第34話 リーナの心 後編


 ジュリの自宅屋敷の裏庭にいるジュリとサラ。
 ジュリは両手にチャクラムを、サラは片手に長戟を持っている。

 人間の男が両手で持つのがやっとだろう重さのその長戟を、片手でいとも簡単に操るサラ。
 ジュリに向かって、脳天から刃を振り下ろす。

 ガキンッ!

 と辺りに響いた金属音。
 両手のチャクラムで、ジュリが何とかサラの刃を受け止めた。
 伝わってくる衝撃で腕が痺れる。

「サ…、サラ姉上っ……?」

 とジュリは恐怖に声を震わせる。
 サラの怒っている理由が分からなくて頭が混乱している。

「リーナともローゼとも結婚して、皆で幸せになる……だって?」

「は…、はいサラ姉上っ……!」

「ふん」

 と鼻で笑い、再び戟を振り上げたサラ。
 右上段からの袈裟切りの形でジュリに向かって振り下ろした。

「笑わせんじゃないよ!!」

 その刃を受け止め切れることが出来ず、ジュリの身体が後方に吹っ飛ばされる。
 背を打ち、3回後転し、芝生の上を5m滑ってようやくと止まった。

「あんたごときが2人を幸せに出来ると思ってんじゃない!!」

 サラの怒声と身体に走る痛みに、ジュリの大きな黄金の瞳に涙が込み上げる。

「サ…、サラ姉上ぇっ……!」

「あんたが泣き声あげてんじゃないよ! 泣きたいのは……心が痛くて痛くて泣いてんのは、リーナなんだよ!」

「リ…リーナちゃん……?」

 とジュリは困惑する。

「何が『リーナちゃんひどい』だ」

 リュウから風魔法を受け継いだサラ。
 戟の先端に風を巻き起こし、それを戟を振るってジュリに叩きつける。

「どっちがだ、このバカがぁっ!!」

「――ふみゃあっ!」

 襲ってきた風に、再び吹き飛ばされたジュリ。
 くの字に折れ曲がって自宅の敷地内を通り越し、森の中へと入って木を数本貫き、岩にぶつかって止まる。
 そしてうつ伏せに倒れこむと同時に、手からチャクラムが離れた。

 身体のあちこちに出来た傷口から血が流れ出している。
 これほどの痛みはこの世に産まれて初めてだろう。
 まだまだ戦闘に慣れていないせいもあって、意識が遠のいていきそうだ。

 だが、頭の中はそんなことよりも別のことを考えていた。

(リーナちゃんの心が痛いって…? リーナちゃん、心が痛くて痛くて泣いてるの…? 傷付いたの……?)

 そう思った途端、ジュリの胸も痛み出す。

(どうして…? 僕が…、僕がリーナちゃんのこと傷つけたの……?)

 頭が困惑する。
 混乱する。

 己がリーナを傷つけたというのなら、その理由がまるで分からなかった。

 ゆっくりと近づいてくる足音に、顔を上げたジュリ。
 その重たい長戟を片手で肩に担ぎ、歩み寄ってくるサラの姿が目に入る。

「サ…サラ姉上、教えてくださいっ…! 僕がリーナちゃんのこと傷つけたんですかっ……?」

「やれやれ」とうつ伏せに倒れているジュリの一歩手前で立ち止まったサラ。「そんなことも分からないほどバカなのか、アタシの弟は。ったく、これで世間に出してると思うと恥かしくて仕方ないね」

