第15話 誘拐


 ブラックキャット――猫科モンスターの一種。
 黒猫の耳と尾を除けば、まるで人間と変わらぬ容姿。
 知能が高く、人間と会話をすることも可能。
 魔術は1つだけ持っているようだが、己の身さえも滅ぼしてしまうそれを、彼らが普段使うことは無い。
 魔術を使わずとも、その爪と牙だけで最強モンスターうちの一種だと謳われる。

 リビングのソファーに腰掛けていたリュウは、愛猫に顔を向けた。

「なあ、俺の可愛い黒猫」

「なんだ、私の愛する主」と、昼食後にテレビで天気予報を見ていたキラが、ソファーに座っているリュウに振り返った。「明日あたり、梅雨明けだそうだ」

「そうか」

「やっとミーナと外を駆け回って遊べるなっ♪」

キラがぴょんぴょんと跳ねてきて、リュウの傍らに座った。
黄金の瞳がリュウの顔を見上げる。

「それで、なんだ? リュウ?」

「いやー、うん」

リュウはキラの頭を撫で、ガラスのような長い髪に指を通した。
大きな黄金の瞳が特徴的な整ったキラの顔を見つめて、数秒後。

「……やっぱあとでいい」

 リュウがキラを押し倒した。

「こら、リュウ。あとにせぬか」

「駄目だ、先に食後の運動を……」

「きーにーなーるーのーだーーーーーーっ」と、キラがリュウの胸を押して離した。「で、なんだ? リュウ?」

「大したことじゃねーよ」

「なんだ?」

「おまえって、ブラックキャットの中でもずば抜けて強いなーって」

「ああ、まあ…、そうだな。私は父上の力を大きく受け継いだからな」

「父上…」リュウは鸚鵡返しに言った。「そういやおまえの両親ってどうしてんの?」

 リュウはキラの上から離れ、ソファーに座りなおして訊いた。

 キラもソファーに座りなおし、リュウの質問に答える。

「母上は、私が産まれてすぐ亡くなったそうだ。父上は、私を守って亡くなった。それも、ずっと昔のことだがな」

「ふーん…。俺と似てるな」

「そうなのか?」キラが目をぱちくりとして、リュウの顔を見た。「リュウも、父上と母上死んでしまったのか?」

「ああ。お袋は俺が産まれてすぐに、超一流ハンターだった親父も俺がガキのころに仕事で死んだ」

「なるほど、私と似ているな」キラは納得して頷いた。「リュウも、偉大な父上の力を受け継いだのだな」

「まあ、そういうことになるか。親父の力受け継がなきゃ、俺超一流ハンターじゃなかったかも――」

 ピンポンピンポンピンポーーーーーン!!

 リュウの言葉を遮るように、インターホンが鳴った。
 鳴らし方から、リュウは玄関の外に立っている人物を確信する。

「うるせーな、リンクの奴……」

「めずらしいな、今日はミーナの瞬間移動でテラスから来なかったのか」

 キラが言いながら、玄関へと歩いていった。
 新しく作った鍵を開けると、リュウの予想通りの人物がキラよりも先にドアを開けた。

「たっ、大変やああああああああああああああ!!」

「どうしたのだ、リンク」キラは訊きながら、リビングへと戻って行った。「まあ、とりあえず上がれ」

 キラの後を、リンクが慌ただしく着いて来た。
 リンクが真っ青な顔をして、リュウの目の前へと駆けつける。

「リュウ! 大変や!!」

「本当うるせーなあ、おまえ」リュウは溜め息を吐いた。「今日の仕事は午前で終わったってのに、緊急の仕事か?」

「ちゃう! 仕事やない!」

「じゃあ――」

 じゃあ、何だよ。

 そう言おうとしたリュウの言葉を待たずに、リンクが叫んだ。

「ミーナがさらわれたんやあああああああああっ!!」

「――」

 何だって?

