第1話 ミーナ12歳
――これは今からもう、8年前へと遡った話となる。
葉月島はもうすぐで凍えるような冬が終わり、春がやって来る。
(はーるが来ーたー、はーるが来ーたー♪ どーこーにー来たー♪ やーまに来ーた♪ さーとに来ーた♪ おれにもー来たあああああ♪)
昨日買いたてのふかふかの羽毛布団の中、目を覚ましたリンクの脳内に一足早く春の歌が流れていた。
その原因は……。
布団から覗く白猫の耳。
さらさらとした毛質の、ライドブラウンのおかっぱ頭。
ちょっと布団をめくれば、無防備な寝顔とピンク色の首輪がお目見えする。
「朝やでー、ミーナ」
ホワイトキャットのミーナを飼い始めたのは、つい昨日のこと。
モンスター狩の人間たちに追われ、大暴れしていたミーナ。
親友のリュウのところのブラックキャットのキラが何を言ったのか、ミーナはリンクのペットとなることになった。
理由あってずぶ濡れになった身体を拭くために一旦マンションに戻ったあと、ミーナにピンク色の首輪と好きな服を買ってやって、高級レストランのフルコースを堪能して、たくさんのビールとふかふかの羽毛布団を買って帰宅。
さんざん飲んで酔っ払って、リンクとミーナは一緒に羽毛布団に倒れて眠った。
ミーナが手の甲で瞼を擦る。
「…みぃ……?」
ミーナの愛らしいグリーンの瞳が、リンクの顔を見上げた。
「おはよう、ミーナ」
幼さの残るリンクの笑顔。
(悪くない)
そう、ミーナは思う。
「……ガキっぽいな、わたしの飼い主は」
「あっ、コラ」と、リンクが口を尖らせた。「朝起きたら、まずは『おはよう』って言うんやで? ほら、言ってみい」
ミーナが戸惑ったのち、リンクから目を逸らして呟くように言った。
「…ぉ…は…ょぅ……」
「……。まあ、ええか。よく出来ました」
リンクに頭を撫でられ、少しだけミーナの頬が染まる。
「あ、せや。風呂入りたいやろ? ちょっと待っててや」
リンクがバスタブにお湯を出して戻ってくると、携帯電話が鳴った。
「ふにゃっ!?」
と、ミーナがその音に驚いて小さく飛び跳ねた。
「大丈夫大丈夫、怖いもんやないから」そう言って笑ったあと、リンクは電話に出た。「はいはーい♪ ただいまごっつゴキゲンなリンクやけどー」
「キラだぞ」
「おう、キラか! 何、どうしたんー?」
「ミーナの様子はどうかと思ってな」
「どうって――」
「ミーナに代わってくれ」
と、キラが言うので、リンクはミーナの白猫の耳に携帯電話を当ててやった。
「ミーナ? 私だ、黒いのだ。キラだ」
「キ、キラっ?」
ミーナの声が裏返った。
あたりをきょろきょろと見回す。
「ど、どこだっ? 来ているのかっ?」
「これは電話と言って、離れていても話すことができるものなのだ」
「ほ、ほお。そうなのか」
「それで、ミーナ。ペットとなってみて、どうだ? 悪くないか?」
「う、うむ。わ、悪くはない」
「そうか。ならば良かった。野生の頃とは違う生活だからな、困ったときは私に言うのだぞ? 助けられることならば、助けてやるぞ」
「おおっ。頼りになるぞー、キラー。さすが先輩ペットだぞーっ」
と、目を輝かせてミーナ。
この頃からである。
ミーナが、キラの言動を全て正しいと思うようになったのは。
ミーナとキラがあれやこれやと話している間にバスタブに湯が溜まり、リンクは湯を止めに行って戻ってきた。
「ミーナ、風呂溜まったで。昨日場所教えたから分かるやろ? 服は脱衣所にある洗濯機の中に入れときや」
リンクがそう言うと、ミーナが携帯電話をリンクに渡してバスルームへと入って行った。
そのあと、リンクはまだ切っていなかった携帯電話に耳をつけた。
「もしもし、キラ?」
「なあ、リンク」キラが言う。「昨日風呂に入るとき、ミーナ大丈夫だったか?」
「いや、今初めて入るんやけど…?」
「たぶん大暴れするぞ。私がそうだったし」
「へ? 大暴れって――」
リンクの声を遮るように、ミーナの叫び声が響いてきた。
「ふぎゃあああああああああああああ!!」
ミーナがバスルームから素っ裸で飛び出してきて、リンクも驚倒して叫ぶ。
「うっわあああああああああああああ!! ばっ、おま! せめてタオルっ! タオル巻けーーーっっ!!」
「きっ、貴様っ!!」ミーナがリンクを指差して言う。「わっ、わたしを煮て食う気だったのだな!?」
「はぁ!? なっ、何言ってんねんっ!!」
「ああああっ、た、助けてくれキラアァァァァァァ!!」
と、リンクの手から携帯電話を引っつかんだミーナ。
慌てて耳に携帯電話を押し当てる。
「キラ!? いるかキラ!?」
「いるぞ、ミーナ。落ち着け」
「わ、わわわたし煮て食われるぞっ! 食われるのだっ!!」
「落ち着け、ミーナ。それは風呂といってな、慣れれば気持ちの良いものなのだぞ」
「そ、そそそ、そうかっ。そうなのだなっ?」
「うむ。私も最初は怖かったが、リュウに抱っこしてもらって入ったから大丈夫だったぞ」
「そ、そ、そうかっ…」と、ミーナがリンクの顔を見上げた。「主に抱っこして入ってもらえば良いのだなっ? 初めての風呂というものはっ……」
え?