 と、溜め息を吐いた。

「ご…ごめんなさい、僕本当に分からなくてっ……! 僕がっ…、僕がリーナちゃんのこと傷つけたんですかっ?」

「他に誰がいるんだっつの」

「ご、ごめんなさいっ……」と再び謝ったジュリ。「で、でも、どうしてリーナちゃんは傷付いたんですかっ?」

「分からないなら自分に置き換えてみな、ジュリ」

「え……?」

「あんたはリーナ以外にもローゼと結婚するって言ってるけど、もしリーナがあんた以外の男とも結婚するって言ったらどうする?」

「――」

 言葉を失ったジュリ。
 返答は正直、嫌だった。

「ねえ、どう思う?」

 悲しかった。

「そんな中で、皆が幸せになれる?」

 なれないと思った。
 少なくとも、己は。

 サラが続ける。

「リーナは何も我侭なんて言ってない。自分だけと結婚してほしい、自分だけを見ていてほしいだなんて、当たり前のことだ。あんたのことを、本当に好きだという証拠だ。それなのに『リーナちゃんらしくない』だって? 何ソレ。あまりのバカさに呆れるよ、アタシは」

 サラの言葉を聞きながら、ジュリの大きな黄金の瞳から涙がぽろぽろと零れ落ちていく。

(サラ姉上の言う通りだ…! 僕、バカだ…! 何でリーナちゃんの気持ちを分かってあげられなかったんだろう……!)

 泣きじゃくるジュリを見下ろしながら、サラがもう一度溜め息を吐く。

「ジュリ……、早く行きな。リーナのとこに」

「サ、サラ姉上――」

「早く! 一番大切な人を失う前に!」

「は、はいっ……!」

 と涙を拭い、慌てて立ち上がったジュリ。
 召喚カブトムシ・テツオを召喚し、その頭に乗る。

「リ、リーナちゃん、どこ行ったんだろうっ…! お家かなっ……!」

「あとリンクさんがいるギルドも考えられるね。どっちも行ってみな」

「はい、サラ姉上!」

 とジュリが承諾し、テツオで飛んでいこうと思ったとき。

「ジュリさんっ!」

 駆けて来たローゼが呼び止めた。
 その後方には家族一同もいる。

「ロ…ローゼさま……」

 ジュリの胸が痛む。
 でも、言わなければいけないことがある。

 ジュリの表情を見つめ、ローゼが狼狽したように声を上げる。

「いっ、嫌ですにゃ、ジュリさん! ローゼとも結婚してくださいにゃっ!」

「…ご…ごめんなさい、ローゼさまっ…! ごめんなさいっ……! 僕が本当に結婚したくて、ずっとずっと一緒にいたいのは、リーナちゃんなんです。ローゼさまのことも好きだし大切だけれど、違うんです。バカな僕じゃ上手く伝えられないけれど、違うんです。……ローゼさまとも結婚しちゃったら、僕の大好きなリーナちゃんの笑顔はもう見れない」

