第41話 スッポン女 後編
葉月町にある、とあるホテルの中。
ローゼに負い被さっていた2人の男ハンターは、いきなり部屋のドアがふっ飛ばされ、仰天して振り返った。
「――なっ、何だ!?」
そこにはリーナとミカエル。
そして青い髪の毛を逆立て、見るからにブチ切れているシオンの姿。
「何だてめえらは!!」
と怒声をあげたあと、ハンターの男2人はシオンの顔を見て驚愕する。
その顔は己らが務める葉月ギルドのギルド長であり、そして今や王でも時には頭が上がらないほどの男――リュウとそっくりな顔をしていたから。
明らかに、そのリュウの血族だと分かったから。
ローゼに負い被さったまま、驚愕のあまり呆然としてしまうハンターの男2人。
「ああっ! ローゼさまっ……!」とローゼの乱された衣類を見て声をあげたリーナ。「おっ……、おまえら切り裂いてくれるわああぁぁああぁぁあああぁああぁぁああぁあああぁぁああぁぁあぁぁあ!!」
と2本の短刀を抜いて暴れ出し、ミカエルに押さえ付けられる。
その傍ら、シオンがローゼとハンターの男2人のところへと向かって行った。
「あっ、あのっ、違うんだ、これはっ!」
とシオンに向かって必死に首と手を横に振る、ハンターの男2人のうちの片方。
「るせえっ!!」
弁解虚しくシオンに殴り飛ばされ、
ガシャァァァァァァァァン!!
と窓を突き破り、向かいのホテルの壁に激突。
2階の高さから地上へと向かって落下する。
一方、ローゼに負い被さったまま目を見開き、動けないでいるもう片方のハンター。
「いつまでも触ってんじゃねーよ、あぁ?」
と、片腕をシオンの右手に掴まれたと思った瞬間、骨の折れる音と共に絶叫を響かせ、床の上に転がる。
その頭を蹴り飛ばした後、シオンの赤い瞳がローゼを捉えた。
「…シ…シオンさっ……!」
と震えながら手を伸ばした直後、シオンに頬を殴打されたローゼ。
それはもちろん軽くだったが、ローゼは痛みの走る頬を押さえながら呆然としてシオンを見る。
「――え……?」
「この、大バカスッポン女が!!」
とのシオンの言葉に、ローゼブチ切れ。
「なっ……、なんっっっですってにゃああぁぁああぁぁああ!? こういうとき、普通は抱き締めて『大丈夫か?』とか優しい言葉掛けてくれるとこだと思いますにゃ!」
「うるせえっ! こんなカスハンターに捕まりやがって! おまえ俺が来なかったらどうなってたか分かってんのかよ!?」
「う……。で、でも、誰かさんよりマシな人たちでしたにゃ! 誰かさんと違って、可愛い可愛いって言ってくれるし!」
「これから落とそうって女を貶すわきゃねーだろ! このスッポン女が!」
「ま、またそういうこと言う! そ、それでもローゼ、このハンターさんに色んなところに連れて行ってもらって楽しかったですにゃ!」
「酔わせてラブホに連れ込むなんて魂胆に見事にはまりやがったバカじゃねーか、おめーは!」
「ロ、ローゼは――」
「うるせえ、黙れスッポン! スッポンスッポンスッポン! スッポン女!!」
スッポン、スッポン、スッポン。
連呼され、ローゼの青い瞳にじわじわと涙が込み上げる。
枕を引っ掴み、力一杯シオンにぶん投げる。
「何すんだ、てめえ!」
と顔面に枕が当たり、怒声をあげたシオン。
ぽろぽろと零れ落ちているローゼの涙を見た瞬間、はっとして口を閉ざした。
吊り上がっていた眉と逆立っていた青い髪が下がっていく。
困惑し、胸がずきずきと痛む。
思わず伸ばした手は、ローゼに振り払われた。
「…らいっ……! シオンさんなんか、大嫌いにゃ!」
「――」
一瞬傷付いたシオンの赤い瞳。
それは傍らに立っていたリーナとミカエルも見逃さなかった。
「…っ…そうかよっ……!」
ローゼの泣き声が響く中、シオンが窓へと向かって行った。
すっかりガラスのなくなったそこから1階へと飛び降り、自宅屋敷の方へと向かって歩いて行く。
シオンが去った部屋の中、ミカエルの手が泣きじゃくるローゼの頭に重なった。
「ローゼ……、シオンはおまえのこと、本当に心配していたんだぞ?」
