第120話 プロポーズ 後編


 葉月町のとある高級ホテルのスイートルームのバスルームにて。
 大きな円状のバスタブの中、只今ご機嫌斜めのシュウ。

 2時間ほど前、乗っていたヘリコプターごと海に落ちた。
 というか、落とされたようなものだ。

「あー、死ぬかと思った。まったく親父の奴、オレも一緒に連れて逃げろってんだ。昼間も死に掛けたし、今日のオレは厄日かよっ…」

「リュウさまはきっと、シュウなら助けなくても大丈夫だと思ったのよ」と、向かいにいるカレン。「あなた、もうそんなに弱くないでしょう?」

「…そ、そうか、それで親父っ……。…オレももう、親父に助けてもらおうなんて考えは持たないようにしないとな」

 と言ったあと、シュウはじっとカレンを見つめる。

(かぁーーーわいい嫁もらうんだし)

 カレンが首をかしげた。

「何かしら?」

「…あとでもう1回、ちゃんとプロポーズしてもいい?」

「えっ?」

 と、カレンの頬が染まる。

 まだカレンの左手の薬指にエンゲージリングがはまっていなかった。
 はめる前に、落としてしまったから。

「ヘリが墜落したあと、それだけは無くさないように持って帰ってきたんだ。さっきのプロポーズは何だかずいぶんと邪魔されちまったけど…。あとでもう1回ちゃんとプロポーズするから、受け取ってくれるか? エンゲージリング…」

 シュウを見つめるカレンの瞳が揺れる。
 少しの間のあと、カレンが微笑んだ。

「早くはめてほしいのですわ」

「じゃあ――」

「ちょ、ちょっと待った!!」

 と声をハモらせながら浴室に飛び込んできたのは、リュウとサラである。
   シュウがぎょっとしてカレンを背に隠す。

「はっ、入ってくんじゃねーよっ!! てか、まだ帰ってなかったのかよっ!?」

「きゃっ、きゃああああああっ! リュウさま覗かないでくださああぁぁあああぁぁあいっ!」

 と、カレンがぶん投げたシャンプーの容器を、リュウが片手で受け止めながら言う。

「待て、おまえたち! まだハメるな!」

 と、ポケットから財布を取り出す。
 サラも財布を取り出しながら言う。

「大事なもん忘れてるよ兄貴、カレンっ!」

「は…?」

 と首をかしげるシュウとカレン。
 リュウとサラが己の財布をごそごそとあさって取り出したものは。

「ほら、ゴム」

「へ…? な、何で今……?」

 とますます首をかしげるカレンの傍ら、シュウの顔が引きつった。

「はっ…、はめるの意味間違ってんじゃねえっ!!」

「は?」

 と眉を寄せるリュウとサラ。

「指輪だよ、指輪っ!! カレンは婚約指輪をはめてほしいって言ったんだよっ!!」

「指輪……」

 と呟いたリュウとサラ。
 数秒後、ようやく理解した。

「何だよ、指輪かよ。俺、祖父さんになる危機かと思ったじゃねーか。ああ、驚いた…」

「指輪ね、指輪。アタシ叔母さんになるのかと思ったじゃん。ああ、焦った…」

「え、ええとぉ…」と、苦笑するカレン。「ご、ごめんなさ…い……?」

「謝る必要ねえよ、カレン。ったく…」と、溜め息を吐くシュウ。「この父娘、どんな頭してんだか……」

 呆れ顔になってしまう。
 リュウがバスルームから出て行きながら言う。

「んじゃ俺たち帰るわ。さっきおまえたちにイイモノ買って来たから今夜使えよー」

 続いてサラがリュウの後を追いながら言う。

「ヘリウムガス買うついでに買って来たんだよね、可愛いやつ。おススメだよー。じゃね」

 とリュウとサラが帰って行ったあと。
 シュウとカレンは顔を見合わせて首をかしげた。

「イイモノ……?」
 
 
 
 入浴後のリビングルーム。
 用意されていたバスローブを身につけているシュウとカレンは、向かい合って座っていた。

 顔を傾けると、夜の葉月町を彩るネオンが見える。

(ヘリクルージングの意味なかったくらい綺麗だな、オイ。最初からここでプロポーズで良かったんじゃねーの、オレ…)

