第93話 『8番バッター、いくわよっ♪』 その7


 父――王からの電話を切ったのち、急いでヒマワリ城へと戻ってきたミカエル。

「おかえりなさいませ、ミカエル王子。ユナさんがお部屋でお待ちしておりますよ」

 そんな門番の言葉を聞き、4階――最上階へと駆けて行った。
 息を切らしながら己の部屋のドアを開ける。

「ユナっ? いるのかっ?」

 いた。
 キングサイズのベッドの、真ん中のところ。
 枕に頬を埋めて瞼を閉じ、すやすやと規則正しい寝息を立てている。

「また待たせてしまったかと、急いで帰って来たが……その必要もなかったか?」

 と笑い、ミカエルは着ていたコートを脱いでソファーの上に置き、ユナの足元のところに歩いて行ってベッドに上がった。
 身体を揺すって起こそうかと思ったのだが、ふと思い止まる。

 ユナもハンターでハードな日々を送っているが故に、疲れて眠っているのだろうか。
 だとしたら、起こすのは悪い気がして。
 しかし、ユナはこのミカエルに用件があるから来ているわけで。

「うーん…。ここは起こすべきか、起こさぬべきか……」

   と呟き、ミカエルはユナと向き合う形で横臥して頬杖をつき、どうするべきかと考えながらユナの寝顔を見つめる。

 リュウとキラ、どちらかというとキラの方に似ているユナ。
 リュウに似て生まれて来ても言えることだが、やはりとても綺麗な顔立ちをしている。

 きめ細かで透き通るような肌に、まるで付け睫毛をしているかのように長い睫毛。
 キラ譲りの黒猫の耳は、絹のような手触りがするのだろうと思う。
 鎖骨の長さまであるガラスのような銀髪には、思わず触れてみたい衝動に駆られる。

「――おっと」

 と、ユナの髪に触れるか触れまいかの僅かな距離で、はっと我に返ったミカエル。
 ユナが身近な存在とはいえ、女の髪に勝手に触れるわけにはいかないと手を引っ込める。

 そのとき、ふとユナの口元がくすっという笑い声と共に綻んだ。
 瞼を開けて、ミカエルの顔にその淡い紫色の瞳を向ける。
 ミカエルの心境を察したのか、おかしそうに笑って言う。

「ミカエルさまって、紳士なの。でも変なの、ときどきあたしの頭は撫でるクセに」

「いや、頭を撫でるのと髪を触るのとじゃ……って、起きてたのか」

「ミカエルさまが、あたしの足元からベッドに上ってきたときに夢から覚めた。何されるのかと思ってドキドキしてたんだけどな」

「お、おい。私はリュウと違って、寝込みを襲うようなことはしないぞ」

「やだな、パパは寝てようが起きてようが何してようが関係ないよ」

「……。…そうだな……」

 とミカエルが苦笑した一方、ユナが起き上がった。
 ベッドから出て、さっきまで王と飲んでいたときに座っていた椅子の上からバッグを取る。
 そしてその中から、手作りのバレンタインチョコが入った箱を取り出した。

「はい、ミカエルさま。これ」

 と、ベッドに寝ているミカエルの足元まで戻ったユナ。
 首を傾げながら身体を起こしたミカエルの手の上に、その箱を乗せた。

「あ、あのね、あたしからのバレンタインチョコなのっ……」

 と少し照れくさそうに言ったユナの顔を見、手の上のそれを見。
 ミカエルが慌てたように言う。

「すまない、帰って来る途中に何か買ってくるべきだったな」

「ううん、お返しとかいらないから。それにほら、あたしって好き嫌い多いし、買ってこようにも何を選べばいいのか難しいでしょ?」

「リーナの誕生日のときに、私にマロンチョコカスタード生クリームのクレープを頼んだだろう。それなら買って来れたというのに、気が利かないな私は……」

 とミカエルは己に対し呆れたようだが、一方のユナは嬉しかった。

(あたしの好きなもの、覚えてくれてたんだ)

 そんな、小さなことだけれど。
 ユナは「じゃあ」と一つ我侭を言う。

「お返しに、触って」

「え?」

 何を?

