第8話 舞踏会 後編
5月の頭。
ヒマワリ城での舞踏会。
カレンやリン・ランがダンスホールで騒いでいるうちに、ローゼに引っ張られていったジュリ。
ダンスホールを抜け出し、城の中のあちこちを案内され、最後に城の庭へとやって来た。
花々の甘い香りが鼻をくすぐる。
「ここがお庭ですにゃ! 柵を乗り越えて崖を飛び降りると、私とジュリさんが出会った森がありますにゃ!」
「へえ、そうなんですか」
ローゼに手を引かれながら、興味津々と庭を見て回るジュリ。
一本の木の下、ローゼが立ち止まる。
そしてその枝の上にぴょんと飛び乗って座った。
隣をぽんぽんと手で叩きながら言う。
「ジュリさんもここに座ってくださいにゃ」
承諾したジュリも枝の上に飛び乗ると、ローゼの隣に腰掛けた。
「むかーし、私もジュリさんも生まれていないころ、キラさんが3日間この城に泊まり私のお父上と過ごしたことがあるそうですにゃ」
と、話し始めたローゼの顔をジュリが見て訊く。
「僕の母上が?」
「はい。今の城はいつだったかリュウさんに破壊されて建て直したものだから、正しくはお父上とキラさんが過ごした城ではないですけどにゃ。でもこの庭は当時のままで……」と、ローゼがジュリの膝の上に手を置く。「キラさんはドレス姿でここに座っていたと、父上はときどき懐かしそうに語りますにゃ」
「母上がここに…、僕が今座っているところにですか?」
「はい。今ジュリさんが座っているところで、春の風にガラスのような髪の毛を靡かせるキラさんがとても美しく、お父上は少しの間言葉を失って見惚れていたそうですにゃ」
「そうですか。昔、母上がここに」と言いながら、ジュリが木の幹に触れる。「カブトムシでもいたのかなあ」
「カブトムシ? それは分かりませんけどにゃ」と、ローゼが話を続ける。「お父上は、未だにキラさんに恋してますにゃ」
「鯉ですか」
「はい」
「甘露煮を食べたときはおいしかったです」
「かんろ…? いえいえ、お魚の方じゃないですにゃ。お父上は、キラさんのことを好いているという意味ですにゃ。結婚したいと思っているのですにゃ。そしてお父上似の私も」と、ローゼがにっこりと笑う。「キラさんと同じでお美しいジュリさんと、結婚したいと思ってますにゃ」
「え…?」
と首をかしげるジュリを見つめながら、ローゼが続ける。
「私が16歳になったとき、ジュリさん私と結婚してくださいにゃ」
「で…でも、僕……」と戸惑いながら、ジュリがローゼから顔を逸らす。「小さい頃から、リーナちゃんと結婚するって約束してるから……」
「みたいですにゃ」
「はい。だから僕、ローゼさまとは……」
「では、こうしましょうにゃ♪」と、笑ったローゼ。「お父上に一夫多妻制にしてもらいますにゃ♪ そうすれば、ジュリさんはリーナさんとも結婚できるし、ローゼとも結婚できますにゃ♪ これでみーんな、幸せですにゃ!」
「わぁ!」と、顔を輝かせたジュリ。「凄いです、ローゼさま! その通りですね!」
とローゼに同意した。
おまけに、
「だからジュリさん? ローゼと結婚してくださいにゃ♪」
「はい、ローゼさま」
婚約までした。
ローゼがはしゃいでジュリに抱きつく。
そのときのこと。
獣の唸る声が聞こえ、地に目を落としたジュリ。
「あっ」
と短く声をあげた。
ローゼも声をあげる。
「私に怪我させたモンスターですにゃ!」
本日の昼間、ジュリとリーナが探しても見つからなかった、一見犬を思わせる凶悪モンスターだった。
木に爪を立て、登ってこようとしている。
「ローゼさま、危ないです!」
とローゼを抱きかかえ、木の枝の上から5メートルほど前方に飛んで地に足をつけたジュリ。
ローゼを背に庇ってモンスターから後ずさりながら、
「テツオ!」
角を含めて体長3mの巨大カブトムシ(オス)――テツオを召喚。
それはもうカブトムシをこよなく愛するジュリだけが、いつの間にか使えるようになった謎の召喚魔法である。
「ジュリさん、その大きなカブトムシは一体っ?」
「召喚カブトムシです! テツオはとっても強いので大丈夫です!」
「でも動きませんにゃ!」
「僕が命令すると動きます!」
「ではテツオさんを動かしてモンスターを倒してくださいにゃ!」
「は、はいっ…。…テ、テツオ……!」
と、召喚カブトムシに命令を下そうとするジュリ。
だが、その先の言葉が喉から出てこない。
モンスターを見つめ、大きな黄金の瞳が戸惑って揺れ動く。
そこへ、
「ジュリちゃん!」
とリーナの声がして、ほっと安堵して笑顔になる。
振り返ると、リーナの後方遠くにリュウの姿も見えた。