 リュウとキラは一瞬耳を疑った。
 リンクが続ける。

「おれが昼飯買いに行ってる間にっ……!」と、リンクが一枚の紙を取り出した。「こんなものが置いてあって……!!」

「貸せ!」

 キラがリンクの手から、その紙を取った。
 書かれている内容を読む。

「…『ペットを返して欲しければ、ハンター・リュウのペットを連れて来い。by文月島の超一流ハンター』…だと?」

 キラを連れて来い。
 そんな内容の脅迫状に、リュウの気が荒れないわけがなく。

「上っ等じゃねーか、おお…!? この俺のキラを欲するとは良い度胸……!! 今すぐ俺が行ってやるからその首洗って待ってやがれぇぇぇぇぇぇ!!!」

 ソファー脇に置かれていた剣を鞘から抜き、玄関へと駆けて行こうとするリュウ。
 リンクは慌ててリュウを押さえつけた。

「と、とりあえず落ち着けやリュウっ!!」

「落ち着けるかバカヤロー!! 離しやがれ、リンク!!」

「リュウ」脅迫状に目を落としたまま、キラが口を開いた。「落ち着くのだ」

「キラっ……!」

「落ち着くのだ、リュウ」

 キラの落ち着いた声。

「…お…、おう……」

 リュウは深呼吸をした。
 今にもブチ切れそうな心を落ち着かせる。

 リュウが落ち着いたところで、脅迫状に目を落としているキラが再び口を開いた。

「こいつの要求は、リュウではない。私だ。リュウが行っては、ミーナの命が危ない」

「どうする気だ、キラ。行くつもりじゃねーだろうな?」

「行く」

「ばっ……!」リュウはキラの腕を引いた。「バカなこと言ってんじゃねえ!!」

「大丈夫だ、リュウ。リュウもばれないように着いて来てくれ。私とミーナを無事に引き換えたら」キラが顔を上げた。「こいつは――」

 キラの顔を見て、リンクは蒼白した。

 キラの怒りに満ちた瞳に。
 その形相に。

「こいつは私が殺す!! 私の手で殺してやる!!!」

 ミーナをさらっておいて、キラが怒らないわけがなかった。
 キラにとって、妹のように可愛がっているミーナ。
 キラが何だってしてやるほど可愛がっているミーナ。
 キラが大切に大切にしている、ホワイトキャットのミーナ。

 リュウに落ち着けと言っておきながら、一番冷静ではないのはキラだった。
 脅迫状を爪で切り裂き、牙を剥いて声を唸らせる。

「おのれ、おのれぇぇぇぇぇぇぇぇ……!! 超一流ハンターたるものが、誘拐だと……!? バカがっ……!! この私を怒らせたこと、後悔するがいい!!!」

 キラが玄関から飛び出した。

「今すぐ文月島まで飛んでやるぜ、犯人!!!」

 リュウも玄関から飛び出した。
 リュウとキラを慌てて追いかけながら、リンクはごくりと唾を飲み込んだ。

(犯人、おまえ……。バカすぎんで……)
 
 
 
 葉月島から隣の文月島までは、飛行機で2時間弱。

 飛行機から、殺気たっぷり背負ってリュウとキラが降り立つ。
 空港の出入り口に向かいながら、リュウがリンクに向かって手を出す。

「リンク、犯人とミーナがいる場所の地図貸せ」

「は、はいっ…」

 リンクびくびくとしながら、リュウに脅迫状と共に置かれていた地図を手渡した。
 リュウとキラが地図を覗き込む。
 ミーナを捕らえて犯人がいる場所は、この文月島文月町の外れにある倉庫の中。
 空港の外で客を待っているタクシーを捕まえ、リュウとキラ、リンクはその場所へと向かった。

「リンク、ミーナが連れ去られたのは何時ごろだ」

 タクシーの中、キラが雨が降りしきる外を見ながら訊いた。

「え、えと…。おれがスーパーに買出しに行ったのが正午ごろで、家に帰ったのが1時頃やから、その間やなっ……」

「そうか」と、キラがリュウの携帯電話で時刻を確認した。「もしリンクが家を出てすぐに連れ去られたのならば、もう3時間もミーナを恐ろしい思いにさせてしまっているのか」