「…ジュ…ジュリさ…! 嫌ですにゃっ…嫌っ……!」

 首を横に振り、泣き出したローゼにジュリの胸がますます痛みをあげる。

「ごめんなさいっ…、ごめんなさい、ローゼさまっ…! 約束破ってごめんなさい…、幸せにしてあげられなくて、ごめんなさいっ……!」

 と、一粒涙を落としたジュリ。
 その苦痛に歪んだ表情を見ながら、ローゼは呆然とする。

 もうどんなに止めても無理だと分かった。
 どんなにすがり付いても行ってしまうのだと分かった。

 どんなに苦痛に顔を歪めていても、その大きな黄金の瞳に迷いは無い。

 リュウがジュリに歩み寄り、傷だらけのその身体に治癒魔法を掛けて言う。

「行け、ジュリ」

「はい、父上!」

 と承諾したジュリ。
 テツオを飛ばし、その場から去って行った。

 一方、ぽろぽろと涙を零しながら呆然と立っているローゼ。
 ジュリの姿が見えなくなったあと、森の中へと向かって静かに歩き出した。

「おい、ローゼ」

 とリュウが呼んだが、ローゼの足は止まらない。

「帰りますにゃ…、お城に……。森を通った方が近いから……」

 ローゼの姿が暗い森の中に消えようかとき、シオンが歩き出しながら口を開いた。

「あいつのこと、ヒマワリ城の崖の下まで送ってくる。モンスターいるし危ねーからよ」

 呆然としながらふらふらと歩いているローゼの足に、シオンの足はすぐ追いついた。
 ローゼの腕を掴み、溜め息を吐く。

「城はそっちじゃねえ、こっちだ」

 シオンに引っ張られて歩きながら、やがてヒマワリ城の崖の下へとやって来たローゼ。
 崖の上を見上げる。

 ぴょんと飛んで崖の上に上れば、帰らなければならない城がある。
 だが、足が震えて動かない。
 帰るのが怖かった。

 ローゼを横目に見つめて数分。
 震えたまま飛べないでいるローゼに、溜め息を吐いたシオン。

「ったく、仕方ねーな……」

 と呟く。
 そしてローゼの方を向いて言った。

「おまえ、俺の女にしてやろうか」

 ――は?
 
 
 
 
 自転車に乗ってリーナ宅へと行き、葉月ギルドへと行ったミカエル。
 だが、どちらにもリーナの姿はなかった。
 携帯電話に電話をかけても出てくれない。

(どこへ行ったんだ、リーナっ……!)

 脳裏にリーナの泣き顔が浮かび、必死に探す。
 いつもリーナとジュリ、ローゼと共にハンターの仕事の合間や帰りに寄るクレープ屋の前を通り過ぎたとき。

 ポケットの中の携帯電話が鳴り響き、ミカエルは自転車に急ブレーキを駆けた。
 持ち上がった後輪が着地するのを待ったあと、ミカエルはポケットから携帯電話を取り出した。
 そこに出ている名を見て、急いで出る。

「もしもし、リーナか!?」

「…う…うん……」

 と返ってきたのは、リーナの涙交じりの掠れた声だった。

「今、どこにいるんだ? リーナっ……!」

「…お…お城の……、ヒマワリ城の、門のところ……」

 それを聞くなり、ミカエルは「すぐに行く」と言って自転車を猛ダッシュで再び走らせた。
 補助輪なしの自転車は、まだ乗りなれていない。
 でもリーナが泣いていると思ったら、不思議とよろけることなく走ってくれた。

 約15分後。
 息を切らしながらヒマワリ城の前へと辿り着いたミカエル。
 自転車から下りて、門の前に蹲っているリーナのところへと駆け寄る。

「リーナっ……!」

「ミカエルさま……」

 と立ち上がり、寄って来たミカエルの顔を見上げるリーナ。
 その頬は濡れていた。

「ご…ごめんな、電話にいつまでもでえへんでっ……」

 リーナの声が震えている。

「いや。大丈夫かリーナ?」

「…そ…その……な? う…うち、ジュリちゃんのこと、頑張ろうって決めたって、さっき言うたやろ? け…けどな…、うち……、そのなっ……?」

 懸命に笑顔を作るリーナの瞳から、幾多も涙が零れ落ちていく。
 堪えようとするのに、涙が止まらない。

 心が、胸が、えぐられるように痛い。

「もう、辛いねんっ…! ジュリちゃんのこと想ってるのが、辛いねんっ…! もうっ…、もう、うち耐えられへ――」

 リーナの言葉を遮るように、リーナの小柄な身体を抱き締めたミカエル。

「もう私にしてしまえ、リーナ。もう、見ていられん……!」

 と、声を震わせた。

 言われずとも、リーナはそのために来た。
 楽に、なりたかった――。

 ミカエルの肩に瞼を着け、その身体にしがみ付き、声を詰まらせる。

「ミカエルさまっ…、うち、甘えてもええかっ……?」

「当然だ! リーナのことは、私が幸せにする…! 必ずだ……!」

 顔をあげたリーナの唇に、ミカエルの唇が重なる。
 傷付いた心を癒してくれるような、優しいキスだった。

 瞼を閉じながら、リーナはジュリに語りかける。

(ジュリちゃん…、ばいばい……)

 ミカエルの腕に抱き上げられ、リーナがヒマワリ城の中へと入っていく。
 その上空を、テツオに乗ったジュリが通り過ぎていった――。
 
 
 
 
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