第14話 夜桜パーティーと卵焼き 後編


 垣根のブロック塀の外から響いて来た男の怒号に、隆志たちは胸を突かれて振り返った。一斉に、やばいと狼狽する。だって夜の学校の体育館裏に忍び込んで花見をしているというだけでも問題なのに、飲酒をしている所を見つかったなんてことになったら停学は免れない。
 だがそこに立っている人物を見るなり、大輝がほっと胸を撫で下ろした。

「なぁーんだ、兄貴か……」

「なんだじゃねえ、大輝!」と、垣根から顔を覗かせている虎之助の怒号が続く。「学校の体育館裏で、弁当と酒持って花見だと!?」

「ご、ごめん。頼む、兄貴。このことは学校に――」

「俺も誘え!」

「――って、混ざりてーのかよ……」

 と苦笑する大輝の傍ら、隆志と舞が「へ?」と間が抜けた声を出して呆然とする目前、虎之助が垣根をひょいと身軽に乗り越えてこちらへとやって来た。コンビニで買い物をして来た帰りなのか、手にはそのビニール袋をぶら下げていた。
 寄って来た虎之助の顔を仰視するなり、アリサが頬を押さえて黄色い声を上げる。

「きっ、きゃああぁああぁあっ! 舞ちゃんの言ってた通り、越前先生って本当に素敵な男性なのねぇぇぇぇぇーーーっ!」

「でしょでしょ、アリサ! 越前先生って素敵でしょぉおぉおぉぉぉぉおおーーーっ!?」

 と同様に頬を押さえて黄色い声を上げ、海老反りになって倒れかけた舞を隆志が呆れながら支える一方、アリスが正座をして礼儀正しく頭を下げる。

「主がお世話になっております、越前先生。わたしはアリスと申します」

「おー、よしよし。アリスとアリサの話は、大輝や舞から聞いてるぞー」

 と、アリス・アリサの頭を撫でた後、虎之助が舞の隣に腰を下ろした。その途端、にこついて甘えるように虎之助の腕に抱きついた舞は、カクテルを缶の半分しか飲んでいないにも関わらず、頬を桃色に染めてすっかり陶酔しているようだ。そんな舞の頭を虎之助が顔を綻ばせてよしよしと撫でていると、大輝から溜め息が漏れた。

「いーのかよ、兄貴。帰らないで?」

「何だ、その言い草は」と、舞から大輝へと向いた虎之助の顔は、一転して色をなす。「俺にさっさと帰って欲しそうじゃねーか、え? ひでえ奴だぜ、おまえは。こういうのに俺のこと、いっつも誘ってくれねーし」

「別に兄貴がウザいとか、そういうんじゃねーよ」と、大輝は再び溜め息を吐いて続ける。「早く帰らないと、胡蝶が寂しがるだろ? 後、兄貴をこういうのに誘わないのは……だな、そのぉ……」

 と大輝が、愛香の機嫌を窺うように顔を覗き込む。その途端、愛香の中からそれはもう怒気を帯びた声が聞こえて来た。

「アンタなんか誘うわけないでしょ、虎之助! だってアンタが来たら、アイツ――胡蝶も来るじゃない! 私はっきり言って大嫌いなのよ、アイツ!」

「お嬢さま、そんなに根に持たなくても……」と、大河は中で苦笑する。「胡蝶さんは寡黙な方なんですよ。そういう方は沢山いらっしゃるではありませんか」

「だからって、完全シカトしなくても良くない!? こっちは『よろしくね』って快く握手を求めてやったっていうのに、アイツと来たら一言も喋らず、手を差し出すこともせず、背を向けて去って行ったのよ!? 無礼千万よ!」

「まあまあ、お嬢さま。落ち着いて……」

 と大河が愛香を宥める一方、虎之助が長嘆息した。

「2年も前のことを、いつまでも怒ってんなよ、愛香……。悪かったって、何度も謝ってんだろ。俺が」

「うるっさいわね! アンタに謝られたって意味ないし! 私は、アイツの態度が気に入らないって言ってんの! 許して欲しかったらアイツに謝らせろっつの!」

「まあ、他人に愛想がなくなった所とか、胡蝶は生前と少し違う所があるとは思うが……」

「生前と違う!? 当たり前じゃない! だってアイツの中身は――」

「愛香」

 と、大輝が声高に遮った。大輝の顔を見て何が言いたいのか察した愛香は、ふんと鼻を鳴らして虎之助に背を向けた。桜の木の下へと歩いて行って、不機嫌そうに大輝に命令する。