目をぱちぱちとしたリンク。
みるみるうちに顔が赤くなっていく。
「ばっ、おまっ……! なっ、何言って……!!」
「よし、分かったぞキラ! 初めての風呂、がんばるぞ!」
そう言い、携帯電話をベッドの上にぽーんと投げたミーナ。
必死な様子で、リンクの腕を引く。
「リンク、一緒に風呂入ってくれっ!」
「あっ、あかんっ、あかんあかんあかんあかんあかん!! そんな12にもなって!!」
「こーわーいーのーだあああああっ!!」
「入ってみれば馴れるから! すぐ馴れるから! な!? 頼むから一匹で入ってやああああ!!」
逃げ出すリンクの背に、ミーナがしがみ付く。
「いーやーだあああああああ!!」
「かっ、勘弁してえええええっ!!」
リンクはベッド上の携帯電話を再び手に取り、半ばパニックになりながらリュウに電話をかけた。
キラが出ると思ったのだが、聞こえてきたのはリュウの声だった。
「なんだよ、リンク」
「リュ、リュウ! ちょ、た、助けてっ! ふ、風呂っ、風呂一緒にって……!?」
「一緒に入ってやれよ」と、リュウはあっさりと言う。「ミーナの主だろ、おまえ」
「せっ、せやけどっ…せやけど……! おっ、女の子なんやで!?」
「俺だって女のキラと一緒に風呂入ってるぜ」
「おまえらはすでに大人の付き合いしてるからえーねん! おれは!? 一緒に風呂入れって……えええええ!?」
「なんだよ、リンク。おまえ、ガキ相手に興奮すんのかよ。変態め」
「ちっ、ちゃうわっ!!」
「じゃあ一緒に入ってやれよ。んなに狼狽してっと、本当に変態なんじゃねーかって逆に疑うっつーの。じゃーな」
「ちょっ、待っ――」
待ってくれ!
というリンクの願いなんてお構いなしに、リュウは容赦なく電話を切った。
(逆に変態かと疑われる…!? そ、そう言われるとそうかも……!?)
動揺するリンクの背で、ミーナが泣き出す。
「ふみゃあああん! 怖いのだっ! こーわーいーのーだあああああ!!」
「な…泣くなやっ…! …わ…わかったから……」
バスルームへと向かうリンクの手足が同時に動く。
脱衣所に入って、リンクが腹に回っているミーナの腕をはがす。
「ほ、ほら。離してや。服脱げないやろっ……」
「う、うむ」
ミーナが泣き止み、リンクから手を離して涙を拭った。
リンクは服を脱いで、背にいるミーナにさらに背を向けさせてからキャラクター柄のトランクスを脱いだ。
しっかりと腰にタオルを巻いてから言う。
「もうええで、こっち見て……」
ミーナは振り返ると、急いでリンクの前に回った。
必死な様子でリンクの首にしがみ付く。
「だっ……抱っこするのだっ! 抱っこ! お、落とすなよっ!?」
「わ、分かっとるっ……」
リンクは言いながら、小さなミーナの身体が落ちないように左腕で抱き締めてやった。
まだ子供でも、やっぱり女の子の柔らかさをリンクの胸元に感じた。
リンクがバスタブに足を入れて、ミーナの足先が湯に触れる。
「みゃっ」
と、ミーナがびくっとして足を折り曲げた。
「大丈夫やて、大丈夫」
リンクはそう言って、ゆっくりと湯の中に入っていった。
怯えたミーナの爪が肩や首に突き刺さる。
はっきり言ってえらく痛いが、リンクは堪えて何ともないふりをし、ミーナを落ち着かせるように言ってやる。
「ほら、大丈夫や。怖くないやろ?」
リンクがミーナの小さな肩などに湯をかけてやると、やがてミーナが落ち着いてきた。
リンクにしがみ付いている腕の力が抜けていく。
そのときになって、ミーナはようやく気付いた。
自分の爪で、リンクの首や肩から血が出ているのを。
「あっ…!」
ミーナの顔が狼狽し、リンクは笑いながら言う。
「なーに、これくらい平気やって。おれやて一流ハンターやから、これくらいの傷なんて――」
えっ……?