 と首を傾げるミカエルの手を引き、ユナは催促する。

「触って、ミカエルさま。あたしの髪に、触って。お願い、触ってほしいの」

「ああ……、分かった」

 と、ユナに求められるがまま、その髪に触れたミカエル。
 絡まることなく指の間からするするとすり抜けていくその銀髪を撫で、頬を染めながら微笑むユナの顔を見つめて察する。

(そうか…、ユナはまだ私のことを……)

 相変わらずリーナのことを想っている現在、そんなユナの気持ちに戸惑ってしまう。
 決して、ユナのことが嫌いなのではない。
 今やユナのことは、身近で大切な存在だ。

 だからこそ、ユナの想いに戸惑うのだ。
 胸が痛むのだ。

 己はその想いに、応えてやれないのだから。

「ねえ、ミカエルさま?」

 と、ミカエルが手を引っ込めようか寸前、口を開いたユナ。
 意を決しているように、穏やかな口調で続けた。

「あたし、ずっとずっと待ってるから」
 
 
 
 
 葉月町にある、とある喫茶店でミカエルとお茶&逆チョコをもらったリーナ。
 母・ミーナからジュリ宅にすぐに来るよう電話があり、何だか半ば脅されて、やむを得ずそれに従った。

   喫茶店を出てキラの銅像前でミカエルと別れたあと、ミカエルに申し訳なくて何度も振り返ってしまう。

(ああもう、おかん何の用やろう!)

 くだらない用件だったら、すぐにミカエルに電話して、時間あるようだったらまた会おう。
 忙しいようだったら、家に帰ってミカエルのためにバレンタインチョコを作ろう。

 だって、

(やっぱりうちのことは、ミカエルさまが一番想ってくれてるのかもしれへん)

 そんな風に思って。

 ミカエルの姿が見えないところまで来ると、ジュリ宅へと続く一本道をダッシュで駆け始めたリーナ。
 もう少しでジュリ宅に着こうかとき、白猫の耳が囁くような小さな歌声を捉え、ふと立ち止まった。

(この声は…、ジュリちゃん……?)

 と疑問符をくっ付けてみたが、紛れもなくジュリの声だ。
 長い間幼馴染をやっているのだから、間違えるわけがない。

 声が篭っていないことから、屋敷の外で歌っているのだろうか。

「ジュリちゃん、仕事から帰ってきてたん?」

 と、ジュリ宅の門を潜るなり口を開いたリーナ。
 この真冬の空気の中、突然夏の香りが鼻をくすぐって、ぱちぱちと瞬きをした。

「え? ヒマワリ……の花束?」

 目の前に掲げられたそれの奥には、ジュリの顔。
 ふと、微笑んだ。

「あなただけを見つめています」

「――えっ……?」

 とリーナがドキッとする一方、続けるジュリ。

「ヒマワリの花言葉なんだ。本当はね、ここで格好良く口説き文句を言う予定だったんだけど、そういうのってどんなことを言えば良いのか分からなくて。つくづくダメだね、僕って。……でも」と、笑った。「リーナちゃんだけを想っている僕に、ぴったりの言葉でしょ?」

「…ジュ、ジュリちゃん……」

 充分な口説き文句だと、リーナは思う。
 卑怯なくらいに。

  (あかん…。うち、ほんまにアッチふらふらコッチふらふらや……)

 ついさっきまでミカエルに傾いていたのに、今度はジュリに引っ張られて、また再び二人の中間へとやって来てしまった。
 すっかりミカエルに心を打たれて忘れかけていたが、ジュリだってこのリーナのことを深く想っていてくれているのだ。

 ジュリからヒマワリの花束を受け取り、リーナは頬を染めて笑う。

「ありがとう、ジュリちゃんっ…! 逆バレンタインくれるなんて思ってへんかったし、めっちゃ嬉しいわっ……!」

「良かった、喜んでくれたみたいで」

 と安堵したジュリ。
 目の前のリーナの顔を見つめ、「やっぱり」と思った。

「リーナちゃんには、太陽の花――ヒマワリが似合うね。明るくて輝いてる、真夏の太陽みたいなリーナちゃんの笑顔にぴったりだ」

 言う人によってはキザに聞こえるかもしれないその台詞だが、飾らない素直なジュリからもらうことによって心に響いてくる。
 純粋に、素直に、リーナは嬉しかった。
 心地良い鼓動の音に包まれる。

「なあ……、ジュリちゃん?」

「ん?」

「さっき歌ってたのって、『Oh! derisious! ―君のbody―』の替え歌で、ジュリちゃんが作詞したやつやろ? 」

「あ、聞こえてた? うん、そう、僕が作詞した方。気付けば口ずさんでるときがあるんだよね」

「もう一回、歌ってくれへん?」

「え?」と首を傾げたあと、ジュリは一度玄関の扉の方に向けてから続けた。「じゃあ、家の中に入って――」

「ううん。中に入ったら、邪魔者たくさんおるから」

 とジュリの手を引き、裏庭の方へと向かって行ったリーナ。
 屋敷の壁に寄り掛かり、以前よりも少し男っぽくなったジュリの手を握ってその歌声に――想いに耳を傾ける。

『もし願いが叶うのなら 一つだけ願うよ
 あなたのその笑顔を 誰よりも傍で見つめさせて
 そして またあなたは言ってくれるよ 「なあ、めっちゃ好きやで」』

(なあ、ジュリちゃん? 好きやで…。なあ、めっちゃ好きやで……?)

