第4話 大人のキス?


 ジュリの自宅屋敷の裏に広がる森の中。
 2本の短刀を逆手に持っているリーナが王女に切りかかる。

「しばいてバラしてドラム缶に詰めて葉月湾に沈めてくれるわああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああっ!!」

「だっ、駄目だよリーナちゃんっ!」

 と、ジュリが慌ててリーナの身体を抱きすくめた。
 リーナはじたばたと暴れながら、きょとんとしている王女に向かって怒声をあげる。

「王女さまやからってやってええことと悪いことがあんのや!」

 白猫の耳をぴくぴくと動かしながらリーナの声を聞き、首をかしげる王女。

「私が何かしましたかにゃ?」

「ハァ!? アホちゃうか自分!?」

「アホなんですかにゃ?」

「うちやないっちゅーねん! あんたや、あんた! うちでもまだ触ったことあらへんジュリちゃんの大事なモノ触ったやろ! どういう了見やねん! おお!?」

「ですからにゃ、キラさんかジュリさんか確認するために触ったのですにゃ」

「そんなん口で訊けば済むことやろ!? なのに触りくさりよってぇぇぇ……!」

「減るものじゃないですにゃ」

「そういう問題ちゃう! 死にさらせやあぁぁああぁぁああぁぁああぁぁぁあ!!」

 と大暴れするリーナに向かって、ジュリが声をあげた。

「もうっ! 駄目だってばリーナちゃんっ!」

「離してや、ジュリちゃん!」

「父上も兄上も姉上も、ハンターはハンターじゃない人を傷付けちゃいけないって言ってたよ! だから駄目なんだよ、リーナちゃん!」

「ぐ……」

 と口を閉ざしたリーナ。
 そのことを忘れていたわけではないが、頭に血が上ると自制が出来なくなる。

 腕の中でおとなしくなったリーナを見たあと、ジュリがほっと安堵の溜め息を吐いた。
 リーナを離し、王女に顔を向ける。

「大丈夫ですか? 王女さまっ…!」

「ローゼですにゃ」

 と、ジュリに笑顔を向ける王女――ローゼ。
 ジュリが訊き直す。

「大丈夫ですか? ローゼさまっ…!」

「大丈夫ですにゃ」

「ほな」と、リーナはジュリの手を握った。「王女さまはお城へ戻ってください。お城の人きっと心配してはりますで。うちらも仕事終わったんでこれで」

 と軽く頭を下げ、リーナがジュリの手を引っ張って小走りでその場から去っていく。

「あっ、ジュリさん待ってくださいにゃっ……!」と追いかけてこようとしたローゼが、ドレスの裾を踏ん付けて転ぶ。「ふにゃっ!」

「ローゼさまっ!」

 と振り返り、ローゼのところへと戻ろうとしたジュリ。
 リーナに強く手を引かれ、斜め前を歩くリーナに顔を戻す。

「リーナちゃん? ローゼさまが――」

「放っときや。ハーフなんやから、その程度で怪我せえへん」

「でも、ローゼさまが――」

「なあ、ジュリちゃん! うち今日そんなに仕事あらへんから、マナちゃんに薬の材料でも採って行こうや」

「ねえ、リーナちゃん、ローゼさまが――」

「今月、マナちゃんたち三つ子の誕生日やしな」

「リーナちゃん、ローゼさまが――」

「マナちゃんが喜ぶようなええ材料あったらええなあ」

「聞いてよリーナちゃん、ローゼさ――」

「ああもうっ!」

 と、声をあげ、リーナが振り返る。
 5cmほど目線が上のジュリの顔を睨むように見るそのグリーンの瞳は、少し涙で潤んでいた。

「なんやねん、王女さま王女さまって! あんな痴女放っとけって言っとるやろ!? ジュリちゃん分かってんのかいな! ジュリちゃんの婚約者はうちなんやで!?」

「わ…分かってるよ、リーナちゃん」と、困惑顔になるジュリ。「ど、どうして怒ってるの? どうして泣きそうなお顔してるの?」

「どうしてって、ジュリちゃんがうち以外の女のことばっか気にしてたら腹立つに決まってるやろ!? 世間に出て早速これかいなっ! ジュリちゃん箱入りのままの方が良かったわ!」

