第160話 行く手を阻むもの 前編


 文月島でのギルドイベント『全島ハンター・各階級別トーナメントバトル』が終了したのは10日前のこと。
 自宅屋敷にいる大人たち――リュウとキラ、レオン、グレルが一斉にバスタイムへと入って行ったこの日、シュウとカレンは妹たちを自分たちの部屋に集めた。

「いいか、大きな声を出すなよ? 母さんやレオ兄の猫耳に聞こえちまうから」

 と、シュウは口元に人差し指を立てながら、妹たちの顔を見渡した。
 妹たちが承諾して、うんうんと頷くのを確認したあと、シュウは続ける。

「カレンにはもう話してあるんだけど…。…オレ、タマ和尚のところに破滅の呪文を教えてもらいに行く」

 それを聞き、ぱちぱちと瞬きをしたシュウの妹たち。
 サラを除いて絶叫しかけたが、シュウがリン・ランの口を、カレンがミラとユナの口を、サラがマナとレナの口を瞬時に塞いだ。

「大きな声出すなって言ってんだろ…!?」

 ともう一度言うシュウの顔を見上げて頷き、承諾して再びうんうんと頷いたサラを除く妹たち。

 驚いて当然だった。
 サラを除く妹たちは、シュウが闇の力を持っているということをまだ知らされてなかったから。

 サラが言う。

「近いうちにそうするんじゃないかって思ってたよ、兄貴。親父のこと、早く超えたいんでしょ? それで、早く『強くなった』って褒められたいんでしょ? 認められたいんでしょ?」

「ああ…」

 と頷いたシュウの胸元の服を、リンとランが握った。
 その黄金の瞳が困惑したように揺れている。

「あ、兄上っ…? は…破滅の呪文、と、唱えても、だ、大丈夫ですかなのだっ……?」

「おう」と笑い、リン・ランの頭の上に手を乗せるシュウ。「オレはハーフだから、母さんの闇の力には到底及ばねえ。だから破滅の呪文を唱えても消滅するなんてことはねーから安心しろよ」

「そ、そうでしたかなのだーっ…!」

 と安堵して溜め息を吐いたリン・ラン。
 同時にミラや三つ子も安堵したようだった。

 シュウが続ける。

「だから、オレは大晦日の前日――大人たちがいない日にタマ和尚のところへと行くわけだけど、おまえたち言わないでくれるか? 大人たち――親父や母さん、リンクさん、ミーナ姉、レオ兄、グレルおじさんに」

 リン・ラン、サラと承諾する。

「分かりましたなのだ、兄上っ」

「もちろんだよ、兄貴。リーナにも言っておく」

 レナ、マナも続いた。

「分かったよ、兄ちゃん。兄ちゃんが破滅の呪文唱えると思うとちょっと怖いけどっ…!」

「兄ちゃんのためだもんね…。分かったよ、兄ちゃん…」

「サンキュ」

 と、サラやリン・ラン、マナ、レナに笑顔を向けたシュウ。

 戸惑っているミラとユナに顔を向けた。
 ファザコンの2匹は、リュウのことを気にしているのだろう。

「お、お兄ちゃん、パパに内緒でなんて、そんな…。…ね、ねえ、ユナ?」

「う、うん……」

 カレンが口を開いた。

「お願いよ、ミラちゃん、ユナちゃん。お義父さまやお義母さま、リンクさん、ミーナさん、レオンさん、グレルおじさまにバレてしまったら、シュウは破滅の呪文を覚えられないのよ」

「でもカレンちゃ――」

「お願いよ」と、ミラとユナの言葉を遮り、カレンは続ける。「シュウはお義父さまを超えて、お義父さまに『強くなった』って褒められたいのよ。そう認められたいのよ。それには破滅の呪文が必要なの。お願いよ、ミラちゃん、ユナちゃん…! お願い……!」

