第13話 夜桜パーティーと卵焼き 前編
「的場先輩と、愛香さん・大河さんの別れの時?」
「ああ。おれが愛香の夢を1つ1つ叶えるごとに、それは近付いてるんだよ。愛香はあれでも分かってるんだ……本来自分は、もうこの世に居て良い者じゃないって。だから愛香は、この世にやり残した夢全てを叶えた時、成仏してこの世から去っていく。その時、大河も一緒に去っていく。大河は、愛香のためにこの世に残ってるから」
「去っていくって……どうやってです? スポッと人形の中に入ったように、スポッと人形の中から抜け出て?」
「いや、一度人形という器の中に入った魂は、自分で抜け出ることが出来ないんだ。抜け出る方法としては、おれの実家の寺等、人形供養をやってる所で抜魂してもらうか、または器を――人形を何かで叩き割ってバラバラに砕くか」
「そ、そんな……」
「覚えておけ、隆志。これはおれとあいつらだけの話じゃない。おまえとアリスにも、いつか来るんだぞ……別れの時が――」
そんな4日前の大輝との会話を夢現に思い出しながら、隆志は10代前半かそこらの優しい少女の声で覚醒する。
「ご主人さま、ご主人さま、おはようございます。お目覚めの時間ですよ」
寝ぼけ眼に入るのは、美しい瑠璃色の瞳を持つ、垂れ目がちな愛らしい顔立ちの少女の微笑――ベッドサイドに立っているアリスの顔。一週間前から毎朝続くこのシチュエーションに、隆志はもうすっかり慣れ親しんだ。けたたましく鳴り響く目覚まし時計の音に起こされるよりも、ずっと心地好い。
「うん…、おはようアリス……」
と返しつつ隆志が布団をめくって”おいで”と誘うと、アリスが小首を傾げながら隆志と向き合う形で側臥した。小さな手を伸ばして、隆志の髪を撫でながら問う。
「どうされたのですか、ご主人さま? 怖い夢でもご覧になられたのですか?」
「ううん、そうじゃないんだけど…。ねえ、アリス……」
いつか、君と僕の別れはやって来るの?
と隆志は胸裏で問うた。発問するのは何だか怖くて、話を逸らす。
「一週間前に買い替えたこの手、もう使い慣れた?」
と隆志がアリスの手を取って問うと、アリスの中から「はい」と明朗な声が返ってきた。第一関節パーツ、第二関節パーツ、第三関節パーツと別れ、人間のように自由に可動出来るようになった手の指を動かして見せながら、それは続く。
「ありがとうございます、ご主人さま。指が動くようになっただけで、炊事・洗濯・掃除など全ての家事がとても楽になりました」
「そっか。良かった」
「本日は土曜――ご主人さまの休日で時間がありましたから、朝食の品数を普段よりも一品多くご用意致しましたよ」
「ええ? そんな、良いのに普段と一緒で。普段だって、ずいぶん凝った料理作ってくれてるんだし」
「いいえ、この程度のことさせてくださいな、ご主人さま」
と言って、アリスが破顔一笑したのが分かった。多少気に懸かりながらも「分かった」と承諾すると、隆志はアリスを片腕に抱いて寝室を後にした。アリスが作ってくれた朝食を食べようとリビングダイニングへと向かおうと足を踏み出すや否や、インターホンが鳴って後顧する。
「誰だろう? 舞かな」
と思い玄関に行こうとした隆志だが、
「おーい、隆志ー。開けてくれー、おれだー」
と大輝の声がドアの外から聞こえて来て、思い直した。
「何だ、的場先輩か。じゃー放っておいて朝ご飯にしよう」
「そうですね、ご主人さま」
とアリスが同意した途端、大輝の怒号が響いて来る。
「んだとゴルァ! 聞えてんだよ、おまえら!」
「冗談ですって、的場先輩」
と隆志がドアを開けると、大輝の膨れっ面とぴっちり七三分け頭が視界に入った。
「今日はおじさん風の頭ですか」
「国会議員風その1って言え!」
「その2は?」
「オールバック」
「七三分けとオールバックは国会議員だけじゃないと思いますが」
「良いんだようるせーな、もぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
と叫喚した後、大輝は「んで」と話を切り替えた。本題へと入る。
「隆志おまえ、朝飯食ったら買い物に付き合ってくれね?」
「買い物?」
「今日の夜、花見パーティーするだろ? 大河がおれやおまえ、舞ちゃんのために弁当作ってくれるから、その材料買いに」
