第8話 睦月島生活〜後編〜
リュウ一行の睦月島暮らしは1ヶ月間。
なんだかんだ揉め事が多くても、楽しくてあっという間に時が経っていく。
あれは睦月島暮らし10日目のこと。
今日の晩ご飯は魚にしようと、キラとリンクは湖に魚捕りへと向かった。
リンクは釣具を使って魚を捕っていたのだが、キラは靴を脱いで水の中に入り、手掴みで魚を捕っていた。
さすがは猫なだけあって、さっぱり魚を釣れないリンクとは裏腹に、ひょいひょいと魚を引っつかんでは、リンクの脇に置いておいたカゴに投げ入れていた。
「おおーっ、すごいなあ、キラ。よく捕まえられるなあ」
「釣竿なんて使うより、ずっとこっちのが楽だぞ、リンク」
なんてキラが言うので、リンクも靴を脱ぎ捨ててズボンの裾をまくり、湖の中に入っていった。
「おわー、水冷たいな。秋っていっても、こんな山奥となると冬の水みたいや」
「まあ、人間にとったら冷たいだろうな。転んでずぶ濡れにならないように気をつけ――」
「どわあっ!!」
ばっしゃーーん☆
水の中を歩いていたリンクは、突然湖の底が深くなっているところに足を踏み入れた。
頭の上まで水位があり、泳げないリンクはパニックになって必死にもがいた。
「ごぶっごぼっがばっ……!!」
「リンク…」リンクを見て、キラが目を丸くした。「おまえ、本当に面白いな」
あはは、とキラが笑う。
「そんな身体張ってまで、笑わせてくれなくて良いぞ」
「ごぼぼっ…がばっおおおっ……!!」
助けてくれ!
と必死に訴えたリンクだったが、キラはおかしそうに笑っている。
「もう良い、リンク。おかしくて腹が痛くなる」
「がはぁっ…!! キ、キラっ……!!」
「もう良いと言ってるではないか。水冷たいだろう、早くあがれ」
もう駄目だ。死ぬ。
リンクは水の中へとぶくぶくと沈んでいった。
「リンク? 何をしている?」キラは目をぱちぱちとさせた。「おい、リンク? ……え? な…、何? リンク、おまえ……!」
キラの顔が、見る見るうちに狼狽していった。
「おっ、溺れていたのかーーーーーーーーーーーーーーっ!?」
やっとキラに水の中から引き上げてもらったリンクは、すでに目を閉じてぐったりとしていた。
「リンク!? おい、リンク! しっかりしろ!」キラはリンクの頬をビシバシと往復ビンタで起こそうとしたが、リンクはぴくりとも動かない。「や、やばい…、このままじゃリンクが死んでしまう……! 落ち着け、落ち着け私! こういうときは、こういうときは……! …ハッ! そうだ、こういうときはたしか……!」
人工呼吸だ。
キラはいつだったかテレビで見た人工呼吸のやり方を、記憶の中から呼び戻していく。
「ええと、平らなところに寝かせ、リンクの左側に回って……と。首の下に左腕を入れて持ち上げ、右手で頭を後ろに反らして気道を確保…っと」
ぐぎぎっ…!
「ん? 首から変な音がしたな。まあ、いいか。今は気にしてる場合ではない。ええと、そのあと鼻を摘んで、肺に空気が送り込まれてるのを確認しながら、空気を……、フーーー。おお、ちゃんと肺に空気が送り込まれているぞ。よしよし……、フーーーーーーーーーー。おお、まるで風船のようだな。リンクの胸元のボタンが飛んでったぞ。それで、この次はたしか心臓マッサージというやつだな。ええと、ミゾオチから約指3本分上…だったか。左手を下にして両手を重ねて全体重をかけ……。あれ…? し、しまった、忘れた。1秒間に何回のペースで何回ずつ心臓マッサージするんだっけ。ええとー……、あっ、そうだそうだ。1秒間に5回のペースで10回ずつだ! つまり2秒間に10回心臓マッサージをすれば良いのだな。よーしよーーし……!」
ドドドドドドドドドド!
「ふう、なかなか難しいな。…おおっと、人工呼吸と交互にやるんだったな。待ってろ、リンク。今助けてやるからなっ」
フーーーーーーーーーー、
ドドドドドドドドドド!
フーーーーーーーーーー、
ドドドドドドドドドド!
フーーーーーーーーーー、
ドドドドドドドドドド……!
