第9話 ドールオーナー 後編


 大輝の言葉を聞いた隆志は、慄然として声を震わせる。

「ええ、分かってますよ。ここが本当は『ドールハウス』だなんてことは。的場先輩、あなたが嘘を吐いていたことは……!」

 大輝が先ほどもしたように、また「ごめん」と謝って頭を下げた。

「おまえのこと脅かしちゃいけないって思ってさ、言わなかったんだ。それからもう1つ……」と、大輝がまた「ごめん」と頭を下げる。「アリスとアリサは、ここに来たときから『中身入り』なんだ」

「――え……?」

 隆志が耳を疑って呆然とする中、大輝が続ける。

「おれ宛に持って来られたアリスとアリサを、おまえが自分の部屋に持ち込んだ時のことだけど。おまえ、訪ねて来たおれに向かって、何でここに持って来たことが分かったのかって訊いただろ? その答えだけど、それは『中身入り』だったから。最初はおまえの部屋になかった筈の、2人の少女の死霊を感じたからなんだ」

「…は…はい……? …な…なんですか、それ……!」

 隆志の口から、先ほどまでとは違う意味の震え声が出た。憤怒に戦慄き、堪らず怒号する。

「的場先輩、あの時僕に言ったじゃないですか! アリスとアリサは、供養する必要がないって! さっきだって、アリスには魂とか幽霊とか入ってないって言ったのに! 全部っ……全部嘘だったんですか!?」

 また「ごめん」と頭を下げた大輝が、すぐに「でも」と続けた。

「うちの寺で供養――抜魂してお焚き上げする必要がないって言ったのは、嘘じゃない。本当なんだ。少なくとも、おれはそう思ってる」

 そんな大輝の言葉をまるで理解出来なくて、思わず本音を漏らす隆志。

「頭、イカれてるんじゃないですか?」

 次の瞬間、愛香の蹴りが飛んで来て、咄嗟に頭を抱えて防御の体勢を取ったが、また大河に助けられたようだった。大河の両腕に抱すくめられて、愛香がじたばたと暴れている。

「離しなさいよ、大河! やっぱりこのガキ、ぶっ殺してやるわ!」

「落ち着いてください、お嬢さま! そんなことをされてはお嬢さまの美しいおみ足が折れてしまうと、何度言えば分かるのです!?」

 と大河が必死な様子で愛香を宥めると、それに続いた大輝。

「そうだ、落ち着け愛香。おれは大丈夫、気にしてねぇから」と愛香に笑顔を向けた後、再び隆志に顔を戻した。「そうだな、隆志。常人から見たおれは、頭がイカれてるように見えるだろうな」

 一呼吸置き、大輝が「でも」と続ける。

「アリスとアリサ、それからこいつら――愛香と大河の中身は、決して人間に害を与えるような悪い霊じゃねぇんだよ」

「――って、コレを見て言いますか、コレを見て」

 と、隆志が愛香により流血させられた己の鼻を指すと、大輝が苦笑して「ごめん」とまた頭を下げた。

「そういうことをするのは生前からの愛香の性格であってだな…そのぉー……ま、まあいいから気にすんな!」と話をはぐらかし、大輝は隆志から怒号される前に言葉を続ける。「アリスもアリサも、愛香も大河も、ただこの世に居たいんだよ。だから成仏できず、人間の形をした器――人形の中に入ったんだ。それなら人形としてでも良いから、この世に未練がなくなるまで存分に生きさせてやりたいだろ……?」

 と隆志に同意を求めた大輝だが、短く自嘲した。

「なぁーんて、分からないよな……イカれたおれの気持ちなんて」

「そうね、分からないんじゃない? コイツには」と答えたのは、愛香だった。「でも大輝、あんたはイカれてなんかないわ。あんたは優しいのよ…………バカだけど」

「一言余計っす、姐さん……」

 と大輝が苦笑する傍ら、大河が愛香に続いた。

「ええ、そうでございますね。大輝さまはとてもお優しい。寺へと持ち込まれたお嬢さまと自分を助けてくださったのも、大輝さまでした」

 そう言いながら、大河がキッチンの方へと向かって行った。少しして戻って来たその手には、水で濡らして絞ったタオルが持たれていた。大河が床に落ちているティッシュの箱を取り上げ、

