第32話 記憶喪失〜その1〜
リュウがゲールからもらった青い小瓶に入った怪しい薬。
超強力媚薬だと聞き、思わずキラに飲ませたリュウだったが。
キラが記憶喪失になり、リビングの窓を突き破ってどこかへ行ってしまった。
グレルとレオンにも連絡したあと、リュウはリンク、ミーナと一緒に家を飛び出した。
皆で手分けして探す。
もう夜だったが、皆のん気に寝ていられる場合じゃなかった。
最初にキラを見つけたのは、山に帰っているだろうと読んだミーナと、その主のリンク。
夜が明け、もう朝になった頃だった。
一旦、瞬間移動でその場を去り、リュウとグレル、レオンを連れてまた戻ってくる。
「ほら、リュウ。あそこだ」
と、ミーナが差す方向にリュウは顔を向けた。
一本の木の枝の上。
キラが出て行ったときの寝巻き姿のまま、こちらに背を向ける形で座っている。
とりあえず見つけたということで、ほっと安堵した。
皆で近寄っていく。
キラの座っている木の少し手前まで来ると、キラが言った。
「来るな」
リュウと皆の足が止まる。
「分かった」
リュウは言った。
キラが言う。
「人間の気配が3つに、白いの(ホワイトキャット)が1匹、灰色の(ミックスキャット)が1匹。昨日よりも増えているな」
「…ぼ、僕だよ、キラっ!」レオンが声をあげた。「僕だよ、レオンだよ! キラ、覚えてないの……!?」
「私に灰色の知り合いなどおらぬ。白いのといい、灰色のといい、虫唾が走るわ。寄るな」
本来は仲が悪いブラックキャットとホワイトキャット、その間にできたミックスキャット。
記憶を失ったキラが、ミーナとレオンを好くわけがなかった。
虫唾が走る、寄るな。
そんなことをキラの口から言われ、たまらずミーナのライトグリーンの瞳に涙が浮かぶ。
「…キラっ…! わたしのこと、本当に覚えていないのかっ? 忘れてしまったのかっ?」
「おまえなど知らぬ」
「わたしだっ…! ミーナだ、キラ…! ミーナだっ……!」
「知らぬと言っている」
「…っ……! …思い出してくれっ、キラぁっ!」
ミーナがわんわんと泣き出す。
ミーナを慰めるようにぎゅっと抱きしめ、リンクは言った。
「キラ、おまえ。今、記憶喪失になってんで?」
「記憶喪失…だと?」
「ああ、どうやらそのようだな」と、グレルが言った。「キラ、今いくつだ? 年は」
「17だ」
「やっぱりな…」グレルが小さく溜め息を吐く。「キラ、おまえは記憶が昔に戻ってんぜ。おまえは今、20歳だ」
「バカなことを言うなっ!」
と、振り返ったキラ。
グレルの顔を見るなり、ぎょっとする。
「――って、に、人間ではなく熊だったのか……!?」
「いや、この人はグレルって言って一応人間だ」
そう言った男の顔――リュウの顔に、キラは顔を向けた。
その途端、胸が熱くなる。
リュウから顔を逸らし、キラは訊く。
「……おい、そこの黒い髪」
「俺か。リュウだ」
「……おまえ、私の何だ」
「主だ」
「主…だと? この私が、人間のおまえに飼われていたとでも言うのか」
「言うぜ? おまえの赤い首輪がその証拠だ。自分が人間に飼われてたってことくらい、察してただろ」
「……」
キラは否定できずに、口を閉ざした。
自分の記憶だけがおかしくなっていることも、このリュウという男に飼われていただろうことも、本当は察していたから。
それでも、認めたくなかった。
大嫌いな人間に、己が飼われていたなんて。
「……おい、黒い髪」
「そんな名前してねーよ」
「……リュウ」
「なんだ、キラ」
「おまえが私の主だという、他に証拠になることはあるか。首輪だけでは信じがたい」
「他にも証拠になること……か」リュウは鸚鵡返しに呟いたあと、「おまえのお父上の墓は文月島タナバタ山の麓にある……とか?」
「――!」
キラは驚愕してしまう。
そのことは、キラ自身だけが知っていることなのに。
信頼のない者に教えるわけがない。
もう、決定だった。
認めるしかない。
このリュウという男に、己は飼われていたのだと。
キラの様子を見て、リュウが言う。
「信じたようだな、キラ。んじゃ、降りて来い」
「いっ…、嫌だっ!」
「触らねーから、絶対」
「……」
「絶対に触らねーし、何もしねー。ここにいる皆、それを誓う。だから降りて来い、キラ。頼むから……」
「……」
「顔くらい、もっと近くで見せてくれ……!」
懇願したようなリュウの声。
キラは戸惑ったあと、枝の上から飛び降りた。
ゆっくりと振り返る。
リュウの方へと。