見上げてきたローゼの顔を見つめながら、ミカエルは続ける。
「おまえが今日屋敷を出たあと、少ししてシオンも出て行ったそうだ。そしてそれからずっと、葉月町中を走り回っておまえを探していたんだぞ?」
「――えっ……?」
「ローゼさま」と、リーナが続いた。「シオンはな、リュウ兄ちゃんそっくりなもんやから、言葉が素直に出てこんのや。スッポン女なんて、本当は思ってへんよ? ローゼさまが可愛いから心配したんよ? ローゼさまのこと、めっちゃ大切にしとるよ?」
そう優しい声で言いながら微笑んでいるリーナの顔を見つめたあと、ローゼは慌てたように立ち上がった。
シオンと同じように窓から飛び降り、シオンを追って駆けていく。
「ああっ! ローゼさま、また1匹で危ないで! ……って、ああもう、変な男に捕まったら金的蹴りかまして逃げるんやでえぇぇえええぇぇええぇぇええぇぇえ!?」
とのリーナの叫びに片腕を振って承諾し、ローゼは葉月町を行き交う人々の中に紛れ込んで行った。
自宅屋敷へと向かい、俯きがちに歩いているシオンから小さく溜め息が漏れる。
(大嫌い……か)
ときどき擦れ違う人々とぶつかるが、シオンはぼうっとしたまま歩き続ける。
(何してんだ、俺…。本当はスッポン女だなんて思ってねえのに…、泣かせたいんじゃねえのに……)
上手く出来ない。
言葉が不器用なところまで祖父・リュウに似てしまった。
「シオンさん!」
葉月町の雑踏の中、微かに聞こえたローゼの声。
シオンが振り返ると、遠くから人々にぶつかりながら駆けて来るローゼの姿が見えた。
シオンは背を向けて、再び歩き出す。
逃げるように早足になる。
今はまだローゼと顔を合わせたくなかった。
「シオンさん! 待ってくださいにゃ! シオンさんっ……!」
止まってくれないシオンに、ローゼは必死に叫ぶ。
何度も人々にぶつかりながら、必死に叫ぶ。
「シオンさん! シオンさんってば! 待って! シオ――」
「可愛いねー、君。ねえ、名前は? 1人?」
と、 ローゼの言葉を遮るように目の前に現れた、知らない男。
「い、急いでますからどいてくださいにゃっ……!」
「そんなこと言わないでさー」
と、男が逃げようとするローゼの肩に触れようか瞬間、男が真横にふっ飛っとばされて行った。
男がアスファルトの上に倒れて辺りから悲鳴が漏れる一方、ローゼの目の前にはシオンが立っている。
「ったく危ねーな、おまえは……」
「シ、シオンさ――」
「さっさと来い」
とシオンがローゼの手を引っ張って歩き出した。
シオンは歩くのが速くて、ローゼはときどき小走りになって着いて行く。
置いていかれないように、しっかりとシオンの手を握った。
葉月町を出て、シオンの自宅屋敷へと続く人気のない一本道に入る。
そこの真ん中まで歩いて来たとき、シオンは立ち止まった。
(これだけは伝えておかねーと……)
背を向けたまま静かに口を開く。
「……思ってねえから」
「え?」
「おまえのことスッポン女だなんて、本当は思ってねえから」
「……」
「それだけ……」
と、ローゼの手を離し、自宅屋敷へと向かって歩いて行こうとするシオンの手を、すぐさまローゼが握った。
「ロ、ローゼだって、思ってないですにゃっ……!」
「……?」
振り返ったシオン。
「大嫌いだなんて、思ってないですにゃっ…! 本当は、嫌いなんかじゃないですにゃっ…! 大嫌いだなんて、大嘘ですにゃっ……!」
と真剣な顔で訴えてくるローゼの顔を見つめたあと、再びローゼに背を向けた。
「――…そうか……」
と小さく安堵の溜め息を吐く。
数秒置き、シオンは訊く。
「……俺、間に合ったか」
「え?」
「……おまえ、大丈夫だったか」
そう訊くシオンの声は、とても優しかった。
ローゼの頬が染まる。
シオンがとても心配してくれていたのだと分かった。
反省しなければいけないところかもしれない。
だけど、その事実が嬉しかった。
「はいですにゃ。シオンさんのお陰で、ローゼは無事でしたにゃ。ありがとうござましたにゃ」
