第5話 捨て人形 後編


 隆志の部屋の玄関に入ると、舞がそこに雨に濡れたダンボールを置いた。中から2体の人形を取り出し、リビングダイニングへと向かって行く。

「隆志、タオル持って来て」

 と言いながら。承諾した隆志はバスルームに入り、3枚のタオルを取り出してからリビングダイニングへと向かった。3枚のうちの2枚は、雨に濡れた舞と自分の分。もう1枚用意したのは、人形の分もいると察したからだ。

「ありがと、隆志」

 案の定、舞が自分の身体よりも先に、濡れた人形の顔をタオルで拭う。それを見、隆志は呆れて溜め息を吐いた。

「風邪引くから、先に自分の身体を拭きなよ。ていうか、服貸すから着替えて来なよ。制服濡れて冷たいでしょ?」

「お人形さん拭いてあげてからぁ」

「僕が拭いておくから」

 と隆志がもう一度溜め息を吐くと、舞が承諾して寝室へと向かって行った。服の場所は昨日片付けの手伝いをしてくれたから分かるようだ。
 隆志はタオルで自分の頭をがしがしと大雑把に拭いたあと、タオルを首に掛けて2体の人形の傍らにしゃがんだ。人形の顔も身体も髪の毛もドレスも、雨に濡れてびしょびしょだった。

「……人形とはいえ、たしかにこのままじゃ可哀想だな……」

 そう呟くと、隆志は白と赤のドレスを着た2体の人形のうち、白いドレスの人形の方を持ち上げた。男である隆志にとってそれは決して重いものではないが、それは大体1.5リットルのペットボトルの重さくらいだった。濡れたブロンドの長いウェーブヘアをタオルで拭いてやりながら、改めてその顔を見つめてみる。
 優しい微笑を浮かべた、垂れ目がちな愛らしい顔立ち。髪の毛よりも細く繊細な睫毛。きめ細かな桜色の頬。花弁のような唇。そして、ガラスで出来た瑠璃色の瞳。
 改めて思う。

「綺麗な目…。吸い込まれそうだ……」

 その時、拭いていた人形の髪の毛がズルッと頭から取れ、隆志は「うわっ」と声を上げて驚愕した。一瞬にて目の前の人形がつるっ禿げに。

「な、ななな、なんだコレ…!? ふ、不良品の人形なのか……!?」

 と思って赤いドレスを着た方の、色違いの朱色をした髪の毛を引っ張ってみると、やっぱりこっちも髪の毛がズルッと頭から取れた。

「うわ、こっちもハゲ」

 ということは、どうやら不良品というわけではないらしい。2つの髪の毛を調べてみると、頭の裏の部分にネットが付いており、それはウィッグのようだった。

「そ、そうか、カツラを被せる人形なんだ。ああ、驚いた……」

 驚愕のあまり波打つ心臓を落ち着かせたあと、隆志は手に持っている人形の白いドレスに目を落とす。びしょびしょに濡れてしまっているから、脱がして乾かさないといけない。だが、人形の背にあるファスナーに指を掛けたまま止まってしまう。

「に…人形の女の子が相手とはいえ、男の僕がこんなことしていいのだろうか……」

 そんなことに罪の意識を感じてしまう故に。そのまま少しして背後から「あれ?」と舞の声が聞こえて来、隆志は安堵して振り返る。

「ああ、良かった、舞……」

 と、隆志のTシャツとジャージのズボンに着替えてきた舞に。当然舞には隆志の服は大きく、袖やズボンの裾からちょこんと少しだけ指先が覗いていた。

「人形の服、脱がせてやってほしいんだけど」

「うん、分かったぁ。ていうか、隆志? そのお人形さんの髪の毛……」

「ああ、うん。どうやらカツラ被せる人形みたい」

 と隆志が言うと「へえ」と声を高くした舞。興味津々と人形のウィッグを手に取って見たあと、隆志から白いドレスの人形を取った。その7、8cmほどの小さな白い靴を脱がせ、掌に乗せて瞳を煌かせる。

「きゃー、可愛いっ! 小さくてもよく出来てるんだぁ」

 さらに赤いドレスの人形の赤い靴も脱がせて瞳を煌かせたあと、舞がようやく2体の人形のドレスを脱がし始めた。それを見て慌てて背を向け、隆志は寝室へと向かって行く。

「ぼ、僕も着替えてくるっ……!」

 濡れた制服を脱ぎ、ハンガーにキャメルのブレザーと赤いタータンチェックのズボンを掛ける。それを、クローゼットから適当にTシャツとズボンを出して着たあと、壁に掛かっていた舞の制服と一緒にリビングダイニングに持っていった。そこの壁に並べて掛け、肌寒い室内に暖房を入れる。