「どうぞ、隆志さん」

 と差し出すも、受け取ろうとしない隆志に代わり、舞が受け取って隆志の鼻血を拭いてやった。そして大河の指示に従い、鼻血を飲み込まぬよう隆志に下を向かせ、水で濡らして冷えたタオルを鼻に当てつつ小鼻を指で摘んで圧迫する。

「舞さん、5分から10分ほどそのままで。そうすれば、きっと鼻血は止まりますので」

「うん、分かった。ありがとう、大河さん」

 と大河に笑顔を向けた後、舞は隆志に顔を戻した。その顔は『中身入り』の人形――アリサや愛香、大河を見つめて顔色無しだったが、身体の戦慄は治まったようだった。それを見て隆志は少し落ち着いたようだと判断した舞は、静かな声で話し出した。

「ねえ……、隆志? アリサが言ってたんだけどね、お人形みたいな人の形をした物って入りやすいんだって。でも中に入った所で、そう簡単に動けるものじゃないんだって。アリサや愛香さん、大河さんがどうして動けるのか分かる?」

「……」

 隆志の目が徐に己の方へと映ると、舞はその答えを口にした。

「あのね、何かをとても強く願う心があるからなんだって」

「そうよ!」

 と足元からアリサの声が聞こえて来て、隆志が目を落とすと、アリサが腰に手を当てて踏ん反り返るような姿勢で隆志の顔を見上げていた。

「こうして動くことって、とっても凄いんだから! 何かをとても強く願う心がないと、動くことなんか出来ないのよ! わたしは、わたしを拾ってくれた舞ちゃんが好き、だから舞ちゃんのために何かをしてあげたいって強く願う心があるから、こうして動いているのよ!」

 愛香が「そうね」と続く。

「私もよ。私も、ただただ生きたいって、とても強く願う心があるから動ける。だってこの世にはまだまだやってみたいことが沢山あるし、あっさりあの世に行ってたまるかってのよ」

 さらに、大河も「そうですね」と続いた。

「自分もです。自分の場合、そんなお嬢さまをお守りしたいと強く願う心があるから、ですね。なにぶん、人間時代の自分はお嬢さま側近の執事なものでして、それはもうお嬢さまが心配で心配で……」

「だからね、隆志……?」と舞は、人形たちの顔を見下ろしている隆志の顔を覗き込んだ。「アリスが炊事も洗濯も掃除も、全部やってくれてたのって、少しでも隆志の役に立ちたかったんだよ。こんなこと言うと、あたしもイカれてるって思われるのかもしれないけど…………アリスのことを愛しいって、思えない?」

「……」

 ふと、隆志が足元にいるアリサの前に膝を着いた。徐にアリサに差し出した右手は震えていたが、それは先ほどまでの慄然としていた隆志に比べたら微々たるものだった。
 アリサが「何よ?」と小首を傾げながら、差し出された隆志の右手の指先に、手を――アリスと同じ大きさの手を、ぽんと乗せる。それは隆志の指を一本だけしか握れないだろうほどの、とても小さな手だった。
 アリスは一体どうやって料理をしたのだろう。こんなに小さな手では、包丁一本思うように使えない筈だ。両手で包丁の柄を握って料理をしたのだろうか。ならばコロコロと転がる丸いジャガイモ等は支えるものがなくて、何度もまな板から落としそうになりながら切ったのだろうか。背の高い鍋なんかは手が届かず、調理台の上によじ登って掻き混ぜていたのだろうか。そういえばさっき、掃除機のホースを両腕に抱えて掃除していた。いつ見ても光り輝いていた廊下やリビングダイニングから察するに、もしかして掃除機だけではなく拭き掃除もしていたのだろうか。それは一人で体育館を雑巾掛けするようなものではなかろうか。それに60cm弱しかない身体では、洗濯だって楽ではないはずだ。洗濯機から取り出す際に、何度も何度も中に落っこちたりしていたのではなかろうか。

 そんなアリスの姿が脳裏に浮かび、隆志が不覚にも罪悪感に苛まれて胸を痛めた時、大輝が口を開いた。

「なあ、隆志。おれは霊感があるから、人形の中の人の気持ちを感じることが出来るんだけど……。アリス、すげえ嬉しそうだったんだぞ」

「嬉しそう……って?」

「おまえに雨で濡れた身体を拭いてもらって、ドレスも綺麗に洗ってもらって、すげえ嬉しそうだったんだぞ」

「え……?」

「舞ちゃんの言う通り、アリスはおまえの役に立ちたいんだよ。おまえの為に、あの小さな身体で懸命に頑張ったんだよ。そりゃ、常人のおまえが恐怖を感じるのは当然のことだと思うけど……けど、可哀想だろ?」と、大輝が声高になっていく。「拒絶しないでやれよ、寺で燃やしてやろうとか考えるなよ、アリスのこと愛してやれよ。アリスは……アリスはおまえのこと、大好きなんだよ!」

