第162話 破滅の呪文


 シュウを乗せた船は、葉月島本土から南に800km地点に浮かぶ離島へと向かって行った。
 深夜に本土を出て、到着したのは朝だった。

 船から桟橋へと下りると、近くに山が見える。
 そこにある寺へと向かって、シュウは歩いて行った。

 山の麓へとやって来て、寺へと続く階段を上っていく。
 ここに来るのは約5ヶ月ぶりだ。

(相変わらずここは暖かいな)

 今は12月末。
 本土はときどき雪がちらつくというのに、ここは初夏のような暖かさだった。

 階段の中段まで上って来たとき、寺の方から声が聞こえてきた。

「こらキャロル! ちゃんと気をつけて歩かぬか!」タマの声だ。「そこは蟻が歩いているではないか! 危うく踏み潰すところだったぞ、おまえは」

 続いてキャロルの声。

「和尚さまは完全に踏み潰してますが」

「えっ!? うそ、どこ!?」

「不殺生戒に反しますね、和尚さま」

「うっ…! ふ、踏んでなんかないもん」

「和尚さまが『もん』とか使ったところで可愛くないです。ていうか嘘吐きましたね。不妄語戒(ふもうごかい)に反します」

「う、う、う、うるさいっ! ちゃんと掃除をしろっ!」

「じゃー、さっさとそこどいてくださいよ」

「わ、分かっておる!」

 声を聞く限り、相変わらず元気そうな2匹の声。
 シュウが階段を上りきり、門へとやってくると2匹がはっとして振り返った。

「シュウさん!」

 と、笑顔になったキャロル。

「キャロルちゃん、タマ和尚、お久しぶりです」

「突然どうしたんで――」

 キャロルが言葉を切った。
 血だらけのシュウの服を見て、笑顔が消える。

「シュ、シュウさん!? 大丈夫ですか!?」

 とシュウに駆け寄ろうとしたキャロルの手を、タマが引いた。
 何かとキャロルがタマを見ると、タマの灰色の瞳が困惑したように揺れ動いていた。

 タマが訊く。

「お主、本当にシュウか?」

 キャロルが眉を寄せた。

「どう見てもシュウさんじゃないですか。和尚さま、ついにボケが始まったんです?」

「違うわっ!」

「やだな、和尚さまの介護…」

「違うと言っておる!」

「ぶにゃー、なんて鳴く猫可愛くないっていうか」

「か、可愛いではないかっ!」

 と再び騒ぎ出した2匹のところへ、シュウが歩いて行く。

「突然やって来てすみません。オレ、どうしてもタマ和尚から教えてもらいたいことがあって…」

「……」

 タマはシュウの顔を見つめながら察する。

(破滅の呪文であろうな)

 シュウの服に目を落とす。
 切り裂かれ、半分以上が血に染められていた。

(周りの反対を押し切って来た……か)

 タマはシュウに背を向けると、本堂の方へと歩いて行った。

「…来い、シュウ。こんなところでは何だ」

「はい」

 と頷き、シュウもタマに続いて本堂へと向かって行った。

 中に入り、正座して向き合う。
 少しの静寂のあと、シュウが口を開いた。

「タマ和尚…。単刀直入に言いますが…、オレに破滅の呪文を教えてください」

 そう言って頭を下げるシュウを見つめながら、タマも口を開く。

「…お主が周りの制止を振り切り、ここへやって来たことは分かる。よほど破滅の呪文を要しているのだな?」

「…はい」

「闇の力を持って生まれたならば、本来は破滅の呪文を親から教えてもらうもの。お主はもう子供とは言えぬ年だというのに、知らぬ方がおかしい。よって、私はお主に教えることに抵抗はない。……だが、破滅の呪文を何に使う? ずいぶんと切羽詰っているようだが」

