第38話 「1番バッター行くぜーっと♪」 後編


 葉月島アサガオ平原にいるリーナとミカエルの前方10m。
 突然現れたジュリが、足首まであったレインコートを脱ぎ捨てた。

「リーナちゃん! 僕、男らしくなったよ!!」

 次の瞬間、頭の先から爪先まで総毛立ったリーナ。

「――……っ……!!?」

 思わず絶句しながら、傍らに立っているミカエルに爪を立ててしがみ付く。

 顔は絶世の美少年で、身長160cm体重42kgという小柄で華奢なはずのジュリ。
 それがどういうわけか、筋肉隆々になり全身を黒い剛毛が覆っている。
 しかもパンツ一丁で、その表情は何だか自慢げ。

 ミカエルが唖然としてしまいながら訊く。

「ジュ、ジュリ、おまえ突然どうしたんだ……!?」

「だから男らしくなってみたんです!」

「お、男らしくっておまえ、小熊みたいになってるぞ……」

「またまた、ご冗談を! ミカエルさまが僕の身体のことを羨ましく思ってることなんてお見通しですよ♪」

「いや、ちょ、私は――」

「特にこのモッサモッサのギャランドゥ! ふふふ、ほしいでしょ?」

「……。…おまえって、つくづく(頭が)凄いな」

「そんなことあっちゃうんです♪」

 誇らしげに胸を張ったあと、リーナに目を向けたジュリ。

(よしよし、リーナちゃん僕の身体に見惚れてるぞ! 次は僕の知識を披露しなくっちゃ!)

 と、上腕二頭筋を、

 ムキムキムキィッ!

 と盛り上がらせた。

「リーナちゃん!」

「は、ははは、はい……!?」

「このポーズ、何ていうか知ってる!?」

「き、筋○マンのポーズ……!」

「正しくはフロントダブルバイセップスって言うんだよ! バイセップスって上腕二頭筋のことを言うんだ!」

「へ、へえ、せやからそういう名前なんや。し、知らなかったな……」

 ジュリ、にやける。

(よしよし、この調子だぞ♪)

 同じポーズのまま、リーナにくるっと背を向け、

「こうするとバックダブルバイセップスって言うんだ! 見て、僕の逞しい肩がよく分かるでしょ!?」

「は…ははは……」

 と顔を引きつらせて笑いながら、ミカエルを引っ張って3歩後ずさるリーナ。
 ジュリが再びくるっとこちらを向き、びくっと肩を震わせる。

 ジュリが今度は胴体の脇で両腕を折り曲げ、

「これがね、フロントラットスプレッドって言うんだ! 背中の広がりを見せるポーズだよ! ほら、見て!」

 とジュリが再びくるっと背を向けている間に、リーナはミカエルを引っ張ってさらに3歩後ずさった。

「僕の背中、凄いでしょ!? 下背部から上背部にかけて、綺麗な形してると思わない!? 見事な逆三角形でしょ!? それからねそれからね!」

 と、ジュリがくるっと横を向き、リーナはまたびくっと肩を震わせて止まる。

 今度はジュリが胴体の前で両腕を折り曲げ、左手首を右手でぎゅっと掴んで筋肉を盛り上がらせ。
 片脚もちょっと折り曲げて、リーナに向かってニカッと笑い。

「サイドチェスト! これはね、身体の厚みを見せるポーズなんだ! 特にチェスト――胸の厚さ! ふふふ、触っちゃう?」

 と大胸筋をぴくぴくと動かすジュリに、リーナの顔はますます引きつり。

 ジュリが横を向いたまま両腕を背後へと持って行き、今度は尻のあたりで左手首を右手で掴んで続ける。

「サイドトライセップス! つまり上腕三頭筋を見せるポーズなんだ! それでね、それでね!」

 と、ジュリが再びくるっとリーナの方を向き。
 身体をちょっと屈め、胸の前で拳と拳を合わせて、

「モスト・マスキュラー! 一番強く見えるポーズって意味なんだ! まあ、色んなポーズの総称だけど、僕はこれが一番強く見えるかな。えへへ、強そうでしょ? でもね、でもね! 僕が一番気に入ってるのはね! この……」

