第60話 ライバル宣言 後編
葉月町の一角。
仕事の移動中だったリーナとミカエルを、ジュリ・ハナ・ユナが囲むように立ちはだかっている。
リーナの手を取り、
「ちょっと、来てくれるかな」
真剣な顔で、そう言ったユナ。
その顔を見つめていられず、リーナは目を逸らしてしまう。
とても嫌な予感がした。
「え…えと……、ごめんユナちゃん」と、ユナの手を振り払ったリーナ。「うち、今次の仕事のモンスター探してるとこやから、また今度っ……!」
そう言ってその場を去ろうとしたが、再びユナに手を引っ張られた。
「お願い、リーナ。大事な話があるの。大丈夫、すぐに終わるから」
「……」
恐る恐るというように、振り返ったリーナ。
ユナの表情を見つめ、
(あかん…、もう逃げられへんみたいや……)
そう思って観念し、歩き出したユナの後を着いて行った。
30歩ほど歩いて着いた先は、人目から外れた摩天楼の路地。
立ち止まったユナが、リーナに振り返る。
緊張した面持ちで見つめ合う2人の鼓動は、どちらもが波打っていた。
ユナの淡い紫色の瞳も、リーナのグリーンの瞳も揺れ動いている。
「…あ…あのね、リーナ」
とユナが口を開くと、リーナがぎこちなく頷いた。
「う…うん……? な…なんや、ユナちゃんっ……?」
と訊いたリーナだったが、本当は分かっている。
ユナの口から出てくるだろう言葉が。
「あたし…、あたしね、リーナっ……」
それは、聞きたくない言葉で。
「あたし、あたし、ミカエル様のことがっ……」
とても、聞くのが怖い言葉で。
「ミカエル様のことが、す――」
観念して着いてきたものの、言葉の最後まで聞けず、リーナは震えた声で遮る。
「勘弁してや、ユナちゃん。ほんまに……、勘弁して」
「……ごめん、リーナ」と、ユナはリーナから目を逸らして続けた。「あ……あたしもね、ミカエルさまはリーナの恋人だからいけないって、何度も自分に言い聞かせてたんだ」
「ほ、ほな、そのままミカエル様のこと諦め――」
「でも、止められなかった。だから、言わなくちゃ。ごめんね、リーナ。あたし――」
「やめてや、ユナちゃん!」
やめて。
聞きたくない。
そう願うリーナの心を察して胸を痛めながらも、ユナは続けた。
リーナと親しい間柄だからこそ、なお言わなければいけないと思った。
「あたし、ミカエルさまのことが好き」
「――」
分かっていても、一瞬衝撃を受けて声を失ったリーナ。
「パパ以外で、こんなにも毎日想ってしまう男性は初めてなの。ミカエルさまのこと、本当に好きなの。ワガママかもしれないけど、ミカエルさまの傍にいたいよ」
そう涙ぐみながら言ったユナに向かって、怒声を上げていた。
「ふざけんのもええかげんにしといて!」
怖かった。
いつも支えてくれるミカエルが、いなくなってしまったときのことを考えると。
怒声を浴びせられ、びくっと肩を震わせたユナ。
泣き虫故に涙を一粒零しながらも、眉を吊り上げて言い返した。
「ふざけてなんかないよ! あたし、ふざけてこんなこと言わない!」
「だったら、ふざけてや。さっきの言葉、ふざけてたって言ってや。ほんまに勘弁してや、もう……!」と、リーナが声を詰まらせてユナから顔を逸らし、再び声を上げる。「ミカエルさまは、うちのものなんやから!」
そんなリーナの言葉を聞き、ユナの顔が強張った。
ここへ来る前の、サラの言葉を思い出す。
「ミカエルさまは、誰のものでもないよ」
「――」
再び声を失ったリーナ。
否定できなかった。
だからこそ、なお怖い。
「…う…うちのものや、ミカエルさまはっ……! うちのものや! せやからっ…、せやから、うちから奪わんといて!」
そう泣き叫び、リーナはミカエルの下へと駆けて行った。
「あっ、リーナ!」
と、慌てて後を追っていったユナの視界に飛び込む。
ミカエルとぎこちなく会話をしていた、ジュリの視界にも飛び込む。
「ミカエルさまっ……!」
リーナがミカエルの首にしがみ付き、そして唇を重ねた姿が――。
「あっ」
と短く声を上げて赤面したハナの一方、
「――!?」
ジュリ&ユナ、大衝撃。
声を失って硬直する。
周りの人々の注目を感じながら、唇を離したミカエル。
様子がおかしいリーナを片腕で抱き締めながら訊く。
「どうかしたのか、リーナ?」
返事をせず、リーナはミカエルの肩に瞼を押し付けて泣いている。
困惑したミカエルは、今度はユナに顔を向けた。
「なあ、ユナ。一体何が――」
一体何があったのか。
と訊こうとして、ミカエルはさらに困惑してしまった。
ユナの瞳からもぽろぽろと涙が零れていて。
「お……おい、リーナもユナも、どうしたんだ?」
ハナがジュリを見、ユナを見、リーナを見、最後にミカエルに笑顔を向けて言った。
「きっと、ちょっとした喧嘩だべ。んだば、オラたちも仕事あるからこれで」
「あ、ああ、分かった」
とミカエルが返事をすると、ハナはジュリとユナを引っ張ってテツオに乗せ、その場から飛び去って行った。
その晩。
サラ・レオンの夫婦部屋の中からユナの泣き声が響いていた。
「うえぇぇぇぇぇんっ」
「ああもう、そんなに泣くんじゃないよ。キスくらいで」
と、膝の上のユナの頭を撫でながら、サラが溜め息を吐いた。