リュウの黒々とした瞳に捉われ、キラの黄金の瞳が揺れ動く。
キラの胸が熱くなり、動悸が起きはじめる。
リュウが近寄ってきて、キラは小さく跳ねて後方に下がった。
背が木にぶつかる。
キラは動揺しながら声をあげた。
「く…、来るなっ!」
「触らねーって、言っただろ」
リュウがそう言って、キラのすぐ頭上に右手をつけた。
リュウの大きな手。
木肌につけて、小刻みに震えている。
このキラに触りたくて仕方ないのを、堪えているというように。
リュウの胸がすぐ目の前に来て、キラは思わず赤面して俯く。
リュウが言う。
「顔をあげろ、キラ」
「めっ…、命令するなっ」
「俺はおまえの主だ。キラ、顔をあげろ」
「嫌だ! 今の私は、おまえを主だなんて思っていない!」
「うるせー。顔をあげろ」
「嫌――」
「顔あげろって言ってんだ俺は!! 乳鷲掴みにすんぞ、おまえ!!」
「――んなっ…!?」
驚愕したキラ。
顔を真っ赤にしてリュウを見上げる。
「なっ、なっ、なんっってことを言う男だ、おまえは!? しっ、信じられんぞっ!!」
「うるせえ。乳触るくらい、今更なんだってんだ」
「は!? お、おい!? お、おまえ、今のはどういう意味だ!? お、おま、おまえは、わ、わた、私のことを、私のことを……!?」
「毎晩俺の好き放題に抱いてっけど、何か文句でもあんのか」
「――!?」キラ、大衝撃。「なっ、なっ、なっ、なんて奴だ!! わ、わわわ、私は嫁入り前なのだぞ!?」
「おまえは俺の嫁になっからいーんだよ」
「なっ、何――」
「それより」と、リュウがキラの言葉を遮った。「俺の顔を見ろ、キラ」
キラは半ばパニックになりながら、リュウの顔を見つめた。
この男、とんでもない奴だ。
これが主だなんて、信じたくない。
でも……、
やっぱり顔を見るだけで胸が熱くなる。
リュウが訊く。
「…何も、思い出さないか」
「…なっ…何も知らぬっ」
「……そう、か」
そう言ったときのリュウの瞳が、少し歪んだ。
(傷…付いたのか?)
そう思うと、キラの胸が痛む。
リュウがキラを見下ろしたまま言う。
「リンク、ミーナ。俺ん家から、俺とキラの着替えとテント、必要だろうもんを適当に持って来い」
「へっ?」リンクの声が裏返った。「リュウ、おまえ、キラとここに寝泊りする気かっ?」
「ああ。今のキラに帰るって言っても着いて来ねーだろうし、触らねーって言ったからには、強引に連れて行けねー。俺がここでキラと一緒に暮らして、キラの記憶を戻してみせる」
「せ、せやなっ。キラの記憶を戻すには、リュウが一番やもんなっ! 分かったで、リュウ! 待ってろやっ!」
「ま、待っててくれ、リュウ!」ミーナが続いた。「今すぐ行って来るから、キラのこと頼んだぞっ……!」
ミーナはそう言うなり、リンクを連れて瞬間移動した。
そのあと、リュウは続けた。
「師匠」
「何だ、リュウ」
「いつまでか分からねーけど、仕事にレオン連れて行けなくなってもいいっすか」
「分かった。オレはいいぜ」
「ども」リュウは小さく頭を下げた後、レオンに言う。「レオン、俺が今から言うことを頼めるか」
「う、うんっ」レオンが頷く。「何でも言ってよ、リュウっ……!」
「こうなった以上キラから目を離すわけにいかねーから、俺は仕事に行けねー。俺の代わりにリンクと一緒に行ってくれるか」
「わかった! 頑張るよ!」レオンは声を大きくして言った。「だからっ…、だからお願いリュウ! キラの記憶を、必ず戻して……!!」
「ああ。任せろ、レオン。俺はキラの主だ。必ず……、必ず、キラの記憶を戻してみせる――!」
「おい」キラの顔が引きつる。「何だ、それは」
リンクとミーナがリュウとキラのために荷物をあれやこれやと持ってきて、そのあとすぐ仕事へ行くと言って、グレル・レオンも連れ瞬間移動で去って行ったのは10分ほど前のこと。
キラがリュウの組み立てたテントを警戒して遠巻きになっている。
「テントっていうんだよ」リュウは言った。「おまえ、この中好きなはずだぞ。狭くて落ち着くどーのこーので」
「……」
キラが眉を寄せ、恐る恐るといったようにテントに近寄ってきた。
鼻をくんくんとさせ、テントをぐるりと一周回る。
「臆病だな」と、リュウは短く笑った。「本当、俺と出会ったときみてえ」
「…お、臆病とは何だっ…! わ、私は人間が大嫌いだ! その人間の持ち物を警戒するのは、当然のことだっ……!」
「そうか」リュウはキラの服が入った袋を探し、キラに手渡した。「ほら、とりあえず着替えろ。寝巻きでいたらおかしいだろ」