「そうか…、今度は間に合ったか……」と、もう一度安堵の溜め息を吐いたシオン。「帰るぞ」
と、ローゼの手を引っ張り、再び自宅屋敷へと向かって歩き出した。
今度はローゼの歩くスピードに合わせて。
シオンの一歩後ろを歩くローゼの胸が動悸を上げている。
「シ、シオンさん?」
「何だ」
と返って来るシオンの声は、変わらず優しい。
「ロ、ローゼのこと、もう『スッポン女』って言わないでくれるっ?」
「……ああ、言わねえ」
「ほ、本当にっ?」
「ああ。おまえが泣くなら、もう言わねえから。……今まで、悪かった」
「……っ……!」
ぶんぶんと首を横に振ったローゼ。
屋敷の玄関から3m手前で立ち止まった。
期待に胸の鼓動が早まる。
頬が染まる。
どうしたのかとシオンが振り返るなり、思い切って訊く。
「ローゼのこと、どう思ってますかにゃっ……?」
「――な……んだよ、いきなり」
と目を逸らすシオンに、ローゼは声を大きくしてもう一度訊く。
「シオンさんはローゼのこと、どう思ってるのですかにゃっ……」
「……そういうおまえこそ俺のことどう思ってんの」
と訊き返されたローゼ。
「――へっ…!?」と声を裏返したのち、シオンから目を逸らす。「ロ、ローゼが先に訊いたんですにゃっ……!」
「おまえが答えたら俺も答える」
「シ、シオンさんが答えたらローゼが答えますにゃ! ローゼが先に訊いたんだから、シオンさんが先に答えるべきですにゃ! 絶対そうですにゃ!!」
「……分かったよ、うるせーな」
との返事が聞こえ、シオンに目を戻したローゼ。
シオンの赤い瞳に見つめられてますます鼓動が高鳴る中、再びシオンに訊く。
「ローゼのこと、どう思ってるっ……?」
「俺、もしかしたら――いや、きっとおまえのこと、す……」
「す……!?」
と、シオンに言葉の続きを催促するローゼ。
(好きって、言ってくれるっ……?)
目の前のシオンの赤い瞳を見つめ、期待に青い瞳を揺れ動かす。
一方、そんなローゼの心境を汲み取ったシオン。
(駄目か……、口で言わなきゃ)
ローゼから目を逸らし、再び口を開いた。
「俺おまえのこと、す……」
が、なかなか言葉が続かない。
シオンにとって、こういった言葉を言うのは本当に容易じゃない。
「だから俺、おまえのこと、す……」
「す……!?」
「す…………」
「す…!?」
「す………………」
「す!?」
「………………ッポン女だと思う」
と、言ってしまうシオンがここにいる。
「――なっ……!?」
目を丸くし、驚愕したローゼ。
「で、おまえは俺のことどう思ってんの?」
とシオンに訊かれた瞬間、
「だっ……、大っっっ嫌いですにゃあぁぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁあぁあああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁぁあぁぁあああっ!!」
と屋敷の玄関の扉目掛け、シオンを背負い投げでふっ飛ばし、
ズゴォォォォォォォン!!
と脳天から帰宅させてやった。
「ただいまぁーーー」
と言いながら逆さま状態で飛んで行ったシオンは、ちょうど通りかかったリュウにキャッチされた。
「おう、おかえり。そして俺は行ってくる。リーナから電話があった。ローゼをラブホに連れ込んだ奴らにちと罰を与えてくるわ」
それから約20分後、葉月ギルドの中からまるで断末魔のような男の絶叫が響き渡ったらしい。
その晩。
「ローゼ1人で眠れるからどっか行きやがれですにゃ!」
と文句を言いながらシオンに背を向けてベッドに入ったローゼ。
10分後には、規則正しい寝息を立てるシオンの胸に顔を埋めていた。
(嫌な奴だけど、すっごく嫌な奴だけど……、だけど、だけど、だけど)
だけど、
(すっごく好きなのですにゃ……)
悔しい気もするけど、それが本心だった。
次の話へ
前の話へ
目次へ
感想掲示板へ
小説トップへ
HOMEへ