第9話 ハンターというもの 前編
5月の頭の夜。
葉月ギルドのギルド長室の中、大きなデスクを間に隔てて向かい合っている父娘――リンクとリーナ。
リーナの言葉を鸚鵡返しにするリンクの声が裏返る。
「ジュリにやってもらう、やてっ?」
「せや、ジュリちゃんや」
と、頷いたリーナ。
仕事の依頼内容の書かれている紙を見つめながら続ける。
「相手は純粋なブラックキャット。元野生やろうが人工繁殖で出来たブラックキャットやろうが、関係あらへん。ジュリちゃんはあの最強人間のリュウ兄ちゃんと、最強モンスターのキラ姉ちゃんの子供なんやで? そこらのブラックキャットになんか負けへんから大丈夫や」
「そ、そらジュリは泣くだけでごっつい破壊力やけど……。リュウが心配するんちゃうかな」
「リュウ兄ちゃんはジュリちゃんに甘すぎんのや。まあ、シュウくん相手みたいに鬼になれとは言わへんけど……」
と苦笑するリーナに続き、リンクも苦笑する。
同じ自分の子供相手でも、リュウのシュウに対する態度はジュリに対するものとは大違いだ。
リーナが話を続ける。
「あのな、おとん。ジュリちゃん、まだモンスター倒したことあらへんねん」
「そうなん?」と、少し驚いたように声を高くしたリンクだったが、すぐに納得した。「…ああ……、せやろな。ジュリはほんまに優しい子やからな」
「いやまあ、本人気付いてへんかったけど、今日大泣きして凶悪モンスター吹っ飛ばして、ばっちり倒したんやけどな?」
「……さすがキラ譲りの天然バカやな」
「ま、まぁな……」と再び苦笑したリーナ。「せやからな、おとん」
とずれかけた話を戻した。
「この仕事、ジュリちゃんにやってもらおうと思うねん」
「い…いきなりブラックキャットは辛いんちゃう? ジュリ自身、ブラックキャットの血ぃ引いてるんやし……、それに黒猫の耳と尾っぽを除けば人間と変わらへんのやから」
「人間に近かろうが獣に近かろうが、同じ命や。ジュリちゃんはすでに一流ハンター並の力持ってる。強ければ強いほど、こういった最強モンスターのブラックキャットと戦う機会が増えんのや」
「せ、せやな……」
「この仕事ができへんのなら……、ジュリちゃんはハンターとしてやっていくことは無理ってことや」
リーナはそう言うなり、依頼内容の書かれた紙を持ったまま瞬間移動でその場を後にした。
翌朝のジュリ宅のリビング。
朝食後、猫耳を擦っているジュリをミラが手招きする。
「どうしたの、ジュリ? お耳がかゆいの?」
「はい、ミラ姉上」
「じゃあ、来なさい」
そう言ってミラが綿棒片手にソファーに座ると、ジュリはミラの膝に頬を付けて寝転がった。
ミラに耳掃除をしてもらいながら、ジュリは気持ちよさに目を細める。
この世に生まれて約15年。
未だに自分で耳掃除をしたことがないジュリである。
「いい加減に自分で耳掃除しな、ジュリ」
と、向かいのソファーにいるサラ。
呆れたように言った彼女であるが、その頭はカレンの膝の上である。
「あなたもね、サラ…」と、サラの耳掃除をしているカレンが苦笑する。「まったく、いつまで経っても子供なんだから……」
「読者の皆さまこんにちは。カレンと親友になってから約10年。耳掃除はカレンに任せるサラです」
「自慢にならないわよ……」
「また、爪の手入れは愛する旦那さまのレオ兄に任せます。ビールが飲みたいと言えば、息子のネオンが持って来てくれます。羨ましいアルカ?」
「その甘ったれぶり何とかしなさいよ……」
「いいのー」
「はいはい……」
とカレンが溜め息を吐いたあと、サラがジュリに目を向けた。
「ところでジュリ」
「はい、サラ姉上」
「あんた、まだモンスター倒したことないんだって? 昨夜の舞踏会のあと、親父から聞いたよ」
ジュリの黄金の瞳が困惑して揺れ動く。
「ジュリ、次反対のお耳」
そうミラに言われて身体の向きを変えたジュリ。
ミラの腹部に顔を埋めながら、小さく答えた。
「は、はい…、サラ姉上……」
サラの溜め息がジュリの黒猫の耳に聞こえる。