 とカレンに懇願され、ミラとユナは顔を見合わせて困惑する。
 その頭の上に、シュウの手が乗った。

 シュウがカレンに続く。

「頼むよ、ミラ、ユナ…! 今のオレには、破滅の呪文が必要なんだよ。だから頼むよ…! オレ、親父を超えたいんだ……!」

 必死なシュウの顔を見つめ、また困惑しながら顔を見合わせたミラとユナ。
 数秒後、そろって頷いた。

 ミラ、ユナと言う。

「わ…、分かったわ、お兄ちゃん。私たちもパパたちには内緒にしておくわ」

「だ、だから…、破滅の呪文、覚えてきてっ…! そして、パパに『強くなった』って褒めてもらって……!」

「おう。ありがとな、おまえたち」

 そう言って微笑み、シュウの腕がミラとユナを抱き締める。
 カレンが時計を気にしながら言う。

「お義父さまたち、そろそろバスタイムを終えるかもしれないのですわ」

 それを聞いた妹たち。
 はっとして慌てたように各々の部屋へと向かっていく。

 だが、戸口のところでサラとマナが足を止めていた。

「どうした?」

 と、首をかしげたシュウ。
 サラが俯きがちにシュウのところへと戻ってきて、シュウの肩に額をつけた。

「サラ…?」

「…ご、ごめん…、突然怖くなった……」サラの声が少し震えている。「あ…兄貴、本当に大丈夫だよね…? は…破滅の呪文唱えて、死んだりしない…よね……?」

「大丈夫だって言ってんだろ」

 と溜め息を吐いたシュウ。
 サラの身体を抱き締めながら、改めてサラはリュウ似だなと思う。

「大丈夫よ、サラ。大丈夫」とサラを宥めたあと、カレンが戸口に立っているマナに顔を向けた。「マナちゃんはどうしたのかしら? あ、やっぱり怖いのっ…?」

「……」

 首を横に振ったマナ。
 シュウとカレンの顔を見て、口を開いた。

「…話ずれるけど、変なもの頼まれたなあと思って…」

「え?」

 とシュウとカレンが声をそろえると、マナが続けた。

「今月、ミラ姉ちゃんとレオ兄、グレルおじさんの誕生日パーティーでしょ…?」

「うん?」

「レオ兄から変な薬頼まれたんだよね…」

「へ?」と眉を寄せて振り返ったのはサラだ。「変な薬って、どんな薬?」

「変な薬っていうか…、強めの睡眠薬を人間用で…。強めっていっても、もちろん死なない程度にだけど…」

 サラに続き、シュウとカレンの眉も寄る。
 シュウが言う。

「強めの睡眠薬・人間用? レオ兄、誰に使う気なんだろ」

「人間用でしょう?」と、カレンが続く。「あたくしたちの中で人間て言ったら、あたくしとお義父さまとリンクさん、ミヅキくんよね」

「おい、カレン。グレルおじさん忘れてるぞ」

「あらいけない。グレルおじさま熊さんじゃなかったわ」

「うーん、うーん…」と唸るサラ。「レオ兄、何考えてるんだろう。アタシにも言わないなんて…。……って、あっ!」

 ぱちんと指を鳴らした。

「大晦日の前日に、親父に飲ませるんだよ、きっと! ほらさ、その日の親父は尋常じゃないだろうから、落ち着かせるために飲ませるんじゃないかな」

「ああ」と声を高くしたシュウとカレン。「なるほど」

 と納得した。
 続いて納得したらしいマナが、自分の部屋へと戻っていく。

「おやすみ…」

 と言ってから。

「アタシも部屋戻るわ」

 と言ったサラ。
 戸口まで歩いて行って、またシュウに振り返った。

「あ…。ねえ、兄貴? 身体、大丈夫なわけ?」

「ん?」

「最近、また修行の量増えたから」

「おう。トーナメントバトルのときみたいに、破滅の呪文を唱える前にボロボロにされてられねーからな。それに、オレはほとんど親父に近寄れなかったから…。破滅の呪文って、全て唱え終わるまでどれくらいの時間を要するのか分からねえけど…、親父にくっ付いて唱えないとダメだと思うんだよ」

「たしかにね。ちょっとでも距離があったら親父は防御の態勢を取るか、瞬時にその場から逃げ出すからね。破滅の呪文を唱えるにしても、親父にしがみ付いて唱えないと倒せない……か」

「そういうこと」

 と言ったシュウの顔を数秒の間見つめたあと、レオンの呼ぶ声が聞こえてきてサラは部屋へと戻って行った。

 2人きりになった部屋の中。
 カレンはシュウの首に手を伸ばして抱き締める。

「カレン? …おまえも怖いのか?」

 シュウに抱き締められながら、カレンは答える。

「まったく怖くないと言ったら嘘になるわ。消滅することはないものの、あなたはその呪文で傷付いてしまうのですもの。怖いに決まっているわ」

 困惑するシュウ。

「ごめん…」

 と呟いた。

「……でも」とカレンが続ける。「思うように行かなくて、苦しくて、もがいているあなたを見ていることの方がとても辛いわ。だから…、破滅の呪文をタマ和尚さまから教わってきて。そして、お義父さまを超えて、『強くなった』って褒めてもらって…。認めてもらって…、シュウ。あたくしは、あなたの喜んだ顔が見たいわ」