 とサービスのシャンパンを飲みながら苦笑してしまうシュウ。
 右手にはカレンへのエンゲージリングが握られていた。

 そこへカレンの手がグラスに伸びてきて声をあげる。

「あっ! コラ未成年っ!」

 ぺちんと手を叩かれ、カレンが口を尖らせた。

「シュウだって未成年なのですわっ」

「ハーフの飲酒は12歳から、人間の飲酒は20歳から! おまえはおとなしくジュースを飲んでなサイ」

「いいじゃない、ちょっとくらいっ! それじゃあたくしが子供みたいなのですわっ!」

「子供じゃねーか。大体、ビール一口でぶっ倒れるやつが……」

「うっ、うるさいのですわっ!」

 と、再びシャンパンの入ったグラスに手を伸ばすカレン。
 その手に届かぬよう、シュウがグラスを持ち上げて言う。

「ああもう、ダメだって言ってんだろうがっ! 師匠の言うことを聞けっ!」

「あたくし、もうあなたの弟子じゃないものっ!」

「う…、そうだった…。じゃ、じゃあ」と、咳払いをするシュウ。「か…、彼氏……い、いや、夫の言うことを聞きなサイ」

 と言ってみたら頬が染まった。

「…な…なに…何を言っているのかしらっ…!」と言ったカレンの頬も染まる。「あたくし、まだエンゲージリング受け取ってなくってよっ……」

「お、おうっ……」

 流れる数秒の沈黙。
 シュウが口を切る。

「…手、出して」

 緊張してぎこちなく頷いたカレン。
 左手をそっとテーブルの真ん中あたりまで伸ばす。

「もう一度言うけどさ」

 と、シュウがカレンの左手を取った。

 シュウの右手の人差し指と親指に持たれているエンゲージリング。
 温かい色をしたリビングのライトに照らされ、ダイヤモンドがきらきらと輝いている。

「オレ、おまえのこと絶対一生守ってみせるから…。そ、その…、えと…、だからさっ……? オ、オレのこと夫にしてくれねえっ?」

 カレンが吹き出した。

「何かしら、そのプロポーズ」

「わ、笑うなよ」

「まったくもう、仕方ないわね」と、微笑むカレン。「あなたのお嫁さんになってあげるのですわ」

「あざーすっ!」

 と笑ったシュウ。
 カレンの左手の薬指に、今度こそエンゲージリングをはめた。

 己の左手の薬指で輝いている、永遠の絆を意味する石――ダイヤモンド。
 それを見つめて微笑むカレンの赤茶色の瞳が揺れる。

「すごい…、とても綺麗なのですわ。あたくしが持っているダイヤモンドの中でも、一際輝いて見えるのですわ」

「もっちろん! 頑張って最高品質のものを選んだからな」

「あたくしの持っているダイヤモンドもほぼそうだけれど」

「ですよねそうですよねお嬢様ですもんねエエ分かってますハイ……」

 シュウ、苦笑しながらシャンパンがぶ飲み。
 カレンが続ける。

「たとえこれが品質の悪いものでも、きっとあたくしには一番輝いて見えたのですわ。……あなたからもらったものだから」

「――マ、マママママママ、マジンガーゼッツ(訳:マジで)!?」

 胸がきゅんとなったシュウ。
 シャンパングラスを置き、着ていたバスローブの紐をほどいた。

「マ、マママ、マイ・ワイフよ! ベッドルームにレッツゴオォォォ、オッケェェェェェェェイっ!?」

「えっ? えとっ…、オ…、オッケー…ですのよっ……!」

「リ、リ、リ、リ・ア、リィィィィィィィィィィ!?」

 と立ち上がったシュウ。
 バスローブを脱ぎ捨て、向かいのカレンに両手を伸ばして抱っこ。

 リビングからベッドルームへと向かっていく。

   カレンの唇を奪いつつ、カレンのバスローブの紐をほどき。
 カレンのバスローブを剥ぎ取り。
 下着もポイっと投げ捨て。

「フィーバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァっ!!!」

 と、絶叫しながらベッドに豪快にダーーーーーイブ!

