第6話 異変


(僕、高校生にもなった男なのに、こんなもの持ってるってどうなの……)

 と舞が帰ったリビングダイニングの中、隆志は椅子の上の『こんなもの』と向き合って苦笑する。その『こんなもの』というのは、人形だった。さっきまでアパートの階段の前に捨てられていた2体の人形のうちの、片方――白いドレスを着た方。隆志が洗ってやった白いドレスは小さな分、暖房を入れたリビングの中でそう時間掛からずに乾き、今はもう再びそのドレスを着ている。

(舞に2体とも持って行ってって、言ったのに……)

 舞からは「ダメ」と返事が返ってきた。

「あたし、重くて家まで2体も持って帰れないもん。それに、的場先輩に一体ずつ持ってるよう言われたじゃん。お人形は大切にすればするほど、持ち主の身を守ってくれるんだってよぉ?」

 なんて、占いとかおまじないとか大好きな女子高生の舞はすっかり信じた様子だったが、現実的で常人の隆志に大輝の言葉は受け入れ難かった。もし本当だとしても、とことんホラーが苦手な隆志には気味悪く感じてしまうことだし。
 ちなみに、白いドレスの人形の方が隆志のところに残った理由は、

「白いドレスの子と、赤いドレスの子、どっちがお気に入り? どっちも別に、とか無しね」

 と舞に訊かれて少しの間迷ったあと、隆志が「こっち」と白いドレスの人形の方を指差したからだった。

「瑠璃色の瞳が綺麗だから」

「そっか」と、うんうんと頷いた舞は、続けてこう訊いた。「じゃあ、この白いドレスの子に名前を付けるとしたら何?」

 白いドレスの人形を見つめ、隆志はさっきよりも少し長く迷ったあと、脳裏に浮かんできた名前を口にした。

「アリス……かな」

「なんか単純なのぉ」

「う、うるさいな」

「じゃーこっちの赤いドレスの子は、アリサにしようかなぁ♪」

「似たような名前じゃん」

「だって雰囲気が似てるんだもん、この子たち。名前も似たようなのがいいと思って。あたしはアリサを持って帰るから、アリスのことよろしくね隆志ぃ♪」

 というわけで、白いドレスの人形――アリスのオーナーになった隆志である。

(ま、どうせその内、舞がもう一体欲しいとか言ってこっち――アリスも取りに来るよな)

 と思い、とりあえずこのままでいることにした。隆志は椅子に座らせているアリスの前から離れると、リビングダイニングを出てバスルームへと向かって行った。途中、「ふあぁ」と口元を手で押さえながら欠伸をする。昨夜は大輝の『中身入り』人形説が恐ろしくてあまり寝付けなかった上に、今日は入学式や捨て人形の世話等で妙に気疲れし、ついに睡魔が襲ってきたようだった。

「今日はもう、風呂入って寝よう……」

 入浴後、リビングダイニングのテーブル――アリスが座っている椅子の前に、パンとトースターを持ってきて置いた。一人暮らしとなれば朝は尚のこと時間がない故に、今の内に用意しておく。おかずも欲しいところだが、料理をしたことのない隆志は作れる自身がなかった。

「今までは母さんに熱い味噌汁ぶっ掛けられたり、おたまで頭かち割られそうになったりして朝は目を覚ましてたけど……。でも、朝起きてご飯があるって、有難いことだったんだなぁ……」

 と一人暮らし早々にそんなことが身に沁み、小さく溜め息を吐いた隆志。リモコンでリビングダイニングの電気を消すと、廊下に出て寝室へ入って行った。暗い部屋の中、ベッドを手で探って布団に入る。その時に、ふと、

(上からロボット……いや、人形の足音が聞こえてきたりして……!?)