「ああ、それで。分かりました、付き合います。……って、花見パーティーは夜なんですか?」
「おう。昼間でも出来るとこないかなーって探したんだけどさ、やっぱちょっと無理だわ。人形たち連れてるんじゃ目立ち過ぎる。人形たちの、紫外線による肌の黄変も気になるしな。だから夜桜パーティー♪」
「そうですね」とアリスの美しい肌を見つめながら同意した後、隆志は「それで」と大輝に顔を戻して問うた。「その夜桜パーティーは、どこでするんですか?」
その答えは――
「ちょ、学校の体育館裏ぁっ……!?」
「しっ! 静かにしろ、警備員に見つかる!」
と忍び声の大輝に口を塞がれた隆志がいるのは、鬼百合学園高校の体育館や校庭を囲う垣根の外、である。傍らには欣然とした舞、巨大ラジコンカーの運転席に愛香、助手席に送信機を持った大河、後部座席にアリス・アリサ。隆志と大輝の両手には風呂敷がぶら下がっている。
現在22時過ぎ。垣根となっているブロック塀の天辺から双眸を覗かせ、見回りに来た警備員が去っていくのを確認した後、大輝が「よし!」と言うなり風呂敷を置いてブロック塀を乗り越えた。
「うちの学校って、体育館の裏に立派な桜が5本も並んでるんだよな。良い花見スポットだぜ。夜はライトアップされてるし、先生たちここで密かに花見してんじゃねーのって感じ。ほら隆志、荷物と人形たち渡せよ」
と両手を伸ばして大輝が言うと、隆志は狼狽しながら界隈を見回して従った。まず最初に荷物――風呂敷を渡し、次に愛香と大河を、その次にアリスとアリサを、さらにその次に巨大ラジコンカーを。最後に、舞を背にぶら下げて己もブロック塀を乗り越えるなり、隆志は忍び声で大輝を問い詰める。
「夜の学校に忍び込んで花見パーティーだなんて、何を考えてるんですかアナタ!? 見つかったらどうするんです!?」
と、隆志は大輝が持って来た風呂敷の中から少し覗いていた物を引っ張り出し、「しかも」と続けた。
「何ですか、コレは!?」
「缶チューハイ。カクテルもあるよ」
「何でこんなもの買ってあるんです!?」
「ビールじゃ苦いと思って。あ、気にするなよ、一昨日安売りしてたやつだから♪」
「だぁぁぁぁれがそんなこと言ってますか! 僕たちは未成年で――」
「うるせーなあ、もう」と隆志の言葉を遮り、その手から奪い返した缶チューハイを開けた大輝。「おまえは真面目過ぎなんだよっ」
と、それを隆志の口に押し付けた。
「ぐっ……!?」
「はい、口付けたー。責任持って飲めよー、それー」
「ちょっ、的場先輩! アナタという人は――」
堪らず怒号しようと思った隆志は、大輝の横顔を見てふと言葉を切った。
優しく微笑している大輝。その視線を追うと、そこにはライトアップされた満開の夜桜を仰視して、欣喜している愛香の姿があった。
(――ああ…、今また一歩、的場先輩と愛香さん・大河さんの別れに近付いたんだ……)
そう思ったら怒気が失せて胸が詰まり、隆志は大輝から顔を背ける。大輝の微笑が、とても切なく見えた。
「……あれ? 隆志、おとなしくなった?」
「……今日は特別、的場先輩に付き合ってあげます」
そう言って大輝を斜眼に一瞥し、缶チューハイを飲む隆志を見て、大輝が破顔一笑した。
「サンキュ、隆志! あっ、ほら、大河がシート敷いてるから手伝おうぜ!」
隆志と大輝、大河で、持参した大きなビニールシートを広げると、一同そこに靴を脱いで腰を下ろした。人間3人が手に缶チューハイやカクテルを持って乾杯する傍ら、大河が1つの風呂敷を広げて4段の重箱を取り出す。
「どうぞ、大輝さま、隆志さん、舞さん。大したものじゃございませんが」
それに続いて、アリスも1つの風呂敷を広げる。現れたのは、これまた4段の重箱。
「わたしも作ったのですよ、ご主人さま。上手に出来たかは分かりませんが、真心を込めてお作り致しました。宜しければ、舞さんや大輝さんもどうぞお召し上がりになってください」
さらにそれに舞も続き、1つの風呂敷を広げる。これもやっぱり4段の重箱。
「アリスと大河さんもお弁当作ってきたんだ。あたしも、ほら。昼間から気合入れて作ってきたから、ちゃーんと食べてね隆志、的場先輩♪」
