第1話 ブラックキャット
ハンター歴たった4年目にして、超一流ハンターと呼ばれるようになっていたリュウが彼女と出会ったのは、蒸し暑い夏の夜のことだった。
除湿ばっちり、冷房のきいた自宅マンション7階のリビングでウィスキーをロックで飲んでいたリュウは、外が騒がしくなっていることに気付いてグラスをガラステーブルの上に置いた。
(また、モンスター狩の輩か)
最近のここ葉月島では、犬や猫などの小動物の他に、モンスターをペットとすることが流行っていた。
モンスターを飼うなどと危険極まりないが故に、モンスターを飼うには、普通の人間よりも強い力を持った者だけが取得することができる、ハンターという資格を必要とする。
また、モンスターを飼えるのはハンターだけだが、捕まえるのは一般人でも可。
そのため、高値で取引される人気の種族のモンスターを捕まえようとして返り討ちに合い、命を落とす者が後を絶たないでいた。
(それにしても、今日は一段とうるせーな)
よほど人気の種族のモンスターでも現れたのだろうか。
リュウがそう思ったとき、テラスに物音がした。
「なんだ…?」
リュウはソファーから立ち上がると、リビングとテラスを遮る窓へと向かって歩いていった。
カーテンを開け、いつも鍵をかけていない窓を開ける。
テラスへと一歩足を踏み入れると、すぐに目に入った。
(女…、ブラックキャットの)
手擦りの前に、ブラックキャットというモンスターのメスが息を切らしてうずくまっている。
(うるせーわけだ)
リュウはモンスター狩の輩が必死になっている理由を理解する。
ブラックキャットは1、2を争う人気種族で、外見は人間に黒猫の耳と尾をつけただけ。
知能も高く、人間との会話も可能なことから、とにかく人気があった。
「おまえか、追われていたのは」
「――!?」
そのブラックキャットの彼女がリュウに気付き、顔を上げ牙を剥いてリュウを威嚇する。
(なるほど)
と、リュウは改めて納得した。
(捕まえたがるわけだ、このブラックキャットを)
月の光で輝く銀色のガラスのような長い髪、真っ白で細雪のような肌、黄金の大きな瞳、繊細な顔立ち、外見年齢は18歳から20歳といったところだろうか。
幾多のモンスターを見てきたリュウでさえ初めて見るほどの、美しいブラックキャットだった。
彼女を捕まえて売れば、どんな貧乏でも一瞬にて大金持ちだ。
「来るな!」と、彼女が声を張り上げる。「こっちへ来るな! 来る…な……!」
彼女の瞼がだんだんと閉じていき、彼女はその場に気を失った。
リュウが彼女に近寄って見ると、小柄な彼女の身体には麻酔銃の針が多数刺さっていた。
彼女を抱き上げ、室内へと戻る。
リュウにとっては、人間の赤子どころか子猫一匹分の重さほどしか感じなかった。
彼女の身体に刺さっている針を全て抜き、治癒魔法で外傷を治療し、寝室のベッドに寝かせる。
麻酔が効いているせいで、きっとしばらくは目を覚まさないだろう。
リュウは仕方なくリビングのソファーで眠ることにして、寝室を後にした。
「モンスターのペット……か」
なんて少し興味を持って呟いた2秒後、リュウは夢の中へと誘われていった。
ハンターの仕事は、決して楽なものじゃない。
翌朝、リュウはリビングのソファーで目を覚ました。
まだ重い瞼を閉じたまま口を開く。
そろそろとテラスの方へと歩いていく彼女へと向かって。
「おい」
彼女が驚いて、ぴょんと飛び跳ねたのが分かった。
「気をつけて帰れよ」と、リュウは続けた。「まだおまえを狙ってる輩がいるかもしれねーからよ」
「……」
彼女はテラスから帰っていった。
その晩のこと。
リュウが仕事から帰宅すると、リビングの窓が開いていた。
(泥棒…?)
