第9話 師匠


 リュウ一行が睦月島から葉月島へと帰ってくると、新緑の季節となっていた。
 花見のときの騒ぎは無事に収まっており、葉月ギルド長とハンターたちが必死にリュウのマンションを一般女性たちの耳に入らないようにしてくれていた。
 葉月町を歩くと時々声をかけられるものの、リュウ一行は今まで通り過ごせそうだった。
 なんとも有難いことだった。
 しかも、睦月島でリュウ一行がどれだけ働かされたかを知った葉月ギルド長が、リュウ一行に3日間のオフをくれた。
 頭はハゲかけで時には殺意すら覚えてしまうギルド長が、リュウは一瞬だけ天使のように見えた。
 揉め事が多かった睦月島生活も、キラの手料理はほぼ毎日食べれるし、キラに約束の奉仕をしてもらうしで、何だかんだで結果は幸せだった。
 だから、リュウを追ってギルドに押し寄せた一般女性たちによって破壊されたギルドの修理代の請求を、リュウは文句言わずに支払った。
 1日だけだが、ギルド長に女と酒という酒池肉林の楽園をプレゼントした。
 
 
 
 オフ2日目のリュウのマンション。
 昼食後テラスの椅子にリュウと一緒に寝転がって、キラがうとうととしながら言う。

「ああ…、やはり私たちの家は落ち着くな」

「ああ、落ち着くぜ……」

「ああ……、やはり私はここが大好きだ。今さら他のところへ引越したくないな」

「そうか」リュウはキラの小さな身体を抱きしめた。「おまえがそう言うなら、ずっとここに住むか。いつか、おまえが駆け回って遊べるような、でかい一軒家でも建てようかと考えてたけどな」

「……。それも良いな」

「んじゃー、ここも買って家も建てるか」

「良いな、それ。ミーナも一緒に遊べるようなでかい家に住んで…、ここに来たくなったら来て……それで…………」

 キラが夢の中に入っていった。
 リュウもキラの額にキスして、目を閉じる。

(いつかでかい屋敷を建てたとき、俺とキラの子供とかいんのかな……。人間とモンスターは結婚できねーけど…、そんな紙切れ一枚で決まるものなんて、なくてもいい……。キラに似合うエンゲージリング買ってやって、キラにウェディングドレス着せてやって、キラと2人だけで式挙げてーな……。あぁ、でも、リンクとミーナくらいは呼んでやるかな、うるせーだろうし…………)

 キラに続いて夢の中に入っていったリュウ。
 幸せな夢を見れそうだった。

 と、いうのに。

「ぎゃっ…、ぎゃあああああああああああああああ!!」リンクの声でリュウとキラは目を覚まされた。「たっ、助けてリュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 テラスの柵に、リンクがミーナを背負ってぶら下がっている。

「ミーナおまえっ…! 瞬間移動上手くなったんちゃうんかい!」

「葉月島ではあまり使ってなかったから、ちょっと失敗したのだっ! ふみゃああああああっ、助けてキラァァァァァァァァァァァァ!」

 ミーナに泣き叫ばれ、キラが慌ててリンクとミーナをテラスへと引き上げた。

「大丈夫か、ミーナ?」

「えぐっ…、えぐっ…! 怖かったキラァァァァァァ!」

 キラの腕の中、ミーナがキラの胸でしゃくり上げる。

「あー、また死ぬかと思っ――」

 と、冷や汗を拭うリンクの顔にはリュウの蹴り。

 ドカッ!

「ぶっ!!」

「いよう、リンク。俺とキラの心地よい眠りを覚まさせるってことは、よっぽどの用事なんだろうな? え?」

「いったいやないかい! 何すんねん!」

「うるせー、式呼んでやんねーぞ、てめえ……!」

「はぁ…? 何の話か知らんけどな、ちゃーんとよっぽどの用事やで!」

 どうやら嘘ではなさそうなので、リュウはリンクから足を放して訊いてやった。

「何だよ、よっぽどの用事って」

「その様子やと、やっぱり聞いてなかったんか。携帯の電源どころか、家電の線まで引っこ抜いてるやろ、おまえ」

「当たり前だ。せっかくのオフを邪魔されたくねえ」

「携帯の電源入れて、留守電聞いてみぃ」

 リンクが苦笑した。
 リュウは携帯電話を取り出し、電源を入れて一件の留守電を聞いた。
 キラも黒猫の耳を傾けて聞く。
 男の声だ。

「もしもしー? あの、私『NYANKO』という雑誌の編集者をやっておりますグレルと申しますがー……」

 グレル。
 その名前を聞いて、リュウは眉を寄せた。

(グレルという名に、この声…)