約10分後、リンクは目を覚ました。
肺の中の水を逆流させる。
「ごぼごぼっ……うっ、げほげほげほっ!」
「おお、リンク! 良かった、目を覚ましたぞ!」
「げほげほげ――ハゥッ……!?」
リンクは顔の方向を変えようとして固まった。
「? どうした、リンク」
「く、首がごっつ痛い…んやけど……!?」
「溺れたときに変な方向に曲がったのではないか?」
「そ、そうか」本当はそんな記憶、リンクの頭にないのだが。「か、顔がぱんぱんに腫れてるような気がするのはっ……?」
「おまえの目を覚まそうとして、軽く叩いたからか?」
「そ、そうか……」本当は、『軽く叩いた』痛みとは、リンクは到底思えないのだが。「ほ、ほいで、キラがおれを助けてくれたんやなっ……?」
「ああ、私、頑張ったぞ!」キラが誇らしげに胸を張った。「人工呼吸と心臓マッサージって、知ってるか? 私ちゃんとできたんだぞ、すごいだろう! こう、リンクの肺が風船のようになるまで膨らませて、2秒間に10回の心臓マッサージをしてなっ♪」
「………………………」
もしもし、キラさん。
高らかに笑ってないで、聞いてくれますか。
以前おれはあなたを『しっかりしている』というようなことを口にしたことがありますが、この度をもって撤回したいと思います。
前話で毒蛇に噛まれたときといい、今回といい、あなたの頭はパニックに陥ると天然凶悪殺人モンスターに変わりますね。
何が恐ろしいって、その行動は正しいと判断されてしまうことです。
あなたは普段、肺を風船のようになるまで膨らませて呼吸していると言うのですか。
2秒間に10回心臓が動いているとしたら、あなたの体内のヘモグロビンはどんな速さで運ばれているのですか。
あぁ、おれ…、今よく生きてるな…………。
リンクが『奇跡』という言葉を信じることができた1日だった。
ちなみにキラに人工呼吸をしてもらったことがリュウにばれ、睦月島暮らし2日目のように再び病院に送られたリンクだった。
それから、あれは睦月島暮らし22日目のこと。
リュウの多忙な仕事に付き合い、瞬間移動がすっかり上手くなったと思ったミーナだったが。
「よし、次はこの辺りに頼む」
と、リュウに睦月島の地図を見せならながら言われ、
「うむ、わかった。よい――」よいしょっ、と言おうとした瞬間、ミーナの鼻がむず痒くなり。「へっくしょん!」
と、瞬間移動をすると同時に、くしゃみ。
そうしたら予定外の場所に移動していた。
「――ふっ…」ミーナ本人も予定外すぎて、目の前の光景を疑った。「ふぎゃああああああああああああああああああああああああああ!!!」
瞬間移動した場所は、睦月島内をとてもよく見晴らせる上空4000メートル。
真っ逆さまに落ちながら、ミーナが爪を立ててリュウの胸にしがみ付く。
「ごめんなさいなのごめんなさいなのごめんなさいなのぉぉぉぉぉぉぉ!!」
「気にするな。リンクを主に持つおまえだから仕方ねえ」と、リュウはミーナと離れないようにミーナをしっかりと腕に抱きながら、冷静にフォロー(のつもり)を入れてやる。「さあ、落ち着いてもう一度瞬間移動をしてくれ」
「……」
「……。早くしろよ、死にてーか」
「……」
「……。え?」胸元のミーナを見たリュウ。「――きっ…、気絶してんじゃねぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
待ってくれ待ってくれ待ってくれ。
お願いだ、誰か冗談だと言ってくれ。
今や最強を語られるこの俺、超一流ハンター・リュウでも空は飛べないぞ。
だって人間だし。
どうしよう、どうすれば良い。
地面に叩きつけられない方法は、あることはある。
地面が近くなってきたら、地面に波動砲を放ってその反動をクッションにすれば良いだけ。
でも、それが出来ない可能性が高いから困っている。
だって落ちている先は睦月町。
そんなところに波動砲を放ってしまったら、たくさんの人々の命を奪ってしまうことになる。
どうしよう、どうすれば良い。
こんなところで死ぬわけにはいかないのに。
キラが飯を作って、俺の帰りを今か今かと待っているんだ!
あぁ……、キラ。
おまえ……、想像の中でも可愛いな。
――って、にやけてる場合じゃねーぞ俺。
なんとかしろ俺!
超一流ハンターだろ俺!!
そんなこと言ったって、どうすれば良いんだよ俺!!!
……や、やばい。
地面が近くなってきた。
やっぱり睦月町だ、波動砲作戦は出来ない。
や、やばい…………!!