「…うん」と微笑んだシュウ。「ありがとう。オレ、カレンが嫁さんで良かった」

 そう言って、妻に口付けた。
 ついでに、

「フィーバァァァァァァァァァァァァァァっ!!」

 イトナミもした。
 
 
 
 トーナメントバトル以来、さらに修行を増やしたシュウ。
 修行は早朝5時から始まり、通常ならば8時間は掛かろう仕事をその半分で終わらせ、帰ってきて日付が変わる時刻までまた修行に励む。
 そのあとしっかりとイトナミもしてから眠るが。

 リュウとキラの誕生日――大晦日の2日前、つまりシュウがタマのところへと行く前日のこと。
 大人たちが明日0時を回ったときから家を開けるということで、この日のシュウの修行はいつもより1時間ほど早く切り上げられた。

 裏庭から玄関の方へと向かって歩いて行きながら、キラが傍らを歩くシュウに言う。

「トーナメントバトルのときから、またずいぶんと成長したものだなシュウ」

「そ?」

「ああ」

「そかっ…」

 と笑ったシュウの顔を見ながら、キラが続ける。

「良いか、シュウ。おまえは剣術と、リュウから受け継いだ力で強くなれ」

 その台詞を、キラはトーナメントバトル以来たびたび口にしてきた。
 そのつど適当な返事をしてはぐらかすシュウ。

 一度たりとも、承諾はしかなった。

 闇の力――破滅の呪文は使わないと、約束しなかった。

(オレは明日、タマ和尚のところへと言って破滅の呪文を教えてもらう。そして、それを使って親父を超えるんだ)

 日付が変わるまでに、あと約1時間。
 大人たちがこの屋敷からいなくなったのを確認したあと、シュウは港へと向かう。
 そして葉月島の離島――タマがいる島へと向かって出航する船に乗る予定だ。

(ごめん、母さん…。ごめん…、ごめん……)

 胸が痛むのを感じながら心の中で何度もその言葉を繰り返し、シュウは屋敷の中に入り自分の部屋へと向かって行った。
 汗だくになった服をカレンに渡し、備え付けのバスルームに入ってシャワーを浴び、部屋に出る。

 するとカレンがクローゼットを開けて、シュウが新たに着る服を選びながら訊いた。

「お義父さまたちがミーナさんの瞬間移動でお屋敷から出て行ったあと、リーナちゃんがお屋敷に来て、そして瞬間移動でシュウを港まで送ってくれるのよね?」

「うん。帰ってきてまたここ葉月島本土に着いたらリーナに電話して迎えに来てもらうよ」

「何時ごろに本土に戻ってくる予定?」

「大晦日になる前には、必ず戻ってくる」

 そう言って、シュウはカレンが持ってきた服を身に着け、剣を腰に装備した。

 やがて時刻は0時を回り。
 耳を済ませるとミーナの声が聞こえてくる。

「ミーナとリンクが来たぞーっ!」

 ここから隣の隣の部屋――サラ・レオンの部屋のドアが開いたのが分かった。
 レオンのものだろうスリッパが1階へと下りて行く音が聞こえてくる。

 少しして2階へと向かって言っただろうキラの声。

「では留守を頼んだぞ、おまえたち」

「うん、いってらっしゃい」

 と、部屋にこもったまま声を大きくして言ったシュウ。
 妹たちの部屋からもそんな声が聞こえた。

 1階から大人たちの気配が消えたあと、シュウは部屋から出た。
 同時に妹たちの部屋のドアも開く。

「行くのね…、お兄ちゃん」

 と、ミラ。
 シュウが頷くと、サラが携帯電話を手にした。

「もしもし、リーナ。いいよ、来て」

 とサラが言い終わるか終わらないかのうちに、リーナが玄関先に瞬間移動で現れた。
 そこから2階に向かって叫ぶ。

「行くで、シュウくん! 船が出るまでに、まだ少し時間あるけどな! もう行っててもええやろ!」

「おう」

 と返事をしたシュウ。
 緩やかな螺旋階段を下りて玄関に辿り着いた。

 靴を履き、妻や妹たちの顔を見回す。

「それじゃ、行ってくる。留守の間気をつけろよ」

「ん、任せて兄貴。アタシだってもうか弱くないしさ」

 とのサラの言葉を確認したあと、シュウはリーナの瞬間移動で自宅屋敷を後にした。

 シュウとリーナがいなくなって数秒の間、屋敷の中が静まり返った。
 玄関先に立ったままのシュウの妹たち。

 リン・ランが最初に口を開いた。

「本当に行ってしまいました…なのだ……」

 サラがリン・ランの頭の上に手を乗せる。

「大丈夫だよ。兄貴は破滅の呪文を唱えたって、死んだりしないから」

「……」

 無言で頷き、部屋へ戻ろうと階段の方を向いたリン・ラン。
 びくっと肩を振るわせた。

「――は、母上っ…!」

 リン・ランのそんな言葉に、はっとして振り返ったカレンとシュウの妹たち。
 2階へと続く階段の中間のところ。

 キラとミーナが立っていた。

「お…お義母さまっ…!」と戸惑いながら声をあげたカレン。「ど、どうしてまた戻ってっ…!? お義父さまと昔暮らしていたマンションへ行ったのではなかったのですかっ……!?」

