第43話 願い


 ふわふわな黒い毛のついた手錠。
 キラの猫耳と尾と、同じ色。

 キラは主――に掛けられてしまった。
 悪いことをしたお仕置きだ。

 お仕置きって言ってもリュウは楽しそうだし、何だかんだで愛撫は優しい。
 リュウの腕の中は甘くて、刺激的で、とてつもない愛情を感じる。
 己は幸せなペットだと確信できる。

(でも)

 と、キラは苦笑する。

「わ、私の愛する主よ」

「何だ、俺の可愛い黒猫」

「ま、まだするのか」

「仕置きだって言っただろ。俺の怒りはまだ収まらねーぜ」

「いい加減、干乾びるぞ。本当に……」

 キラがリュウにお仕置きされ(抱かれ)始めたのは、夜明け前。
 車(しかも借り物)の中で始まって、午前10時ごろにキラが泊まるはずだったホテルに戻って料金を支払い、いかにも『大人のオモチャ売ってます』的な店に行って黒いふわふわの毛がついた手錠を購入し、新たにカジュアルホテルへとやってきた。

 ただいま午後6時。
 一体何度目だというくらいに求められ、キラはぐったりしている。

「ご、ご主人様、ゆ、許してええぇ……」

「許さねーよ」

 あぁ、何でこの男、こんなに元気なのか。
 本当に人間なのだろうか。
 もう勝手にして……。

 キラがリュウに身を預けたそのとき、リュウの携帯電話が鳴った。
 すかさず出たのはキラである。

「も、もしもし!? リンクか!?」

「おう、そうやでー。どうしたん、キラ?」

「主のお仕置きがまだ続いていて死にそうだっ……!」

「はぁっ?」

「は、早く向かえに来て……!」

 キラの手から、リュウが携帯電話を取った。

「リンクか? 邪魔すんなよ」

「おい、リュウ……」電話の向こうで、リンクが苦笑した。「おまえ、まだお仕置き中やったんか。お手柔らかにって言ったやろ……」

「充分優しいぜ、俺は」

「おまえに付き合ってたら、いくらモンスターのキラでも死に掛けるっちゅーねん。…んで? どこのラブホ? 迎えに来たで」

「気が利くよーで、気が利かねーな。迎えに来るなら明日の朝にし――」

 リュウの言葉を遮るように、キラが再びリュウから携帯電話を取り返した。
 リンクにホテルの詳しい場所を教える。
 水無月島の地理なんてさっぱり分からなかったが、精一杯このホテルの周りにあった特徴的な建物などを知らせる。
 幸いリンクの運転する車はそこそこ近くにあって、20分後にはホテルの前に着いたと連絡があった。

「チッ…」舌打ちをして、リュウがキラに服を着させる。「もう来やがったか」

 キラからすれば、「やっと来てくれた」という感じである。
 己の足で立つこともままならないキラを左腕に抱き、リュウはカジュアルホテルの一室から出た。

「キラァァァァァァァ!」

 ホテルの前、主のリンクと一緒に来ていたミーナがキラの胸に飛びつく。

「おお、ミーナ…! おまえは本当、可愛いな。私の疲れも吹っ飛ばしてくれるぞ」

 と、キラがミーナを抱き締める。

「何っ…!? キラ、疲れているのか!? オオクボに、疲れさせられたのか!?」

「いや、リュウのお仕置きが……」

 そう苦笑したキラを見て、ミーナがリュウの顔を睨み上げた。

「おい、リュウ! お仕置きとはいえ、愛するペットを疲れさせるとはどういう了見だ!」

「うるせーよ。大人の事情ってやつだ」

 リュウがミーナにデコピンし、キラと共に車の後部座席に乗り込んだ。
 ミーナが助手席に乗り込んだ後、リンクが葉月島へと向かって車を発進させる。

「キラ、お疲れ……」

 そんな言葉を口にしながら。

「う、うむ……」キラは苦笑したあと、リュウの顔を見た。「ところでリュウ。オオクボは置いて帰って良いのか?」

「ああ。あいつは、楽しげに旅に出かけた(あの世に)」

 と、リュウ。

「ほお」キラが声を高くした。「そうだったのか。では、しばらくの間会えないのだな」

 オオクボが天に昇ったことなど、分かっていないキラである。

(二度と帰ってこない旅やけどな)

