第161話 行く手を阻む者 後編
大晦日の前日0時ちょっと過ぎ。
シュウはタマから破滅の呪文を教えてもらうため、タマのいる離島へと出航する船に乗ろうとリーナの瞬間移動で港へと来ていた。
船が出航するまでまだ時間があった故に、リーナと港で立って話をしていたシュウ。
聞き慣れた声が後方から聞こえてきて振り返った。
「こんなところで何をしている?」
キラの姿がそこにあった。
ミーナもいる。
微笑んだキラ。
いつもは優しいその微笑が、この時だけはシュウの瞳に恐ろしく映った。
「母上の言葉を忘れたとは言わせないぞ、シュウ?」
一歩一歩ゆっくりと近づいてくるキラ。
シュウはたじろいでしまいながら訊く。
「や…約束?」
「言ったであろう。おまえは剣術と、リュウから受け継いだ火・水・風・地・光の力で強くなれと」
「……」
「なあ、シュウ? 母上は言ったであろう?」
じわりじわりと近づいてくるキラに、シュウの背の服を両手で握っているリーナが声を震わせる。
「シュ…シュウくん、キラ姉ちゃん怖いでっ……!」
「…さ、下がってろ、リーナ」
とシュウが言うと、リーナが慌てたようにシュウの背から抜け出し、ミーナのところへと駆けて行った。
ミーナのデコピンを食らい、リーナが額を押さえる。
「ふにゃっ!」
「何をしているのだ、おまえは! 余計なことをするでないっ!」
「よ…、余計なことなんかちゃうわっ!」と、リーナは眉を吊り上げた。「シュウくんのためや! シュウくんは破滅の呪文を覚えて、リュウ兄ちゃんに『強くなった』って褒めてもらいたいんや! 認めてもらいたいんや! せやから、うちは――」
「黙れ!」とリーナの声を遮り、ミーナはまたデコピンを食らわせる。「シュウが破滅の呪文を覚えるということは、リュウを再び恐怖のどん底に陥れるということだ! キラはもう2度とそんなことをリュウに味あわせはしないのだ! キラの邪魔をするな!」
「な…なんやねん! おかん、いっつもいっつも、キラ姉ちゃん、キラ姉ちゃんて! 他の人のことも考えてやったらどうやねん! シュウくんのことも、考えてやったらどうやねん!」
そう食って掛かってきたリーナの顔を、数秒の間見つめたミーナ。
静かに口を開いた。
「リーナ…、おまえはわたしたち主を持つ猫モンスターのことを何も分かっていないのだ」
「当たり前やんか! うち、誰かのペットちゃうんから! 分かるわけないやんか!」
「ならば教えてやる。わたしたちペットの猫モンスターにとって、主の幸せは絶対だ。それが己の幸せでもあるから。己の身が滅びようと、相手が大切な我が子だろうと、主の幸せのためなら何だってする…! 主の幸せを阻む者は許さぬ……! 恐怖のどん底に陥れられるのがリュウではなくリンクだったら、わたしはキラと同じことをする!! だから…、だからわたしはキラの味方だ!!」
と牙を剥いて怒声をあげるミーナに、リーナの肩が震えた。
のは一瞬で。
「主の幸せもなにも……、おかん、めっさおとんに苦労かけてるやん」
「む?」
「おかん金使いまくりで、おとん苦労しまくりやで」
「何を言う。そんなわけないぞーっ♪」
と笑う、キラを慕うが故に天然バカになってしまったミーナ。
思わず無言になってしまうリーナの一方。
シュウとキラの間の距離は縮まっていく。
微笑んでいるキラは、シュウにゆっくりと近づいていきながら訊いた。
「母上の話を訊いているか、シュウ?」
「……」
「母上は、何度も何度もおまえに言ったはずであろう?」
「……」
「おまえは剣術と、リュウから受け継いだ力で強くなれと」
「……」
「言ったであろう? 母上は、何度も何度も言ったであろう? なあ、シュウ…?」
と、目の前まで寄って来たキラがシュウの頬に触れる。
キラの微笑んでいる顔を見下ろしながら、ごくりと唾を飲み込んだシュウ。
口を開いた。
「オレ…、一度も約束した記憶はないよ。闇の力を使わないなんて、一度も言った記憶はないよ、母さん」
「ふ」
と短く笑ったキラ。
次の瞬間、消え失せたその笑顔。
「――!」
頬に爪が食い込むのを感じ、瞬時に後方に飛び退ったシュウ。
だが、
「この、バカ息子がぁっ!!」
完全に逃げ切ることは出来ず、キラの爪先がシュウの頬を引っ掻いた。
「シュウ、おまえは破滅の呪文を覚えると言うのか!!」
シュウの頬に出来た3本の赤い線。