「リュウ兄ちゃん、こっちやこっち! ここにジュリちゃんおったわ!」
「ジュリ! 無事か!?」
と、リュウ。
時速約480kmで駆けて来たものだから、その姿は一瞬にてジュリの傍らに。
「無事です、父上っ!」
とリュウの顔を見上げ、ますます安堵したジュリ。
モンスターを指差すと、リュウがそちらに顔を向けた。
「ん? …おい、リーナ。おまえの仕事の犬型モンスターじゃねーか。まだ倒してなかったのかよ」
「えっ?」と、リュウから遅れてやって来たリーナもモンスターに顔を向ける。「ああっ、やっと現れよった! こいつ、昼間いくら探しても見つからへんかったんよ」
「早く倒しちまえよ」
「ん」
とスカートの中から2本の短刀を取り出そうとしたリーナ。
はっとして思い止まり、ジュリに顔を向ける。
「ジュリちゃん」
とリーナが呼ぶと、ジュリの笑顔が消えた。
「ジュリちゃん、倒してや。モンスター」
「あ?」と眉を寄せたのはリュウだ。「おまえが倒せ、リーナ。ジュリ武器持って来てねーだろ」
「武器がなくたって倒せるやろ。ジュリちゃんはリュウ兄ちゃんとキラ姉ちゃんの子供。この程度のモンスターなんて、爪で充分や。それに召喚獣……やなくて、召喚カブトムシのテツオやっておるやろ」
「まあ、そうだな」とテツオを見たあと、ジュリを見たリュウ。「よーし、ジュリ! テツオに可愛く命令してモンスターを倒してみろ!」
デジタルビデオカメラを構えた。
「は…はい……、ち…父上……」と承諾したジュリだったが、モンスターを見つめて唇が小刻みに震える。「…テ…テツオ……、…テ、テツオ、あのねっ……」
テツオの名を呼ぶばかりでいつまでも命令を下さないジュリに異変を感じ、リュウはカメラのモニターのジュリから本物のジュリへと目を映す。
「どうした、ジュリ?」
「…テツオ……、テツオ……!」
「ジュリ……?」
「ふ…ふみっ…、ふみっ……!」
としゃくり上げ始めたジュリに、びくっと肩を震わせたリュウとリーナ。
狼狽する。
「お、おい、どうしたんだ、ジュリ!?」
「お、落ち着きや、ジュリちゃ――」
「ふみゃあああぁぁああぁぁあああぁぁあぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあんっ!!」
と、リーナの声を遮り響き渡ったジュリの泣き声。
同時に爆発したジュリの中の魔力。
「わぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!」
と吹っ飛ばされそうになったリーナの片腕をリュウが掴み、
「ふにゃあぁぁああぁぁあぁぁあっ!?」
吹っ飛んできたローゼの片腕をリーナが掴む。
甘い香りを漂わせていた花々は根こそぎ吹っ飛び。
若葉を茂らせていた木々は素っ裸にされ。
庭を囲っている柵は破壊され。
テツオは飛ばされないよう、宙で必死に羽ばたき。
モンスターは遠くの大木に激突した。
リュウは困惑しながら訊く。
「お、おい!? ジュリ!? どうしたんだ!? そ、そうか、モンスターが怖かったん――」
「ちゃうねん、リュウ兄ちゃん!」と、リーナがリュウの声を遮った。「ジュリちゃん、モンスターを殺すこともおろか、傷付けることすらできんのや!」
「何……?」
「ジュリちゃん新米ハンターとしてうちの弟子になってから、モンスター一度も倒したことあらへん!」
それを聞いたリュウの顔が驚愕する。
「…な、なんてことだ……!」
「うちがこの間からリュウ兄ちゃんに言おうとしてたのは、このことや!」
「ああ、ジュリ! 分かってはいたが、おまえはなんて心優しい子なんだ……!」
「リュ、リュウ兄ちゃん!?」
「俺そっっっくりで!!」
「って、あんた仕事のモンスターは問答無用で瞬殺やないかいっ!!」
「ああ、ジュリ! 父上は今、猛烈に感動している!」
「そんなん後にせえやボケっ!! はようジュリちゃん泣き止ませんかいっ!!」
「よーしよし、ジュリー」
と、リュウが胸ポケットの中から取り出したのは透明なプラケース。
その中には、
「ほーら、おまえが大好きな超最高級カズノコだぞー」
「みゃ?」と、ぴたりと泣き止んだジュリ。「あっ! カズノコだあっ!」
リュウに駆け寄り、口の中に入れてもらって笑顔満開。
「おいしいです、父上ーっ♪」
「そーかそーか、良かったな」
「はいっ! …って、あれっ? モンスターさんはっ?」
きょろきょろとするジュリに、リュウがにこにこと笑いながら言う。
「もう悪さはしないと、森へと帰っていったぞ。よく出来たな、ジュリ」
「はい、父上っ! 僕はよく出来ました!」