 と、ばっと両腕を上げ、両手を首の後ろに持って言ったジュリ。
 大きく息を吸い込み、

「アドミナブル・アーーーンド・サァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァイッッッ……!!」

 絶叫。
 その顔、自慢げで恍惚。

「アドミナブルは腹筋、サイは脚。特に僕の自慢はアドミナブル! ギャランドゥ付きのアドミナブルッッッ…! ああ、見てリーナちゃんっ……!」

 とジュリがボディビルのポージングを取ったまま近づいてきて、リーナは「ひっ」と短く声をあげて飛び退る。
 慌ててリーナを背に庇ったミカエルの顔も引きつっている。

「お、おい、ジュリ! リーナに近寄るな! っていうかこっちに来るな、気持ち悪い! おまえ顔と身体が合ってないぞ!?」

 むっと頬を膨らませたジュリ。

「ミカエルさま、邪魔しないでください!」

 と、さらにリーナに寄って行く。

「く、来るなと言っている、ジュリ!」

「邪魔しないでくださいと言ってるんです、ミカエルさま!」

 と追いかけ始めたジュリに、リーナが泣きながらミカエルを引っ張り、猛ダッシュで逃げ出した。

「ぎゃあぁぁああぁぁああぁぁああぁぁああ!! ジュリちゃんが怖いぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 リーナのそんな言葉に、

「――えええっ!?」

 と大衝撃を受けたジュリ。
 一瞬立ち止まった隙に、リーナがミカエルを連れて瞬間移動で消えてしまった。

「リ…リーナちゃ……!」

 ジュリは呆然として涙ぐみながら、いつの間にか前方20m先に現れていた、リーナとミカエルが探していた凶悪モンスター――巨大スライムに訊いてみる。

「な、なんでぇ?」

「…………」

 ぷるぷるのゼリー状の巨大スライム。
 目玉なんてどこを見ても見つからないのに、何故か哀れみの視線を感じるジュリ。

 去っていくその背を見つめながら、溜まらず大泣きした。

「ふみゃあぁぁああぁぁあああぁああぁぁああぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁああぁぁぁあぁんっ!!」

 起こった嵐に吹っ飛ばされ、遠くの地面に激突した巨大スライム、K.O。

「グレルおじさんの嘘吐きぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 1番バッター、(大)失敗。
 
 
 
 
 その晩のジュリ宅のリビング。
 ソファーに座っているリュウの携帯電話を、ジュリを除く家族一同+ローゼが覗き込んでいた。

 そこに書かれている文字は、

『うち、ジュリちゃんに恨まれてるん!?』

 リーナからのメールだった。

「………………」

 苦笑してしまう、1番バッター・グレルとその恋人・マナを除く一同。

「まあ、こう思われても仕方ねーよな……」

 と言ったシュウに、カレンが同意して頷く。

「ええ、そうね。だって今朝のジュリちゃん、物凄く怖かったもの……」

「んー? そうかあ?」と、後頭部をぼりぼりと掻きながらグレルが首をかしげる。「今朝のジュリは最高にカッコイイと思ったんだけどなー。なあ、マナ?」

「うん…、とっても…♪」

「んなわけないっつの」と、サラが溜め息。「分かってはいたけど、1番バッター大失敗だね。今月のミヅキとシュンの誕生日に、リーナ来てくれるといいけど……」

「そうね……」と苦笑しながら同意したあと、ミラが訊く。「ねえ、2番バッターは誰にしようかしら?」

 一同が唸りながら考える中、ローゼは静かにリビングを後にした。
 2階へと上って行き、午前中からずっと泣き声を響かせている、向かって右から6番目の部屋――ジュリの部屋のドアをノックする。