「あんたは本当に優しい子だから、あんたの辛い気持ちはよく分かるよ、ジュリ。凶悪モンスター相手とはいえ、アタシだって全く辛くないわけじゃない。だけどね、ジュリ?」
「は、はい……」
「ハンターっていうのはね、それを乗り越えなければならないんだよ。そして人々を危険から守る。それが仕事。凶悪モンスターを倒せずに放っておいたら……、どうなるか分かるね、ジュリ?」
「は、はい…、サラ姉上……。…で、でも――」
「でもじゃない。出来ないならさっさとハンター辞めな」
そんな厳しいサラの言葉を聞いて、ジュリの瞳にじわじわと涙が込み上げる。
リビングの外、少し前からやって来てジュリとサラの会話を聞いていたリーナ。
ミラの腹部に顔を埋めてすすり泣き始めたジュリを見て小さく溜め息を吐き、リビングの中へと入っていった。
ジュリが横臥しているソファーの傍らに膝を着き、ジュリの頭を撫でながら言う。
「ジュリちゃん…、サラちゃんの言う通りやで? うち、今日ジュリちゃん用に仕事選んで来たんやけど……」
「どれ、貸してみなリーナ」
と、カレンに耳掃除をしてもらい終わったサラが、身体を起こしてリーナに手を伸ばした。
リーナが依頼内容の書かれた紙を渡すと、サラとカレンが一緒になってそれに目を通す。
カレンが声をあげた。
「まあ、これは大変なのですわ!」
サラが頷いて続く。
「ひどいね。人間20人も殺されたなんて。そのうち、3人がハンターか……」
「えっ……!?」
とジュリが短く声をあげ、身体を起こしてサラに顔を向けた。
「20人もの人が殺されたんですかっ? サラ姉上っ……!」
「みたいだよ。首輪つけたブラックキャットの仕業みたいだけど……?」
とサラに顔を向けられ、リーナが頷いた。
「せや、首輪つけたブラックキャットや。どうも、元ペットのブラックキャットらしくてな。元って言っても捨てられたとかそういう意味ちゃうで? 飼い主が死んだって意味や」
「そか……、可哀相にね。でも、ずいぶんと凶悪だね。これは早く始末しないといけないよ」とサラがジュリに顔を戻して訊く。「どうする? ジュリ。この仕事、やってみる?」
「…え…えとっ…、僕は…………」
口ごもるジュリ。
サラは1分ほど返答を待ったあと立ち上がった。
「やらないのね、分かった」と、リビングの戸口へと歩いていく。「二流のリーナにはまだ危ないし、アタシが引き受けるよ。20人もの人間が殺されてるなんて、放っておくわけにはいかないからね」
「あっ…!」と、慌てて立ち上がったジュリ。「待ってください、サラ姉上! ぼ、僕がやります!」
そう大きな声で言った。
サラが振り返って訊く。
「あんたに出来るの? ジュリ」
「…ぼ…僕も、そんなにたくさんの人々を殺しちゃうなんて、いけないことだと思うからっ…! だからっ……!」
数秒の間、ジュリの必死な顔を見つめたサラ。
ふと微笑み、ジュリのところへと向かってその頭を撫でた。
「それじゃ、あんたに任せたからね、ジュリ?」
「は、はい……」
と強張った面持ちで頷いたジュリ。
それを見たサラが笑って言う。
「緊張しすぎだよ、ジュリ。いや、明るく殺して来いなんて言わないけどさ。昨夜の舞踏会のときに続いて、しっかり凶悪モンスター倒してきなね」
「え? 僕はまだ――」
「昨夜の舞踏会であんた大泣きして、凶悪モンスター大木にぶつけて倒したんだって? やるじゃん♪」
そんなサラの言葉を理解するまでに、10秒ほど掛かったジュリ。
「――ふっ…ふみゃああぁぁああぁぁあぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁあぁぁああぁぁあんっ!!」
<
と大泣きし、リビングのソファーを吹っ飛ばして窓を粉砕した。
人間を20人も殺したブラックキャットが最後に目撃されたのはオリーブ山だという。
ジュリはリーナの瞬間移動でやって来ると、共に山を登り始めた。
だが、2時間探しても目的のブラックキャットは見つからず。
リーナが狼狽したように言う。
「ああもう、どこにおんのやろ。うち、他の仕事もあるっちゅーのに……」
それを聞いたジュリは、リーナに笑顔を向けて言った。