やばいやばいやばいやばいやばいやばいやばい――――――!!!
「――…へっくしょん!」
地面に落下しようか直前、ミーナが目を覚ましてクシャミをした。
リュウの視界は睦月町のアスファルトから、別荘の外でキノコを収穫していたリンクの頭上へ。
ゴスッ☆
「!? い…」リュウとミーナの重みで、リンクの身体が草の上にうつ伏せに倒れる。「ったいやないかい!! ミーナ、おまえまた瞬間移動失敗したんか!!」
「おお、おかえり。リュウ、ミーナ。大丈夫か?」
リンクの上に仰向けになって倒れているリュウの顔を、キラが笑顔で覗き込む。
「…………」
「? どうした、リュウ?」
「……き」
「き?」
「……奇跡だ」
それは先日のリンクに続いて、リュウも体験できた1日だった。
その翌日の、睦月島暮らし23日目のこと。
昼食のあと、キラとミーナは別荘の外で追いかけっこし、リュウとリンクは別荘の中で食休みしていた。
リビングのソファーに向き合って座りながら、リュウとリンクはこんな会話していた。
「キラ、すっかり料理上手くなったなあ」
「ああ、美味かった。すげー美味かった。さすが俺のキラ」
「せやな。あの容姿に加えて料理上手なんて、ますますええ女やな」と、リンクはキラを褒めて笑ったが、そのあと苦笑しながら付け加えた。「……ときどき、えらいバカやけど」
リンクのこの一言で、口論が始まった。
「あ?」リュウの顔色が変わる。「おまえのペットほどじゃねーよ」
「なんやて?」リンクの顔色も変わる。「おれのミーナの方がマシやで」
リュウが鼻で笑って言う。
「片腹痛いわ」
口論は熱を帯びた。
「なんやてゴルァ! おれは睦月島に来てから、キラの天然バカっぷりに2度も殺されかけてんやで!?」
「うるせー、わざとじゃねーんだ!」
「せやから、バカやっちゅーねん! 恐ろしいバカやっちゅーねん! 普通、大量輸血せんといけなくなるまで血ぃ吸うか!?」(←前話参照)
「んなの、おまえの毒を全部吸ってやろうとした故にだろうが!」
「普通、肺が破裂しそうになるまで空気送り込むか!?」
「長い間キスされたと思って有難く思え!」
「心マを2秒間に10回て……! ふざけてんのか!」
「茶目っ気たっぷりで可愛いじゃねーか!」
口論はさらに熱を帯び。
「大体、リンク! 俺こそミーナに殺されかけてんだよ!」
「それこそわざとやないわ!」
「おまえ、いきなり上空4000メートルに送られてみろ! 落下してみろ! この俺だって死ぬぞ!」
「何、か弱いフリしてんねん! おまえは殺しても死なないから大丈夫や!!」
「ばっ、おま……! あの距離からアスファルトに叩きつけられたら死ぬに決まってんだろーが!!」
「人間気取りもえーかげんにせい!!」
「人間だ!!」
「バケモノの間違いやっちゅーねん!! キラもおまえもな!! その力も、追い詰められると天然バカなところも、超ーーーっっっそっくりや!!!」
「俺のどこが天然バカなんだよ!?」
「先月の舞踏会の自分思い出してみぃ!! ワルツであの超高速回転はないわ!!」(←第3話参照)
「う、うるせー、そのことは口にすんな!!」
「ほんっまにありえへんて、あれは。思い出すだけで腹の皮がよじれるわ。あっはっはー!!」
「てんめえぇぇ…………!!!」ついに、リュウが立ち上がった。「やんのかコラァ!!!」
「上等やゴルァ!!!」
リュウに続いて立ち上がったリンク。
バキッ! ゴスッ! ドカッ! ドスッ! メキメキメキッ……!!!