「あの…、ジュリさん、頑張ってくださいにゃ……」

 返事はやっぱり泣き声だった。

 小さく溜め息を吐き、ローゼは肩を落として隣の隣の部屋――向かって右から8番目の、シオンの部屋へと入って行った。
 5日ほど前から寝泊りしているこの部屋は、落ち着いたブルーを貴重とした割とシンプルな部屋だ。

 と言ってもローゼが一緒に寝泊りすることになってからは、あちこちに乙女なものが置いてあるが。
 それに最初は文句を言ったシオンだったが、結局は仕方ないと言って許してくれた。

 ベッドに腰掛けたローゼ。
 枕元に置いているカレンに作ってもらったピンクのテディベアをぎゅっと抱き締め、顔を埋めた。

(ローゼが悪いのにゃ…! ローゼがジュリさんとリーナさんの仲を邪魔したから、こんなことになってしまったのにゃ……!)

 テディベアの頭が涙で濡れていく。

 ローゼの様子がおかしいことに気付き、後を追いかけてきたシオン。
 少し開いたドアの隙間からローゼを見つめたあと、ジュリの部屋へと向かって行った。

 中に入り、ベッドに突っ伏している普段の姿に戻ったジュリに声を掛ける。

「ジュリ兄」

 ジュリが顔を上げ、しゃくり上げながらシオンの顔を見つめる。

「な、な、な、なにぃ?」

 シオンは机の上に置いてあったティッシュを箱ごととり、ジュリに突き出して続ける。

「そろそろ泣き止んでくれね」

「そ、そ、そ、そんなこと言ったって、ぼ、僕、リーナちゃんにますます逃げられちゃってっ……!」

「次頑張ればいいだろ」

「そ、そうだけど――」

「いいから早く」と、シオンがさらにティッシュの箱をジュリに突き出す。「泣き止んで。ローゼが気にしてる」

「え……?」

「自分のせいでジュリ兄をこんなことにしちまったって、気にしてる」

「えっ…!? ち、違うよ、リーナちゃんを失ったのは僕がバカだったからでっ……!」

「だから早く泣き止んでくれね。ジュリ兄が再びリーナを取り返せる日が来るまで、ローゼはきっとずっと引きずってるぞ。だからいつまでも泣いてねーで、せめてローゼの前では大丈夫だってとこ見せて笑っててくれると有難いんだが」

「ふみゃあぁぁん、ローゼさまは何も悪くないのにぃぃぃ!」

「そう思うならさらに泣いてねーでさ、ジュリ兄」

「ふみゃあぁぁぁぁぁん! 僕のバカァァァァァァァァァァァァ!」

「だからさ、ジュリ兄」

「ローゼさまゴメンナサあぁぁああぁぁあああぁああぁぁぁあぁぁあぁぁあいっ!!」

「……」

 泣き止むどころか、ますます泣き声を響かせるジュリに苛立ちを覚えたシオン。
 思わずと言ったようにジュリに向かって怒声をあげる。

「さっさと泣き止めって言ってんだろうが!!」

「――!?」

 祖父・リュウ似で、普段は優しくしてくれるシオンに初めて怒鳴られたジュリ。
 びくっと肩を震わせて泣き止んだ。
 目を丸くし、シオンの顔を見つめる。

「ジュリ兄がそんなんだから、ローゼまで泣いちまってんだよ!!」

「――あっ……!」

 狼狽し、ようやくシオンからティッシュを受け取って涙を拭いたジュリ。
 シオンに『早くローゼのところへ行って来い』と顎で指図されたあと、小走りで部屋から出て行った。

 シオンの部屋に入り、ベッドの上で泣いていたローゼに笑顔を向ける。

「ローゼさま」

「ジュ、ジュリさん、今シオンさんの怒鳴り声が……?」

 と、泣きながらも、一体何があったのかと戸惑った様子でローゼがジュリの顔を見つめた。

「僕、もう大丈夫だよ。ちょっと泣いてただけ。もう平気だよ」

「え……?」

「僕リーナちゃんのこと、めげないで頑張るからね! だから泣いたりしないで、ローゼさま!」

「……」

「それだけ。おやすみなさい♪」

 とローゼに手を振りながら、ジュリが部屋を後にする。

 ドアが静かに閉まったあと、ローゼは手の甲で涙を拭った。
 安堵して笑みが零れる。

(良かった…、ジュリさん大丈夫そうですにゃ……!)

