第23話 それはイトナミ? 前編
夕刻過ぎにリーナが自宅マンションに帰宅すると、お好み焼きの匂いが鼻をくすぐった。
玄関に入ると見える廊下の突き当たりの部屋から、母・ミーナがリーナとそっくりな顔立ちを覗かせる。
「おかえりだぞ、リーナ」
「ただいま、おかん。今日お好み焼きなんか、嬉しいわあ」
と不自然に笑顔を作ったリーナの顔を見て、ミーナは首をかしげる。
「って、何だかあんまり嬉しそうじゃないぞ。別のものが良かったのか? なら、おかんは今からでも別のものを作るぞ」
「ううん、嬉しいで」
とまた笑顔を作り、靴を脱いで廊下を歩いていくリーナ。
向かって左側にある一番手前の部屋が自分の6畳の部屋。
その隣は8畳の両親の部屋。
廊下を挟んだ向かいには、バスルームやトイレ。
廊下の突き当たりには、20畳のリビングダイニングキッチンがある。
自分の部屋に武器などの荷物を置いたあと、リーナはリビングダイニングキッチンへと向かって行った。
木製の4人用テーブルの上にはお好み焼きとジョッキに入ったビール、デザートのイチゴのコンデンスミルク掛け。
「ごくごく……ぷはあぁぁぁーっ!」
と、世の中のオトーサンのようにビールを飲むリーナに、ミーナはいつものように言う。
「お疲れだぞ、リーナ。おまえはよく働くな」
「おかんの金遣いが荒いからな……」
「何を言う。別にわたしは、キラと同じものを買っているだけだぞ♪」
あはは、と笑うミーナに、リーナは苦笑する。
(そのせいでウチの家計は火の車なんやっちゅーねん……)
そりゃ、副ギルド長として日々朝から晩まで働いているリンクの収入は、一般から比べれば相当な額だ。
だがギルド長兼、超一流ハンターで、そのバケモノとしか言いようのない力で日々信じられないほど数多くの仕事をこなすリュウの収入は、リンクとは比べ物にならない程で。
その妻であるキラがあれやこれやと買ってもジュリ宅の家計は何ら危機には陥らないが、リーナ宅の家計はそうもいかなかった。
(まあ、将来うちがジュリちゃんと結婚して、親子3人ジュリちゃん家に住んでしまえばこの苦労は消えんねんけどな。…けど……)
と強張ったリーナの顔を見て、ミーナが首をかしげる。
「どうしたのだ、リーナ? やっぱりいつもとちょっと違うぞ。何かあったのか?」
「い、いや、何でもないで、おかん……」
「嘘を吐くな! わたしはおまえの母親だぞ。心配なのだ。悩んでないで、言ってみるのだリーナ」
「…う…うん……」
と頷いたリーナ。
ミーナに心配を掛けたくないからと話さないつもりだったが、結局話すことにした。
といっても、遠まわしに。
「あ…あのな、おかん……」
「うむ?」
「も…、もしも、の話やで?」
「うむ?」
「おとんが、お、お、お、男と浮気しとったらどうする……!?」
「へ? リンクがなんだって?」
「せ、せ、せ、せやからな? おとんが、バイセクシャルってやつで、男ともイトナミ出来たらどうする……!?」
「――!!?」
大衝撃を受けたミーナ。
(ま、まさかリンク、男とあーんなことやこーんなことをしたのか…!? 誰と…!? ま、まさか親友のリュウか…!? そうなると、やっぱり攻めがリュウで受けがリンク……!?)
