第34話 記憶喪失〜その3〜


 キラの記憶が失われて約2日目の朝。

(また…リュウの夢を見た……)

 キラはゆっくりと瞼を開けた。
 目の前にはリュウの胸。
 リュウの腕の中、キラはリュウの顔を見上げた。

 もう起きていたリュウが言う。

「オス」

「……もう起きてたなら、離さぬか」キラは眉を寄せた。「いつまで私を腕に抱いている。まったくおまえらは……」

 キラは昨日を思い出して溜め息を吐いた。
 昨日一緒に昼寝(と言ってもまだ朝だったが)をしたリュウとキラは、見事に夕方まで爆睡。

 強引にリュウに抱っこされながらキラがテントに戻ると、皆がそこで待っていた。
 リュウに抱っこされているキラを見て、皆驚いたようだった。

 特にミーナは困惑したようだった。
 もうキラに近寄って良いのか、それともまだ近寄ってはいけないのかと。

「良い、寄れ」

 そうキラがそう言うと、ミーナが笑顔になってキラの元へと駆けて来た。

「弁当、悪くなかった」

 さらにキラがそう言うと、ミーナが本当に嬉しそうに笑った。
 リュウの腕から降ろされたキラに抱きつき、はしゃいだ。
 それ続いてレオンにも抱きつかれ、リンクには頭をくしゃくしゃと撫でられた。
 さらにグレルがキラを肩に乗せ、テントの周りをグルグルグルグルとスキップ。

 夕食のときは密集されて食べにくいし、食べ終わったあとはミーナとレオンに手を引かれて辺りに連れまわされた。

 夜になってやっとリンクとミーナ、グレル、レオンが帰って行ったと思ったら、今度はリュウの相手。
 キスされそうになって思わず爪で引っかき、水浴びを覗かれそうになって岩をぶん投げた。

 就寝のときはこのキラを腕に抱かないと眠れないというリュウにおとなしく付き合ってやり、目を閉じた。
 想像はしていたが寝込みを襲われ、リュウの腕に噛み付いた。

 そのあと、ようやく就寝。

 朝になって目が覚めた現在、リュウに逃がさんといわんばかりに抱き締められているキラがいた。

 リュウが言う。

「なあ、キラ」

「なんだ」

「今日はキスだろ?」

「は!?」キラは赤面した。「なんだそれは!?」

「昨日抱き締めたとなれば、今日はキスで、明日には俺に食われているおまえがいる」

「ふっ…ふざけるな! ど、どうしておまえはそう、手が早いんだ!」

「何だよ、嫌なのかよ」

「当たり前だ!!」

「今さら何だ、このピュアな付き合いは。今なら堂々お義父上の墓の前で、僕たち清い付き合いしてます宣言できそーだぜ」

 と、リュウが複雑そうな顔をして溜め息を吐いた。
 テントの外からミーナの声が聞こえてくる。

「キラ、リュウ。起きてるかーっ?」

「おう、ミーナ。起きてるぜ」

 リュウが言い、テントから出た。
 続いてキラも出ると、ミーナがキラに抱きついた。

「キラ、おっはよおぉぉーーーー!!」

「朝から元気だな、ミーナ」

「キラは元気ではないのかっ?」

「そういうわけではないが…。リュウのドスケベっぷりはどうにかならぬものか」

「あー……」リンクが苦笑した。「リュウはおまえだけには、どうしてもなー」

「……ふん」キラはリュウの顔を見たあと、顔を逸らして椅子に腰掛けた。「どうだかな。他の女にも手を出しているのではないのか」

「あっはっは!」リンクが笑った。「ないないない。今のリュウにそれはないわー」

「今の?」

「う…」しまった、とリンクは顔を引きつらせた。「い、い、今も! の間違いやったっ……!」

 と、言い直してももう遅い。
 キラの白い目がリュウに突き刺さる。

(リンクてめー、あとでぶっ飛ばす)

 リュウはリンクを睨み付けたあと、恐る恐るキラを見た。
 以前、この件に関しては舞踏会で喧嘩した記憶があって。

「し……、仕事を穏便に終えるがために仕方なかったんだよ」

「何だ、仕事って」

「月の初めに行われる舞踏会の警護」

「何故それで女を抱く必要がある」

「ほ、ほんまに仕方なかったといえば、仕方なかったんやで、キラ!」リンクが慌てたように口を挟んだ。「なんせ、リュウはモッテモテやから! 舞踏会に集まったご婦人たちに逃してもらえへんかったん! け、けど、あれやでっ? リュウはキラを飼ってから、ほんまに他の女の人とは何もしてへんのやでっ?」