「き、着替えるってどこで……」
「? ここでいいだろ」
「は!?」キラが赤面する。「なっ、なんでおまえがいるのに……!」
「…何、おまえ」リュウはぱちぱちと瞬きをした。「人前で脱ぐの平気じゃなかったのか。以前(第5話)にあっさり脱ごうとしたから、平気なのかと思ってた」
「お…、おま、おまえの前は何だか恥ずかしいっ……!」
キラがそう言いながら、近くの木の陰に隠れた。
(そういえば……)と、リュウは思い出す。(俺に初めて抱かれた日も、顔真っ赤にしてたっけ)
リュウは微笑んだ。
というか。
「可愛いじゃねーか、こんちくしょうっ…」
にやけた。
キラが言う。
「の、覗くなよっ…!?」
「覗かせろよ、着替えくらい」
「ふっ、ふざけるなっ!」
「触れねー上に、(着替え)見れねーのかよ」
「当たり前だっ!」
「えー」
「えー、じゃないっ! みっ、見たら逃げるからなっ!」
「分かったよ、ったく……」リュウは溜め息を吐いて承諾した。「今更になってのとんでもねー禁欲だぜ」
「ふん、それくらい我慢したらどうだ」と、言いながらキラが着替え終わって姿を見せた。「私を飼うときだって、ほんの数日間で手に入れられたわけじゃなかろう?」
「……そう、だな」
当時を思い出しているのか、リュウが微笑む。
(俺様でドスケベかと思いきや、そんな優しい表情もするのか……)
頬が染まるのを感じながら、キラはリュウから離れて座った。
「……おい、リュウ」
「なんだ、キラ」
「気になることがある……」
「なんだ」
「…おまえ、どうやって私を飼ったのだ」
「俺がおまえを助けたのを機に……、まあ、餌付けして?」
「はぁ?」キラの声が裏返った。「え、餌付けだと!?」
「おう、おまえこれ好きでよ」と、リュウはクーラーボックスの中からビールを取り出してキラに見せた。「俺が部屋にこれ1本置いて仕事へ行って帰ってくると、必ず窓辺にネズミ3匹置いてあんの」
「ネ、ネズミ? ここらにいる山ネズミのことかっ…!」
「まあ、そういう俺がおまえに物を与えて、おまえから礼にネズミもらうっていう生活が半年くらい続いてな。最初に一度会って以来、臆病なおまえは顔を見せなかったけど」
「臆病言うなっ…!」キラは突っ込んだあと、リュウから顔を背けた。「…それで、その半年経ったときに、私を飼ったのだな?」
「ああ」
「……おまえが強引に私に首輪をつけたのか」
「いや。『NYANKO』っていう猫モンスター雑誌があってよ。そこに首輪のカタログが載っててな。俺が仕事から帰ったら、今おまえがつけてる赤い首輪のページが開かれてたんだ」
「……それは、私がおまえに買って来いと言っていたという意味か」
「ああ。それで届いたその首輪を数日後に、いつも通り部屋に置いておいた。で、俺が仕事から帰ってきたら、おまえがいたんだよ。俺が買ってやったコートとブーツ脱ぎ捨てて、その首輪して、ソファーに寝てた」
「……私からおまえを求めたということなのか」キラは呟いた。「信じたくない話だ」
「信じたくなくても、それが事実だ。おまえは俺に惚れたの。もう、すーげえベタ惚れ」
「なっ…!」キラは顔を引きつらせて振り返った。「こっ、この自惚れ屋が――」
「でも」と、リュウがキラの言葉を遮る。「俺はそれ以上、おまえに惚れてるんだろうな」
「…っ……!」
キラは再びリュウから顔を逸らした。
頬が熱い。
リュウが続ける。
「おまえが俺ん家のリビングのソファーで寝てたとき、やばかった。本当、もう、嬉しくて」
「……」
「部屋の電気すら付けるのも忘れて、おまえのそのガラスみたいな髪に触れたっけ」
「……」
「俺のペットになって本当に良いのかって訊いたとき、おまえ言葉で答える代わりに俺の首にしがみ付いてよ」
「……」
「次の瞬間、おまえ俺に食われたな」
「――なっ!?」キラ、本日2度目の大衝撃。「何!? お、おい、おまえ、まさか私を飼ったその日に、わ、私のこと、だだだ、抱いたのか!?」
「おう」
「!? しっ、信じられんっ!! 信じられんぞ、この男!! なんっったるケダモノだ!!」
「何言ってんだ、おまえからしがみ付いてきたクセに。初めて俺に抱かれたときのおまえ、すーげえ可愛いの。もうたまんねーの」
「いっ、今すぐその口を閉じ――」
「聞けよ」
「きっ、聞かぬわぁあああぁぁああぁぁああぁぁあっっっ!!!」
キラの声が、山中に木霊していった。
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