 リュウは留守電の続きに耳を傾ける。

「なーんて、改まってみちゃったりしてよ! がっはっはっ! オレだよ、オーレ。グーレールっ! 元気かー、リュウ。見てたぜー、この間の花見のテレビ! おまえんとこのブラックキャットすげえ可愛いじゃねーかよ! オレに言えよな、まったくおまえは水くせーなっ! リンクのとこのホワイトキャットと一緒に、雑誌の取材受けてくれよ! じゃ、そういうわけで良い返事期待してんぜ! まったなー♪」

 留守電の再生が終わった。
 リュウの顔が引きつる。

「…な…、何故だ…! 何故あの人が俺の携帯番号を知っている……! あの人から逃れるために、わざわざ番号変えたのに……!」

 リンクが苦笑して言う。

「ギルド長から聞き出したっぽいで」

「はぁっ? 俺の個人情報黙ってくれてたんじゃ――」リュウははっとして言葉を切った。「あのおっさん……!」

 わなわなとリュウの身体が震える。

「賄賂受け取りやがったな!?」

「あったり?」リンクががっくりと肩を落とした。「ギルド長のおっさんのこと、一瞬でも見直すんやなかったな……」

 キラがリュウとリンクの顔を見て首をかしげた。

「その、グレルって人間は何なのだ?」

 キラの質問に、リンクが簡単なプロフィールを口にした。

「年齢29歳、身長195センチとリュウを10センチも上回る大男で、葉月島超一流ハンターの1人。ハンターは誰でも資格を取ってから1年間は先輩ハンターに弟子入りせんとあかんのやけど、その頃におれとリュウが世話になった人で――」

「世話になった」リュウが口を挟んだ。「なんて思えるか! 使いっぱしりばっかだったじゃねーか!」

「でも、あれなのだな?」キラが笑顔になった。「グレルという男はリュウの師ということなのだな? 『NYANKO』の編集者だっていうし、会ってみたいぞ」

「ばっ、おま……!!」リュウの顔が驚愕する。「まさかあの人に会う気でいるのかよ!?」

「駄目なのか?」

「駄目だ!! 駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!! 絶っっっっっ対に駄目だ!!!」

 なんて必死に言ったリュウだったが、心の中では分かっている。
 あの男の標的になってしまったら、逃れられないことを。
 王族を除けば、ギルド長のことさえ時には黙らすこともできるリュウだが、あの男――グレルだけは黙らすことができないでいた。
 グレルは恐らくリュウと互角の力。
 だが、先輩であり師である時点でグレルはリュウより上なわけで。
 いくら互角の力だろうと、逆らうことができないのだ。

「……リ、リンク」リュウは唾をごくりと飲み込んだ。「お、おまえ、あの人から電話いつ掛かってきた」

「ちゃ…、着信履歴を見ると、本日午後1時32分。あの話し方からすると、リュウに留守電入れた後……」

「……。今、何時何分」

「午後1時49分」

「……。く、来るぞ」

「……。く、来るで」

「む、無駄だとは分かっているが」

「お、おう。無駄なことは承知やけど」

「リンク!」

 と、リュウがキラを腕に抱いた。

「リュウ!」

 同時に、リンクがミーナを腕に抱いた。

「逃げろっ!!!」

 リュウとリンクが声を揃えた直後。

 ピーンポーーン!

 インターホンがテラスまで鳴り響き、リュウとリンクは驚倒して飛び跳ねる。

「や、やべえ、来たぞリンク!」

「はよ逃げるでリュウ!」

 リュウとリンクがあたふたとしていると、もう一度インターホンが鳴った。

 ピーンポーーン! コンコンコン…

 しかも今度はノックつき。

「お、おい、リンク! テラスから逃げるったってどこへだよ!? 7階だぞここ!」

「なんっで7階にしたんやおまえは!? 3階までやったら逃げられたのにっ!」

 ノックの音が徐々に変わっていく。

 コンコンコン… トントントン…! ドンドンドンドンドン!

 リュウとリンクの身体が硬直する。

「も、もう駄目だ…!」

「に、逃げられへん…!」

「……なあ」キラが口を開いた。「ミーナの瞬間移動があるではないか」

「!?」

 そうだ、それだ。狼狽しすぎて思いつかなかった。

「ミーナ――」

 瞬間移動を頼む。
 と言おうとしたリュウとリンクだったが、もう遅かった。

 ガチャガチャッ…バキッ!! 