「……ふん。そんなに焦って言い訳なんてしなくて良い。今の私はリュウなど好きではないのだからな」

 そう言って、キラはリュウからもリンクからも顔を逸らした。

 リュウなど好きではない。
 当たり前だ。
 覚えていないのだから。
 でも、何故嘘を吐いた気分になる。
 何故、胸がむかむかとする。

 レオンが苦笑しながら口を開く。

「えとぉ…その、リュウ?」

「なんだ、レオン」

「その舞踏会の警護の仕事なんだけど……」

「あ」と、リンクが苦笑した。「せやった……」

リュウは眉を寄せてリンクとレオンの顔を交互に見た。

「なんだよ?」

 リンクが答える。

「レオンが代わりに行こうとしたんやけど、王がやっぱりリュウを指名してん」

「ああ…、そうか。分かった」

 リュウは承諾した。
 王からの依頼を断るわけにはいかないから。

「んで、いつだ?」

 そう訊いたあとに、リュウはこの山へ来る前見てきたカレンダーを思い出して、はっとした。

「今夜か……」

 リンクとレオンが苦笑して頷いた。

(大丈夫…だよな?)リュウはそっぽを向いているキラに目を向けた。(今は俺のこと好きじゃねーんだし……)

 そう思うと悲しいが、今夜の舞踏会には行きやすかった。
 リンクが指をぱちんと鳴らして言う。

「せ、せや! ひ、久しぶりにキラも舞踏会に連れて行ったらどうやっ?」

「ふざけんな」リュウはきっぱりと言う。「2度と連れて行かねー」

 王子がキラに惚れたと分かってからは、何が何でも舞踏会にキラを連れて行っていないリュウである。
 増してや、キラが記憶喪失となっては絶対に連れて行けない。
 キラがこのリュウの記憶をなくしているのを良いことに、王子に付け込まれる可能性はないとは言えないから。
 むしろ、付け込まれる可能性の方が高い気がして恐ろしい。

 リンクがキラを見て言う。

「こ、今夜リュウが仕事に行くけどええんか、キラ?」

「何故そんなことを私に訊く。好きすれば良いではないか」

 キラが立ち上がる。

「待て」リュウがキラの手を掴んだ。「どこ行くんだよ。これから朝飯だぞ」

「まだ腹が減っていない。散歩してくる。離せ」

「じゃー俺も行――」

「邪魔だ」

 キラがリュウの手を振り払い、近くの木の枝に飛び乗った。
 木の枝から枝へとぴょんぴょんと跳ね、どこかへと散歩しに行く。

「な…、なんだよ。邪魔言わなくてもいーじゃねーか」

 と、ふて腐れているようなリュウ。
 グレルが声をあげて笑った。

「がっはっはっ! ったく、昔のキラはツンデレだなぁ。可愛いぜーっと♪」

「ねえ、リュウ」レオンは苦笑した。「キラ、怒ってるんじゃないの?」

「まさか…」リュウは眉を寄せた。「だってキラ、俺のこと覚えてないんだぜ? 俺のこと好きじゃないんだぜ? 俺の過去のことなんて、どうだって良いだろ」

「そうかもしれないけど……」レオンはキラが去っていった方に顔を向けた。「でも、本当にそうかなぁ……」

「大丈夫…」リュウもキラが去っていた方へと顔を向けた。「だろ……?」
 
 
 
(一体どこが……)レオンは青ざめた。(大丈夫なんだよ、リュウ!?)

 只今、夕刻。
 リュウとリンク、それから瞬間移動のためミーナが舞踏会へ行ったあと。
 グレルは雑誌『NYANKO』の仕事なので、山の中にはキラとレオンが残っていた。

   キラが食後の散歩に行くと言うので、心配になって何となく着いて来たレオンだったが。

「まったく私の通り道だというのに、何と邪魔な奴らだ」

 ズドオオォォォォォォン…!  と大きな地響きと共に、キラの通り道に生えている木々が次から次へと倒れていく。
 まるで鋭利な刃物のようなキラの爪に、すぱっと切られて。

 スパッ
 ズドオォォォン
 スパッ
 ズドオォォォン
 スパパッ
 ズドドドオォォォォォン…!

 何たる自然破壊か。
 レオンはキラの隣を歩きながら、顔面蒼白する。
 もしかしなくても、キラはブチ切れていて。
 無表情な横顔がますます恐ろしい。

「あっ、あの、キラっ?」

「なんだ、レオン」

 スパッ
 ズドオォォォン

「そ、そろそろやめた方が……」

「何がだ、レオン」

 スパッ
 ズドオォォォン

「そ、その、木を切り倒していくのは……」

「何故だ、レオン」

 スパッ
 ズドオォォォン

「し、自然は大切にしないとねっ?」

「こやつらが私の通り道を塞いでいるのだ、レオン」

 スパッ
 ズドオォォォン

「そ、そうは見えな――」

「ええいっ!! どけどけいっ!!!」

 スパパパパパパッ
 ズドドドドドドオォォォォォォォン!!!