触って血が出ていることを確認したあと、シュウは顔をあげてキラの顔を見つめた。
さっきまでの微笑はどこへやら、キラが牙を剥き出しにしてこのシュウを睨みつけている。
一瞬怯んでしまいそうになったものの、シュウははっきりと答えた。
もう、意を決しているのだから。
「覚える。オレは、破滅の呪文を覚える! そして、親父を超えるんだ!!」
その言葉を聞いたキラの身体が怒りに震え、銀色のガラスのような髪の毛がゆらゆらと揺れ出す。
「ならばっ…! ならばっ……!!」
靴を脱ぎ捨て、足の爪をも光らせたキラ。
シュウに飛び掛った。
「私を倒してから行けっ!!」
瞬時に抜刀し、キラの爪を受け止め始めたシュウ。
少し動揺した。
剣術の修行のときよりも、キラの攻撃を食らってしまう。
だが、
(そりゃそうか)
とすぐに気付いた。
(本来、猫モンスターは爪と牙で戦う。剣を持った母さんは強くなるどころか、逆に己の力を抑制されてたんだ)
しかも剣術とは違うものだから、どこから攻撃が来るのか見当がし辛い。
手の爪や足の爪、牙、蹴りも飛んでくる。
シュウが横に振るった剣を飛び跳ねて避け、
「甘いわっ!!」
シュウの顔面に回し蹴りを食らわせたキラ。
よろけたシュウの腹に爪を突き立ててアッパー。
浮いたシュウの身体目掛けて舞い上がり、高速後方宙返りで蹴り上げて、蹴り上げて、蹴り上げる。
その1発目はシュウの腹、2発目は胸、3発目は顎と、キラの足とその爪はだんだんと上へ。
(ってことは、4発目はどこにも当たらねえっ! 隙ありっ…!)
と思い宙で剣を振るったシュウだったが、
「甘いと言っているっ!!」
3発目の蹴りを食らわせたキラは、シュウの剣の刃に逆立ち状態で手を付き、半回転で停止。
「――なっ…!」
シュウが目を丸くする前、肘を曲げ、バネのように跳ねたキラ。
「シュウ、私はっ…! おまえを行かせるわけにはいかぬっ!!」
今度は高速で逆回転。
前方宙返りで、地へと向かいながらシュウの脳天目掛けてカカト落とし7連発。
シュウの身体が顔面からアスファルトに叩きつけられる。
うつ伏せに倒れ血を流しているシュウを見下ろしながら、キラは声をあげる。
「主の――リュウの幸せを阻もうとする者は、息子のおまえとて許さぬのだ!!」
「……じ…時間がねえ……」
と言いながら、顔に治癒魔法を掛けるシュウ。
鼻が折れていた。
ふらふらと立ち上がるシュウを見つめながら、キラは眉を寄せた。
「時間? 何のだ」
「船が出るまでの時間だよ…」
離島へ行く船の煙突からは、とうに白煙が出ている。
早く乗らなければ、置いて行かれてしまう。
「オレは、タマ和尚のところに行って――」
「まだ言うかっ!!」
シュウの言葉を遮り、キラが爪を構えて再び飛び掛る。
「破滅の呪文、教えてもらうんだっ!!」
と絶叫すると共に、剣を力一杯振るったシュウ。
襲ってきた風の刃に、キラが顔の前で両腕を交差させて防御する。
「ふにゃっ!」
キラの銀色のガラスのような髪の毛が数本、はらりとアスファルトの上に落ちた。
続け様に、再び剣を振るったシュウ。
キラの着ているコートの肩の部分が切れ、腰の部分が切れ、ショートパンツを穿いて露出していた華奢な脚が切れる。
キラの脚を伝っていく真っ赤な血。
それを見た瞬間、はっとしたシュウ。
剣が止まる。
修行の時間でもないのに母親を傷つけるのには、やっぱり抵抗があった。
「…か…母さん…! 頼むから、引いてくれ……!」
「引いてくれ、だと?」と、キラが短く笑った。「笑わせるな! ここで私が引いてしまったら、リュウをまた恐怖のどん底に陥れてしまうのだ! そんなこと、もう2度とさせぬ!!」
「母さ――」
「させぬっ……! させぬっ! させぬっ!!」
そう絶叫し、再びシュウに飛び掛ったキラ。
シュウが慌てて振るった剣を爪で跳ね除け、シュウの首の根元に噛みつく。
「――…っ……!!」
キラの牙が食い込み、シュウは歯を食いしばって激痛を堪える。
キラの身体を離そうとするが、キラはシュウの身体に爪を立ててしがみ付き、まるで離れようとはしない。
キラの口の中、血の味が広がる。
かけがえの無い、大切な息子の血だ。
決して美味いものじゃない。
だが、その頭の中は主のことで一杯だった。
(させぬっ…! 私はもう、リュウを恐怖のどん底に陥れたりなど、2度とさせぬっ……!)