「大輝。木に登らせて」

「子供か……」

「うるさい、早くして。でも、一人で登ったら落ちそうで怖いから大河も来て」

 大輝と大河は、「はいはい」と承諾して愛香の所へと向かって行った。大輝が愛香と大河を桜の木の枝に座らせ、そこから愛香が落っこちぬよう大河が傍らで支える。そして大輝はいそいそとデジカメを取り出すと、愛香と大河の写真撮影を始めたようだった。

「よしよし、2人ともこっち向けー。ポーズ取って、ポーズ! よしよし、じゃー行くぞー……ハイ、チーズ♪ ハイ、マヨネーズ♪ ハイ、バター♪ ハイ、ミルク♪ ハイ、ヨーグルト♪ さて、今の中で仲間外れはー?」

「マヨネーズ」

「正解! さっすがおれのドール! 賢いぜー♪」

 と大輝が欣々然としてカメラのシャッターを切りまくる一方で、虎之助は小首を傾げていた。

「胡蝶の中身が、何だっていうんだ……?」

 という虎之助の呟きが聞えた隆志は、はっと胸を突かれた。手早く新しい紙皿を取り出し、その上に適当に料理を持って、割り箸と共に虎之助に突き出す。そうやって、虎之助の脳裏を切り替えさせる。

「どうぞ、越前先生! どれも美味しいですよ!」

「おお、サンキュ、鈴木隆志」

 と虎之助が皿を受け取った後、

「そうそう、特にあたしの作ったコレがぁ♪」

 と舞が指差したものを見て、隆志は”しまった”と息を呑んだ。早く虎之助の脳裏を切り替えさせようと狼狽した余り、誤って皿に舞作の激甘卵焼きを盛ってしまった。一瞬訳を話して皿から除けようと思った隆志だったが、そんなことをしたらまた舞が泣いてしまうかもしれない。

(どうしよう、ああ、どうしよう……!)

 と隆志があたふたとしている傍ら、虎之助が「へえ」と興味深そうに卵焼きを口に運んだ。その刹那、隆志が思わず「ああっ!」と声高になると、写真撮影に夢中になっていた大輝が肩をびくつかせて振り返った。

「な、何だよ隆志? びびって画像がぶれちまったじゃねーか――って、うわあぁぁあ!?」と、同時に虎之助の姿が視界に入った大輝は、動転して駆けつける。「それを食ったら駄目だ、兄貴! 死ぬぅぅぅううぅぅぅぅううーーーっ! 兄貴は甘い物が食えないんだあぁぁああぁぁああーーーっ!!」

 それを聞き、「ええっ!?」と尚のこと狼狽した隆志。顔面蒼白しながらティッシュを取り出して両手の上に広げ、舞の卵焼きを一口食べた瞬間硬直してしまった虎之助の口元に近付ける。

「越前先生、出してください! 死ぬまでは行かなくても、失神してしまうかもしれません! 早く出して!」

「…う…うぐぅぅぅ……」

 と呻吟しながらもそれを吐き出そうとしない虎之助を見兼ね、大輝が持って来た缶チューハイやカクテルを漁り出した。なるべく甘くない物を探すが見当たらなく、今度は虎之助のコンビニのビニール袋の中を覗き込む。するとそこにビールを見つけ、大輝は急いでプルタブを開けて虎之助の口に近付けた。

「ほら、兄貴! これで――」

 これで流し込め。そう言おうとした大輝の言葉を遮るように、虎之助がすっと手を上げてビールを押し返した。どうしたのかと隆志と大輝が小首を傾げると、虎之助が再び号泣しそうになっている舞の頭に手を乗せた。舞の潤んだ瞳に横顔を見つめられながら、口の中の卵焼きを噛み締めて、ごくりと呑み込む。そして、呟くようにこう言った。

「懐かしい……味がした」

「は?」

 と、隆志と大輝が声をはもらせた傍ら、舞がふと割り箸と虎之助の紙皿を手にした。そして自作の卵焼きの残り全てを虎之助の皿に盛り、破顔一笑した。

「どうぞ、越前先生。胡蝶お姉ちゃんと同じ味の、卵焼き!」

「え?」

 と再び声をはもらせ、隆志と大輝は、舞から虎之助へと顔を戻す。

「そうか…、卵焼きの作り方、生前の胡蝶から教わったのか。ありがとな……、舞」

 と、虎之助は舞から皿を受け取り、再び舞作の卵焼きを口に入れた。そして、傍らにいる舞の笑顔を見つめながら感じる。

(不思議だな)

 舞のこの卵焼きの味も、舞のその笑顔も。

(今の胡蝶より、ずっと生前の胡蝶に似ている……)