 というリーナの心の声は、当然ジュリの黒猫の耳には聞こえていない。
 だけど、それで良いとリーナは思う。
 ミカエルのことも気になっている現在は。

 それにしても、再び悩んでしまう。

(あっれ!? うち、ジュリちゃんとミカエルさまにバレンタインチョコどうしよう!?)
 
 
 
 
 翌日の昼時。
 ジュリ宅のキッチン。
 ハンターの師であるサラの向かいで、並んで昼食を取っているジュリとミカエル。

「やはりキラさんやミラの料理は美味いな、ジュリ」

「はい、ミカエルさま。午後からの仕事も頑張れそうですね」

 そんな会話をしているが、心の中ではお互い他に気になって仕方がないことがある。
 何かって、当然昨日のバレンタインデーのことだ。

(リーナちゃん昨日、左手に見たことないブレスレットしてたんだよね。あれってもしかしてミカエルさまからもらったもの? ミカエルさまと進展あったのかな……)

(昨日私と別れたあと、リーナはジュリと会ったはず。あとから私に電話なりメールなりくれて、また会おうと言ってくれるかもと少しだけ期待していたが、結局リーナからは電話もメールも一切なし。まさかジュリと何か進展が……)

 それから、昨日のジュリとミカエルのことが気になって仕方ない者がもう1人。
 8番バッターのミラである。

 昼食を取りにまだ一時帰宅していない者たちの料理を用意しながら、ちらちらとジュリとミカエルの顔を交互に見つめる。

(昨日影からジュリとリーナの様子を覗いていたけど、なかなかの好感触だったわ。だけどリーナはジュリと会う前にミカエルさまと会ってしまってたし、何かあったかも……)

 ジュリがリーナの心を引き寄せ、その証拠にバレンタインチョコをもらえれば作戦は成功。
 バレンタインチョコをもらえなかったら、それはリーナの心を引き寄せられなかったと見て作戦は失敗。

(はたして、リーナからのバレンタインチョコはどうなるのかしら?)

 ――5分後、その結果が出ることに。
 瞬間移動でリーナがキッチンに現れ、ジュリとミカエルの箸が止まる。

「あっ、リーナちゃんっ……」

「おお、リーナっ……」

 ジュリとミカエルの顔を見つめ、ぎこちない笑顔を作ったリーナ。

「ジュ、ジュリちゃん、ミ、ミカエルさま、き、昨日ぶりっ…! ご、ごめんな、昼食中にっ……!」とジュリとミカエルのところへと歩いて行き、背に隠し持っていた2つの箱を2人に1つずつ差し出す。「は、はい、これ! う、うちからのバレンタインチョコ! 心込めて作ってきたから、食べてなっ……!」

「え?」と歓喜に顔が明るくなったジュリとミカエルだが、それは一瞬で。「――って、え……?」

 と、お互いの手にあるリーナからのバレンタインチョコを見て、眉を寄せる。
 何故おまえももらっているのかと、お互いに突っ込みたい。

「ふ、2人とも、昨日はほんまにありがとなっ…! う、うち、めっちゃ嬉しかった…! ほ、ほほほ、ほな、午後からも仕事頑張ってなぁぁぁぁぁぁぁ!」

 と、ジュリとミカエルが止める間もなく、リーナは逃げるように瞬間移動で去り。
 困惑して見つめ合うジュリとミカエルの間に、火花が散る。

「昨日リーナちゃんに何したんですか、ミカエルさま。チョコくださいって泣きながら懇願でもしたんですか?」

「何したって、それは私の台詞だジュリ。マナに惚れ薬でも作ってもらったのか?」

 そんな2人を目の前に、ミラは苦笑する。

(あーらヤダ…。何かしら、この結果……)

 8番バッターの作戦の結果は、成功とは言えず。
 かといって、失敗とも言えず。

(微妙……)

 に終わった。
 
 
 
 
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