第90話 『8番バッター、いくわよっ♪』 その4
寝室に備え付けてあるバスルームの中、シャワーを浴びているキラ。
(さ、さて…、私はシャワーを浴び終わったら身体にリボンを巻くわけだが…。今年はどういう巻き方にしようか……)
と考えながら、赤面する。
裸リボンなんて毎年この日――バレンタイン&結婚記念日、それからクリスマス、年末の己とリュウの誕生日にもやらされているが故に、もう何十回とやっている。
だけど、この恥ずかしさときたら生涯慣れそうにもなくて。
「うーむ…、結婚記念日のリボンの巻き方は特に拘りたいのだがな――って、それでは張り切っているみたいではないか私っ……!?」
とキラがさらに赤面してしまったとき、脱衣所と浴室を遮っているドアが開いた。
「いよう、俺の可愛い黒猫。おまえの愛する主が帰ったぜ」
とリュウが赤い薔薇の花束を片手に裸で現れ、キラは狼狽してしまう。
「ま、待ってなのだリュウっ…! ま、まだリボンの巻き方に悩んで――」
「ああ、何だかミラの相手をしたらどっと疲れたぜ……」
とリュウがキラの言葉を遮り、湯船の中に倒れるようにして飛び込んだ。
せっかく綺麗にラッピングされた赤い薔薇の花束も湯の中に入ってしまい、キラは慌ててそれを手に取る。
「ふにゃああぁぁあ! 何をするのだ、リュウっ! 結婚前のクリスマスにリュウからもらった赤い薔薇の花束と同じコレを、とても楽しみにしていたのだぞ私!」
リュウが湯船の中から顔をあげ、濡れた前髪を掻き揚げながら言う。
「花なんて取って置いてもどうせ枯れるんだし、薔薇風呂にして使っちまえよ」
「薔薇風呂! 良い案だぞーっ!」
と、花束の根元に飾られていた赤いリボンを解いたキラ。
薔薇の花を一本一本ばらし、鋭い爪を使って花の部分を摘み取り、湯船の中に浮かべていく。
「おおーっ、なかなかの良い香りだぞーっ」
と言いながら湯船の中に入り、リュウと向き合う形で座って涎を垂らす。
「ってオイ、美味そうって意味かよ。やっぱり猫モンスターに花束なんてやるもんじゃねーな」
「――ハッ! ちっ、違うのだリュウっ…! う、美味そうな匂いでも、食ったりしないのだっ……!」
「別に食いたきゃ食ってもいいが」
「く、食わぬっ! さっきも言ったが、私、この花束を楽しみにしていたのだ!」
そう言ってキラが花を一つ両手ですくって笑う。
そうか、と頷いたリュウ。
片手に握って持って来ていた結婚記念日の贈り物――指輪をキラに見せる。
「今年は結婚29周年っつーのことで、これといって贈る宝石は決まってねえから適当に選んできた」
「透き通ったスカイブルーが美しいな。なんという宝石なのだ?」
「アクアマリン」
「ほう!」
とその宝石――アクアマリンを見つめて瞳を輝かせるキラを見つめ、リュウは続ける。
いつもは照れくさくて言えない、愛の言葉。
「今年も俺は、おまえのことをこの世で一番愛してるから」
「うむ?」
「おまえも俺のことを、この世で一番愛せ」
と毎年のごとく付け加えられた命令に、キラはおかしそうに笑う。
そんなこと、当然のことで。