――1分後。
リンクはまた病院に運ばれた。
そして本日、早いもので睦月島暮らし30日目。
本日正午前と、ぎりぎりで全ての仕事を終えたリュウは、ミーナの瞬間移動で睦月町ギルドに向かった。
全ての報酬を受け取って、大きな鞄に詰め込む。
超大量だったが故に、睦月島での仕事だけで豪邸が建てられてしまうほどの額だった。
相変わらずむせ返りそうな甘い匂いが充満している睦月ギルド長室へと入って、睦月ギルド長に、全ての仕事終了の知らせと別れの挨拶に向かう。
目を回してしまうミーナは、ギルドの外に待たせて。
「ということで、短い間でしたがお世話になりました」
「あら、よくあの量の仕事を終えたわねぇ」
と、睦月ギルド長。
あんたがやれって言ったんでしょう、と突っ込みたくなるのを堪えてリュウは言った。
「凶悪モンスターなどは全て倒しましたし、しばらく睦月島は平和かと」
「ありがとう、ハンター・リュウ。さすがね。これ、お礼よ」
と、睦月ギルド長がソファーに腰掛けていたリュウの頬にキス。
「……。…ども」
「ふふふ。それじゃ、葉月島に戻っても頑張ってね」
「睦月ギルド長もお元気で。では、失礼します」
リュウは睦月ギルド長室を出ると、頬についた真っ赤な口紅を袖で拭い取りながらギルドの外へと向かった。
ギルドの前で番犬の頭を撫でていたミーナが、リュウの顔を見上げる。
「もう良いのか、リュウ?」
「ああ」
「顔、青くないか?」
「……おう」リュウはミーナを左腕に抱っこした。「キラの顔を見れば治る。ミーナ、俺を早く別荘へ帰してくれ」
「よし、わかった。よいしょっと」
ミーナが別荘へと瞬間移動した。
リュウとミーナが戻ってきて、木に登って木の実を採っているリンクが手を振る。
「おっかえりー。リュウ、報酬ちゃんともろてきたか?」
「おう。ミーナに働かせた分、おまえにもあとで分けてやる」
「さーんきゅっ♪」
「んで」と、リュウは辺りを見回した。「俺のキラは?」
「湖に最後の魚採りに行ってんでー」
「そうか」
リュウは報酬の入ったバッグを別荘の中に置くと、湖へと歩いていった。
早くキラの顔を見たいが故に、途中から小走りになる。
この1ヶ月間で、踏み倒された草が湖までの道を作っていた。
キラとリンクが何度も行き来した証拠だ。
リュウがこの道を通るのは、これで2回目だが。
1回目は、睦月島暮らし3日目だったか。
キラと湖のほとりを散歩するために通った。
手を繋いでゆっくり散歩して、キラの嬉しそうな笑顔がリュウの目を奪った。
(最後に、また散歩でもするかな)
あのときのキラの笑顔を思い浮かべてリュウがそんなことを思ったとき、湖の少し手前でキラの服が脱ぎ捨てられているのを見つけた。
「キラ……?」
キラの服を持って湖に歩いていく。
キラの姿を見つけたとき、さっそくリュウの瞳が奪われた。
湖で、キラが水浴びしている。
塗れてきらきらと輝くガラスのような髪。
胸まで露わにしている白い身体。
小鳥のさえずりを聴いているのか、黒猫の耳が微かに動く。
澄んだ大きな黄金の瞳が、空を仰ぎ、小鳥を追い、リュウの瞳を捕らえた――。
どきっとした。
(ああ……、俺なんかがこの猫を抱いて良かったのか。汚れた人間の世界なんかに、この猫を連れてきてしまって良かったのか……)
そう、リュウは思った。
あまりにもキラは綺麗で。
そんなリュウの不安は、キラが打ち消してくれる。
「リュウ」
愛する主を見つけて、キラの笑顔が咲く。
水から上がって駆けて行って、ぴょんとリュウの首にしがみ付く。
「おかえり、早かったな。報酬、全部もらってきたのか?」
「ああ」
リュウは水で冷たくなったキラの身体を抱きしめた。
キラがはしゃいだ様子で言う。
「そうか。これで帰れるのだな」
「……キラ」
「何だ?」
「……帰りたいか、あの家に」
「当たり前ではないか」と、キラが声を大きくして言った。「ここも楽しいが、私はリュウと出会ったあの家が大好きだ。早く帰って、あのベッドで、リュウの腕の中で眠りたい」
「そう……か」
一瞬でもバカなことを考えたと、リュウは心の中で自分を笑った。
(キラは、俺の猫だ)
愛しい愛猫の黒猫の耳に、頬に、唇にキスする。
「ねえ、リュウ」
「何だ」
「約束、まだしてなかったな」
「約束?」
リュウは瞬きをしてキラの顔を見た。
キラが頷いて言う。
「こっち来る前、約束したではないか。花見のときに」
「あ」リュウは思い出した。「奉仕っ…!」(←5話参照)
「メイド服を着ていないのは悪いんだが……」
「え、今?」
キラが頷いた。
こほんと咳払いをし、満開の笑顔で言う。
「ご奉仕します、ご主人さま♪」
「まじでぇーー?」
翌日、リュウ一行は葉月島へと帰って行った。
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