頭の中を危ない想像が渦巻き、
ゴトッ…
と手に持っていたジョッキをテーブルの上に落とす。
ビールがテーブルの上に広がり、リーナが慌てて布巾で拭きながら言う。
「わ、わああああ! もしもの話や、もしもの! おとんがバイなわけないやろ!?」
「そ、そ、そ、そうだぞっ…、リンクがそんなことするわけないぞっ……!」
と言って額の冷や汗を手の甲で拭ったあと、リーナの顔を除きこんだミーナ。
では、と訊く。
「誰の話なのだ?」
「そ、その……」
「うむ?」
「…ジュ…ジュリちゃんが……」
「な、何ぃっ?」と、裏返ったミーナの声。「ジュ、ジュリが男とあーんなことやこーんなことしたのかっ?」
「きょ、今日な、ミカエルさまがジュリちゃん連れて突然コンビニのトイレに入ったんよ。それで何してたんか訊いたらな、ジュリちゃんが『イトナミ』って……」
「なっ、何だと!?」
「しかも何か、笑顔満開でちょっと嬉しそうやった……!」
と涙ぐんだリーナを見た途端、立ち上がったミーナ。
「ええいっ! わたしの可愛い娘を泣かせよって!」
リーナの腕を引っ掴んで瞬間移動した。
着いた先はジュリ宅のリビング。
――の、
「――ガハァッ!!」
ソファーの上のシュウの腹の上。
ハンターの仕事から帰ってきてソファーに寝転がり、一休みしていたシュウの頭と足が浮く。
リーナはちゃんとソファー脇に着地したが、ミーナの足はシュウの腹をもろに踏ん付け。
シュウの向かいのソファーや白いカーペットの上に座り、同じくハンターの仕事から帰ってきてビールを飲んでいたサラとリン・ラン、ユナの目が丸くなる。
「む? 今なんか変な声がしたぞー」
「……。…おかん、踏んどる」
「む?」と、目を落としたミーナ。「おお、シュウではないか。ごめんな♪」
あはは、と笑い、ぴょんと床に敷かれた白いカーペットの上に飛び降りた。
一方のシュウは腹を抱えながら顔を引きつらせる。
「ちょ、ミーナ姉っ……!」
防御の態勢を取っていれば小柄なミーナに踏まれても何らダメージはないが、不意打ちはさすがに痛かった。
「ご、ごめんなあ、シュウくん……」
「お、おう、リーナ……って」と、リーナの顔を見たシュウ。「……おい? どうかしたのかよ?」
腹に治癒魔法を掛けて身体を起こし、リーナの顔を覗きこんだ。
「何だか、元気ないんじゃね?」
ジュリよりは5つ年上で大人とはいえ、ジュリの兄や姉からはまだまだ子供扱いされているところがあるリーナ。
7つ年上のシュウに、よしよしと頭を撫でられながら口を開く。
「ジュ…ジュリちゃんが……」
「ジュリが?」
と鸚鵡返しに訊いたのは、サラとリン・ラン、ユナである。
ミーナが眉を吊り上げて答える。
「リーナというものがありながら、コンビニのトイレの中でミカエル王子と浮気したのだ!」
「――え、ええっ!?」
と驚愕した、シュウとリン・ラン、ユナ。
サラは爆笑。
「あーっはっはっはっはっは! 何それマジでっ? ジュリそっち系に走ったのっ!? 超うけるんだけど!」
「わ、笑いごとやないわ、サラちゃん!」と声をあげたリーナ。「う、うち、ほんまにショックで……!」
と涙目になる。
「ごめんごめん、リーナ。おいで」
と、手招きしてリーナを呼んだサラ。
やって来たリーナの頭を撫でながら言う。
「きっと勘違いだよ、リーナ。自分の目でジュリとミカエル王子が何かしてるとこ見たの?」
「み、見てへん……けど、ジュリちゃんがミカエルさまとイトナミしたって言ったんや」
「したわけないって。ミカエル王子には好きな女の子いるし」
「そうなん?」
あんただよ。
と心の中で突っ込みつつ、サラは続ける。
「ジュリはイトナミがどういうものか知らないし。増してや男とのイトナミなんて……ねえ?」
とシュウたちに顔を向けると、シュウたちが同意して頷いた。
「サラの言うとおりだ、リーナ」と、シュウが苦笑する。「ジュリとミカエル王子が……なんてことはねえって」
リン・ラン、ユナと続く。
「そうだぞなのだ、リーナ。ミカエル王子とそれはないぞなのだ。父上が相手なら有り得るけど」
「そうだよ、リーナ。ほら、泣かないで。――って、リン姉ちゃんラン姉ちゃん、パパそこまでヤバくないよっ!」
シュウたちの顔を見回したあと、こくんと頷いたリーナ。
(せやな…、きっとうちとローゼさまの勘違いやんな……)
そう思い、手の甲で零れかけた涙を拭う。
うーん、と唸ったミーナ。
眉を寄せ、シュウたちの顔を見て訊く。
「ではジュリは、ミカエル王子とトイレで何をしていたのだ?」
「う、うーん……」
気になった一同。
キッチンで晩ご飯が出来上がるのを待っているジュリのところへと向かった。
「あれ? リーナちゃん、どうしたの? ご飯食べに来たの?」
と、ジュリ。
「う、ううん……、き、訊きたいことがあってん、ジュリちゃん」
というリーナの声に、料理をしていたキラとミラ、カレン、レオンも耳を傾ける。
「訊きたいことって何? リーナちゃん」
「そ、その……な? ジュリちゃん今日、コンビニのトイレで、その……ミカエルさまと何したん……!?」
「イトナミ♪」
「――!!?」
ドスッ……!