 ……しようと思ったのだが、

「うっわぁ!?」

 ベッドの上に何かが置いてあることに気付いて、ダイブする寸前で急停止。
 勢い余ってよろけ、ベッドの淵に腰掛ける。

 シュウの膝の上に跨っている状態のカレンが、ベッドの上に置いてあるものを見てぱちぱちと瞬きをした。

「な、何かしら? ビニール袋ね」

「ああ、もしかして」と、シュウが続く。「これが、親父とサラの言ってたイイモノ」

 と、そのビニール袋を手に取ったシュウ。
 ビニール袋を逆さまにして中身をベッドの上にぶちまけ、眉を寄せる。

「は……?」

「まあ」と声を高くしたカレン。「何かしらコレ、手錠とアイマスクっ?」

「なっ、なっ、なっ…!」と、顔が引きつるシュウ。「何考えてんだ親父とサラのやつっ!! これじゃソフトSMじゃ――」

「可愛いのですわっ」

「って、喜んでんのかよおまえ!?」

「だって見て見て、シュウっ?」と、手錠とアイマスクを手に持つカレン。「手錠にも、アイマスクの淵にもピンクのファーが付いているのだものっ♪ ふわふわで可愛いのですわっ♪」

「…じゃ…じゃあ何だよおまえ……!?」と、赤面するシュウ。「おまえ目隠しされて手錠かけられたいのかっ!?」

「え…ええっ……?」と、シュウに続いて赤面したカレン。「そっ、そういうわけじゃっ…! で、でも…、こんなに可愛かったら嫌じゃないっていうかっ…そのっ……」

「え…えぇぇええぇぇぇえぇぇぇっ!?」シュウ、驚愕。「い、いいいいいいい、嫌じゃねえのっ……!?」

「そ、そ、そのっ、えとっ……、あ、あなたはしてみたいのかしらっ? そういうことっ……」

「そっ、そんな親父じゃあるまいしっ!」

 とか言いながら、カレンに手錠をかけ目隠しさせたところを想像したシュウ。

(……ちょ、ちょっとしてみたい…カモ……)

 それが本音である。
 シュウの顔を見つめているカレンが言う。

「…してみたいって顔してるわよ」

「えっ!? いっ、いやいやいやいやいやっ! オレそんなこと――」

「思っているのでしょう?」

「えっ!? …ええとっ、そのっ……!」

 と口ごもったシュウ。

(ダメだ、すっかり心の内を読まれてる…)

 数秒後、カレンから顔を逸らして呟いた。

「…ちょ…ちょっとだけ……」

 そんな言葉を聞いたカレンが、

「分かったのですわ」

 そう言って自らアイマスクを装着した。
 そのあと両手を背へと持っていく。

「シュウ」

「えっ!?」

「手錠」

「いっ、いいいいいいいいいいいいいいいのっ!?」

「嫌じゃないのですわ。そりゃっ…、ちょっと戸惑いはあるけれどっ…! あたくしは、もうすぐあなたの妻になるのだもの。できることならば何だってしたいのですわ」

「えっ!?」

「不思議ね。あなたが旦那さまになると思うだけで、今まで以上に愛しく感じるのはどうしてかしら…」と、カレンが微笑みながら頬を染めた。「……ほら、シュウ? 早く手錠。……かけたいなら早くして」

「……」

 シュウ、鼻から流血。

(なんかオレ、すーげー幸せ者じゃね?)