 キィー……バタンッ

 入ってきた、あの人が。
 やってくる、あの男が!
 師・グレルが!!

「おーい、リュウ。いねーのかー?」と、リビングからグレルが姿を現した。「おっ、いるじゃねーか、リンクも一緒に。ピンポン聞こえなかったのか? ていうか家にいるときも一応鍵は掛けておけよな、リュウ。無用心な奴だぜ」

 主の腕の中からグレルの顔を見上げて、キラとミーナは目を丸くする。
 聞いてはいたが、物凄く大男で。
 熊とかゴリラとか、そういうイメージだ。
 というか、玄関の鍵は掛けていたはずなのだが、どういうことだろう。
 もしかしなくても、ぶっ壊して入ってきたのだろうか、この男。

「し、師匠」リュウの顔が強張る。「久しぶりっす」

「し、師匠」リンクの顔も強張る。「相変わらず怪力で……」

「そうかぁ?」まるで自覚なし、という風な返事をして、グレルがリュウとリンクの腕の中にいるペットに目をやる。「おお、いたいた。可愛いなあ、オイ! お嬢ちゃん方、名前はなんていうんだい?」

「こ、こんにちは」キラは口を開いた。「私、キラです」

「こ、こんにちは」ミーナもキラに倣った。「わたし、ミーナなのっ…」

「キラにミーナか。おー、よしよし」

 グレルがわしわしとキラとミーナの頭を撫でる。
 大きな手で。
 でかい。
 リュウよりもでかい。
 半端なくでかい。

「おまえらも元気だったか?っ?」と、グレルが今度はリュウとリンクの頭を掴んだ。「相変わらず仲良しみてーだな、がっはっは!」

 なんて大きな口を開けて笑い、リュウとリンクの頭をぐいっと近寄せて強制頭突き。

 ゴスッ!!

「――っ……!!!」

 声の出ない痛みに、リュウとリンクは頭を抱えてうずくまる。
 その隙に、ぎょっとしているキラとミーナはグレルの肩の上へ。

「さーて、キラとミーナ。おじちゃんと遊びに行くぞーっと♪」

「ちょ……!」

 待ってくれ!

 リュウとリンクはグレルに手を伸ばすが、グレルは大きな笑い声を上げながら玄関へと向かっていく。
 あの男を止めても無駄なことは分かっている。
 だから付き添うしかない。
 リュウとリンクは、慌ててグレルを追いかけた。
 
 
 
 あぁ、幸せなオフのはずが、どうしてこんなことになってしまったのか。
 葉月遊園地の中、リュウとリンクは向き合って溜め息を吐く。

「おい、リンク。おまえとこんなことしてても何にも面白くねーぞ」

「おれやってそーや。何でリュウと2人きりでコーヒーカップ回さなあかんねん。まったく、あの人は……」

 リュウとリンクは、遠くのコーヒーカップでキラとミーナと一緒に楽しそうに笑っているグレルに目をやった。

「遊園地似合わねーなあ、師匠」

「おまえもやん、リュウ」

「うるせーよ」

「にしても、ミーナもキラもすっかり手懐けられてしまたな……」リンクが溜め息を吐いた。「ミーナもキラも、めっさ楽しそうやん……」

「だな…」リュウは同意した。キラとミーナのきゃっきゃとした笑い声が聞こえてきて。「師匠は俺たちからあいつらを奪うよーなことはしねーだろーけど、このままだとアレだな。まじで『NYANKO』にあいつら載せられる」

「せやな…」リンクが苦笑した。「てか、何で師匠『NYANKO』の編集者なんてやっとんのやろ」

「覚えてねーの、おまえ。師匠、昔っから猫科モンスター好きだっただろ。最近まったく見なくなったと思ったら、天職見つけたってか……」リュウは溜め息を吐いた。「ああ、もう……、キラとミーナが雑誌に載ったら平穏に暮らせねー」

「せやな……」

「俺とリンクが取材拒否したところで無駄だし、キラとミーナが何とか断ってくれれば良いんだけどな」

「せやな……」

 リュウとリンクの口から漏れる、深い溜め息。

「ところでよ、リンク」

「なんや、リュウ」

「絶対やると思ってたけど」

「?」

「師匠、ハンドル折ってねえ?」

「え」グレルに目をやったリンク。「――ちょっ、まっ……!!?」

 仰天した。
 グレルがコーヒーカップのハンドルを折っている。
 根元からボッキリと。
 しかも乗り終わったあとに、

「おい、そこのあんた。このコーヒーカップ壊れてたぜ?」

 自分が破壊したことに気付かずに、遊園地側のせいにした。

 まずい。
 相変わらず過ぎる、あの男。
 このままでは遊園地の遊具一式破壊してしまう!