 カレンとシュウの妹たちの顔を1人1人、無言で見つめるキラ。
 いつもは無邪気で温かな黄金の瞳が、冷たく光っているようにも見える。

「玄関先で何をしている? おまえたち?」

 そう訊きながら、ミーナと共にゆっくりと階段を下りてくるキラ。

 マナが訊く。

「マ…ママ、パパはどうしたのっ…?」

「眠らせた。マナ、おまえがレオンの誕生日にやった睡眠薬を飲ませてな」

「――」

 先月のレオンの誕生日、マナに強めの睡眠薬(人間用)を求めたレオンに、疑問を抱いたシュウとカレン、サラ、マナ。
 そのときは、この日――大晦日の前日、尋常ではなくなってしまうだろうリュウを落ち着かせるために飲ませるのだろうと思い、その疑問は晴れた。
 実際、それは外れてはいないのだろう。

 だが、真の目的は違った。
 リュウを眠らせ、その隙にこうやって確認するためだった。

 シュウの様子がちゃんとここにあるか、確認するためだった。
 シュウの考えていたことは何もかもキラにばれていたのだと、カレンや妹たちは気付く。

「…シュウの靴がないな」

 と、玄関へと降りてきたキラ。
 悪あがきだと分かっていても、カレンは必死に嘘をつく。

「シュ…、シュウはお買い物へ行ったのですわ、お義母さまっ! コンビニへっ!」

「そ、そうですなのだ母上っ!」と、リン・ランが続いた。「あ、兄上は、コンビニへわたしたちが頼んだプリンを買いに行きましたなのだっ!」

 まるでカレンやリン・ランの言葉を聞いていないかのようなキラ。
 ミーナに顔を向けた。

「ミーナ、港へ瞬間移動を頼む」

「マっ…、ママ待って!」と、サラがキラにしがみ付いた。「お願い、兄貴のこと行かせてあげてよっ!」

「離せ、サラ」

「兄貴は、破滅の呪文が必要なんだよっ!」

「……させぬ」そう呟いたキラ。「破滅の呪文など、覚えさせはせぬ!!」

 そう声をあげ、サラの身体を突き飛ばした。
 飛ばされたサラの身体は後方にいた三つ子に当たり、4匹まとめてドアの外へと吹っ飛ばされる。

 シュウのところへと行かせまいと、続いてキラにしがみついたカレンとミラ、リン・ランだったが、

「私の子供たちにはっ…、リュウの愛する子供たちには、破滅の呪文など必要ないのだ!!」

 やっぱりあっさりと突き飛ばされ、床に倒れこんだ。
 その隙にキラは、

「ミーナ、港だ。急げ」

 その場から姿を消してしまった。
 
 
 
 リーナの瞬間移動で港へとやって来たシュウ。
 船の出航までにまだ時間があった故に、外でリーナと立って話をしていた。

 そこへ、後方から聞こえてきた声。

「こんなところで何をしている?」

 生まれた時からずっと聞いてきたその声に、シュウの肩が小さく跳ね上がった。
 リーナの足はぴょんと地から離れた。

 恐る恐る振り返る。

「――か…母さんっ……!」

 シュウとリーナの前方、約5mのところにキラと、それからミーナの姿があった。

「お、おかんっ…! な、何でここにおんねんっ!」

 とリーナがぎょっとしながら言うと、ミーナが眉を吊り上げた。

「おまえは何をしているのだ、リーナ! おかんは許さぬぞ!」

「ゆ、許さぬって――」

「シュウ」

 リーナの言葉を遮ったキラ。
 突然、微笑んだ。

 いつも見る優しいその微笑を、シュウはこの時だけは恐ろしいと感じた。

「…か…母さん?」

 と、たじろぐシュウ。
 リーナは逃げるようにシュウの背に回る。

 変わらず微笑んでいるキラが言った。

「母上の言葉を忘れたとは言わせないぞ、シュウ?」
 
 
 
 
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