 リンクは顔は蒼白しそうになりながら心で突っ込んだあと、助手席のミーナの膝の上にあったオオクボの杖を片手に取った。

「んで、リュウ。これどうするん?」

「ん? オオクボの杖ではないか」と、リンクの手からキラがオオクボの杖を取る。「何でリンクが持っているのだ?」

「えと……」

「忘れてったんだ」と、返答に困っているリンクの代わりに、リュウが答えた。「つーか、まあ、俺たちに残していった」

 つまりオオクボの遺品である。
 リュウが続ける。

「オオクボはこの杖に幾多ものモンスターの力を…魔術を、吸い取ってきた」

「モンスターの力を?」キラが鸚鵡返しに訊いた。「では、オオクボの瞬間移動もその1つなのか?」

「ああ」リュウが頷く。「おそらく、魔力の強いモンスターから吸い取ったんだろうよ。ミーナと同じ、ホワイトキャットとかな」

「そうだったのか」と、キラが納得したように頷いた。「人間が瞬間移動を使えるなんて、おかしいとは思っていたのだがな。吸い取ったということは、この杖で私たちも瞬間移動をできるということか?」

「ああ、可能だろうな。だからコレを破壊せずにいたわけだが」

「どれ」

 と、キラが目を瞑った。
 難しそうな顔をして30秒。

 目の前の道路が突然消えた。

「おお」

 できた!

 声を高くしたリュウたちだったが。
 一体どこだ、ここは。

(何だか見覚えがあるような…)

 キラがそう思ったとき。
 後部座席、キラが乗っていた側のドアが開いた。

「わっ?」

 突然誰かの腕に姫抱っこされ、キラは目を丸くする。
 そして気付く。

「お、王子っ…!」

「久しぶりだな、キラ」

 キラを姫抱っこしたのは、葉月島ヒマワリ城の王子だった。
 ブロンドのウェーブヘアに、ブルーの瞳、優しい笑顔。
 相変わらず、絵本の中から飛び出てきたような王子だ。

 見覚えがある場所だと思ったら、ヒマワリ城の庭に瞬間移動したようだった。

(げっ、王子っ……)

 心の中で嫌な顔をし、リュウは車から車から飛び降りた。
 車の後ろを通って王子のところへと回る。

「申し訳ございません、王子。こんなところへと瞬間移動してきてしまって」

 なんて謝りつつ、リュウの顔は強張る。

(早くキラを放せっ、この女ったらし!)

 王子がリュウを見て言う。

「良い。次の舞踏会の警護では依頼の内容を変えようと思っていたところだ。『舞踏会全体の警護』から、『愛猫同伴で舞踏会全体の警護』にな。まったく、ようやく再びキラに会えた……」と、王子がリュウの顔を見て溜め息を吐き、そのあとキラに笑顔を向けた。「元気でいたか、キラ?」

「はい。王子も元気そうで何よりです」

「ついさっき元気になったのだぞ? キラの顔が見れたからな。良からぬ噂を聞いて、気を揉んでいたのだ」

「良からぬ噂?」

 と、リンクが車から降りながら鸚鵡返しに訊いた。
 ミーナも助手席から降りてきて、続けて訊く。

「それは何なのだ、王子?」 「うむ…」王子のブルーの瞳が、リュウを捕らえる。「どうも、キラが何者かにさらわれたという噂をな」

 ギクッとしたリュウの右眉が、一瞬ぴくりと動く。

(キラとオオクボの情報調べるために、葉月島ハンター全員動かしたからな…。城まで広がっちまったか……)

 ミーナが言う。

「そうなのだ、王子。焦ったぞ」

「何っ、ではまことの噂であったか!」と声をあげ、王子がリュウを睨み付ける。「ええい、何をしていたのだ、リュウ!」

「王子っ…」キラが慌てたように口を開いた。「リュウは悪くないのだっ! 私がバカだったからでっ……」

「なんや、ようやく自覚したんかキラ」

 そう言って笑うリンク。
 王子がキラをそっと地に降ろし、リンクを睨みつける。
 そして腰から剣を鞘ごと抜き、リンクの頭をスコーンと音を立てて殴った。

「おまえなんぞにキラをバカ呼ばわりされる覚えはない、リンク!」

「す、すみません」リンクは殴られた頭を擦りながら苦笑した。「でもまあ、落ち着いてください、王子。こうしてキラは、リュウが短時間で助け出したことですし……」

「フン、それでもキラは危ない目に合ったのではないか! 何をしていたのだ、リュウ!」

「まあ」と、ミーナが溜め息を吐いてリュウを見た。「わたしも今回は、リュウに腹を立てたぞー」

「って、コラ」リュウがミーナにデコピンした。「そういうおまえの前で、キラはオオクボにさらわれてったんじゃねーか」

「キラの主はおまえだろう!」と、王子が剣でリュウを指した。「悪いのはおまえだ、リュウ!」

「そうだぞー」と、ミーナが同意した。「しかもキラを助けたら助けたで、キラを疲れさせるってどういうことなのだ」

「何!?」王子がますます眉を吊り上げる。「キラに何をしたのだ、おまえ!」

「王子には――」

 関係ないです。

 そう言おうとしたリュウの言葉を、ミーナが遮る。

「長々とお仕置きしていたのだ」

「なっ、何だと!?」王子の顔が驚愕する。「キラに仕置きだと!? 己が悪いというのにか、リュウ! しかも疲れるほどの仕置きとは、どういうわけだ!」

「大人の事情らしいぞ」

 大人の事情?