「や、やべーぞリンク。遠くから見守ってる場合じゃねえ」

「ああ。万が一修理代請求されたら、おれらに来んで!」

 リュウとリンクは慌てて追った。
 キラとミーナを肩に乗せ、巨大な身体をスキップさせて移動しているグレルを。

「し、師匠!」

「なんだー、リュウ?」

「歩いて移動してっす!(危ないから)」

「そうやで、師匠!」リンクはリュウに続いた。「スキップはやめた方がええかと!(気持ち悪いから)」

「なーんだ、おまえら? もう疲れたのか! 情けねーなあ」グレルの足が止まった。「よし、休憩してやるから飲み物買って来い」

 出た、グレルの使いっぱしりが。

「オレ、ビールな」

「私もーっ」

「わたしもビール飲みたいぞっ」

 なんて、はしゃいでいるキラとミーナも続いた。

「仕方ねえ、行って来い」リュウは小声でリンクに言った。「師匠は俺が見てる」

 リンクが承諾して売店へと向かう一方、リュウは一息吐いてグレルの肩に乗っているキラに手を伸ばした。

「こっち来い、キラ」

 リュウの腕に抱っこされ、キラがますますはしゃぐ。
 ほっと安堵したようなリュウの顔を見て、グレルが言う。

「ふーん…? リュウ、おまえ変わったな。昔はもっと表情のない奴だったが」

「師匠は相変わらずで」

 相変わらず楽しそうで、笑いまくりで、天然ボケで、俺様で、猫科モンスター好きだ。

「師匠は猫科モンスター飼ってないんすか」

「飼ってるぜ、ミックスキャット」

 ミックスキャット――ブラックキャットとホワイトキャットの間にできたモンスター。ブラックキャットとホワイトキャットは基本的にえらく仲が悪いことから、稀少な猫科モンスターだ。

「人工的にできた猫すか」

「いや、野生のを連れて帰った。文句言いながらも、おとなしくオレに手を引かれて家まで着いて来たんだぜ? ツンデレで可愛い奴だろ、がっはっはっ!」

「…………」

 あの、師匠。
 その猫、必死に抵抗してませんでしたか。
 その猫、あなたの怪力に引きずられていっただけだと思います

。  リュウは心の中で突っ込んだ。

 キラが興味津々と訊く。

「ほお、ミックスキャットか。年はどれくらいなのだ? オス? メス?」

「14歳のオスだ」

「おお」ミーナが声を高くした。「わたしと年が近いのだなっ。会ってみたいぞっ」

「んー、でもなあ。結構な暴れん坊だぞ? 人が集まるところに行って暴れるのが趣味で――」

 グレルの声を遮るように、遊園地に遊びに来ていた客たちから悲鳴が聞こえた。

「なんだ…!?」

 リュウは悲鳴が聞こえた先に顔を向けた。
 人々が叫喚しながら逃げていく。
 リンクが向かった売店の方だ。
 キラがすぐさまリュウの腕から降り、リュウは走り出した。

「師匠も早く!」

「え、オレも行くの?」

「あんた一応、超一流ハンターでしょうがっ…!」

「わかったよ、ったく。…フフフン、フンフン♪」

「スキップしてんなっ!!」

 リュウが売店へと着くと、リンクの背が目に入った。

「おい、リンク何があった!」

「――リュ…ウ……!」

 リンクが膝を吐き、うつ伏せに倒れる。
 リンクの身体から、アスファルトに赤い液体が広がっていく。

「…リ…ンク……?」呆然とするミーナの唇が、声が震える。「…え…っ…あっ……! いにゃああぁっ!!」

   泣き叫び、グレルの肩から飛び降りて、リンクの背中にしがみ付いた。

「……てめえか、やったのは」

 リュウの声が低く響いた。

 地に倒れるリンクと、その背にしがみ付いて泣き叫んでいるミーナの前。
 灰色の猫耳に尻尾。
 青い髪に赤い瞳。
 赤い液体を滴らせている右手。

 一匹のミックスキャットが、そこに立っていた――。
 
 
 
 
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