と誇らしげに言ったジュリ。
よれよれと宙から地へと戻ってきた召喚カブトムシ・テツオを消したあと、リュウの片腕に抱っこされながら城の中へと戻っていく。
その背を無言で見つめるリーナとローゼ。
ジュリとリュウの姿が見えなくなった後、遠くの大木の根元に横たわっているモンスターに顔を向けた。
「……あの、リーナさん?」
「……なんです、ローゼさま」
「ジュリさん、たしかによく出来ましたにゃ」
「ああ、たしかに仕事よく出来たな、ジュリちゃん」
だってモンスターは、
「逝ってるし……」
と声をそろえたあと、顔を見合わせた2匹。
数秒の無言の後、ジュリとリュウに続いて城の方へと向かって行った。
「あの、リーナさん」
「ん」
「残りの曲、ジュリさんと踊っていいですにゃ。さっきのお礼ですにゃ」
「え?」
「さっき私が飛ばされそうになったとき、助けてくれてありがとうございましたにゃ」
「可愛いとこもあるやん」と笑ったリーナ。「ほな、残りの曲はぜーんぶうちがジュリちゃんと躍らせてもらおかなっ♪」
張り切ってダンスホールに戻った。
が、
「ラストかいなっ!!」
葉月ギルドのギルド長室の中。
忙しいリュウに変わってギルド長の仕事をしていたリンクは、緊張した面持ちで依頼者からの電話を切った。
「こらあっかんわ…。なるべく、はよう見つけて倒さんと……」
と依頼内容の書かれた紙を見つめながら呟いたとき、舞踏会帰りのリーナが瞬間移動で現れた。
「ただいま」
というリーナの顔はむくれている。
おかえり、と返したあとリンクは苦笑しながら訊く。
「何…、どうしたんリーナ? ジュリと踊れなかったん?」
「踊れたことは踊れたんやけど、あの王女さまのせいで最後の一曲だけや!」
「そうか。でも、踊れたなら良かったやん……ジュリと」
「ま、まあ…、うん……」
と頷いたリーナの頬が少し染まる。
ジュリの腕の中で踊ったときを思い出すと、心地良い動悸がした。
リーナの顔を見てふと微笑んだあと、リンクは再び緊張した面持ちで手に持っていた紙に目を落とした。
リーナが首をかしげながら訊く。
「どうしたん、おとん? いつものマヌケ面ちゃうやん」
「マヌケ面言うなっ!」
「仕事の依頼かいな?」
「お、おう。なるべく、はよう倒さんとあかんモンスターでな?」
とリンクが言うと、デスクを隔てた向かいに立っているリーナが手を伸ばしてきた。
リンクの手から依頼内容の書かれている紙を取って目を通す。
そして声を高くした。
「人間20人も殺したんかいな。しかも、首輪つけたブラックキャットやて?」
「おう。ついさっき葉月町で起こった事件でな。今、ニュースでも騒がれとる」
「首輪しとるってことは、ペットやろ? ハンターの」
ここ葉月島では昔からモンスターをペットとすることが流行っており、モンスターをペットとすることが出来るのはハンターの資格を持つ者。
ジュリの母・キラは、ジュリの父・リュウの、リーナの母・ミーナは、リーナの父・リンクの妻でありペットだ。
その印としてつけなければいけないのが首輪である。
ハーフの場合でもジュリやリーナのように猫耳が生えている等、一見純モンスターと見間違えそうな者も首輪をつけなければならないが(尾っぽだけ生えている場合は、つけなくても可)。
リンクが頷く。
「まあ、ペットなことはペットなんや。せやけど……」
「せやけど、なんや? おとん」
「元ペット……かもしれん。飼い主だった超一流ハンターな、先日仕事で亡くなったんよ」
「えっ?」
「このブラックキャット、どうもそれを知らないのか、それとも現実を信じたくないのか、亡くなった飼い主を探しとるみたいなんや」
「……」
困惑しながら、再び依頼内容の書かれた紙に目を落としたリーナ。
数分の無言のあと、静かに口を開いた。
「なあ、おとん。この仕事、うちにやらせてくれへん?」
「はっ?」とリンクの声が裏返る。「な、何言ってんねん! 純粋なブラックキャットやで!? 最強モンスターを謳われるブラックキャットやで!? どんなに弱くとも、一流ハンター以上やないと危険や! あかんあかん! おとんは許しまへんっ!」
「安心せえや、おとん。うちにまだ純粋なブラックキャットを倒せる力なんてあらへんことは、よう分かっとる。せやから、この仕事をやるのは正しくはうちやない」
「ほな――」
誰がやんねん。
とリンクが訊く前に、リーナが意を決したように答えた。
「ジュリちゃんにやってもらうんや」
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