目の前に広げられた合計12段の重箱に敷き詰められたご馳走に、隆志と大輝は仰天して笑顔を引きつらせる。
「…お…おおお……す…凄いな…………量が」
「…あ…あはは……お…おいしそうな料理が一杯……」
「た……食べるぞ、隆志…………全部!」
「えっ、全……!? …………は、はい、的場先輩っ!」
と気合を入れて割り箸を割った隆志と大輝の紙皿に、舞とアリス、大河の3人が「はい」と声をはもらせながら卵焼きを一切れずつ置いた。皿の向かって右の卵焼きから、大河作、アリス作、舞作。重箱に詰めてきた共通の料理がそれの所為か、3人胸裏で腕比べでもしているのだろうか。早く食べて感想を述べろと言わんばかりの3人に注視される中、隆志と大輝は卵焼きを口にした。
まずは向かって右側の、大河作から。口に入れるなり、大輝が声高になる。
「美味いっ! さっすが大河! さっすがおれの人形! まるで料亭の味!」
「うわぁ、本当だ。こんなに美味しい出汁巻き卵、初めて食べた」
「そ、そんな、お二人方、褒め過ぎですよっ……!」
と大河が照れ臭そうに頭を掻く一方、アリスの中から勃然とした声が聞こえて来た。
「次はわたしの卵焼きをお召し上がりになってみてくださいな、ご主人さま!?」
「う、うん、アリス……」
「ついでに大輝さんも!」
「おれはついでかい……」
と、隆志と大輝は、次にアリス作の卵焼きを口に入れる。すると今度は、隆志が声高になった。
「美味しいっ! マヨネーズが入っていて、僕好みの味! さっすがアリスだなあ!」
「うん、普通に美味い。良い嫁になるぜ、アリス」
「いえ、そんな……ふふふっ」
とアリスが嬉しそうに含み笑いをする一方、舞が瞳を煌かせて口を開く。
「さあ、次はあたしの卵焼きを食べてみて♪ 自分で言うのも何だけど、あたしの卵焼きは天下一品っていうかぁ♪」
「へえ」
と声を揃え、最後に舞の卵焼きをどれどれと口にした隆志と大輝。
「――!?」
一度噛んだ瞬間、硬直して箸を落とす。冗談はよしこさん。舞は一体、どれだけ砂糖をぶっこんだのか。よくある普通の『甘い卵焼き』なんてもんじゃない。後数分でも口の中に入れておいたら、歯が全て解けてしまうかもしれないという恐怖に襲われる程の激甘だ。かと言って飲み込むことも辛く、額に脂汗が滲み、目には涙が込み上げる。
「ねえ、どう? 2人とも? 美味しい? ねえ、美味しい?」
と期待に、にこにこにこにこにこつく舞の目前、堪らず吐き出しそうになった大輝の口を隆志が塞ぐ。
「ごふっ……!?」
「…ダ…ダメです、的場先輩…! の、飲み込んでください……!」
「ん、んんんんんんんーーーっ!!」
嫌だ、無理だと首を横に振る大輝を見、人に飲み込めという割には卵焼きを口の中に入れたまま蒼白している隆志を見。舞の瞳にじわじわと涙が込み上げ、そして人目も憚らず号泣し出した。
「隆志のバカ! 的場先輩のオヤジ頭ぁぁぁぁぁぁぁぁ! 一生懸命作ったのにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーっ!!」
「うっ、うわあぁぁああ! 美味しいよ、舞! 美味しいよ、卵焼き! ね、的場先輩!?」
と、大輝の口の中に缶チューハイをぶっこんで舞の卵焼きを胃の中に流し込ませた後、己も缶チューハイでそれを飲み込んだ隆志。警備員に見つかるのではないかと狼狽して舞を泣き止ませようとしたが、アリサに突き飛ばされて大輝を押し潰す。大輝から「グェッ!」と潰れた声が聞こえた一方、アリサがこれまた人目を憚らず怫然とした様子で喚く。
「あんたたちって最低の男ね! 舞ちゃん、あんたたちごときのために頑張って作ってあげたのよ!? それなのに、あんたたちと来たらぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……! 許さないんだからぁっ!!」
と隆志と大輝に殴り掛かろうとするアリサを抱き竦め、大河が「まあまあ」と宥めていた時のこと。
垣根になっているブロック塀の外から、男の怒号が響いて来た。
「こら! おまえらそんな所で何をしてる!」
次の話へ
前の話へ
目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