「親父を……」

「父親を?」

 タマの脳裏にリュウの姿が浮かぶ。
 一目見ただけで、強い男だと感じた。
 人間か疑ってしまうほど強い男だと分かった。

「親父を、超えたいんです。親父を超えることは、オレが物心付いたときからの目標です」

「…そうか…、なるほどな」

 とタマが頷く。
 続けるシュウ。 

「そして…そして、親父を超えたら、今度こそ親父は……」

 膝の上、ぎゅっと拳を握り締めた。

「む…?」

「オレのこと『強くなった』って褒めてくれるんです…!」

「シュウ…」タマの目が丸くなった。「おまえ……」

「……」

「ふぁざーこんぷれっくす、というやつか?」

「ちょ、ちがっ…!」赤面し、顔をあげるシュウ。「違いますっ!! ファザコンじゃねーですオレはっ!!」

「はっはっは、照れるな照れるな。可愛いやつめっ♪」

「だから違っ…! オレはっ……!」と、シュウは真剣な顔をして声をあげる。「最強の男に、『強くなった』って認められたいんです!!」

「……」

「一度でいいから最強の男から……親父から、『強くなった』って……!」

 そう言ったシュウの顔を見つめたあと、タマが短く笑った。

「そうか」と言って。「先ほども言ったが、私はお主に破滅の呪文を教えることに抵抗はない。お主は大切な者の制止を振り切り、ここへやって来た。よほどの覚悟があってのことだと分かっている」

「タマ和尚、それじゃあ…!」

「うむ。私はおまえに、破滅の呪文を教えよう」

 それを聞き、顔を輝かせたシュウ。

「ありがとうございますっ!!」

 ともう一度頭を下げた。
 うんうんと頷き、タマは続ける。

「良いか、シュウ」

「はいっ」

「破滅の呪文は――」

 ビシィっ!!

 と、タマの言葉を遮るように、その後頭部に命中したのはキャロルの草履。
 タマが後頭部を押さえながら振り返る。

「なっ、何をするのだキャロルっ!!」

「和尚さまこそ何してんですかっ!!」

 と、本堂の外、顔面蒼白しているキャロル。

「何がだっ!」

「破滅の呪文、口に出して言っちゃったら発動するんじゃないんです!?」

「あ…」

「和尚さま、この島の生物全滅させる気ですか!?」

「く…、口に出して言おうとなんかしてないもん」

「いいえ、してました! 思いっきりしてました! ああ、恐ろしい!!」

「う、うるさいっ」

「憎まれ口叩いてないで、さっさと紙と筆持って来たらどうです!」

「持って来い、キャロル」

「何でわたしが!?」

「う、うるさい、持って来いキャロル。師の命令だっ…。け…決して、足がしびれて立てないわけではないぞ私はっ……」

 それを聞いたキャロル。
 にっこりと笑った。

「そうですね、師匠命令ですもんね。わたしが持ってきますね」

 と本堂の中へと上がり、タマの方へと歩いてきたキャロル。
 正座しているタマの足を、思いっきり踏ん付けた。

 タマ、絶叫。

「ぶにゃあぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!」

「あー、可愛くない鳴き声」

「お、おのれキャロル――」

「おーっと足が滑っちゃったぁ」

「ぶにゃああぁぁあぁぁああっ!! ぶにゃあぁぁああぁぁああぁぁあっ!! ちょ、やめっ、やめてぇぇぇええぇぇえぇぇえぇぇぇえぇぇええっ!!」

 なんて、じゃれ合っているタマとキャロルを交互に見ながら、シュウは遠慮気味に口を開く。

「あ…あの……、早くしてもらっていいっすか?」

 はっとしたキャロル。
 慌てたように本堂の奥へと駆けて行き、紙と筆を持って戻ってきた。

 それを受け取ったタマ。
 破滅の呪文を書きながら、シュウに言う。

「シュウ、おまえはハーフだ」

「はい」

「力が半端な分、破滅の呪文を使えるのは1回ではないだろう」

「はい。そのことなんですが、ハーフの場合は何回使えるんですか?」

「さあな…、私もそこまでは分からぬ。2度かもしれぬし、3度かもしれぬ。父親を超えるという目標のために使うならば、1回だけにしておくのだぞ? お主は男だ。強くなって最強の父親を超えたいという気持ちもよく分かる。だが、破滅の呪文は本当に大切な者を守るときに使うのが望ましいというものだ」

「はい」

「それから…」と、タマはリュウの姿を思い浮かべながら続ける。「お主の父親はとても強いのだろう? ならば全身全霊の力を込めて唱えないと超えられぬかもしれぬ。破滅の呪文の威力を最大限にするため、破滅の呪文以外の魔法は使わない方が良いだろう」

「分かりました」

 と承諾し、シュウはタマから破滅の呪文の書かれた紙を受け取った。
 全て唱え終わるまでに5秒ほど掛かりそうだった。

(5秒…、何とか5秒親父にくっ付いていられれば、オレは……!)