と驚愕のあまり包丁を床に落としたのはキラである。
「そ、そそそ、そうなのかジュリ……!?」
「はい、母上! 僕、ミカエルさまから教えてもらったんです!」
「…そ、そそそ、そうか、よ、よよよ、良かったな。は、ははは、母上はおまえがそっちの方向に進みたいと言うなら、母上はっ…母上はっ……!」
「落ち着きなよ、キラ」と、苦笑しながらレオン。「そんなわけないから。…ほら、リーナも泣きそうにならない」
はっとしたリーナ。
(あ、あかん、またジュリちゃんの言うこと真に受けてもうたっ……!)
再び零れそうになっていた涙を手の甲で拭い、ジュリに訊く。
「なあ、ジュリちゃん。ミカエルさまとイトナミしたって、どういうことや?」
「あのね、リーナちゃん。ミカエルさまがね、教えてくれたんだよ!」
「な、何を?」
「イトナミのこと!」
「それって」と、サラが口を挟んだ。「イトナミのことを、ミカエル王子が言葉で教えてくれたってことでOK?」
「はい、サラ姉上!」
と、にこにこと笑いながらジュリが頷いた。
それを見て脱力し、ジュリの隣の椅子にへなへなと尻を着いたリーナ。
(なんやねん、もう…。一時はめっちゃ焦ったやないかい……。ミカエルさまにイトナミ教えてもらったって、身体やなくて言葉でかいな……。――って、ええっ!?)
はっとしてジュリの顔を見つめた。
(ジュリちゃん、ついにイトナミがどういうものか知ったってことなん!? そういうことなん!? ミカエルさま、あんたナイスやで!)
ジュリが続ける。
「僕も早くしたいなあ、イトナミ」
「――えっ!?」
と、声をそろえた一同。
「でも、結婚してからじゃないといけないのかなあ」
「――えっ!?」
と、再び声をそろえた一同。
にやっと笑ったサラが、ぽんとリーナの背を叩いて言う。
「そんなことないよ、ジュリ! ねえ、リーナっ?」
「えっ?」と、声を裏返したリーナ。「う、う、う、うんっ、そ、そそそ、そんなことあらへんで、ジュリちゃんっ?」
と赤面しながら答えた。
それを訊いたジュリの顔が輝く。
「わあ、いいのっ? じゃあ、リーナちゃん! 僕とイトナミしてくれるっ? 今から!」
「えっ、ええっ? い、いいい、今からなんっ!?」
「だって、僕早くリーナちゃんとしたいんだもん」
「えっ、えええっ!?」
「リーナちゃん、僕とじゃ嫌?」
と、ジュリに涙目で訊かれ、リーナは慌てて首を横に振る。
「ま、ままま、まさか! い、嫌やないで! うち、ジュリちゃんのこと好きやもんっ……!」
「本当? 良かった」
と安堵して笑ったジュリ。
その背を、サラが押した。
「よし、ジュリ! あんたは先に自分の部屋でシャワー浴びて待ってな!」
「はい、サラ姉上!」
びしっと右手をあげ、承諾したジュリ。
嬉しそうに黒猫の尾っぽを振りながら、自分の部屋へと向かって駆けて行った。
一方、キッチンではリーナに視線が集まる。
首まで真っ赤になっているリーナが、あたふたとしながら近くにいたサラの両肩を掴んで揺する。
「わ、わあぁああぁあぁぁあ、どうしよおおおおおおう! うち、今日勝負下着ちゃうわあぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!」
「どれ」と、サラがリーナの服の首元を引っ張って中を覗く。「大丈夫、可愛いっ!」
「ほ、ほんまぁっ!?」
「ほんまほんま!」とリーナの口調を真似て答え、サラがポケットの中から財布を取り出す。「ねえ、ゴム何個いる?」
「――って、あんたコンドーム常備かいな!?」
「あはは、大丈夫だって。小銭と擦れないように入れてるから破れにくいよ」
「いや、そういうことやなくてな!?」
「ジュリにはちょっときつい気もするけど、とりあえず今日は我慢させなね。で、何個いる?」
「いっ…一個でええわっ……!」
と、サラから避妊具を1つ受け取ったリーナ。
一同にエールを送られながら、ジュリ宅の1階にある大きなバスルームへと駆けて行った。
(ジュリちゃんに恋してもう10年以上……。つ、ついにうちにもこの日が来たあぁぁあぁぁああぁぁああぁぁあぁぁあっ!!)
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