 と昨夜に続いて兢々としてしまったが、それは時計の分針がほんの5歩進む間までのこと。分針が6歩進んだ時には、隆志はすでに睡魔にノックアウトされていた。
 
 
 
 
 翌日、隆志は天井からの騒音で目を覚ました。明らかに人間――大輝がドタドタと走り回っているだろうその音に、隆志は苛立ちながら布団にもぐる。

「ああもう、うるさいな的場先輩は…! 今まではここに誰も住んでなかったから良いかもしれないけど、少しは気を使ってよ……!」

 と文句を呟いてから30秒。隆志はハッとしながら飛び起きて、ベッドサイドに置いてある目覚まし時計を手に取った。

「げっ、目覚まし掛けるの忘れて寝過ごした!」

 と寝室から飛び出し、洗面所で手早く顔を洗って歯を磨く。

(ああ、朝食作ってる時間がない。昼までお腹持つかな……)

 そんなことを心配したが、リビングダイニングに掛けておいた制服を取りに向かった際に気付く。ふわり、と鼻をくすぐったトーストの匂い。

「――え……?」

 と隆志がトースターが置いてあるところ――テーブルに振り返ると、そこにはトーストとベーコンエッグ、サラダ、牛乳が用意してあった。
 一体何故だ。実は夢遊病で眠りながら朝食を作ってしまったというのだろうか。んなわきゃーない。よって他に考えられることは……、

「かっ、母さん、朝食作りに来てくれておいて、何で僕のこと起こしてくれないんだよ! 起こし忘れたまま帰ったのか!? ったく、もぉぉぉぉぉ!」

 テーブルに着き、急いで朝食を食べる隆志。ふと向かいの椅子に座らせておいたアリスが目に入って、ギクッとしてしまう。

「か、母さん、朝食作りに来たってことは、この人形も見てったってことだよな…!? うっわ、何を思われただろう……」

 と、遅刻しそうな現在、その時の隆子の反応を想像して沈鬱としている場合ではない。トーストとベーコンエッグ、サラダを口に詰め込んで牛乳で胃に流し込み、制服に着替えて学校指定の合皮製スクールバッグを持ち、家から飛び出す。駐車場へとやって来た時に、アパートの2階から騒々しく階段を駆け下りてくる音が聞こえて、一体誰かと振り返ると、それは何となく想像はしていたが、大輝だった。

「オッス、隆志!」

「おはようございます、的場先輩! 遅刻してしまいます、早く行きましょう!」

「おう!」

 鬼百合学園高校へと向かって2人で全力疾走しながら、隆志は大輝の顔を斜眼に見て問う。

「あの、的場先輩? 今日は寝過ごしたんですか?」

 いや、と大輝が苦笑した。

「愛香がちょっと駄々こねてさ……」

「は? ロボットが駄々?」

「いや、なんでもね」と返し、大輝がきらりと瞳を輝かせて「それより」と訊いていた。「今日のおれの髪型、かっこよくね?」

「ああ、ニワトリ風で」

「モヒカン風だっつの!!」

 そんな遣り取りをしている内に、学校へと辿り着き。隆志は校門を潜るなり、「あれ?」と戸惑いながら足を止めた。3つある校舎の内、どれが1年生の校舎だったか忘れてしまった。いや、昨日の始業式ではずっとマシンガンドークをしていた隆子と唯が気になって、その辺の説明の部分を聞いていなかった。

「なんだよ、おまえ? どの校舎か分からないのかよ?」

 と、隆志の様子を見て呆れ顔になった大輝が、校舎を一つ一つ指差しながら説明してくれた。3つの校舎の内、校門から一番近い所にあるのが3年生の校舎。真ん中にあるのが2年生の校舎。校門から一番遠いところにあるのが、1年生の校舎らしい。

「ああ、それから、具合悪くなった時や怪我した時のために教えておく。おれの兄貴――まあ、従兄弟だけど、越前虎之助のいる保健室は2年の――真ん中の校舎の1階な」

「じゃあ、1年生や3年生は一旦外に出てから保健室に行くんですか?」

「いや。1階にも2階にも3階にもちゃんと渡り廊下があるから、いちいち土足に履き替える必要はないぜ」

「そうですか、分かりました。ありがとうございます」

 隆志は大輝と別れたあと、1年生の校舎へと向かって行った。中に入ってすぐに下駄箱はなく、土足のまま1階の右端にある1年A組――自分のクラスへと向かっていき、その前にあるクラスメート個々のロッカーで上履きに履き替える。あたふたとしながらロッカーの鍵を開け、上履きに履き替え、隆志は教室の後ろのドアから中に駆け込んだ。真っ先に目を向けたのは教壇。まだ担任の先生が来ていないのを見て胸を撫で下ろし落ち着いた隆志は、ふとクラスメートが騒然としていることに気付いた。皆一様に一箇所をちらちらと見つめて頬を染めたり、ひそひそと話したり。その視線を追うと、それは窓側の一番後ろの席にいる女子生徒――舞に向けられているようだった。