「もっ、もう止めてよキラっ!!」レオンは慌ててキラを抱きすくめた。「落ち着いてよ、キラ!! 落ち着いてっ……!!」

「何を言っている、レオン?」キラは自分より10cmほど背の高いレオンの顔を、黄金の瞳を上に動かして見た。「離せ。私は落ち着いているぞ」

 どこがだ。

 レオンは心の中で突っ込んだ。
 苦笑しながら言う。

「も、もう木を切り倒さないなら離すよ」

「分かった」

「……よ、よかった」

 と、キラから腕を離したレオンだったが。

「ん? こんなところに邪魔な岩があるな」

 と、キラ。

 シュッ

 拳を振り上げ、

 ドカアァァァァァン!!

 巨大な岩石、粉砕。
 レオンは顔を引きつらせて心の中で叫んだ。

(はっ…、早く帰ってきて、リュウーーーーーッ!!)
 
 
 
「ん?」

 ヒマワリ城での舞踏会で、ちょうど婦人たちのダンスパートナーの休憩をしていたリュウは、ダンスホールの窓の外を見つめた。
 リュウの傍らにいたリンクが首を傾げる。

「どうしたん? リュウ」

「いや…、今、何か呼ばれた気が……」

「誰に?」

「キラか?」

 と、ミーナが料理を口にしながら訊いた。

「いや……、キラではないような。…まあ、気のせいか」そうすることにして、リュウは話を切り替えた。「なあ、そのキラのことなんだが」

「ん、どうしたん」と、リンクはリュウの表情を見た。「……記憶が戻るか、心配なんか」

「……ああ」リュウは頷いた。「キラは俺たちに――俺に、関する記憶がない。無理に思い出そうとすると、頭痛がするみたいでよ。それも、かなり辛そうなんだ」

「そう…なんか」

「ああ。俺はキラに苦痛なんて与えたくねえ。でも、思い出してほしい」

「……せやな」

「どうすればいいと思う、リンク。キラは、どうすれば記憶を戻すと思う」

「きっと…、きっと方法があるはずや。ほら」と、リンクはリュウに笑顔を向けた。「ゲールも言ってたやん。方法を探すって。今、必死になってキラの記憶を戻す方法を探してるはずやで。まだ方法はきっとある。大丈夫や…、大丈夫やで、リュウ」

「…そう、願ってる」

「うん……。ちょびーーーっと安心したところで」と、リンクは苦笑した。「お仕事でっせ、色男のリュウさん。休憩短かったな……」

「……。…おう」

 リュウが振り返ると、背後にずらりと並んでいたご婦人たち。
 リュウは心の中で顔を引きつらせて、先頭に並んでいる婦人と再びダンスホールへと出て行った。
 
 
 
 夕刻が過ぎて月が顔を出し、星たちが輝きだす。
 お気に入りの広場の中央に寝転がって、キラは秋の夜空を仰ぐ。
 レオンは星が見える前にテントへと帰した。
 1人(匹)になりたい気分だったから。

(悪いな、レオン。でも)キラは奥歯を噛み締めた。(こんな私なんて、誰にも見られたくない)

 いくつもの木を切り倒した。
 岩石を粉砕した。
 ここらにある草をかきむしった。

 リュウのことなんて、覚えていないのに。
 リュウが過去に自分以外の女を抱いていたと思うと、ハラワタが煮えくり返りそうだ。

 もうすっかり夜になった。
 リュウはまだ帰ってこない。

 また、私以外の女を抱いているのだろうか。
 そんなことを考えると、この山を破壊したくなる。

 どうか、している――。

 こんな私なんて、誰にも見られたくない。
 これではまるで、人間であるリュウのことが好きでたまらないみたいで。

 そんなの認めたくない。
 信じたくない。
 有り得ない。

 でも、このむかむかとする胸が私を否定する。
 私はリュウが好きなのだと、胸が叫んでいる。

 痛い。
 胸が痛い。
 何だ、この痛みは。
 この爪で貫こうが、消えてくれそうにない。

 リュウのことなんか、覚えていないのに。
 何故こんな感情だけが残ってしまった。

 もう、わからない。

 リュウのことは覚えていない。
 それなのに、好きで仕方がない。

 頭がおかしくなりそうだ。

 いっそのこと、全部忘れてしまえば良かったのだ。
 そうすれば、こんな分けの分からない感情に苦しめられなかったのだ。
 綺麗さっぱり、全部。
 リュウのことなんて――

「――…っ…嫌だ……!」キラの黄金の瞳から、涙が零れる。「…嫌だっ…! 違う…、違う! 忘れたいんじゃ…ない……!!」

 思い出したい。
 リュウと出会ってからの日々を。

 どんなに楽しかったのか。
 どんなに笑っていたのか。
 どんなに居心地が良かったのか。
 どんなに幸せだったのか。

 思い出せ。
 思い出せ、思い出せ、思い出せ!
 思い出せ――!!