「じゃあリーナちゃんは次のお仕事に行って。僕がこのお仕事頑張って終わらせるから」
「えっ…? で、でも、ジュリちゃん……」
と一瞬戸惑ったリーナだったが、ジュリの言葉に甘えることにした。
やらなければならない他の仕事だってたくさんあるし、目当てのブラックキャットを見つけたところで力がまるで敵わないだろう。
それは逆にジュリの足手まといになってしまいそうだった。
「わ…分かった、ジュリちゃん。大丈夫やと思うけど、気をつけてなっ? 相手は凶悪なブラックキャットやから、気付かれないようにこっそり近づいて暗殺がええかもっ……!」
と心配顔で言うリーナに、ジュリは再び笑顔を向ける。
「うん。僕は大丈夫だから行って、リーナちゃん」
その言葉を聞いて安堵すると、リーナは瞬間移動で次の仕事へと向かって行った。
リーナの姿が見えなくなるなり、ジュリは、
「テツオ」
体長3mの巨大カブトムシを召喚。
その頭に乗りながら話しかける。
「ねえ、テツオ。僕、とあるブラックキャットを探してるんだ。リーナちゃん行っちゃってちょっと心細いから、一緒に探してよ。テツオは鼻が利くでしょ?」
テツオが動き出してから30分後のこと。
遠くに小さく人間の服を着たブラックキャットの姿が見え、ジュリはテツオを止まらせた。
そして仕事の依頼内容の書かれている紙を取り出し、探しているブラックキャットの特徴を再度確認する。
「えーと、メスで最後に見たときは白いワンピースに黒い首輪。背まである黒髪。……間違いない、あのブラックキャットだ!」
ジュリはテツオを消し、ブラックキャットのところへと、こそこそと近づいていく。
抜き足…。
差し足……。
忍び足………。
が。
あと5mというところ、そのブラックキャットが振り返った。
外見年齢は22歳ほどで、赤い瞳をした気の強そうな美人だった。
「誰だい?」
と訊かれ、ぴたりと足を止めたジュリ。
答える。
「僕はジュリです」
「何だか聞いたことのある名前だね…。どこのブラックキャットの坊やだい?」
「純粋なブラックキャットじゃなくてハーフです」
「ハーフ……?」とブラックキャットが眉を寄せる。「それにしては凄い闇の力だ」
ブラックキャットの属性は闇。
相手が闇の力を持っていると分かるものだ。
「坊や、もしかしてあのキラさんの子かい?」
「はい」と答えたあと、ジュリは首をかしげた。「世の中の人はみーんな、母上と父上の顔を知ってるって聞きました。僕は母上とそっくりって言われるんですけど、見て分かりませんでしたか?」
「あたいは坊やのお母さんの顔を見たことないよ。生まれつき盲目でね」
「えっ…!?」
「目が見えないんだ」
そういえばその赤い瞳は、さっきから視点を定めていなかった。
ジュリの黄金の瞳を捉えない。
「ところで坊や――」
「ジュリです」
「そうだったね」
「お姉さんのお名前は何ですか?」
「アオイだよ。ところでジュリ」
「はい、アオイさん」
「あんた、あたいに何か用かい?」
「あっ」
そうだったと思い出すジュリ。
戸惑いながら答えた。
「は、はい…、アオイさんに用があって…そのっ……」
「なんだい?」
「あ…あん……」
「あん?」
「暗殺させてくださいっ!!」
と頭を下げるジュリ。
「………………」
しぃーん…。
と流れる十数秒の静寂。
「……。…ねえ、ジュリ」
「ダ、ダメですか!?」
「いや、うん、あのさ」
「は、はい……!」
「本人――あたいに言ったら、暗殺にならないと思うんだけど」
「え?」
と顔をあげたジュリ。
ぱちぱちと瞬きをしてアオイの顔を見つめたあと、
「あっ!」
と口を塞いで踵を返していった。
「ま、また暗殺しに来ますっ!」
そう言い残して。
「……変な子だね」
と眉を寄せながらジュリの背を見送ったアオイ。
辺りの生き物の気配を感じながら歩き出した。
(それにしても、どこにいるんだい? あたいの主……)
次の話へ
前の話へ
目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