 カレンが上半身を少し倒して、頬をシュウの肩に埋める。

「これなら背中、見えるでしょ?」

「う、う、う、うんっ…」

 シュウが目を落とすと、そこにはカレンの小さな背。
 腰の辺りに握られた両手がある。

「し、しししししししししし失礼しやすっ、お嬢さんっ…!」

 と、カレンの両手に手錠をかけたシュウ。
 ぽたりと鼻血がカレンの背に垂らしてしまい、カレンの肩がびくっと小さく震える。

「きゃっ…! なっ、何っ!?」

「ご、ごめん、オレの鼻血…」

「び、びっくりしたのですわっ…!」

「ご、ごめんっ。でもそんなに驚かなくても…」

「だ、だって、何も見えな――きゃっ!」

「な、なんだよ? 肩に触れただけじゃねーかっ…!」

「だっ、だってぇっ…!」

 なんて、どぎまぎしている2人を見つめている2組の瞳。

 鋭く黒々とした瞳と、黄金の瞳。
 その正体は、

「目隠しすると反応いいよな、女って」

「何も見えないとドキドキのビクビクで敏感になるからね。手錠なんてかけられたら、なお更」

 帰ったフリして帰っていなかったリュウとサラである。
 ベッドルームの隅からシュウとカレンを覗き見しつつ、超・小声で話している。

「あっ、見て見て親父っ! 兄貴が溜まらずカレン押し倒したよっ!」

「カレンまじで乳ねーなあ。シュウが頑張って育てても挟めねえだろうなあ」

「カレンと初めてエッチしたとき、カレンに治癒魔法かけまくってたっていうの聞いたときも思ったけど、兄貴って優しいんだなあ…。常にカレンのこと気にしてるっていうか」

「もう少し強引に行けよ、アイツ。こうカレンが泣き声あげるような」

「もう少しって、少しじゃないじゃんソレ。にしても、いつ見ても兄貴の股間はえげつな…」

「俺のがでけーよ?」

「あんま自慢になんないわ、ソレ。女からすればキツイっての…」

「俺の可愛い黒猫――キラは日々喜んでいる」

「ハイハイ。…って、あれ? 兄貴もう後半行くんだ。カレンにあんな可愛い声出されちゃ溜まんないってかぁー?」

「よしよし、ゴムつけたな」

「そして後半」

「レッツゴォォォだぜ」

「おー」

「おー」

「行った行った」

「ハメてるハメてる」

「痛そー」

「良さそー」

「あー、でも兄貴やっぱ優しいや」

「あー、やっぱりカレンの乳揺れねえや」

 と、シュウとカレンのイトナミを凝視しているリュウとサラ。
 1回戦が終わったあと、顔を引っ込めた。

「んじゃ、帰ろっか親父」

「おう。俺もそろそろハメる時間だぜ」

 とリュウがサラの肩を抱き、物音を立てずに部屋を後にする。

 エレベーターでホテルの1階へと降りていきながら、サラはリュウの顔を見上げた。
 機嫌が良さそうだ。
 その一番の理由は、シュウの結婚が決まったことだろう。

「…ねえ、親父?」

「ん」

「リン・ランに、兄貴とカレンの結婚のこといつ言うの?」

「そうだな、帰ってすぐにでも言いたいんだが…。一週間後の三つ子の誕生日に皆集まるから、そのときに話すか」

「そう」

 と、顔を戻したサラ。

(この機嫌の良さのままなら、アタシとレオ兄の結婚も許してくれるかも……だよね?)

 リュウがサラの顔を覗き込む。

「それがどうかしたのか、サラ」

「ううん、聞いてみただけ」

「そうか」
「うん」

 と頷いたサラ。
 数秒後、再び口を開いた。

「ねえ、親父?」

「ん」

「何があってもアタシは親父の娘には変わりなくて、アタシはちゃーんと親父のこと好きだからね?」

「――」

 リュウの目が丸くなる。

「何? 親父」

「いや…」と、リュウがサラに横顔を見せる。「ほんの1年前までは、おまえからそんな言葉を聞けるとは思わなかったからな」

 そう言って、微笑んだリュウ。
 一瞬首をかしげたサラだったが、すぐに分かった。

(そっか、そうだよね…。アタシが親父と仲良くなったのなんて、ほんの1年前からだ。アタシは小さい頃から親父に甘えるのがヘタクソで、お姉ちゃんや妹たちが親父に甘えるのをずっと遠くから眺めてたっけ……)

 片手を伸ばしてリュウの腰を抱き、サラは笑って言う。

「だーい好きだよ、親父っ!」

「お…おおおっ」と輝いたリュウの瞳。「ちともう1回」

「大好きだよ、親父」

 エレベーターが1階に付き、ホテルの出入り口へと向かうリュウとサラ。

「もう1回」

「大好きだよ、親父」

「もう1回」

「大好きだよ」

「もう1回」

「大好き」

「もう1回」

「大好き…」

「もう1回」

「大好きだって…」

「もう1回」

「大好きだってば、もう……」

「もう1回」

 サラは溜め息を吐いた。
 ホテルから出て、声を大きくして言う。

「大好きだってば、親父っ! 次女・サラは親父のことが大好きですっ! 大・大・大・大好きですっ!!」

 だから、

(アタシとレオ兄の結婚を許して……くれるよね?)
 
 
 
 
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