「寝室より、こっちの方が乾きやすいからね」

 と舞の方に振り返ると同時に、裸にされた2体の人形が目に入って、隆志は再び慌てて背を向けて寝室へと戻って行った。

「に、人形にもなんか服持ってくるっ……」

 と言っても、60cm弱ほどの人形には明らかに首周りが大き過ぎて抜けてしまいそうだった。仕方ないので、バスルームからもう2枚乾いたタオルを取り出して持っていく。

「舞、これ人形の身体にまいてやって」

「タオルっ? 寒そうで可哀想なんだけどぉ」

「仕方ないだろ、僕の服じゃ大きすぎるんだから。それに暖房つけてるから大丈夫。――っていうか、人形が寒がるわけないじゃん!?」

「だってこの子たち、生きてるみたいなんだもん」

「……」

 顔色失う隆志に「ウソウソ」と言って笑った舞が、人形の胸からタオルを巻いてまるでお風呂上りの女の子みたいな図にしたあと、隆志に脱がせた白と赤のドレスを渡した。

「このままじゃ、雨染み付いちゃうから洗ってきてぇ。洗濯機でゴーゴー洗うんじゃなくて、手洗いで優しくね♪」

 何で僕がそこまで、と抵抗しようとした隆志に襲い掛かる、美少女・舞のとても愛らしい笑顔はメガトンパンチ級。昔っからそうであるが、なんと強烈なことか。昔っから何度も何度もこれにやられてきた。抵抗しようとした隆志の心は呆気なく宇宙までぶっ飛ばされ、気付けば独りバスルームの洗面器で人形のドレスを洗っていた。

「ああ…、僕ってまたこれから舞に振り回されるのかな……」
 
 
 
 
 洗った人形の白いドレスと赤いドレスは、リビングダイニングの壁に掛けてある隆志と舞の制服の傍らに干した。乾く間、隆志のノートパソコンを開いて人形のことを調べていた舞が仰天した様子で声を上げる。

「わぁ、凄い! 隆志、この子たち値段10万近くするみたいだよ!」

「じゅ、じゅうまん……!? たしかにちょっと高そうだとは思ったけど、ぼったくりじゃないのかそれ!?」

 と隆志も続いて仰天したあと、舞が「それで」と続けた。

「何で出来てるのかなぁと思ったら、ウレタン樹脂だって。レジンキャストとかいう成型方法で作るとか何とか。あと、手足の関節部分が球体になってたんだけど、こういうのって球体関節人形っていうんだってぇ」

「ウレタンじゅ…? レジンキャ…? きゅうたいかんせつにん…ぎょ……?」

 と聞き慣れない言葉に隆志が首を傾げていると、インターホンがなった。隆志がリビングの戸口にあるカメラ付きインターホンから訪問客の顔を確認すると、それは大輝だった。

「あ、的場先輩だ」

「えっ……!?」

 と、うろたえた声をあげた舞を見、隆志は苦笑する。すっかり気に入ったらしい人形とまだ遊んでいたいのだろう。2体の人形をひしと抱き締めている。

「ダメだよ、舞…。ちゃんと的場先輩に渡さなきゃ……」

 隆志が玄関に向かってドアを開けると、そこに立っていた大輝の方から口を開いた。

「隆志、おまえの部屋にさ……」

「はい?」

「その――」

 と言葉を切った大輝。玄関に置いてある『お願いします』と書かれたダンボールを見、呟いた。

「やっぱりな……」

「えっ?」

「おまえ、人形拾っただろ」

「あっ、すみません! 勝手に持ってきちゃって……! あれ、でも何で僕の部屋に持ってきたって分かったんですか?」

 という隆志の疑問には答えず、

「ちと邪魔するぞ」

 と、大輝が靴を脱いで中に上がり、そして迷った様子なくリビングダイニングへと向かって行った。
 やって来た大輝を見、舞が腕に抱いている2体の人形を隠すように背を向ける。

