第31話 怪しい薬


 盛りに盛り上がった運動会から、3日が経つ。
 時刻は夕刻過ぎ。

 リュウ・キラ宅のリビングにて。
 つい先ほどリュウとキラ、リンク、ミーナの2人と2匹で夕食を終え、只今ペットのキラとミーナは仲良く入浴中。
 一方の主であるリュウとリンクは、ソファーに向かい合って座り、ガラステーブルの上に置いた一本の青い小瓶を見つめていた。
 運動会のときにゲールからもらった、怪しい液体の入った小瓶。

「…なあ、リュウ」

「…なんだ、リンク」

「コレ、使ってないやろ?」

「ああ。キラに使いたくて仕方なかったが……」

 その怪しい小瓶に入った液体は、ゲールいわく超強力媚薬だという。
 それをキラが飲んだ姿を想像し、運動会でゲールとの勝負を張り切ったリュウだったが。

「こんな怪しいもん、やっぱりキラに飲ませらんねーよ」

「せやなあ…」

「でもよ、リンク」

「なんやねん、リュウ」

「これが本当に超強力媚薬だったら……って考えると、捨てられなくてよ」

「……。おまえ、ほんまにキラ飼ってからケダモノやな」

「……うるせーよ」

 なんて憎まれ口を叩いても否定はできないリュウである。
 運動会の日から3日間。
 この超強力媚薬を、何度使おうとしたことか。

「とりあえず」と、リュウは携帯電話を手に取った。「本当に安全かどうか、ゲールに聞いてみる」

 携帯電話の着信履歴からゲールと思われるものを探し当て、リュウは発信ボタンを押した。
 10回以上のベルのあと、ゲールが出た。

「…もしもしぃー…?」

「おせーな、電話に出るの。仕事中だったか」

「…いーや…、切り裂かれ中だったよ…。…まったく、快楽で逝きそうなときに邪魔してくれたね…」

「……。わり、超一流変態・ゲール」

「…それで…? …用件はなんだい、超一流ハンター・リュウ…?」

「あれだよ。おまえにもらった媚薬のことなんだが」

「…あぁ…。…すごい効き目だっただろう…?」

「いや、使ってねーんだよ。これ、本当に使っても大丈夫なんだろうな…!?」

「…何を心配しているんだい、ハンター・リュウ…? …大丈夫だよ、キラと同様最強を歌われる、レッドドッグにも実験済みだ…。…私は乱れに乱れたレッドドッグに、あーーんなことや、こーーーーんなことをされちゃったよ…?」

「――!?」

 あーーんなことや、こーーーーんなこと!?
 普段タダでさえ可愛い俺のキラが、あーーんやことや、こーーーーんなこと……!?
 まじで……!?