そんなことを思って、いつもリビングの窓の鍵を閉めていないことを少し後悔しつつ、リュウは全室内を見て回った。
だが、一切荒らされた気配はなし。
再びリビングに戻り、窓を閉めようとしたときに気付く。
風でひらひらと揺れているカーテンで、床に見え隠れしているものがある。
リュウは眉を寄せてしゃがみ、それが何か確認した。
「……。礼のつもりだろうか、これ…」
そこには、一匹のネズミの死骸。
リュウはテラスに誰もいないことを確認してから、窓を閉めた。
やっぱり鍵はかけないでおくことにした。
それから3日。
風呂上りにビールを飲もうと、冷蔵庫から缶を取り出しソファーに座った途端、緊急の仕事の電話が入ったリュウは、ビールの缶をガラステーブルの上に置きっぱなしにして家を飛び出した。
2時間後に帰宅すると、またもやリビングのカーテンが風に吹かれて揺れている。
(あのブラックキャット、また来たのか)
そう察しながら、リュウがふとガラステーブルの上に目をやると、そこには開けていないはずのビールの缶が開いている。
おまけに空っぽ。
開いている窓付近の床に顔を向けると、そこにはまたもやネズミの死骸。
しかも、今度は3匹だ。
「……。礼のつもりか、やっぱ」
次の日からリュウは、仕事へ行く前に何かしら飲食物をガラステーブルの上に置いていってみることにした。
といっても、食事は外食で済ませるリュウの冷蔵庫には酒と水しか入っていないが。
ビールを1缶置いていくと、ネズミが3匹。
焼酎をグラス一杯置いていくと、ネズミが1匹。
ウィスキーをグラス一杯置いていくと、ネズミが2匹。
ワインをグラス一杯置いていくと、ネズミが1匹とネズミの尻尾が1本。
水をコップ一杯置いていくと、何もなし。
ビールを2缶置いていくと、ネズミが6匹。
と、色々試した結果、彼女はビールが好きなようだった。
それが分かった日から、リュウは仕事へ行く前にはガラステーブルの上に必ずビールを置いて行くようになった。
「しっかし……」とリュウは、揺れているカーテンを見ながら呟く。「臆病な猫だな」
季節はもうすっかり秋。
あれから彼女がリュウに姿を見せることはない。
今日は仕事が早く終わって昼過ぎに帰ってきたのに、彼女はもう出て行ってしまったようだった。
(無事なようだからいいが)
彼女がこうしてビールを飲みに来て、ネズミの死骸を置いていくということは、彼女が人間に捕まっていない証拠となっていた。
リュウがネズミの死骸を片付けていると、インターホンが3回連続で鳴った。
そのあと1秒置いて、インターホンが鳴り続ける。
こんな迷惑な鳴らし方をするのは、リュウが知っている人物の中でただ1人。
リュウはどかどかと足音を立てながら玄関へと向かい、相手の顔面にぶつける勢いでドアを開ける。
「うるせーんだよ、てめーは」
「いっよーう! さっきぶりやな、リュウ!」
ひょいとドアを交わして顔を覗かせたのは、リュウの予想通りの男。
名をリンクという。
リュウのハンターの同期、つまり仕事の同期で、年齢も20歳とリュウと同い年。
長身・黒髪・落ち着いたイメージを持たれるリュウとは裏腹に、明るい金髪に童顔なリンクは15、6歳に見られることも少なくない。
生まれ故郷の訛り口調は、ハンターになるために葉月島へやってきて、4年経った今でもあまり抜けないようだった。
「今日は仕事早く終わったし、軽く飲まへん?」
なんて言って、リンクはリュウの承諾を得る前に中へと入っていく。
仕方ないと溜め息を吐いて、リュウはリンクの後を追ってリビングへと向かった。
リンクは両手にビニール袋をぶら下げていて、その中身は酒とつまみ、それから1冊の雑誌。
「こんなの売られ始めたのか」
その雑誌は『NYANKO』という、猫科モンスターの専門雑誌だった。
ぺらぺらと雑誌をめくって大まかに中身を見ると、猫科モンスターの紹介の他に、猫科モンスター用のファッションや、ペットの印として必ずつけなければいけない首輪のカタログが載っている。
「可愛いよなー、猫モンスター」と、リンクが缶チューハイの缶を開け、リュウから雑誌を取って言う。「おれ、最近ほしくて仕方あらへんねん。ブラックキャットとか、ホワイトキャットとかの、人間に近いやつ。あ、もちろん女の子で」
「おまえが言うと下心丸出しだな」
「うっさいわ」とリンクが唇を尖らせた。「リュウにはもてへん男の気持ちが分からんのや。ええよなー、リュウは。女の子にきゃーきゃー言われて。めっさ無愛想やのに」
「うるせーよ」
それに、とリンクが続ける。
「エッチしたくて飼ったってええやないかい。ブラックキャットとかホワイトキャットとか、飼い主の愛情めっさ与えてやらんと家出すんねんで? おれの知り合いハンターが言っとった。恋人作ったらペットのホワイトキャットが家出して、捜索願出して3ヶ月後にようやく見つかったんやけど、帰りたくないってごっつ抵抗するもんやから、仕方なく彼女と別れたら、ようやく戻ってきてくれたんやって」
「ふーん。ホワイトキャットやブラックキャットを飼うってことは、一生女を作れないってことを覚悟……っていうことだな、リンク」
「う……」リンクの顔が引きつる。「も…もう少し考えてからにしよかな……」