 それから少しして入ってきたシオン。
 ローゼの顔を見て、安堵したように小さく溜め息を吐いた。

 それを見て、ローゼははっとする。

「もしかして、シオンさんがローゼのために、ジュリさんを……?」

「別に……」と、シオンがローゼから顔を逸らして言う。「スッポン女の泣き顔はあまりにも不細工すぎて見てられなかっただけだ」

「にゃ、にゃ、にゃ、にゃにおう!? どおおおおして、いっつもローゼのことスッポン、スッポン――って、何ビールの飲んでるのですにゃ!!」

 と、ローゼは驚愕しながらシオンが手に持っていたビールを指したが、その後になって気付く。

「俺はハーフじゃなくて、人間のクォーター。人間の血が4分の1しか入ってねーからいいんだよ」

 そうなのだ。

 人間の飲酒は20歳から。
 純モンスターは年齢制限無し。
 人間とモンスターのハーフは12歳から。

 そして純モンスターである父親・レオンと、ハーフである母親・サラの間に産まれたシオンと、その弟のネオンのように、人間のクォーターの飲酒は8歳から認められていた。
 逆に、ハーフのシュウと人間のカレンの子供であるシュンとカノン・カリン、同様にハーフのレナと人間のミヅキの子供であるセナのように、モンスターのクォーターの飲酒は16歳からだ。

「ローゼより1つ年下なのに、何だか生意気なのですにゃ!」

「おまえの飲酒は12歳からだからな。飲むなよ」

「ちょっとくらい寄こせですにゃ!」

「駄目だっつってんだろうが」

「変なとこで真面目ぶってんなですにゃ!」

「はぁ? 単なる嫌がらせだ」

 と言ってにやりと笑い、ごくごくとビールを飲むシオンに、ローゼは頬を膨らませてベッドに不貞寝する。

「いーですにゃ、もう! ジュリさんと違って嫌な奴なのですにゃ!」

「そーか、嫌われてんのか俺。んじゃー、俺カノン・カリンのとこに夜這いに行って来るから、今夜は一人で寝ろよおまえ」

 と背を向けて戸口に歩いていこうとしたシオンに、「あっ」と短く声をあげてベッドから起き上がったローゼ。
 慌ててしまいながらシオンの横顔を見つめると、横目でこちらを見てにやにやと笑っている。

「……むーかーつーくーのーでーすーにゃあぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 と顔を引きつらせたローゼ。
 2つあるうちの1つの枕をシオンに投げつける。

「ローゼのこと玩具にするなですにゃっ!」

「怒った顔もスッポンだな」

「スッポン言うなあぁぁぁあぁぁああぁぁあああぁぁあぁぁああぁぁあぁぁぁぁああぁぁあぁぁあっ!!」

「うるせーな、騒ぐなよ」

「誰のせいですにゃ! ……ああもうっ、寝るのですにゃ! 夜這いでもどこでも行きやがれですにゃ!」

 と言ってローゼが再び頬を膨らませてベッドに不貞寝すると、シオンがビールを飲み干して部屋の電気を消した。
 背を向けて横臥しているローゼの隣に枕を置いて、そこに寝転がる。

 途端に、ローゼの膨らんだ頬が元に戻っていく。
 何だかんだで、シオンは行かないでくれる。
 優しくしてくれる。

「…………ありがとうございますにゃ……」

 と呟いたあと、目を閉じながら考えるローゼ。

(シオンさんは、ローゼのことどう想ってるのかにゃ…。やっぱりただの仲間かにゃ…。それとも……)

 軽い動悸を感じながら、夢の中に誘われて行った。
 
 
 
 
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