(ああ…、そういうことね……)

 と隆志は納得する。昨日の始業式でも、美少女の舞は周りの視線を独り占めにしていたから。幼馴染みの隆志でさえ、一瞬どきっと鼓動が高鳴る。
 シャーペンを持ち、一人真剣な様子で何か描いている舞。旭光で照り映えるその黒髪も、隆志に見せている伏し目がちなその横顔も、花も恥らうような美しさだ。

「あっ、やっと来た隆志! おそーいっ! こっちこっち!」と、隆志の姿に気付いた舞が手招きする。「こっちだよ、隆志の席。あたしの隣」

 クラスメートの視線が一斉に自分の方へと移動してきて、隆志は思わずどきまぎとしてしまう。地味とは言わないが、極めて『普通』っぽい感じがする隆志は、あまり注目を浴びることがなくて。視線から逃れるように下を向き、小走りで舞の隣の席――自分の席へと向かって行った。

「お、おはよう、舞っ……」

「おはよー。隆志ってば、いきなり遅刻ギリギリなのぉ」

「う、うん。寝過ごしてさっ……」と、隆志は自分の席に着くと、「でも」と続けた。「母さんも悪いんだよ。朝食作りに来ておきながら、僕のこと起こしてくれなかったんだから」

 そんな隆志の言葉に、舞が「え?」と首を傾げた。バッグの中から取り出した教科書やノートを、机の中に入れる隆志の横顔をじっと見つめながら問う。

「隆子おばさん、朝食作りに来るって言ってたの?」

「言ってないけどさ。僕のアパートの合鍵持ってるのって、母さんと父さんだし。父さんは料理なんて出来ないから、母さんしか考えられないだろ?」

「でも、隆志のアパートって、実家から徒歩とバスと電車で3時間も掛かるんだよ?」

「そうだけど、車飛ばせば3時間も掛からないし。母さんだよ、間違いなく」

 口を閉ざし、相変わらず隆志の顔をじっと見つめる舞。それは隆志の様子を窺っているようにも見えた。
 幼馴染みとはいえ、美少女に穴が空くのではないかと思うくらいに見つめられてどぎまぎとしてしまい、隆志が頬を染めながら「何?」と目を逸らした時。

「ねえ、隆志。それって――」

 と再び口を開いた舞の言葉を遮るように、担任の先生(男・50歳・M字ハゲ)が教室に入ってきた。本日の日直――出席番号1番である男子生徒が、緊張した面持ちで「起立、気を付け、おはようございます、着席」の号令を掛けると1年A組は朝礼タイムへと突入し、隆志は忍び声になって話を続けた。

「ねえ、舞? さっき、何て言おうとしたの?」

「あ、えっと……」と続いて忍び声になって返した舞が、少し閉口して隆志から目を逸らした。「……な、なんでもない。大したことじゃないから、気にしないで」

「ふーん……?」

 と首を傾げた隆志に、舞が「ところで」と話を切り替えながら机の上に広げていたノートを渡した。

「見て見て、隆志。あたしが描いたんだけど、なかなか可愛いでしょぉ? ていうか、チョー可愛い♪」

「は?」

 一体舞は何を自画自賛しているのかと隆志がノートに目を落とすと、そこにはシャープペンの細かいタッチで、フリルやレースが沢山あしらわれたワンピースの絵が描かれていた。