「私がリュウ以外の誰かをこの世で一番愛するなんて、リュウが1日のイトナミを5回以内で終わらせるくらい至難の技だぞ」
「なんという折り紙つきの有り得なさだ」
「まったくだぞ……」
とキラが苦笑したとき、リュウがキラの手を取った。
その白魚のような手の指に、アクアマリンの指輪をはめる。
途端に、キラの頬が染まり、笑顔が溢れていった。
「…ありがとなのだ、リュウっ…。私、やっぱり結婚記念日にもらうものが一番嬉しいのだっ……!」
リュウの顔が綻ぶ。
誰よりも何よりも大切なペットであり妻であるキラの笑顔は、リュウにとってこの上なく嬉しい贈り物だ。
最高の、結婚記念日の贈り物。
「――って、リュウっ……!」
リュウの腕に抱き寄せられ、額に、瞼に、頬にキスされ。
狼狽したキラの声が上ずる。
「まっ…、待ってなのだっ……! まだリボンの巻き方が決まってな――」
「もうこれでいい」
と、リュウが手に取ったのは花束を飾り付けていた赤いリボン。
それをキラの首に巻き、蝶結びにする。
「こ…これで良いのか、リュウ? いつもならば、もっと拘るではないかっ……?」
「たまにはシンプルなのもいいだろ。つーか、単に俺の金メダルがだな、これ以上……」
我慢できねーだけ。
キラの唇にリュウの唇が重なる。
結婚29周年の今年は、イトナミ29連発。
さらに1発と1発の間の休憩は昔より短くなって2分半しかなく、キラにとって地獄である。
といっても、何よりも誰よりも愛する主が相手故に、本気の抵抗は出来ないのだが。
強引で激しく、だけど優しいその愛情を痛いくらいに感じる主の腕の中は、正直嫌いではない。
だってキラは主の腕の中、一度だって想わなかったことはないのだ。
(リュウ、愛してる……)
己とレオンの部屋に備え付けられているバスルームの中、シャワーを浴び終わったサラ。
今日はバレンタインデーだからと、張り切って過激な下着を身に着けてバスルームに飛び出す。
「イェーイ、今日から一日十発イトナミー♪ レオ兄、待ったー? ――って、あれ?」
と、サラは自分の足元に目を落としてぱちぱちと瞬きをした。
そこで待っていたのは夫のレオンではなく、息子で次男のネオンで。
にこにこと笑っているネオンを抱き上げ、サラは訊く。
「どうしたの、ネオン? ママに何か用?」
「はい、お母さん」
とネオンが差し出したのは、八重咲きで赤い一輪の花。
「え? これ、ママに? あっ、逆バレンタインっ?」
ネオンが頷いて言う。
「お家のウラの森の中にね、キレイなお花がさいてたからね、大好きなお母さんにつんできたの」
「ネオン…! 裏の森、モンスターだっているのに……!」
とサラが目元を手で押さえ、ネオンから顔を背けて小刻みに震えだす。
「どうしたの、お母さん? 泣いてるの? お花、気に入らなかった?」
「ううん、そうじゃないよネオン。そうじゃない」
花が気に入らなくて泣いているのではなく。
じゃあ感動して泣いているのかというと、そうでもなく。
(よっしゃ、次男マザコン計画成功! レオ兄とそれにそっくりな可愛い息子に愛されて、アタシの人生マジ逆ハーじゃん!?)