 王子は眉を寄せてミーナの顔を見たあと、白い目をリュウに向けた。

「そうか、リュウ。仕置きとはそういうことだったか。ケダモノめ」

「王子に言われたくねえです」と、リュウが言いながらキラを左腕に抱っこした。「俺はキラだけ、王子は数え切れないほどの女相手」

「黙れっ! 私はレディを疲れさせたりなどせぬわ! ガツガツしよって…! ええいっ、キラを返せ!」

「返せって、俺の猫なんですけど」

「うるさい! おまえといたらキラが可哀相だ!」

「王子といたら話すだけでキラが孕みます」と、リュウが王子からキラを遠ざけるように、王子に背を向けた。「キラを孕ませるのは俺だけで充分だ」

「なっ、何だと!? おまえキラに子を産ませるつもりか、リュウ!」

 数秒間を置いたあと、リュウが真剣な顔で王子に振り返った。
 王子のブルーの瞳をじっと見つめて答える。

「はい」

「何…」

「次の舞踏会のときに、王に言おうと思っていたんすけど」そう言ったあと、リュウがキラとリンク、ミーナに顔を向けた。「おまえら先に戻ってろ。葉月島まで来たら、ミーナの瞬間移動で帰れるだろ」

 キラとリンク、ミーナは顔を見合わせたあと承諾した。
 王子に一礼してから車に乗り、ミーナの瞬間移動で去って行く。

 それを確認したあと、リュウは再び向き合った。
 王子が先に口を開く。

「次の舞踏会のときに、父に何を言おうと思っていたのだ、リュウ。私が伝えてやる。言ってみろ」

「……王子」と、リュウが頭を下げた。「人間とモンスターの結婚を、許していただきたい」

「何…」王子の目が丸くなった。「モンスターとの結婚、だと?」

「はい。俺の願いです」

「待て、リュウ」王子が困惑したように言った。「とりあえず頭を上げろ」

 王子に言われ、リュウは頭をあげた。
 王子が訊く。

「それは、本気で言っているのか?」

「はい」リュウははっきりと答えて頷いた。「これはきっと、俺だけの願いではありません。特に人間に近いモンスターを飼っているハンターは、思っている者も少なくない。王に謁見できる機会のあるハンターは、俺とリンクだけ。よって、俺が代表して王に願い出ようと考えていました」

「しかし……」

「最初は、籍なんか入れられなくても良いと思っていました。キラにウェディングドレス着せてやって、ひっそり挙式して、いつか子供を作って……。それでいいと思っていました。でも、やっぱり良くない。俺はキラを単なるペットだなんて思っていません。何よりも、誰よりも大切な女だ。れっきとした妻にして、墓に入ってからも傍に置いておきたい」

「……」

 困惑した様子で、王子がリュウに背を向けた。

「王子」

「…なんだ、リュウ」

「もし、の話ですけど」

「なんだ」

「もしキラを飼っていたら、王子は生涯キラをペットとして愛していましたか」

「バッ、バカを言うなっ」王子が眉を吊り上げてリュウに振り返った。「私がキラをペット同様の扱いをするか! きっと后に迎えて――」

 はっとして、王子は言葉を切った。
 己の口が、リュウの願いと同じことを言っている。

「…そう…だな、リュウ。そうだな……、キラをペットで済ませるなんて、出来ないな」

「分かっていただけて光栄です。…王に、お伝え願えますか」

「分かった」王子は深く頷いた。「ただし、この案件はすぐ通るものではないだろう。城の者にも分かってもらえるよう、私も努力するが」

「ありがとうございます、王子」

「礼なら、次の舞踏会にキラを――」

「それじゃ、失礼します」

 王子の言葉を遮り、城の門へと向かっていくリュウ。
 王子は慌てて追いかけた。

「こ、こら待てリュウ! 次の舞踏会にキラを連れて来ないと、この案件なしにするぞ!」

 リュウは立ち止まり、溜め息を吐いて振り返った。

「…分かりました」と、しぶしぶ承諾する。「次の舞踏会に、キラを連れて行きます」

「よし!」と、王子が笑った。「おまえの願いを、私は必ず叶えてやろうぞ!」

「ありがとうございます」

 そうもう一度王子に礼を言って頭を下げ、リュウは城を後にした。
 足の速くなる魔法をかけ、自宅マンションへと駆け出す。

(もうすぐ12月か。クリスマスにしようか、年末の俺とキラの誕生日にしようか。どっちがいいかな)

 考えながら、リュウの顔が綻んだ。

(キラに、エンゲージリングを渡す日)
 
 
 
 
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