「――なぁーんて、ちょっと格好良いこと言った所で、頭がソレ(アフロ)じゃ決まらないっつの」

 と愛香に突っ込まれた大輝が赤面して喚く一方、隆志は玄関の方へと向かって行った。外へ出ようか寸前、後方から舞と大輝に名を呼ばれて足を止める。そして2人よりも先に、隆志が振り返らないまま口を切った。

「舞、的場先輩。僕はやっぱり、『中身入り』の人形が怖い」

 そんな隆志の言葉に舞と大輝が顔を見合わせて落胆した一方で、アリサが勃然として声を出した。

「ああそう! あんたって本当に臆病な男ね! そして無情な人間なのね! もういいわ! アリスはわたしと一緒に、舞ちゃんに――」

 舞に引き取ってもらう、と言おうとしたアリサの言葉を遮るように、隆志が「でも」と続けた。

「僕はアリスのオーナーだ。今までと変わらず、これからも」

「――えっ……?」

「怖いよ。『中身入り』の人形なんて、僕は本当に怖い。でも……でも、アリスのことを少しだけ可愛いって思ったんだ。だから僕は……これからも、アリスのオーナーでいるよ」

 それを聞いた舞とアリサが、「きゃあっ」と黄色い声を上げて欣喜雀躍する。
 その傍ら、安堵した大輝ははっと胸を突かれた。床を――隆志の部屋の方を見つめ、隆志の名を呼ぶ。隆志が振り返ると、そこには大輝の曇った顔があった。

「――た…隆志……」

「どうしたんです、的場先輩? 大丈夫ですよ、アリスのことこっそり供養に持っていこうとか考えませんから」

「いや、そうじゃない。そうじゃなくて……感じないんだ」

「え?」

 と一同が小首を傾げて大輝に顔を向けると、大輝が狼狽えた様子で続けた。

「隆志の部屋から、アリスの魂が感じないんだ。いつの間にか、アリスがいなくなってる……!」

「――」

 一瞬息を呑んだ隆志は、自分の部屋――101号室へと押っ取り刀で駆けつけた。その後を舞と大輝も付いて行く。廊下にも、寝室にも、トイレにも、バスルームにも、リビングダイニングにも、キッチンにも、ベランダにも、部屋のどこにもアリスの姿がなかった。

「ああ、大変…! どこに行っちゃったんだろう、アリス……! 今すぐあたしと一緒に、アリスを探しに行こう隆志!」

 と舞に手を引っ張られた隆志は、首を横に振って舞を引っ張り返した。

「舞も的場先輩も、学校に戻らないと駄目だよ。アリスがいなくなったのは、僕の所為だ。僕一人で探しに行く」

 そう言うなり隆志が部屋から飛び出して駐車場に出ると、後方から大輝の声が掛かった。

「待て、隆志!」

「何です、的場先輩っ……!?」

 と隆志が齷齪(あくせく)して振り返ると、大輝はこう言った。

「アリスは自分のこと、『いらない物』って思ったみたいだぞ」

 その言葉は一体何なのか。大輝は嫌味でも言っているつもりなのかと隆志は眉を顰めると、再びアリスを探しに駆け出した。
 隆志の背が見えなくなると、舞が顔を曇らせて問うた。

「ま、的場先輩。アリスはどこに行っちゃったんだろう。隆志は無事にアリスのこと、見つけ出せるかなっ……?」

「とりあえず、アリスは遠くないところにいるよ」

「えっ? 的場先輩、アリスの行方が分かるんですかっ?」

「うん…、こうして、隆志の後を追って駐車場に出てきた時に分かった……」と言うと大輝は、舞から隆志が走っていった方へと顔を戻して呟いた。「よく考えろ、隆志…。無闇に探し回るんじゃなく、おれの言葉の意味を……」
 
 
 
 
(あの小さな身体じゃ、そう遠くへは行っていないはずだ。きっと近くにいる)

 そう思い、隆志は近所を駆け回ってアリスを探す。電信柱の影、他人の家の庭、公園の隅々、犬小屋の中、コンビニやスーパー、路傍に駐車している車の下、廃墟となった建物の中、鬼百合学園の敷地内……等々。だがアリスの姿が見当たらなく、気付けば自宅アパートから結構な遠方へとやって来ていた。携帯電話で時刻を確認すれば夕刻。ここ宮城県では、まだまだ冷涼な春の夕風が隆志を吹き付けるが、その火照った頬には心地良いくらいだった。肩で息をして膝に手を付き、アスファルトと見詰め合えば、頭から汗がぽたりぽたりと滴り落ちていく。

(どこに行ったんだよ、アリス…! もしかして、もう他の誰かの所に行ってしまった……?)