盛大に高笑いしたいのを堪えているのである。
心配そうに覗き込んでくるネオンに顔を戻し、サラは言う。
「お花ありがとね、ネオン。ママ、とっても嬉しいよ!」
「よかった♪」
「ネオンが大きくなったら、ママのことお嫁さんにしてね?」
「うん! お母さんとっても強いけど、ぼくがもっともっと強くなって、お母さんのこと守ってあげるからね!」
「うんうん、ありがと♪」
と、サラがにやにやにやにやとしてしまっていると、レオンが部屋に入ってきた。
片手には赤を中心とした花束。
部屋の外からサラとネオンの会話を猫耳で聞いていたのか、くすくすと笑いながら二人のところへと歩いてきた。
「そうだね、ネオン。将来はとても強くなって、お母さんのことちゃんと守るんだよ? もし僕がいなくなってしまっても大丈夫なようにね」
「はい、お父さん!」
と、真剣な顔で手を上げたネオン。
たった今誓ったことを叶えるためにと、槍を片手に裏庭へと駆けて行った。
一応ネオンも、サラから槍術を習っているのだ。
サラが多忙だし、普段は自分の部屋でレオンに似て得意な絵を描いている日の方が多いが。
ネオンの背を見送ったあと、レオンがサラの手に握られている一輪の赤い花を見て口を開いた。
「あ、ネオンもサラに赤い花を贈ったんだ。だよね、サラには赤がよく似合うし。僕も赤い花を中心にブーケを作ってもらったんだ、ほら」
と、レオンが差し出してきた赤を中心とした花束を受け取ったサラ。
「ありがと、レオ兄」と笑ったあと、すぐにその笑顔は消えてしまった。「ねえ、レオ兄? さっきの、何?」
「え?」
「『もし僕がいなくなってしまっても』って……」
「ああ……、だから『もし』の話だよ、『もし』の。今のところそんな予定なんかないから大丈夫だよ」と言って笑い、レオンはサラの頭を撫でる。「ごめんね、不安にさせちゃった?」
「『もし』でも嫌だ。レオ兄がアタシより先に死ぬのなんか、絶対に嫌。ていうか、駄目。許さない。レオ兄がいないこの世なんて、アタシ……」
と声を震わせるサラを、レオンは抱き締める。
とてもとても弱い妻を、抱き締める。
「大丈夫だよ、サラ。僕は絶対に、サラより先に逝ったりしないから」
「アタシ軽く120歳までは生きるから、そうなるとレオ兄は136歳なんだけど大丈夫?」
「……。…だ…大丈夫」
「今、間があったけど?」
「だ、大丈夫大丈夫。うん、大丈夫っ…、僕は136歳まで生きられるっ……!」
というレオンの言葉を聞いて「そっか」と笑ったサラ。
レオンにしがみ付いて甘えながら訊く。
「ねーねー、レオ兄ー? 花束と一緒にくれる、あの口説き文句はー?」
「へっ?」と声を裏返し、レオンは苦笑する。「え…ええとぉ……」
「ねーねー、早く言ってよーう。あの口説き文句ぅー、早くぅー。アタシの今日のブラショーセット、超張り切ってんだからぁー」
「う、うん、過激な下着だね。悩殺されちゃうよ」
「でっしょー? 張り切ってるでしょー? だから早く、早く、はっ・やっ・くぅーっ♪」
「…え…ええと…、分かった。言うよ。……サ、サラ」
「なぁに?」
「ぼ…僕は死ぬまで君と一日十発……し…たい……デス」
「りょーかーい♪」
と、サラにベッドの上に豪快にダイブされ。
あっという間に素っ裸にされ。
まるでサラに犯され状態のレオンの絶叫が、屋敷中に響き渡って行った。
「や、やっぱ一日十発は無理かもおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーーーっっっ!?」
「男に二言はなし♪」
その頃。
ミカエルに呼び出され、葉月町のキラの銅像前にやってきたリーナ。
「ん? 何か今、レオ兄ちゃんの声が聞こえたような?」
と白猫の耳をぴくぴくさせていると、ミカエルがやってきた。
「悪い、待たせたかリーナ」
「ううん、うちもたった今来たところやから気にせんといて」
「そうか。ところでついさっき、独り言を言っているようだったが?」
「いや、レオ兄ちゃんの声が聞こえた気がしたんやけど……気のせいやったみたい」
ミカエルが再び「そうか」と返したあと、リーナは訊く。
実は何となく察してるのだが、リーナはどきどきとしながら訊く。
「そ、それで、ミカエルさま? うちのこと呼び出して……、何の用や?」
すると、ミカエルが笑って答えた。
「今日はバレンタインデーだからな。どうやら最近流行っているらしい逆バレンタインを、私からリーナに持って来たぞ♪」
それは、リーナが期待していた言葉で。
ついさっきまでいたジュリ宅で寂しさを感じていたリーナの顔が、明るく輝いていった。
(ああ…、やっぱりミカエルさまやんな……!)
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