「さっき真剣に描いてたのはコレかあ」

「っそ。作ろうと思って♪」

「手芸部や、文化祭等で活躍するらしい衣装部でも入るの?」

「あ、それいいかも。お針子上手になるしぃ♪」

「てか、これ誰が着るの?」

「アリサ♪」

 と答えた舞の顔を、「え?」と言いながら見つめた隆志。偉く浮き浮きとした舞の笑顔を見て苦笑した。

「もう、すーっかり、昨日拾った人形にはまっちゃったわけね……」

「うん♪ 色チでアリスにも作ってあげるね♪」

「色違いでアリスにも? いや、いらないよ別に。もう服着てるんだし」

「はぁ? アリスは女の子なんだよ? 可愛い服とか、いーっぱい着てみたいの。買ってあげたり、作ってあげたりしなきゃ可哀想だよ。ダメだなぁ」

 と舞は呆れ顔になるが、隆志も呆れ顔になってしまいそうだった。

「女の子って言ったって、人形じゃん。何言ってんだか……」

「そうやって可愛がってあげればあげるほど、お人形は持ち主を守ってくれるんだからねっ」

「はいはい」

「本当だってばぁっ」

 隆志は長嘆息を吐いて、舞から担任の先生へと顔を向けた。大輝に続いて、舞もおかしなことを言う。まるで、人形が生きているかのような。そんなこと想像するだけで戦慄が走りそうで、隆志は頭の中を切り替える。

(放課後、いろいろ部活見学してから帰ろう。冷蔵庫に少ないけど食材はまだあったし、買い物しなくても今夜の晩御飯と明日の朝食くらいは大丈夫だよな……)
 
 
 
 
 鬼百合学園高校の全ての部活を見学した隆志の下校時間は、辺りがすっかり暗くなった夕刻過ぎだった。

(うーん……、部活に入るとしたら、文化部かなあ)

 そんなことを考えながら一人帰路を歩く。運動部はどれもハードで、これからは自分で家事をしなければならない隆志にはきつそうだった。洗濯・掃除はもちろん、自炊する力さえ残らなそうで。

(まだ部活を始めていない今日でさえ、家事なんて面倒だって思うしね……)

 これからアパートに帰ったら、慣れない手付きで晩御飯を作らなければならない。きっと指を切る上に、見た目も味も悪いものに出来上がるだろう。昨日も一昨日も、まったく掃除していない部屋も気になる。洗濯もしなければ、着られる下着やカッターシャツがなくなってしまう。

(ああ、面倒だ…、やりたくない……)

 でも、やらなければならない。一人暮らしなのだから。たまには舞が炊事をしてくれるかもしれないが、普段は他に誰もやってくれないのだから――

「って、あれ……?」

 アパートに帰ってきた隆志は部屋に入るなり、くんくんと辺りの空気の匂いを嗅いだ。料理の匂いがする。足元――玄関を見ると自分の靴以外は見当たらないが、また隆子が来てくれたのだろうか。よく見ると、目の前の廊下が綺麗になっており、玄関の前にはスリッパが一組置かれている。

「ああ、母さん…! 僕のために……!」

 感極まって込み上げて来そうになった涙をぐっと堪え、隆志は靴からスリッパに履き替えて中にあがった。リビングダイニングへと向かう途中、寝室を覗けばきちんと整えられたベッドが、バスルームを覗けば光り輝く浴槽が、トイレを覗けば三角折りのトイレットペーパーが。リビングダイニングへとやって来ると、ワイヤーラックに物干しハンガーが引っ掛けてあった。それには、隆志が洗濯機に放り込んで置いたもの全てが洗って干されている。

「母さん洗濯までしていってくれたなんて……!」

 そしてキッチンに顔を向けると、クッキングヒーターの上に鍋が2つ置かれていた。蓋を開けてみると、それは味噌汁と肉じゃがだった。炊飯器を見れば、米が炊き上がっている。今朝、朝食の皿はテーブルの上に置きっぱなしにして家を出て行ったが、それは洗われて食器棚に片されているようだった。