リンクは言葉を切った。
首に、肩に、ミーナの舌を感じて。
「ちょ、ちょちょちょちょ……!?」
リンクの顔が真っ赤に染まっていく。
一方のミーナは、焦った様子で血の出ているリンクの首や肩を舐めている。
「ごっ、ごめんなさいっ…ごめんなさいなのっ……!」
「い、いやいやいやいやいやいや! い、いいいいいいからっ! いいからミーナっ…! 平気やからっ! なっ!? もう舐めないでええから! なっ!?」
ていうか、やめてくれ!!
リンクは慌ててミーナを引き剥がした。
心臓がばくばくで爆発しそうだ。
「ミ、ミーナ!? ふ、風呂、も、もう慣れたか!? 慣れたやろ!?」
「うむ、もう大丈夫だぞ。それより傷――」
「えーーからっ!! もう舐めんでえーーーからっ!! ほ、ほなっ、おれ先に上がってるなっ!?」
そう声を裏返して言って、立ち上がったリンク。
ズルッ
腰からタオルが落ちた。
「――!?」
「? リンク、何だソレ?」
「みっ、見ないでえええええええええええ!!!」
ありがたいことに、ミーナは無事、次から一匹で入浴してくれるようになった。
リンクがミーナを買い始めてから約2ヵ月半。
ただいまリンクとミーナは、リュウ・キラと共に睦月島にいる。
葉月ギルド長の別荘で寝泊りしているのだが、リュウとキラは2階にあるベッドで、リンクとミーナは屋根裏部屋で眠っている。
現時点で21歳のリンクと12歳のミーナは『おやすみのチュー』を頬にする程度。
リンクはそれ以上はする気ないし、考えていなかったのだが。
この日の夜、ミーナが布団の中で突然こんなことを訊いてきた。
「なあ、リンク? あと数年したら、リュウとキラが特に夜にやっていることをわたしに教えてくれるのか?」
つまり、夜の営みである。
「な……」暗闇の中、リンクは赤面した。「なんやねんっ、いきなりっ……!?」
「今日、リュウに言われたのだ。わたしもあと数年すれば教わるって」
「なっ…なにいってんねんっ、リュウの奴っ……!」
「教えてくれないのか?」
「えっ!?」リンクの声が裏返る。「いや、その……。お、おまえが20歳になったら考えるわっ……」
「まだまだではないかっ」ミーナの頬がむくれた。「リュウはそれが大人の愛情表現だと言っていた! わ、わたしだってあと数年すれば大人ではないかっ…!」
「お、おれからすれば子供なのっ! そ、それは本当に大人の行為なんやからなっ…!? やり方によっちゃ、お腹に赤ちゃんできんねんからなっ……!?」
「赤ちゃん」ミーナが鸚鵡返しに言った。「大人の行為をすると、赤ちゃんができるのか? 大人の行為ってどんなことをするのだ?」
「え…えと…、せやから……な?」
「うむ?」
「大人の行為とは……コ、コウノトリさんを一緒に呼ぶことや!」
「おお」ミーナが声を高くした。「そうか、コウノトリという鳥が、赤ちゃんを持ってきてくれるのか! リュウとキラは、いつも一緒にコウノトリの名を叫んで呼んでいるのだな! それが大人の行為なのだな!? ……あれ、でも」
と、ミーナの疑問が続く。
「リュウとキラは毎晩コウノトリを呼んでいるのに、コウノトリは来ないのか?」
「えっ?」
「なあ、どうしてだ?」
「あ、あ、あれやな、きっと。窓閉まってて入ってこれなかったんやなっ」
「何。残念なことをするぞー」
「そ、それかコウノトリさんが忙しいんやなっ」
「ほお。そうか、コウノトリは色んな人に赤ちゃんを配って回らないといけないからなっ」
「そ、そうそう。あは、あははは」
ミーナがコウノトリを知ったのは、このときだった。
そしてこれを、ミーナは結婚するまで信じることになるのだった。
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