 そんなことを不安に思った隆志だったが、そんな訳がないと首を横に振って思い直した。

(だってアリスは、あんなに一生懸命になってくれたんだ……他の誰でもなく、僕の為に)

 隆志は手の甲で頭から滴り落ちる汗を拭うと、再びアリスを探そうと足を踏み出した。その時、ふと大輝の言葉が脳裏を過ぎる。

 ――アリスは自分のこと、『いらない物』って思ったみたいだぞ。

 隆志は呟いて考えた。

「『いらない物』……? 『いらない物』ってどこへ行く……?」

 それはゴミ箱に入れ、後にゴミ袋に移し、そして――

「――あっ……!」

 と短く声を上げるなり、急いで隆志は踵を返す。大輝のあの言葉は嫌味なんかではなかった。アリスの居場所を示す、ヒントだったのだ。落ち着いて少し考えれば分かったことなのに。アリスが――

(アリスが、ゴミ捨て場にいることなんて……)

 自宅アパートの駐車場の隅、隆志はゴミ捨て場――ゴミを捨てる小屋の前で立ち止まった。弾んだ息を整え、小屋の引き戸を開ける。

「……何…してるんだよ……?」

 生ゴミ臭が隆志の鼻を突くとほぼ同時に、目に入った。やっと見つけた。ゴミ袋に紛れて、膝を抱えている人形を――アリスを。それは微笑んだ顔をしているのに、隆志の瞳には何故だかとても悲しそうに映った。泣いているのだと、感じた。

「こんな所で何してるんだって、訊いてるんだよっ……?」

 そう隆志がもう一度問うと、アリスの中から掠れそうな涙声が聞えてきた。

「…だ…大丈夫ですよ、ご主人さま……? わたしはもう、ご迷惑をお掛けしたりなどしませんから」

「ここに居たら、明日の朝にはゴミとして持って行かれる」

「はい。わたしは、必要とされない人形――邪魔な無機物――ゴミ。今のわたしの居場所は、ここが相応しいのです」

 そんなアリスの言葉に、隆志の胸が痛みを上げた。それと同時に鼻の奥がつんと痛くなるのを感じながら、声を震わせる。

「な…なんだよ、それっ……! 君のオーナー――僕が、いつそんなことを言ったんだよっ……!?」

 アリスが徐に隆志の顔を見上げながら、「え……?」と小首を傾げた。隆志は込み上げて来た涙を上を向いて堪え、言葉を続ける。アリスに言わなければならないことがある。

「…僕の為に料理をしてくれて、ありがとう…! 僕の為に掃除をしてくれて、ありがとう…! 僕の為に洗濯をしてくれて、ありがとう…! それから沢山の……沢山の、ごめん……」

「――…ご主人…さま……?」

「そう、僕は君のご主人さま――オーナーだよ」

 そう言って隆志がしゃがんだ。そしてアリスにすっと手を伸ばしたが、戦慄はしていなかった。

「迎えに来たよ。帰ろう……僕の人形――アリス」

 微笑んでいる隆志の顔を見つめながら、アリスがふらりと立ち上がった。そしてそっと隆志の掌の上に乗せた、その小さな小さな手は少し震えていた。それを握って引き寄せ、隆志はアリスを片腕に抱き上げる。正直、全く恐怖が無くなったと言ったら嘘になる。でもそれ以上に、とてもとても、アリスを愛しいと思った。

「――ああ…、ご主人さま……ご主人さまっ……! ありがとうございます、ご主人さまっ……!」

 声を詰まらせ、アリスが隆志の首に抱きつく。そして隆志と共に『ドールハウス』の101号室へと帰って来ると、隆志の青痣になった鼻や腫れた頬に触れて、こう誓った。

「これからはわたしが必ず、ご主人さまをどんな災いからもお守りいたします……!」
 
 
 
 
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