キラの脳裏にリュウの姿が浮かぶ。
恐怖に震え泣き、呼吸すら上手くできず、発狂するリュウの姿が。
そんな主の姿など、見たくはない。
(破滅の呪文など…! 破滅の呪文など、いらぬのだっ…! いらぬのだっ……!!)
キラの大きな黄金の瞳から零れ落ちた涙。
シュウの服を濡らしていく。
(リュウ…、リュウっ…! 大丈夫だ…、大丈夫だからな、リュウっ……!)
主の幸せは、
(私が、守る――!!)
キラの牙と爪がさらに食い込み、シュウは溜まらず声をあげる。
「ぐっ…あっ……ああぁああぁぁああぁぁあぁぁあぁぁあぁぁあぁぁぁああぁぁあああぁぁぁあっ!!」
ここで『分かった』と一言言えば、破滅の呪文など覚えないと観念すれば、この苦痛から解放されるのだろう。
だが、そんな言葉はシュウの口から出て来そうもなかった。
気を失ってしまいそうな激痛の中、瞼にちらつく。
小さな頃からずっと追いかけてきた最強の男――父親・リュウの姿。
(親父っ……!)
その口から聞きたい言葉がある。
たった一言、聞きたい言葉がある。
(『強くなった』って……!)
聞きたい。
言われたい。
(『強くなった』って、親父から……!)
褒められたい。
認められたい。
早く。
(だからオレは、破滅の呪文を――!)
キラの黒猫の尾っぽを左手で掴んだシュウ。
同様に黒猫の尾っぽを持つ己の弱点がそうであるように、キラも一緒だということは分かっている。
「母さん、ごめんっ……!!」
ぎゅっと瞼を閉じたシュウ。
キラの身体がびくっと震えたのを感じながら、右手に持っている剣でその尾っぽを切り付けた。
「――ふぎゃあああぁぁぁあぁぁあああぁぁぁあぁぁああぁぁああぁぁぁあぁぁああぁぁあっ!!」
と断末魔のような声をあげ、シュウから飛び退ったキラ。
根元から取れかかっている己の尾っぽを見て、パニックに陥る。
「ふぎゃあぁぁああぁあっ! ふぎゃああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!」
飛び跳ね、アスファルトに倒れ、左右にごろんごろんと転がって悶えるキラ。
そこへミーナが慌てて駆けて行く。
「キラっ! 大丈夫か、キラっ!? キラっ!? おのれっ…! おのれ、シュウっ!!」
とシュウを睨み付けたミーナの鼻先に、突きつけられた剣先。
ミーナの身体が硬直する。
「…シュ…シュウ……!」
「ごめん…、ごめんミーナ姉、母さん…! 頼むから分かってくれよ……!」と声を震わせるシュウ。「オレ…オレ、早く親父から『強くなった』って褒められたいんだ…! 認められたいんだっ……!!」
シュウの顔を見つめ、ミーナは困惑した。
その顔は必死だった。
リュウに『強くなった』と言ってもらうため、リュウを超えようと死に物狂いだった。
決して、生半可な気持ちで破滅の呪文を求めているのではない。
リーナが声をあげる。
「シュウくん、船出てしまうで! 早く! 今のうちに!」
それを聞き、腰に剣を戻したシュウ。
「ミーナ姉、母さんを早くミラのところへ…! 尻尾、完全に切り離されてないならミラでも治せるからっ……!!」
そう言ったあと、葉月島の離島へと向かって出航する船へと向かって駆けて行った。
「シュウっ! 待て、シュウっ!!」背後から聞こえる、母親・キラの絶叫。「シュウっ…! シュウっ! 待てと言っているのだ、シュウっ!!」
痛々しいその声を聞きながら、シュウは船が出航する寸前に乗り込んだ。
尻尾を切られた衝撃で、キラはその場から動けはしない。
船のデッキに蹲り、シュウは耳を塞ぐ。
「シュウっ! シュウっ…! 何故なのだっ…、何故なのだぁっ!!」
人間並の聴力で生まれてきたはずなのに、何故こんなときばかり猫モンスター並によく利くのか。
強く耳を塞いでも、キラの泣き声が響いてくる。
どんなに治癒魔法を掛けようとも、胸の痛みは消えてくれない。
(ごめんっ…! 母さん、ごめんっ…! ごめん、ごめん、ごめんっ……!!)
頭の中、繰り返すシュウ。
だけど、
(オレ、破滅の呪文を覚えて、親父を超えたいんだ…!)
そして、
(親父に『強くなった』って褒められたい…! 認められたいんだよ……!)
シュウを乗せた船は、タマのいる離島へと向かって走り出した――。
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