 シュウはそれを畳んでポケットにしまい、立ち上がった。

(親父を超えられる――!)

 再び船に乗り、葉月島本土へと戻って行くシュウ。
 船が見えなくなるまで手を振って見送りながら、キャロルが傍らのタマに訊く。

「あの、和尚さま?」

「む?」

「シュウさんがさっきここへやって来たとき、どうして疑ったんです? 『お主、本当にシュウか?』だなんて」

「ああ、そのことか。シュウの中の闇の力が、この前に会ったときよりも大幅に成長していたのだ。だから一瞬別人のように思えてな」

「へえ」とキャロルが声を高くした。「すごいですね、シュウさん。本当にリュウさん超えられちゃうんでしょうか」

「…分からぬ。リュウは本当に人間か疑うほど強い男だと分かる。だが、シュウのあの闇の力なら充分に超える可能性を持っている」

「そう…ですか」

 頷いたタマ。

「とりあえず、どちらも軽傷では済まぬであろう」

 それだけは確信できた。
 
 
 
 シュウが帰宅したのは午後7時過ぎだった。
 ちょうど晩御飯中だったのか、キッチンの方から腹が鳴りそうな香りが漂ってくる。

 玄関に目を落とすと、大人たち――リュウとキラ、リンク、ミーナ、レオン、グレルの靴はない。
 予定通り、まだリュウとキラが昔暮らしていたマンションへと行っているようだ。

「ただいま」

 とシュウが言うと、キッチンの方から慌ただしくカレンと妹たち、リーナが駆けて来た。
 それぞれシュウに『おかえり』を言ったあと、カレンが訊いた。

「ど、どうだった、シュウ!?」

「うん、無事に教えてもらったよ」

 それを聞き、小さく安堵の溜め息を吐いたカレンたち。
 シュウが訊く。

「母さんの怪我、大丈夫だった?」

「ええ、ママなら大丈夫よ、お兄ちゃん」

 とミラが笑うと、シュウが安堵の表情を見せた。
 それを見ながら、リーナが言う。

「シュウくん、おかんもキラ姉ちゃんもな、リュウ兄ちゃんには言わへんて。シュウくんが破滅の呪文覚えに行ったこと。リュウ兄ちゃん、戦闘どころやなくなってしまうからって…」

「そか」

 とシュウはまた安堵する。
 リュウに破滅の呪文のことを知られてしまったら、超えられずに終わってしまう気がしたから。

「そ、それで…」リン・ランが訊く。「ち、父上といつ戦いますかなのだ兄上っ?」

「明日」

 と即答したシュウに、

「明日っ!?」

 カレンたちが一斉に声をそろえた。
 そして狼狽した様子で言う。

「で、でもシュウっ? 明日はお義父さまとお義母さまの誕生日なのよっ!?」

 サラが短く笑った。

「…ま、いいんじゃないかな。兄貴、早く『強くなった』って言われたいんだもんね。それにもしかしたら、親父にとっても最高の誕生日プレゼントになるかもしれないよ?」

「え…?」

 どういうことかと数秒考えたあと、シュウは思い出した。
   リュウ自身あまり口に出して言わないが、リュウの夢は『シュウを俺に継ぐ超一流ハンターに育てること』だということを。

 カレンが微笑んだ。

「そうね。シュウがお義父さまに『強くなった』って言ったとき、それは同時にお義父さまの夢が叶ったということになるのでしょうね」

 そう言ったカレンの顔を数秒の間見つめたシュウ。

「ああ…、そうだな」

 と微笑んだ。
 
 
 
 大晦日の0時ちょっと過ぎ。
 大人たちが帰宅した。

 それを玄関まで駆けて行って出迎えたシュウ。
 大人たちの顔を見回す。

 リュウはいつも通りだが、キラとミーナは無理矢理笑顔を作っているようにも見える。
 キラから話を聞いただろうリンクやレオン、グレルも平常を装っているように見えた。

「おかえり、親父」

「おう」

「誕生日おめでとう。母さんも」

「おう」

「う、うむ」

 とキラ。
 やっぱり不自然な笑顔だ。

「親父、40歳になったわけ?」

「まあ――」

「いよっ、初老っ♪」

 と言った瞬間シュウは、

 ゴスっ!!