 リーナの瞳から一粒零れ落ちた涙を見て、さらに困惑したジュリ。
 カブトムシ柄のハンカチを取り出し、リーナの瞼に当てる。

「僕が悪いのっ? ごめんねっ? ごめんね、リーナちゃんっ……!」

 と謝るジュリの顔を見ながら、リーナはハンカチを手で受け取った。
 小さく溜め息を吐いて言う。

「ごめん……、ジュリちゃんは悪くあらへんのに。今までジュリちゃんは箱入りで、ジュリちゃんを狙う女はうちしかおらんかったから……。その…、ジュリちゃんがうち以外の女と接してるの見たら不安になってな……? ほんまに…ごめん……」

 あまり意味が分かってないのか、首をかしげているジュリ。
 リーナは続ける。

「なあ、ジュリちゃん? 覚えてるか?」

「何を?」

「うちが10歳くらいでジュリちゃんが5歳くらいのときのことやったかな。うちが教えた大人の男の座右の銘、覚えてるか?」

「はい」と頷いたジュリ。「大人の男の人の座右の銘は、『据え膳食わぬは男の恥』です!」

「せや。そしてその『据え膳』とは何のことやったか覚えてるか?」

「はい」と再び頷いたジュリ。「『据え膳』とは、『リーナちゃん』のことです! だから僕は、リーナちゃんに誘惑したら応えなきゃいけないのです!」

「よく出来ました。うちの誘惑には応えんとあかんけど、他の女の誘惑には応えたらあかんのやで?」

「はい」

 と、承諾して頷いたジュリ。
 それを見て安堵したリーナが目を閉じて言う。

「ほな、キスしてや。いつもみたいに」

「はい」

 と、にこっと笑い、ジュリがリーナの唇にちゅっと軽くキスをする。

「ありがと、ジュリちゃん。でも……」

 最近ものたりんわ。

 と、心の中で続けたリーナ。

 ジュリと初めてキスしてから約10年。
 ジュリの年が年だから当然と言ったら当然だが、そこから先に進んでいなかった。
 未だにコウノトリを信じているようなジュリ相手だし。

(そ…そろそろ、大人のキス教えんとなー……)

 と、突然にやりと笑ったリーナを見て、ジュリが首をかしげる。

「リーナちゃん?」

「な、なあ、ジュリちゃん?」

「ん?」

「そろそろ大人のキス覚えよか」

「大人のキス……?」と鸚鵡返しに訊き、数秒の間考えたジュリ。「はい」

 と笑って承諾した。

「僕、大人になりたいです」

「うんうん、せやなせやな! ほなっ!」と、ジュリに顔を近づけたリーナ。「いただきます……やでっ!」

 今度は自分からジュリの唇を奪った。

 ぱちぱちと瞬きをし、されるがまま状態のジュリ。
 いつもはライトキスで終わるのだが、リーナがなかなか唇を離そうとしない。

 やがて口の中にリーナの舌が入ってきて、ジュリはその感触を舌で確認してはっとする。

(――タラコ……!)

 ジュリ、歓喜。

(うわぁい、僕の1番好きな食べ物だ!)

 ちなみに2番目はカズノコで、3番目はイクラ。
 つまり魚卵。

(でもハーフだから痛風の心配はありません)

 リーナの舌を口の中に感じながら、感動に包まれたジュリ。

(父上、母上、兄上、姉上…! 僕、少し大人になりました……!)

 リーナの頭をしっかりと両手で引き寄せ、

(大人のキスって、口渡しでタラコを食べることだったのですね……!)

 リーナの舌を吸って口の中にしっかりと捉え、

(ああ…、ジュリちゃんそんな積極的なっ……!)