 やがて舞の卵焼きを全て食べ尽くした虎之助を唖然として見つめていた大輝が、はっと胸を突かれたように携帯電話で時刻を確認した。そして狼狽しながら口を開く。

「な、なあ、もう帰れよ、兄貴? どうやら生前の胡蝶さんと同じ味の卵焼き食い終わったなら、早く、今すぐ。胡蝶、待ってるぞ?」

「ああ。でも、後もう少しだけ……」

 胡蝶の面影を感じさせるその笑顔を、見つめさせて……――
 
 
 
 
 ドールハウス・Aの201号室――虎之助の部屋の玄関先、膝を抱えて座っていた胡蝶がふと立ち上がる。響いて来る、アパートの脇にある階段を駆け上ってくる足音――虎之助の靴音。ふわりと浮遊し、慌ただしく玄関の鍵とドアを開けて帰宅した虎之助の首に、ぎゅっと抱き付く。

「ごめん、胡蝶! ちょっとそこで、大輝たちに会ってな」

「…遅い……」

「おう、ごめんごめん」

 と胡蝶の黒髪を撫でて宥めながら、虎之助はキッチンへと向かって行った。冷蔵庫に買って来たビールを入れた後、リビングダイニングへと向かって行く。そこは窓に暗幕、黒いテレビボードと37インチのテレビ、黒いソファー、黒いノートパソコン、壁際には胡蝶の白いものばかりの服が入った沢山の黒いローチェスト、その上には所狭しと並べられた、胡蝶作の多彩なドレスを身に纏ったカントリードールと、シックなんだかメルヘンなんだか分からない部屋をしている。
 虎之助はふとテレビの脇に置いているデジタルフォトフレームに顔を向けて「あれ?」と眉を顰めた。さっき家から出て行く前はモニターに画像が映し出されていたのに、どういう訳か今はそれが真っ黒になっている。

「またかよ、このデジタルフォトフレーム。ちゃんと主電源も入ってるしコンセントにも刺したままなのに、おかしいな。不良品じゃねーのか、やっぱり?」

 と、虎之助はコンセントを刺し直して再びモニターに画像を映し出すと、ソファーに腰を下ろした。そこからデジタルフォトフレームの画像を目を細めて眺めた後、静かに口を開く。

「なあ……、胡蝶? 生前の頃に作ってたあの卵焼き、もう作らなくなったな」

 まだ虎之助の首に抱きついていた胡蝶が、徐に虎之助の顔を見つめた。デジタルフォトフレームを眺め続けつつ、斜め下からの紅い瞳を感じながら、虎之助は続ける。

「いや、あれが苦手な俺のために、料理の本見ながら味付け変えてくれたんだろ? 分かってる、ありがとな。ただ何かちょっとさ、あの味が懐かしくなって……」

「…あの卵焼きが…食べたいの……?」

「いつもとは言わないけど、たまには良いかな。おまえと恋人同士になったばかりのあの頃みたいで、悪くない」そう言って笑った後、虎之助が時計に顔を向けた。「あ、もうこんな時間か。風呂は溜まってるのか?」

 胡蝶が頷くと、虎之助は「そうか」と言いながら立ち上がった。胡蝶をソファーに座らせ、バスルームの方へと向かって行く。

「んじゃ、一風呂浴びてくるわ。テーブルにビールとグラス用意しといてなー」

 バスルームからシャワーの音が聞えてくると、胡蝶はソファーから飛び降りてデジタルフォトフレームの所へと歩み寄って行った。そこに映し出されている画像――虎之助と、人間の胡蝶の2ショット――を見つめながら、その囁くような高校生くらいの少女の声で問い掛ける。

「…あの卵焼きって…何……? …あなた…いつまで虎之助の心にいるの……?」

 胡蝶がその小さな磁器の手で、画像の胡蝶の顔に触れた。その刹那、デジタルフォトフレームのモニターが乱れ始めた。

「…どうすればいいの……? …虎之助は私を愛しているようで、あなたを愛しているの……私じゃないの……。…虎之助に愛されているのはあなたなの……あなたの振りをした私じゃないの……。…どんなにあなたを演じても、私は私なの……あなたになれないの……虎之助に愛されないの……。…だから教えて…どうすればいいの……?」

 そして再びぷっつりと切れて真っ黒になってしまったモニターに、反射した胡蝶の白皙の顔が映る。だが、それはいつもの冷然とした無表情ではない。磁器で出来たそれは般若のように歪み、血のように紅い瞳が不気味に光を放ち、嫉妬と怨恨に充溢していた。

「どうすれば、虎之助の心にいるおまえを殺せるの――」
 
 
 
 
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