第50話 キラ


 ブラックキャット――猫科モンスターの一種。
 黒猫の耳と尾を除けば、まるで人間と変わらぬ容姿。
 知能が高く、人間と会話をすることも可能。
 その爪と牙だけで最強モンスターうちの一種だと謳われる。
 魔法は1つだけ持っているようだが、己の身さえも滅ぼしてしまう恐れのあるそれを、彼らが普段使うことは無い。

 その魔法を、『破滅の呪文』という。
 
 
 
 クリスマスの次の日のこと。

 キラは葉月ギルド長を訪ねた。
 キラがギルド長室にやって来たとき、葉月ギルド長は困惑した笑顔を見せた。

 その笑顔の理由を、キラは知っていた。

「ギルド長、昨夜の話を、私は全て聞いていた」

 それを聞いて、ギルド長の顔が驚愕した。

「ど…、どこで……!」

「部屋のドアの前に立てば、私たち猫の耳に中の会話など聞こえる。あなたがリュウとグレル師匠という超一流ハンターを呼び出した時点で、私は危険な仕事の話なのだと察した。そしてリュウがリンクを呼び出したとき、私は確信した。リュウが私に教えることのできないほどの仕事なのだと。そして気になった私は、リンクがギルドへ着いただろう頃に、瞬間移動でギルド長室の前へとやってきた」

 そしてリュウとリンク、グレル、ギルド長が4人で話しているのを全て聞いた。
 それを聞いたギルド長の顔が、狼狽していった。

「キラちゃん、大丈夫だよ、キラちゃん。リュウは、必ず生きて帰って来るから。大丈夫だよ、キラちゃん、大丈夫だ」

「ギルド長、あなたは何を心配してくれている? 私がリュウを失う恐怖を察してのことか? それとも、私が『破滅の呪文』を使うと思ってのことか?」

「どっちも…だよ……」

「そうか」と、キラが笑った。「ありがとう、ギルド長。……だが」

 キラの笑顔が消えた。

「私は瞬間移動で見てきた。文月島タナバタ山へと行って、バハムートの姿を確認してきた。グレル師匠も言っていたが、あれはきっと16年前のバハムートが産み落としていったものだろう。まだ若く、16年前のバハムートよりも一回り小さかった」

「そ、そうか」と、ギルド長が安堵したような笑みを見せた。「それでは、きっと大丈夫だね! 16年前は私たち人間では敵わなかったが、今度なら――」

「ギルド長」キラがギルド長の声を遮った。「16年前よりも小さいと言っても、バハムートはバハムートだ。あなたたち人間は、バハムートの力を見誤っている」

「で、でも、キラちゃん。君の主がいるんだよ? それにグレルもいるんだよ? きっと、きっと倒せるはずだ」

「たしかにリュウは強い。グレル師匠も強い。人間ということを疑うほど、強い」

「それじゃあ――」

「でも」キラが再び、ギルド長の言葉を遮った。「それでも人間だ。バハムートを倒すことなどできない。ただのブラックキャットでも倒すことはできない。16年前、バハムートを倒したブラックキャット――私の父の力を、受け継いだこの私しか倒せない」

「キラちゃん!」ギルド長が声をあげて立ち上がった。「き、君は、『破滅の呪文』を使う気なのかね……!?」

「使う」

 そうきっぱりと答えたキラ。
 声を失うギルド長を見ながら続けた。

「私は大切な仲間を…、何よりも誰よりも愛する主を、守りたい」

「…待ってくれ、待ってくれ、キラちゃん! リュウが、リュウがひどく悲しむよ!? 君の愛する主が、君を失ってどんな辛い思いにさせられるか……!!」

「たしかにリュウは、私が『破滅の呪文』を唱え、この世から消滅してしまったらひどく悲しんでしまうだろう。私がいないと眠れないし、辛い日々が続くだろう。…でも、でも大丈夫なのだ、ギルド長」そう言って、キラが笑った。「人は時が経てば再び立ち上がれる。それに何より、リュウには支えてくれる仲間がいる。大丈夫なのだ」

 キラはそう言うが、ギルド長はその言葉をそう簡単に受け入れられなかった。

 リュウがキラを失って大丈夫?
 再び立ち上がれる?

 そんなわけがない。
 キラと出会って以来、リュウがどれだけ幸せそうだったか。

 ギルド長の顔を見て、キラは続けた。

「分かってほしい、ギルド長。……私しか、奴を倒せないのだ」

「でも…でも……!」

「超一流ハンターをいくつ用意しても、同じこと。みんな死ぬだけ。無駄な犠牲を出す前に、全島にいる超一流ハンターに仕事の変更を伝えてほしい。文月島に集まらず、避難しろと。でも、このことはリュウとリンク、グレル師匠には伝えないでほしい、絶対に。勘付かれる可能性があるから」

「キラちゃん……!!」

「私はリュウたち超一流ハンターがバハムートの退治を予定している前日の夜、文月島のタナバタ山へと向かう。そして『破滅の呪文』を唱える。無駄に犠牲を出したくないのなら、急遽私が言ったことを全島の超一流ハンターに伝えることだ」