 ミーナ、待っていろ。

 キラは剥きだしてしまいそうな牙を、必死に堪える。

 これから私が、助けに行ってやるからな。

 ミーナへの心配か、犯人への怒りか、震えているキラの拳。
 それをぎゅっと握って、リュウは言った。

「いいか、キラ。とりあえず俺は犯人から見えない位置に立っている。万が一おまえに何かあろうものならば、すぐに飛び出していける場所にいる」

「ああ、分かった、リュウ…」キラは頷いた。「でも、リュウ。リュウは、私が呼んだときにしか出てこなくて良い。私が多少怪我をしようと、リュウは手を出さなくて良い。私の妹のように可愛いミーナを…! ミーナをさらった犯人は、私がこの手で殺す!!!」

「分かった、分かった、キラ」リュウは、キラをぎゅっと抱きしめた。「だが、気をつけろ。相手は超一流ハンターだ。どの程度か分からないが、用心するに越したことはねえ。気をつけろ、キラ。気をつけろ、いいな?」

 リュウの腕の中、キラは頷いた。

 ミーナ、待っていろ。
 ミーナ、今私が助けに行くぞ。
 ミーナ、私の可愛い可愛い妹、ミーナ……!
 
 
 
 文月島文月町外れの倉庫内、ミーナは顔を上げた。

「キラっ…!? リンク……!?」

 勘付く。
 主のリンクが、姉のように慕っているキラが、近くまで来ていると。

「…ほお…、…ついに来たか…」

 と、ミーナを連れ去った犯人がにやりと笑った。
 長い前髪で半分隠された犯人の顔を見上げ、ミーナは牙を剥く。

「これでおまえは終わりだ! キラはっ…、私の姉のようなキラはっ、おまえを許すはずがない!」

「…ふふふ…、…キラは、この私を殺す…と…?」

「当たり前だ! 覚悟しろ! キラは必ず、おまえを殺す!!」

「…ふ…ふふふ…ふはははははははははは!!!」

「なっ、何がおかし――」

 ミーナの言葉を遮るように、倉庫の扉が破壊された。
 破壊した主のシルエットが、逆光で映し出される。

「――キラっ……!!」

 ミーナの顔から笑顔が零れた。
 猫耳、猫の尾、なびくロングヘア、影ながら只ならぬオーラ。
 紛れもなく、キラだ。

「待たせたな、ミーナ」

 なんだ、この登場の仕方は。
 なんだ、その台詞は。
 かっこいいぞ、キラ!
 リンクよりずっと!

「こっ、こらミーナ!」あとから顔を出したリンクが喚く。「おまえ今、おれよりキラにときめいたやろ!!」

「う…」ミーナは咳払いをした。「そ、そんなことはな――」

「ミーナ」キラがミーナの声を遮った。「こっちへ来い」

「えっ……?」ミーナは戸惑った。手も足も、縛られていて。「で、でも……!」

「ミーナ、冷静になってよく考えてみろ」キラが言う。「捕まったところで、おまえには逃げる術があるではないか」

「…あっ……!」

 ミーナは、はっとして声をあげた。
 魔術豊富なホワイトキャットである、このミーナには、瞬間移動というものがあるではないか!
 どうしてパニックに陥ると忘れてしまうのか。
 ミーナはキラの下に瞬間移動をした。
 縄を解いてもらい、キラにしがみ付く。

「ふみゃあああああああああああああああん! キラァァァァァァァァァァァァァァァァ!!」

「よしよし、ミーナ。怖かっただろう。もう、大丈夫だからな」

 泣きじゃくるミーナを抱きしめ、キラが微笑む。
 そのあと、キラがミーナをリンクの胸元へと押した。

「ほら、ミーナ。主は心配していたのだぞ」

「…うっ、うっ…!」ミーナがリンクの顔を見て、ますます泣きじゃくる。「ふにゃああああああああああん! 怖かったよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

「ミーナっ…!」リンクは必死にミーナを抱きしめた。「もう、もう大丈夫やからな、ミーナ! もう怖い思いなんかさせへん……!!」

 そう、もう大丈夫だ。
 だって、キラが誘拐犯を倒してくれるから。

 そう安堵する反面、リンクは恐ろしさも感じている。

 だってキラが、この誘拐犯を許すわけがないから。
 この誘拐犯を、キラは殺すだろう。
 無惨な姿になるまで、爪で切り裂くだろう。
 想像するだけで、リンクは恐ろしかった。