「僕、もうマザコンと思われてもいい……!」

 隆志は制服のポケットから携帯電話を取り出すと、隆子へと電話を掛けた。5コールほど呼び出し音が鳴った後、隆志の方から口を開く。

「ありがとう、母さん! 僕のために、わざわざ家事しに来てくれて!」

「家事? そんなの、しに行ってないわよぉん?」

 という隆子の返事を聞いて、隆志は「またまた」と笑った。

「母さん以外に考えられないんだから。……あ、そっか、母さんのことだし、もう忘れちゃったのか!」

「失礼ねぇん。そうじゃないわよぉん。お母さん、本当に行ってないわよぉん?」

「いやいや、母さんは僕のアパートに来て炊事・洗濯・掃除をやってくれたんだよ」

「行くわけないじゃないのよぉん。面倒臭い――って、あん。またやっちゃったわぁん☆ お父さん、ごめんねぇん。お味噌汁熱かったぁん?」

 と、どうやら正志に味噌汁をぶっ掛けたらしい隆子に電話を切られた後、隆志はようやく何かおかしいことに気付いた。隆子はツンデレタイプではないし、「面倒臭い」と言ったら本当に面倒臭いのだ。

(もしかして母さん、本当に僕のアパートに来てない……?)

 と一瞬思ったが、隆志はすぐにそんな訳はないと思い直した。だって目の前に、ちゃんと作られた料理がある。隆子でなければ、一体誰だと言うのだろう。

「きっと面倒臭い、面倒臭いと思いながらも、一人暮らしを始めたばかりの僕のために、足が勝手に動いちゃったんだな」

 そう思うことにして、隆志はクッキングヒーターの上の2つの鍋を温め直した。茶碗にご飯をよそい、椀に味噌汁を注ぎ、どんぶりに2、3人前はあろうか鍋の肉じゃが全てを移してテーブルへと持って行く。

「あー、お腹空いた。いっただっきまーす!」

 と、まずは味噌汁を啜って、その後に肉じゃがを食べた隆志。飲み込んだ後に、「あれ?」と首を傾げた。

「なんか、味が……」

 もう一度味噌汁を啜って、肉じゃがを食べる。

「美味しい。凄く。でも……」

 でも、違う。

「母さんの味じゃない」

 実家から持って来た味噌なだけあって、味噌汁はほぼ隆子のものと同じだったが、肉じゃがの味が明らかに違うのだ。実家にある調味料と違うものを使っているということを入れても、明らかに違う。味付けが隆子とは異なる。

(じゃあ、本当に母さんはここに来ていない……?)

 そんな訳がない。隆子でないと言うならば、誰だというんだ。でも、これは隆子の作った料理ではないと確信出来る。隆子の味で15年も育ったのだ。間違える訳がない。ならば、一体誰だ。誰がこの料理を、部屋の掃除を、洗濯をしてくれたというのか。
 隆志は頭から水を浴びたように目を白黒させて、リビングダイニングの中を見回した。実は親切な泥棒がやってくれているのではないかと、おかしなことを疑ってしまって、リビングダイニングの隅々まで目を配る。すると間もなくして目に入った、向かいの椅子に座っている人形――アリス。その頭から徐々に爪先の方へと目を落としていった隆志の胸を、どくんと強い動悸が襲った。

(――何故)

 アリスの白いドレスの――昨日洗ったばかりの真っ白なドレスの、袖のところ。薄茶色の汚れが付いている。まるで味噌汁が飛んだか、油でも跳ねたかのような。

(何故、そんなところに汚れが付いてる……?)

 ずっとその椅子――リビングダイニングにある椅子に、座らせていたのに。間取りはLDKでキッチンとリビングダイニングの間に仕切りがないとはいえ、味噌汁と肉じゃがが置いてあったクッキングヒーターからアリスの椅子までの距離は、約4mも距離があるのだ。揚げ物ならまだしも、味噌汁や煮物でここまで飛ぶなんて考え辛い。

(おかしい。おかし過ぎる。まさか……)

 と隆志の顔に、恐慌の色が浮かんでいった。こんなこと思いたくない。でもこの異変から考えると、そう思えて仕方がない。
 まさか、

(人形が、動いている――?)
 
 
 
 
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