 そう言い、ドアへと向かって行ったキラ。
 ドアの前、大声で呼び止めたギルド長に一度振り返った。

「……ギルド長。これからもずっと、主をよろしくお願い致します」

 そう言って深々と頭を下げ、最後に笑顔を見せて出て行ってしまった。

 ギルド長の身体が震えた。
 なんということだ。
 こんな悲劇があって良いのか。

 でも、キラの言うことが真実ならば、キラに従うしかなかった。
 バハムートが、キラしか倒せないというのなら。

 そうすることしかできなった。
 そうするしかなかった。

 全島のギルドに電話し、ギルド長は急遽仕事の予定変更を伝えた。
 そして、願った。

 神に。

 どうか、キラの命をお守りください――と。
 
 
 
 予定通りの日付。
 予定通りの夜。

 キラは、オオクボの杖を使って瞬間移動で文月島タナバタ山の麓にやってきた。
 空を悠々と飛んでいるバハムートを数秒間見つめ、キラは父の墓の前へと向かう。

 キラの父の墓――今年の初夏、リュウが作ってくれたもの。

「ごめんなさい、父上。リュウがせっかく立派なものを作ってくれたのに。私ときたら、飛んだ墓荒らしだ」

 と、まるで王様のような父の墓の前、キラは苦笑した。

「それから、父上」父の墓をじっと見つめ、キラは続ける。「父上が守ってくれたこの命、使ってしまうことをお許しください」

 そう言い、キラは数秒の間、頭を下げた。
 再び頭をあげ、キラは続ける。

「不思議ですね、父上。私はこれから、この世から跡形もなく消滅してしまうというのに、何も怖くない。むしろ、嬉しいのです」

 キラの存在に気付いたバハムートが、タナバタ山の上空から下降してくる。

「偉大な父上よ。大切な仲間を守り、そして何よりも誰よりも愛する主を守れる、この力。この素晴らしい力を授けてくださったこと、心より深く感謝致します」

 頭を再度下げ、そして上げたキラ。
 オオクボの杖を投げ捨て、下降してきたバハムートの背に飛び乗った。

   バハムートの背から首へと駆けて行く。
 暴れるバハムートに振り落とされないよう、必死に爪を立ててバハムートの首にしがみ付く。

「バハムートよ。何の罪もないおまえの命、奪うことを許してほしい」

 キラは『破滅の呪文』を唱えた――。
 
 
 
 キラの身体が巨大な爆発に包まれる。

 その瞬間。
 身体中に衝撃を浴びながら、まるで走馬灯のようにリュウたちとの思い出がキラの脳裏に蘇った。

 リュウと出会った、蒸し暑い夏の夜。

 毎日陰から見ていたリュウの姿。

 驚くほど美味だったビールの味。

 白いコートを買ってもらったときの嬉しさ。

 首輪を望んだときの、不安と期待でいっぱいの胸。

 その首輪を与えられたときの、とてつもない嬉しさ。

 初めてリュウに抱かれたときの感覚と、大きな喜び。

 リュウの親友・リンクに出会ったこと。

(リンク、これからもリュウを支えてくれ)

 敵視するホワイトキャットのミーナと出会ったこと。

 ミーナがリンクのペットとなり、このキラの妹のような存在になったこと。

(ミーナ、きっと今頃泣いているな。ごめん…。でも、必ず主と幸せになってほしい)

 初めて舞踏会へ行って、リュウと踊ったこと。

 初めてリュウと喧嘩したこと。

 葉月公園で、メイドの格好をしてタコ焼き売りをしたこと。

 睦月島に、半ば強引に飛ばされたこと。

 その睦月島での生活のこと。

 リュウとリンクの師匠である、グレルに出会ったこと。

(グレル師匠、やっぱりあなたはリュウの師匠だ。リュウを頼む)

 グレルのペットである、ミックスキャットのレオンとの出会い。

 最悪な出会いをしたが、まるでキラの弟のような存在になったレオン。

(レオン、きっとおまえも今頃泣いているな。ごめん。でも、おまえは私たちをよく支えてきてくれた。これからも頼んだぞ)

 グレルが編集者を務める月刊『NYANKO』の取材に協力したこと。

 そのときに、グレルから『リュウを頼んだ』と言われたときの嬉しさ。

 皆で葉月公園の花壇で泥んこ遊びをしたこと。

 大食い大会で優勝したこと。

 ミーナが誘拐されたこと。

 超一流変態・ゲールとの恐怖の出会い。

 リュウと父の墓参りをしたこと。

 とても楽しかった夏。

 あんなに楽しい夏は初めてだった。

 リュウとリンクの喧嘩。

 初めてリュウの絵を描いた日のこと。

 盛りに盛り上がった運動会でのこと。

 変な薬を飲んで、記憶喪失に陥ったときもあった。

 リュウの弟子を志願する、オオクボという魔法使いもいた。

 今月の頭に久しぶりに連れて行ってもらえた舞踏会。

 リュウとは1曲しか踊れなかったけど、それでも嬉しかった。

 王子を連れての、葉月町めぐり。

 リュウとクリスマス・イヴにしたデート。

 スーツに身にまとい薔薇の花束を持って迎えに来てくれたリュウは、とても格好良かった。

 リュウに俺の子供を産めと言われたときの、胸の詰まり。

 昨夜リュウに何度も伝えた言葉は、どれくらいリュウの胸に残ったのだろう。

 ついさっきまでいた、とても、とても幸せだった空間。

 本当に、本当に幸せだった――。

 全てが、キラの脳裏に蘇る。

(リュウ、私を愛してくれて、ありがとう。私は、この世1の幸せな猫だった。リュウ……)

 キラの意識が遠のいていく。

(愛してる……――)
 
 
 
 
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