「――うっ…!」襲ってくる激しい頭痛にキラは呻き声をあげる。「ああっ…、ああああああっ……!!」

 頭が割れそうだ。

   それでもキラは記憶を思い出そうとする。

「あああっ…!! ああああああああああああああっ!!」

「キラ!?」

 キラの耳に、リュウの声が聞こえてきた。

「おい、何してんだ!」リュウが必死にキラを抱き締める。「やめろ! キラ、やめろ!!」

 キラが嫌だと首を横振り、さらに呻き声をあげる。

「ああああああああああああああぁーーーーっ!!!」

 まるで断末魔のようなキラの声。

「キラ!! やめろ!! やめろっ!! やめろって言ってんのが分かんねーのか!!」

 リュウは必死に命令する。
 ペットのキラに。

「おまえが苦しむ姿なんて見たくねえっ!!」

「うるさいっ…! うるさい! 主ぶるな!!」

「主なんだよ! 俺はおまえの主だ!! 言うことを聞け!!」

「黙れ! 私はおまえのことなど覚えていない! おまえのことなんて知らない! その顔も、その声も、知らない! 何も知らない!! …それ…なのにっ……!!」キラがリュウの胸にしがみ付いた。「それなのにっ…それなのに! 何故っ、何故…こんなものだけ残ったのだ……!?」

「え…?」

「何故こんなものだけ! こんなものだけ! こんなもの、いらない!!」

「な、なんだよ、こんなものって」

「私がおまえを好きだという、想いだ……!」

「――」

「何故っ…」キラがリュウの背に爪を立てる。「何故こんな感情だけ残ってしまったのだっ…? おまえのことなんか、これっぽっちも覚えていないのに…! おまえが私以外の女を抱いていると思うと、ハラワタが煮えくり返る! 何もかも、破壊したくなる!! 私以外の女なんか抱くな、このドスケベが!!」

「だっ…抱いてねーよっ! 過去のことを現在進行形で言うな! …って、以前も同じ台詞を吐いたなっ……」

 それは、キラが記憶を失う前と変わらぬ想いを持っているという証拠みたいなもの。
 記憶がなくてもキラはやっぱりキラで、このリュウを愛してくれている。
 あのときみたいに、深く胸を痛めている。

「本当に…、本当におまえを飼ってからは、おまえしか抱いてねーから」リュウは言いながら、キラを宥めるようにぎゅっと抱き締めた。「俺が愛してる女だって、おまえだけだから……」

「――」

 愛してる。

 そんなリュウの言葉が、キラの胸に響く。

「意外な言葉を吐くのだな、リュウ」

「う、うるせー、ときどきしか言わねーよっ…」

「ふ…」短く笑うと同時に、キラの黄金の瞳から涙が零れる。「…っ……! 思い…出したいよ……!」

 キラが記憶喪失になって、リュウも皆も辛い思いをしている。
 でも、一番辛い思いをしているのは、他の誰でもないキラ自身だった。
 リュウの胸にしがみ付いて、泣きじゃくっている。

「俺たちの家に帰ろうぜ……、キラ。ここにいるより、思い出しやすいはずだから」

「……」

 キラが頷いた。

「よし、では行くぞ」

「ああ、瞬間移動頼むミーナ――って…!?」リュウは驚倒して振り返った。「なっ…! いっ、いつからそこに!!」

 リュウの背後には、リンクとミーナ、グレル、レオンが集まっていた。
 キラが言う。

「何だ、リュウ。気付いていなかったのか」

「い、言えよおまえっ…!」リュウはキラを見て言ったあと、リンクたちに振り返った。「んで…!? い、いつからそこに……!?」

「えーと」と、リンクたちが声を揃える。「リュウがキラに『俺が愛してる――」

「きっ、聞いてんじゃねぇええぇぇええぇぇええぇぇええぇぇえっ!!!」

 秋の夜空の下、リュウは耳を真っ赤にして叫んだ。
 
 
 
 
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