 キラが誘拐犯に目をやり、鋭い爪を光らせる。

「さぁて……、私と引き換えにミーナを…ということだったが、見ての通り、ミーナはもう返してもらった。残念だったな、男」

 キラの黄金の瞳に睨まれ、誘拐犯の男の顔がにやける。

「…ふ…ふふふ…」

「……何がおかしい」キラは眉を寄せた。「おまえは超一流ハンターだそうだな。そんなの想定内とでも、言いたいわけか?」

「…ふふふ…」

「ふん、気持ちの悪い奴だ。私がほしいと言うのであれば、くれてやろうではないか。この、私の爪をな!!」

 キラは誘拐犯の男に飛び掛った。
 鋭い爪で、男の肩から腰にかけて切り裂く。

 鮮やかな返り血が、キラの頬に飛び散った。

「快感、だな」キラから不敵な笑みが零れる。「おまえのような人間の返り血に染まるのは」

 怖い。
 怖い、この猫。

 リンクは青ざめた。
 とてもじゃないが、普段のキラの姿からはまったく想像できなくて。
 キラという黒猫を怒らせるということがどういうことか、リンクの肝に銘じられる。

 肩から腰にかけて切り裂かれ、吐血する誘拐犯。

「…ああ、快感だ…!」瞳を輝かせてキラを見た。「…もっとだ…! …もっと、この私を傷つけてくれ…!」

 は?

 倉庫内にいたキラとリンク、ミーナ、それから倉庫の外に立って中の様子をこっそり見ていたリュウは眉を寄せた。

 誘拐犯が血だらけの手を伸ばし、キラに歩みよる。

「…ああっ…! …もっとだ、もっとだ…! …私をその爪で、牙で血まみれにしてくれっ…!!!」

 何だ、この男。

 リュウとリンク、ミーナの顔が男の気持ち悪さに引きつる。

 が、

「そうか」

 キラは戸惑うことなく、男の頬を引っかいた。
 胸を引っかいた。
 腹を引っかいた。

 男が上半身から血を噴出し、仰向けに倒れ、うめき声を上げる。

「ぐああっ…!! あああああああああっ……!!!」

 男の髪を鷲掴みにし、キラが言う。

「良い声だな。苦しいのか?」

「…ふ、ふふふ…。…き、気持ち良い…」

 うわ、何だこの男。

 リュウとリンク、ミーナの顔がさらに引きつる。
 その気持ち悪さに、頭皮まで鳥肌が立つ。

 殺すつもりでやってきたキラも、さすがに引き始める。

「な、なんだ、おまえ…」

「…ふ、ふふふ…、変態だ…」

「そ、そうだな」

「…キ、キラ…」

「な、なんだ」

「…もっとぉ…(ハート)」

「――!?」

 やばい。
 やばすぎるぞ、この男!

 キラは後方に飛び跳ねた。

「…に、逃げないでくれええぇ…!」

 嫌だ!
 逃がしてくれ!

 男は身体を引きずりながらキラに寄ってくる。

「く、来るなっ…!」

 キラの足がすくんだ。

 あまりの気持ち悪さに。
 あまりの恐ろしさに。

 男の血だらけの手が伸びてくる。

「…はぁっ…はぁっ…ねえっ、キラぁ…!」

「…っ……!?」

「…お願いぃん…(ハート)」

「…っっっ…………!?」

 キラの足が動かない。

 来るな!
 来るな来るな来るな!
 来るなったら来るな!!
 来るなと言っているんだ私は!!
 おまえ怖すぎるぞ、このド変態!!
 私がこんなにも人間を恐ろしいと思ったのは初めてだ!!
 尊敬してやる!!
 尊敬してやるから、来ないでくれ!!
 いえ、来ないでください、ド変態誘拐犯様!!
 おのれ、また変なキャラ出しやがってバカ作者っ!!
 たまにはシリアスに書けぬのかっ!?

   あぁもう、お願いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!!!
 来ないでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

 キラの懇願虚しく。
 男の手が、じわじわとキラの目の前に。

「いっ、いにゃあっ――」

 ぐわしっ!!

 男に両肩を掴まれ、

 ばたーんっ!!

 男に押し倒され、

「リュっ…、リュウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!!」

 溜まらず主の名を泣き叫ぶキラの声が、倉庫中に木霊した。
 
 
 
 
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