ユナが顔を上げてサラを見、しゃくりあげながら訊く。
「キ、キスくらいって、レ、レオ兄が他の女の子と、キ、キスしてたら、サラ姉ちゃんはどうするのっ?」
「もちろん相手の女をフルボッコのち、葉月湾に沈め――」
「お、落ち着いてサラ」と、サラの言葉を苦笑しながら遮ったレオンが、宥めるようにユナの頭を撫でる。「うんうん、ショックだったねユナ。よしよし」
「うえぇぇぇん、レオ兄ぃぃぃぃっ」
と、ユナが今度はレオンの膝に突っ伏して泣きじゃくる。
再び溜め息を吐いたサラ。
「ライバル宣言したばっかりなんだから、いつまでも泣いてないで頑張りなよ。恋人がいる相手を好きになるってことは、そういうシーンに遭遇しちゃう可能性だってあるってことだよ、これからも。ていうか、リーナとミカエルは見えないところでガンガンかましてんだよー? キス」
「そ、そうだろうけどぉっ……! って、そういうこと言わないでよサラ姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁぁ――」
「ああもう、うるさいなあ」と、ユナの言葉を遮り、また溜め息を吐いたサラ。「もういい加減泣きやみなってば。ジュリも相当ショック受けたみたいだけど、前みたいにウジウジ泣いたりしてないよ?」
と言った直後。
コンコン、とドアがノックされた。
噂をすればなんとやらで、顔を見せたのはジュリだった。
「まだ泣いてるみたいだけど大丈夫ですか、ユナ姉上?」
「ジュリ……」
「ほら」と、サラがぽんとユナの頭の上に手を乗せて言う。「弟の前で泣くんじゃないよ」
「…う…うんっ……!」
と、慌てて涙を拭ったユナ。
ポケットの中で携帯電話が鳴り、それを取り出した。
「誰からの電話?」
とサラがユナの携帯電話を覗き込むと、それはミカエルからだった。
予定より早く仕事を切り上げ、昼間ユナと話して以来ずっと様子がおかしいリーナを自宅前まで送ってきたミカエル。
胸にしがみ付いてきているリーナに訊く。
「なあ、リーナ。ユナと何があったんだ」
もう何度も訊いているが、リーナの返事は決まって首を横に振るだけ。
「言いたくない……か」
と、ミカエルが小さく溜め息を吐いたとき、リーナが掠れた声で口を開いた。
「…なあ、ミカエルさま……、どこにも行かへんよな?」
「え?」
「うちの傍から、いなくなったりせえへんよな?」
そんなリーナの不安を聞いたミカエル。
リーナを抱き締めて笑った。
「当たり前じゃないか。急にどうしたんだ?」
「…うん…、せやな……」
大丈夫。
ミカエルがいなくなるわけがない。
そう己に言い聞かせ、ミカエルの胸で深呼吸をしたリーナ。
ミカエルの顔を見上げて微笑んだ。
「ほな、また明日な」
「ああ、また明日な」
と、リーナに軽くキスしたあと、ヒマワリ城へと向かって歩き出したミカエル。
数歩進み、一度振り返った。
「ああ、そうだ、リーナ」
「ん?」
「来月はクリスマスだな。欲しいものはあるか? 私がサンタクロースに伝えておいてやるぞ♪」
「ほんまー?」と、おかしそうに笑ったリーナ。「せやなあ……。サンタクロースがうちのために選んできてくれたものなら、何でも嬉しいわ」
「そうか。それじゃ、サンタクロースにちゃんと良いものを選ぶよう伝えておくぞ♪」
リーナの笑った顔を見たあと、ミカエルは手を振りながら再び歩き出した。
帰路へと着きながら、ポケットの中から携帯電話を取り出す。
そして電話を掛けた相手は、ユナだった。
「…も…もしもしっ……?」
と、出たユナの声を聞いて、ミカエルは「やっぱりか」と思った。
やっぱり、ついさっきまで泣いていたというような声をしている。
「大丈夫か?」
「えっ……?」
「泣いていたんだろ?」
「…う…うんっ……、でももう泣き止んだから大丈夫! し…心配してくれてありがとうっ……!」
と、ユナの少し明るくなった声を聞いたあと、ミカエルは話を切り替えた。
やっぱり気になって仕方がないことがある。
「それで、ユナ。リーナと何があったんだ? リーナはどうやら私に言いたくないみたいでな。ハナはちょっとした喧嘩だろうと言っていたが、どうもそうは思えないんだが……」
「あっ、えと、その――」
と、途切れたユナの声は、
「あー、もしもしミカエルー?」
サラの声に代わった。
「ん? サラ?」
「そう、アタシアタシー。あんた今どこにいんの? リーナと一緒?」
「いや、リーナはさっき家まで送ってきたところだ。城に帰ろうと思って、今は葉月町を歩いてるところなんだが……?」
「そう。んじゃ、城に帰る前にちょっとうちに寄って行かない?」
「え?」
とミカエルが首をかしげる一方、電話の向こうでユナが「ええっ!?」と声を上げた。
サラが続ける。
「いいでしょ? ミカエル」
「いやまあ、行くのは構わないんだが、何の用だ?」
「よし、んじゃ待ってるからね!」
と、サラに電話を切られ、ミカエルは苦笑した。
「私の質問は無視か……」
そのあと、「まあいいか」と溜め息を吐いたミカエル。
ジュリ宅へと向かって歩き出した。
(ユナに、リーナと何があったのか聞けるかもしれないしな)
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