「ま、的場先輩、おかえりなさいっ…! 今日あたしたち新入生の入学式のあと、どこかに遊びに行っていたんですかっ……?」

「いや、バイト。おれ土日以外は学校の帰りにバイトしてるから」

「そ、そうなんですか、大変ですねっ……」

「もう慣れた。……それより、舞ちゃん」

 と大輝に呼ばれ、舞の肩がびくついた。

「は、はい……?」

「それ、見せて」

「な、なんのことです……?」

「おれ宛の人形のこと。大丈夫、取り上げたりしないから」

 と大輝が言うと、少し閉口してから舞が振り返った。舞の腕に抱かれている人形を数秒ほど見つめ、大輝がふと微笑む。

「ありがと。もういいよ」

「え?」

 と隆志と舞が声を揃えて大輝の顔を見た。隆志が訊く。

「的場先輩、もういいってどういう意味ですか? この人形たち、先輩のご実家に供養に出されたんでしょう?」

 うんと頷いた大輝が苦笑した。

「困ったことにさ、うちの寺の噂聞きつけて、たまーにおれのアパートの前に人形捨てていく人いるんだよな。うちの寺、人形供養をボランティアでやってるわけじゃなく、有料なのにさ……」

「いえ、そんなどうでもいいことが聞きたいのではなく」

「どうでもよくねーし!?」

「こ、この2体の人形、供養しなくていいんですか……!?」

 と不安と恐怖に瞳を揺れ動かす隆志を見て、大輝が笑った。

「必要ねーよ、この子たちには。住職やってる親父よりずっと霊感があるおれが言うんだから、間違いない」

 という言葉を聞いた隆志は安堵する。供養が必要ない=『中身入りではない』人形という意味に捉えたから。
 大輝が続ける。

「そうだ、おまえらこの子たち一体ずつ持っておけよ」

 隆志が「は?」ときょとんとする一方、舞が「えっ?」と声を上げて笑んだ。

「いいんですか、的場先輩っ? あたしたちが、このお人形さんもらってもっ?」

 うんと頷いた大輝が、一呼吸置いて続ける。

「人形っていうのはさ、大切にすればするほど災いから持ち主を守ってくれるものなんだよ。身代わりになって、持ち主を守ってくれるんだ」

 そう語る大輝の瞳には、2体の人形の姿がどう見えているのだろうか。どこの誰の人形と重ねて見ているのだろうか。2体の人形をとても愛おしそうに見つめて微笑んでいる。そして2体の人形の頭を撫でると、「じゃあな」と言って玄関へと向かって行った。
 それを見、舞が「あっ」と声をあげて追いかけていく。

「的場先輩、あのっ……!」

「ん? ああ、いいよ舞ちゃん。この人形が入ってたダンボールはおれが片付けておくから」

「いえ、あの、そんな面倒なことなんてもちろん押し付けますけどぉ」

「押し付けるのかよ!?」

「夕食、どうするんですか? 良かったら隆志の分と一緒に、あたしが作りますけど」

「ありがとう、舞ちゃん」と笑った大輝だが、すぐに「でも」と続けた。「おれにも、待ってくれてる奴らがいるから」

「え……?」

 と首を傾げる舞に笑顔を向けたあと、大輝は玄関のドアを閉めて自分の部屋――201号室へと向かって行った。
 リビングから顔を覗かせて大輝を見送った隆志に振り返り、舞が訊く。

「ねえ、隆志? 的場先輩って、一人暮らしだったよねぇ? 彼女でも来てるのかなぁ?」

「でも、待ってくれてる『奴ら』って、複数形だったよ」

「じゃあ……『待ってくれてる奴ら』って、愛香さんと大河さんとかいうロボットのこと?」

「う、うーん……」

 と唸り、閉口した隆志。少しして、再び口を開いた。

「あのさ、舞。さっきの話の流れから、何となく思うんだけど…。『待ってくれてる奴ら』っていうのは愛香さんと大河さんのことで、そしてやっぱりそれはロボットじゃなくて……」

 人形なんじゃ――?
 
 
 
 
 大輝が自分の部屋――201号室のドアの鍵を開けて中に入ると、腹の虫が鳴りそうな料理の香りが鼻をくすぐった。途端、目の前の廊下を突き当たったところにあるリビングダイニングの方から聞こえて来た、20代かそこらの男の声。

