごめんっ!」

「……」

「マ、マ、マ、マナちゃーん……!? 兄ちゃんのこと許してくれないかなあーっ!?」

「……」

「ご…ごめんってば……! ごめん! ごめんごめんごめんごめんごめんなさいっ!! 兄ちゃんが悪かったから許してくれよマナァァァァァァァァァァァっ!!」

 半泣きのシュウの声。
 マナは相変わらず遠くの集団を見つめながら口を開いた。

「いいよ…」

「えっ!?」

「許してあげる…」

「ほっ、本当かマナっ!? 帰ってきてくれるのかっ!?」

「うん…」

「おおおおおおおっ!!」電話の向こう、シュウが再び歓喜に声を高くする。「ありがとうな、マナ! 兄ちゃん今おまえのいる海に向かってマッハで走ってんだけど、どのへんにい――」

「兄ちゃん…」マナがシュウの声を遮った。「これから一波乱ありそうだし…」

「へっ?」

 電話の向こうで走っていたシュウが立ち止まったのが分かった。
 マナが続ける。

「ちょっと可哀相になって…」

「えーと…?」

「だから許してあげた…」

「お、おう、ありがとな……。んで、その一波乱とは一体?」

「あの猫が来てるよ…」

「どの猫?」

「なんだっけ、名前…?」と、マナは小さく首を傾げる。「白猫で…」

「ホワイトキャットで?」

「ピンクブラウンの髪してて…」

「――」

 ホワイトキャットでピンクブラウンの髪。

 そこまで言われれば、シュウが分からないはずがなかった。
 今朝久しぶりにその白猫の夢を見たせいもあって、一瞬にてシュウの頭に蘇る。
 マナの指す、ホワイトキャットの姿が。

「兄ちゃんの元ペットの女の子…」
 
 
 
 
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