 想像してしまい、またもや思わずリュウの顔がにやける。

「おい、本当に、本当に、害はないんだな!?」

 なんて訊きつつ、リュウは冷蔵庫へと向かう。
 ゲールがきっぱりと言う。

「…ああ…、害などない…。…これだけは言い切れるよ…。…効こうが効かまいが、身体に害など一切ない…」

「よし! じゃあな!」

 リュウは電話を切ると、冷蔵庫の蓋を開けてビールを取り出した。
 グラスと一緒に持ってきて、ソファーに腰掛ける。

「おい、リュウ」リンクは苦笑した。「使う気かい」

「おう。安全なことは確からしいぜ」

 リュウがビールの缶を開け、グラスにビールを注いだ。
 青い小瓶の蓋を開け、ビールの中に1滴垂らす。

「まずはためしに1滴っと」

「……」リンクは赤面しながら、ごくりと唾を飲み込んだ。「ほ、ほんまに効いたらキラどうなんのやろ」

「キラが効いた素振り見せたら、俺とキラは寝室へ直行、おまえとミーナは帰れ」

「ちょ、ちょっとだけ覗かせてやっ…!」

「駄目」

「んな殺生なっ! あぁもうっ、めっさ羨ましいやんけっっっ!!」

「何がだ?」

 と、キラの声。

「!?」

 リュウとリンクが驚いて振り返ると、そこには風呂上りのキラとミーナが立っていた。

 キラはリュウとリンクの顔を見た。
 にやけているリュウの顔と、赤いリンクの顔。

「……。スケベな話をしていたのだな?」

 ずばり当てられ、リュウとリンクはぎくっとしてしまう。
 咳払いをし、リュウはビール(と媚薬)の入ったグラスを、キラに差し出した。

「ほ、ほら。風呂上りのビールだ」

「……。めずらしいな、リュウ。私の風呂上りにわざわざグラスを用意しビールを注いで待っているとは」

「う…」

「何を企んでいる」

「リュウ…」リンクは苦笑した。「白状しろや、ばればれやん」

「お、おう……」リュウは恐る恐るといったように、キラの顔を見た。「その…、あれだよ。運動会のとき、良い物もらうって言ったろ?」

「良い物?」キラが鸚鵡返しに訊いた。「ああ、あの私に飲んでほしい云々言ってたやつか。でも、やっぱり飲まなくて良いって言ってたではないか」

「やっぱ飲んで」と、リュウはキラの口のすぐ前までグラスを持っていった。「媚薬入りビール」

「媚薬…」キラは呟いたあと、やれやれと溜め息を吐いた。「それで盛り上がっていたわけだな。まったく男というものは……」

 リュウの手からグラスを受け取り、キラが媚薬入りビールを一気飲みする。

「おおおっ」リンクが赤面する。「いっ、一気にいったなキラっ…!」

「リュウが飲めというなら、私は毒だって飲むぞ」キラが言いながら、リュウの膝の上に座った。「これで良いか、リュウ?」

「おうっ…!」リュウがキラの身体を抱きしめる。「で、まだ……!? まだなんともねーの!?」

「落ち着け、リュウ。まだ飲んだばかりだ」

「なあ」ミーナがリンクの膝に座りながら訊いた。「びやくって、何だ?」

「まあ、言い換えるならば惚れ薬――」

 キラの言葉が切れた。
 突然キラが気を失い、リュウの胸にもたれる。

「――キラっ?」

 リュウとリンク、ミーナは声を揃えてキラの顔を見た。

「お、おい? キラっ」リュウはキラの頬を軽く叩いた。「…完全に気ぃ失ってんぞ……!?」

「だ、大丈夫かいな!? キラっ!? なぁおい、キラっ?」

「キラ、どうしたのだ、キラ!? だ、駄目だ反応がまるでないぞ!」

 狼狽し出すリュウとリンク、ミーナ。

「クソっ…! やっぱり飲ませるんじゃなかった……!」

 そう、リュウが深く後悔したとき。
 キラの瞼がゆっくりと開いていった。

「おおっ」リュウとリンク、ミーナはほっと安堵して笑顔になった。「キラっ…!」

 キラの顔を覗き込む、リュウとリンク、ミーナ。
 キラの黄金の瞳に映る2人と1匹の顔。

(――…えっ……!?)

 キラは目を見開いた。
 リュウの膝の上から飛び跳ね、ソファーから遠のく。

 リュウとリンク、ミーナが驚倒して目を丸くする中、キラが牙を剥いて口を開く。

「誰だおまえらっ…! 誰だ!!」

「は?」リュウとリンク、ミーナは眉を寄せた。「キラっ…?」

 怯えたキラの黄金の瞳。
 部屋の中を見渡し、キラがますます声をあげる。

「ど、どこだここは!? おまえら、私をどうやってここに連れ込んだ!!」

「お、おいキラ――」

「来るな!!」動揺して立ち上がったリュウの言葉を、キラが遮った。「こっちへ来るな!!」

 リュウとリンク、ミーナは激しく困惑した。
 一体どういうことだ。
 どうしてしまったんだ、キラは。
 これじゃまるで――

 リュウの携帯電話が鳴った。
 そこに出ている番号を見て、リュウがすぐさまに出る。

「おい、ゲール!? どうなってんだよ!?」

「…もしかして遅かったかい…?」

「キラがおかしくなっちまったぞ!?」

「…どうやらその超強力媚薬は犬専用みたいでね…」

「は!?」

「…猫が使うと、副作用が出るみたいなんだよ…。…例としては、頭痛、吐き気、眩暈、それから記憶障害…」

「記憶障害…!」

 鸚鵡返しに言ったリュウ。
 リンク、ミーナと顔を合わせ、同時にそれだと確信する。
 キラは記憶障害――記憶喪失になってしまったのだと。

 ゲールが続ける。

「…記憶障害になった場合、戻らない可能性も高いみたいでね…」

「――なっ…!?」

「…え、何…? …もしかしてキラは記憶障害なのかい…?」

「てっ…てめえ、責任取りやが――」

 ガシャーーーン!!

 リュウの言葉を遮るように、ガラスの割れる音がリビングに響いた。

「――キラっ!?」

 はっとして振り返った、リュウとリンク、ミーナ。

 突き破られた窓ガラス。
 舞い込んでくる冷たい秋の風。
 キラの姿は、もうそこになかった――。
 
 
 
 葉月町を駆けながら、キラの頭の中は混乱していた。

(何故だ…!? 何故、私は人間の集まるこんなところにいる……!?)

 一体、何がどうなっているのか。
 記憶が3年前の夏に戻っているキラには、状況がまるで分からなかった。

 野生のころに住んでいた山へとやってきて、さらに混乱する。
 夜でも猫は夜目が利くから見える。
 青々と葉を生い茂らせていたはずの木々が、すっかり葉を赤や黄色に染めているのを。
 気付けば空気は秋の匂いだし、肌に感じる空気はすっかり冷たくなっている。

(ど、どういうことだ…!?)

 キラは山を登り、寝床にしていた場所へと駆けていった。

「…な、何故だ!? 何故、私の寝床がなくなっている!? 何故だ!」

 キラは喚いた。
 たくさんの葉を集めて作ったはずのふかふかのベッドが、あるはずの場所になくて。
 もう訳が分からない。
 身体から漂うボディーソープとシャンプーの香り。
 キャミソールワンピース型の寝巻き。
 そして――

「なっ…何故、私がこんなものをっ……!」

 自分の首につけられている赤い首輪。

「これではまるで、私が人間に飼われていたみたいではないかっ!」

 爪を立て首輪を外そうとするが、パニックに陥っていて上手く外せない。

 どうなっている。
 どうなっているのだ、私は。
 私の時間だけが止まってしまっているのか?
 あの人間たちと白いの(ホワイトキャット)は、私のことを知っている風だった。
 私はあやつらなど、知らないのに。
 知らないはず…なのに。
 何故だ。
 何だかやけに腑に落ちない。
 知らないはずなのに、とてもよく知っているような。
 あの黄色い頭をした男も、
 白いのも、
 それから……。
 あの、黒い髪をした男も――。

 キラの頭の中に、リュウの顔が浮かぶ。

「知らないはず…なのに」

 キラは首輪から手を離した。
 秋の夜空を見上げ、月に訊いてみる。

「何故、あの男の顔を思い浮かべると胸が熱くなる……?」
 
 
 
 
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