そうしておけと頷いて同意し、リュウは溜め息を吐いた。
「女が寄ってきたら浮かれて片っぱしから受け入れそーなおまえには向かねーよ。それに、ブラックキャットもホワイトキャットも一見人間みてーだが、最強モンスターの一種だってことを忘れんな」
そのことを完全に忘れていたリンクは、思わず顔面蒼白してしまう。
「せや、ブラックキャットもホワイトキャットも最強モンスターやん! 喧嘩になったらおれが殺されるやん! そんなん、超一流ハンターしか飼えへんやん!」
「俺みたいな」
「自分で言うなっ、むかつく」
「事実だ」さらりと言い切りながら、リュウはリンクの手から雑誌を奪い返した。「おまえ、もうこれいらねー?」
「ああ…、いらんわ」
「じゃー貰う」
「え、なんでやねん」と、リンクが首をかしげる。「猫モンスター、飼う気なん?」
「見るだけ」
「ふーん? …あ、テレビゲームやってええ?」
「おう」
リンクがテレビゲームを始める傍ら、リュウは『NYANKO』を表紙から最後まで1ページずつ目を通しながらめくっていった。
今日仕事へ行く前、リュウはガラステーブルの上にいつものようにビールの缶と、それから『NYANKO』を置いていった。
『NYANKO』を彼女が読む気がして。
案の定、リュウが仕事から帰ってくると『NYANKO』のページが開かれていた。
窓辺のネズミの死骸と空になったビールの缶を片付けたあと、リュウはソファーに座って開かれているそのページを見つめる。
そこには、これから迎える冬用の白いコートが載っていた。
(似合いそうだな)
まだ一度しか目にしたことのない彼女の姿を思い浮かべながら、リュウはそのコートが売られている店へと電話をした。
3日後。
届いた白いコートを、ガラステーブルの上にビールと共に置き、リュウは仕事へと向かった。
帰ってきてリビングの窓辺を見たリュウは、思わずぎょっとしてしまう。
「そ、想像はしていたが……」
そこにはネズミの死骸の山。
テーブルの上に置いておいた白いコートがなくなってることから、これはきっとその礼。
彼女はよっぽど嬉しかったようだった。
そして今度は、ブーツが乗っているページが開かれていた。
その次はスカート、そのまた次はショートパンツ、そのまたまた次は……etc
そんなことをやっているうちに、月刊『NYANKO』は3冊に増え、新年を迎えた。
正月といっても超一流ハンターのリュウは忙しく、普段と変わらない日々を過ごしていた。
そんな何のお目出度さも感じられる暇なく新年を迎えて半月、リュウが仕事から帰宅すると、ガラステーブルの上にいつものように『NYANKO』が開いて置かれていた。
ソファーに寝転がって、『NYANKO』を手に取り、その開かれているページを見てみる。
「首輪…」
赤い首輪のページ。
ペットの証となる、首輪のページ。
その意味を彼女は知っているのか、知っていないのか。
リュウの胸が感じたことのない動悸を上げる。
リュウはソファーから半ば転げ落ちながら、放り投げておいた携帯電話を手に取った。
首輪が届いたのは3日後。
でも、リュウは10日くらいかかったように感じられた。
ガラステーブルの上に首輪とビールの缶を置き、リュウは仕事へと向かった。
(いるのか、いないのか)
本日の仕事を終えたリュウは、自宅のドアノブを握ってごくりと唾を飲み込む。
期待か、不安か、そのどちらもか、今朝家を出たときから胸が動悸を上げたまま静まらない。
こんな感情にさせられたのは、生まれて初めてのことだった。
(いるのか、いないのか)
ドアノブを捻り、ドアを開け、靴を脱ぎ、リビングへと続く廊下を歩いていく。
(いるのか、いないのか)
廊下とリビングを遮っているドアの手前、一度立ち止まったリュウ。
(頼む)
と目線の先のドアノブを握り、
(いてくれ)
そう願いながら、ドアを開けた。
その瞬間、小さく息を飲む。
「い…た……!」
暗いリビングのソファーの上、開けられたカーテンから差し込む月明かりで映されている。
ブーツを脱ぎ捨て、コートを脱ぎ捨て、赤い首輪をした一匹のブラックキャット――彼女が、横臥して眠っている姿が。
(俺の……)
電気をつけるのも忘れて彼女に歩み寄りながら、リュウの動悸が増していく。
(俺の猫……)
リュウが彼女のガラスのような髪の毛にそっと指を通すと、彼女はゆっくりと瞼を開けていった。
彼女のその大きな黄金の瞳が、リュウの黒々とした瞳を捕らえる。
「俺はリュウ。……おまえは?」
「……キラ」
「そうか…、キラか」リュウの手が彼女の、キラの赤い首輪に触れた。「本当に……、いいんだな?」
キラが頷いて、リュウの首にしがみ付く。
「そうか…、俺の猫か」
リュウの唇が、キラの唇に重なった。
キラのこのガラスのような髪も、黒猫の耳と尾も、白い肌も、大きな黄金の瞳も、華奢な手足も、豊かな胸も、細い腰も、冷たい爪先も、リュウは全て愛した。
いつからこの猫を欲していたのか、堰を切ったようにキラの全てを奪った。
キラと出会ってから半年。
雪がちらほらと舞い散る、冬の夜のことだった。
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