 とリュウの拳骨を食らった。

「い、いってーなっ! 本当のことじゃねーかっ!」

「うるせえ! 俺は永遠にピチピチだ!」

「ちったぁ老けろよ、こえーな…」

 と苦笑したシュウ。
 寝室の方へと向かっていくリュウを、慌てて呼び止める。

「親父っ!」

「あ?」とリュウが眉を寄せて振り返った。「まだ何かあんのか?」

「今日の仕事、休めねーかな」

「はぁ?」と、リュウがさらに眉を寄せる。「何でだよ」

 とリュウに訊かれてから数秒。
 シュウは答えた。

「オレと戦ってほしいから」

「あ…?」

「オレ、親父を超えたいんだ」

「……」

 シュウとリュウの間に流れる沈黙。
 数秒後、口を開いたリュウ。

「…そうか」

 一言そう言っあと、寝室へと向かって行った。
 リュウがその場を去ったあと、キラが口を開いた。

「…覚えてきたのか、シュウ。破滅の呪文を」

「うん…、母さん」

「……そうか」

 と言って、キラがリュウの後を追って行く。

「…か、母さんっ」

 とシュウが呼び止めると、キラが足を止めた。
 振り返らずに言う。

「おまえの気持ちは充分に分かった。ここまで来たら、私はもう何も言わぬ。夜が明けたら、リュウと存分に戦って来い」

「うん…」

「…シュウ、おまえは私の大切な息子だ。リュウもおまえも、笑顔で帰って来ることを願う」

「うん…、ありがとう母さん」

 そう微笑んで言ったシュウの言葉を聞いたあと、キラはリュウを追って寝室へと入って行った。
 ドアを閉め、ベッドに腰掛けているリュウを見つめる。

「リュウ」

「…なあ、キラ」と、リュウが笑った。「シュウの奴、最近またさらに必死に修行してると思ったら、そういうことだったのな。俺を超えようと、必死になってたんだな」

「…ああ」

 と、キラは笑顔を作る。

「あいつ、また強くなったのか?」

「うむ。強くなったぞ」

「そうか」

 とリュウはまた笑った。

(そりゃ楽しみだな)

 と思う。

(今日の俺の誕生日に、今までで一番最高の誕生日プレゼントをくれる気か? シュウ……?)
 
 
 
 翌朝。
 ミーナが瞬間移動でシュウとリュウを無人島へと送って行った。
 シュウたち一同が毎年夏になると遊びに行く無人島だ。

 玄関先、皆に見送られながらミーナと共にシュウとリュウの姿が消えると、キラが口を開いた。

「…リンク、ケリーに連絡して来てもらってくれ」

「お、おうっ…!」と、あたふたとしながら携帯電話を取り出すリンク。「ケリーってことは治癒魔法頼むんやな、キラっ?」

「うむ。破滅の呪文を唱えるとならば、リュウかシュウか、またはそのどちらもか……、重傷は免れない」

「せ、せやなっ…! け、けど、おれらが無人島に行くタイミングはっ……!?」

「大丈夫だ。破滅の呪文が唱えられれば、純粋なブラックキャットは分かるもの。私にはシュウがいつ破滅の呪文を唱えたのか分かる。だから大丈夫だ」

「そ、そうかっ」

 と言い、リンクはまだ就寝中かもしれないゲール宅へと電話を掛けた。
 
 
 
 一方、その頃。
 無人島へとやって来たシュウとリュウ。

 夏ぶりにやってきた無人島の砂浜の上、10mほど距離を空けて向き合っている。
 顔を見せたばかりの朝日が2人の横顔を照らす。

 リュウの顔を見つめながら、シュウは動悸を感じていた。

(親父…)

 前方に立っている最強の男――父親・リュウ。
 やはりこうやって向き合うと、とても威圧感があった。

 でも、シュウはもう怯まない。

 トーナメントバトルで一撃を与えたとき、期待したのに言われなかった言葉がある。
 とても、とても言われたかった言葉がある。

 それは、

『強くなった』

 たったその一言だけ。

 そう、褒められたい。
 そう、認められたい。

 他の誰からでもない。
 最強である父親から、その言葉を言われたい。

 それを言われるには、もうシュウの目標である『親父を超えること』を達成するしかない。

(だからオレは、今……)

 剣の柄にシュウの手が掛かった。

(親父を超える――!)
 
 
 
 
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