 なんてリーナがどきどきとしてしまう中、

(好きです、大人のキス……♪)

 ガブっ

 と、リーナの舌に噛み付いた。

「――ふっ…ふぎゃあぁぁあああぁぁあああぁぁああぁあぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁああぁあっ!!」
 
 
 
 
 舌を噛まれたリーナの絶叫は森を通り越し、ジュリの自宅屋敷にまで響き渡っていた。
 その夜、ジュリ宅を訪ねたリーナ。
 書斎にいるリュウのところへと行って、あーんと口を開ける。

「リュウ兄ちゃん、治癒魔法……」

「いよう、タラコ女」

 と短く笑い、リーナの舌に治癒魔法を掛ける。
 舌の痛みが消えたあと、リーナは赤面しながら眉を吊り上げた。

「タ…タラコ女言うなっ! ジュ、ジュリちゃんから何か聞いたん?」

「おう、聞いたぜ。ジュリが嬉しそうに『父上、大人のキスってタラコを食べることだったのですね』とか言ってた」

「……」

 苦笑したリーナ。
 深く溜め息を吐いた。

「ジュリちゃんにあーんなことやこーんなこと教えるの、容易やないなあ」

「何おまえ、発情してんのか」

「は、発情っちゅーか、ジュリちゃんも15なんやで? そ、そろそろ次のステップに進んだってええやんっ…! うち、もう10年以上待ってんのやでっ……!?」

「まあ、そうだな。――ところで」と、リュウが話を切り替える。「ジュリはどうだった。おまえ、怪我させてねーよな……!?」

「大丈夫やっちゅーねん」と、リーナは過保護なリュウに呆れて溜め息を吐いた。「ジュリちゃん……、何ていうかな? 今日1日見てて思ったんやけど、ハンターやってくことキツイかもしれん」

 その理由を訊こうとしたときに携帯電話がなったものだから、口を閉ざしたリュウ。
 誰からの電話か確認して露骨に嫌そうな顔をする。

「げ」

「誰からなん?」

「王」

 王がキラを愛しているが故に、リュウは王が好きではない。

「王様?」と鸚鵡返しに訊いたあと、リーナも不機嫌そうに顔を歪めた。「うーわ、嫌なこと思い出したで」

「何だよ」

「今日、ここの裏の森の中で王女さまに会ってな? 正室のお妃さまとの子やなくて、マリアちゃんとの間にできた子の」

「ああ、あの王女な」

 リュウやシュウ、レオンは一通り王族の顔を知っている。
 リュウは毎月、シュウとレオンは交代で、月の始めにヒマワリ城で行われる舞踏会全体の警護をしているから。

「あの王女さま、めっちゃムカつくねん! ジュリちゃんにベタベタベタベタしよって!」

「ふーん。別にそんなに目くじら立てなくてもいーんじゃねーの、まだガキなんだから」

「ガキって言っても、ジュリちゃんと同い年くらいやろ?」

「何言ってのおまえ。マリアがいつ王のペットになったか思い出せ」

 と言われ、眉を寄せて少し考えたリーナ。
 仰天した。

「た、たしかそれってうちが9歳か10歳の頃やん! え、じゃあ、何!? あの王女さま、いくつなん!?」

「10歳」

「マジかいな! どんな老け顔やねん! 背やってうちより高かったし、乳あったし、どうなってんねん最近のガキは!? ――ってか、その前にいい加減に王さまからの電話に出ないとあかんちゃう?」

「相変わらずしつけーな、この王は。出なきゃ駄目か?」

「ヒマワリ城の一大事だったらどうすんねん」

 それもそうかと、リュウは溜め息を吐きながら電話に出た。

「何すか」

「出るのが遅いっ!」

 と、電話の向こうで王が声をあげる。
 その声はリーナの白猫の耳にもよく聞こえた。

「リュウおまえ、私からの電話だからと出るのを渋ったであろう!」

「何か文句が」

「あるに決まっているだろう! どうして、おまえはそう――」

「んで」と、リュウが王の言葉を遮って訊く。「用件は。仕事の話すか」

「うむ、そうだ。何でも今日、ローゼとジュリが運命の出会いをしたそうではないかっ……!」

「はぁ!?」

 と不機嫌そうに声をあげたのはリーナである。
 王が続ける。

「ローゼがすっかりジュリに惚れ込んでな、リュウ」

「それが」

「ぜひジュリをローゼの婿にして、城に迎え入れたいぞ!! 良いであろう、リュウ!? なあ、良いであろうっ!?」

 と、電話の向こうで期待に胸を膨らませ嬉々としている王の声が響く一方。

「………………」

 ブチブチブチィっ…!

 と、リュウとリーナの中で何か切れる音がした。
 
 
 
 
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