「あっ、大輝さま、おかえりなさいませ!」

 続いて、同じく20代かそこらの女の声。

「おっそーい、大輝! 何してたわけ!?」

 そして、小型犬や猫並に軽い足音を立て、リビングダイニングから飛び出して駆け寄ってくる一組の男女。玄関に立ったままそれを見つめる大輝の顔は、下へ、下へと傾いていき、仕舞いにはほぼ真下を見る形になった。
 大輝の瞳に映る、こちらを見上げて立っている一組の男女。男の方は、外見年齢10代後半から20代前半で、黒髪にクールなシルバーグレイの瞳をした、柔和な顔付きのアジア美男。女の方は、外見年齢は20代前半から半ばで、焦げ茶色の巻き髪にすみれ色の瞳、ぽってりとした唇が艶っぽい気だるそうな顔付きをしたアジア美女。身長が60cm強しかない彼らは、小人でもなく、人間でもない。
 2体の、人形――

「ただいま。大河、愛香」

 と、大輝が声を掛けると、男の人形――大河の身体の中から、さっきの男の声が聞こえてきた。

「おかえりなさいませ、大輝さま。本日のご夕食は、大輝さまのお好きな煮込みハンバーグをご用意致しました。今すぐテーブルにお持ちいたしますね!」

 と大河が、大輝の学校指定の合皮製スクールバッグを両手に抱え、タキシードの上にフリフリハート型エプロン姿で背を向けて駆けて行く姿を見、大輝は苦笑しながら足元にいる愛香に顔を向けた。

「もしもし、愛香サン? アナタの仕業っすね? あのエプロンは男にはきついと何度言えば……」

 大河に続いて女の人形――愛香の身体の中から「だって」と、さっきの女の声が返ってくる。

「何の変哲もないただのエプロンより、ああいう方が可愛いじゃん♪」

「ああ、可哀想な大河……! まあ、何かちょっと逆らったらぶん殴られそうな感じがする愛香よりは似合ってるけど――って、いででででで!?」

「今なんか言ったー? えー?」

「ご、ごめんなさい許してください愛香サマ! 今日のカクテルドレス、超お似合いっすこの世一っす美しすぎておれ失神しそう! いくら小さくともハイヒールで爪先グリグリはイテェェェェェェェ!!」

 ふん、と鼻を鳴らし、踏んでいた大輝の靴から足を離した愛香。その小さな顔を上下に動かし、大輝の全身を見つめて続けた。

「別に何もなかったようね」

 そう少し安堵したような声に、大輝はふと微笑んで愛香を片腕で抱き上げた。靴を脱ぎ、リビングダイニングの方へと向かっていく。

「そうやって確認しなくたって、愛香はおれに何かあったら離れていても分かるだろ?」

「まあ、そうだけど。今日、午前中で学校終わるって言ってたのに遅いから」

「入学式のために体育館にやって来た新入生の席案内が終わったら、今日はすぐバイトに行くって言ったじゃん、おれ」

「そうだっけー?」

「そうだよ。ったくもう、愛香は……」

 と溜め息を吐き、大輝はリビングダイニングのテーブルに着いた。愛香を隣の椅子に座らせ、大河が本日の夕食――煮込みハンバーグとサラダ、ライスを運んで来、向かいの椅子によじ登って腰掛けてから、「それで」と話を切り替える。

「昨日さ、下に越してきた鈴木隆志いるだろ?」

「ああ、昨日は居留守の命に背いてしまい、本当に申し訳ございませんでした……」

 と言葉通り申し訳なさそうな声を出す大河を、大輝は苦笑しながら宥める。

「いや、大河は気にすんなって。居留守を使えって言ったおれの命令に背いたのは、愛香なわけだし……」

「だぁって、ピンポンピンポンうるさかったんだもん」

 そう尖った声で言う愛香を見て大輝はさらに苦笑したあと、「んで」と話を戻した。

「隆志と、それからその幼馴染みらしい舞ちゃんがさ、おれ宛に持ってこられた2体の人形のオーナーになることになったんだ、さっき。たぶんだけど」

「へえ」と声を高くした愛香が訊く。「それ、供養しなくてもいい人形だったわけ。どんな人形?」

「愛香や大河と同じ、レジンキャスト製の球体関節人形。おまえらより頭半分ほど小さくて、どっちも外国人か、またはハーフの少女みたいな、可愛い顔してた」

「そうですか。それで」と、今度は大河が興味深そうに訊く。「供養をしなくてもいいということは、彼女たちの中には魂が入っていなかったということですか?」

「いっただっきまーす」

 と、大河が作ってくれた煮込みハンバーグを一口食べ、「うーん」と至福の意味で唸った大輝。味わって飲み込んでから、大河の質問に答えた。

「いや、入ってたよ、魂。あの子らの中に入ってるのはおまえらと同じで、死んだ人間――どこかの少女の、魂だ」
 
 
 
 
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