第20話 迷宮 後編
普段暮らす葉月島の隣の島――長月島に来ているジュリとリーナ、ローゼ、ミカエル。
北西部にある迷宮の一番奥にしか生えていないという、魔法の花を採らなければならないのだが。
途中から先頭を歩きながら道案内していたリーナは、迷宮の1番奥――地下3階の1番奥の部屋に辿り着いてから、ようやく気付いた。
ジュリもローゼも、ミカエルもいないことに。
「――どっ、どこ行ったんじゃワレェっ!!」
思わず摘んだ魔法の花を地に投げ捨ててしまったあと、踵を返そうとしたリーナ。
部屋の出入り口の奥に何者かの気配を感じ、びくっと肩を震わせて立ち止まった。
「ジュリちゃん? ローゼさまっ? ミカエルさまかっ?」
と呼びかけても、返事はなかった。
リーナの中、急激にさっきまで感じていた恐怖が舞い戻る。
昨夜のマナの言葉が蘇る。
――ここの迷宮には、中から抜け出せずに、命を落とした人の霊が成仏できずに出口を彷徨っている。
リーナの膝が震え出す中、その気配の正体は姿を現した。
出入り口の右側の石の壁。
そこから出て来た、長い黒髪を垂らした頭。
血だらけの青白い手。
それを見た途端、
「――ふっ…ふぎゃあぁああぁああぁぁああぁぁああぁああぁぁあああぁぁああぁぁああぁぁあっ!!」
と絶叫したリーナ。
驚いて後方に飛び退り、尻餅をつく。
(出たっ…! 幽霊出たっ…! やっぱりここ、幽霊いたんやっ……!)
リーナのいうその幽霊が突然うつ伏せに倒れ込み、リーナは「ぎゃっ」と短く声を上げてさらに後ずさった。
「…け……。…す……てっ……」
か細い声を出し、血だらけの指先を地に這わせる幽霊。
被さっている長い黒髪で顔は見えないが、その声や華奢な手から女だろう。
それは這いつくばったままリーナの方へと身体の向きを変えて寄って来る。
「…け……て……!」
幽霊の女が向かって来るにつれ、尻の位置を後方へとずらして行くリーナ。
真っ青になりながら声をあげる。
「く、来るなっ…! こっちに来るんやないっ……!」
だが女の幽霊は止まることなく、じわりじわりと向かって来る。
「く、来るなって言ってんねんっ! く、くくく、来るなっ!」
リーナの膝はがたがたと大きく震え、上下の歯はぶつかり合ってガチガチと音を鳴らす。
「け…て……!」
と伸びてきた血らだけの手に、
「ひぃっ」
と短く声をあげて脚を縮めたリーナ。
背が壁にぶつかり、窮地に追い込まれる。
「く、来るなって言ってんのが聞こえないんかっ! く、来るなっ……! 来るな来るな来るな来るな来――」
と、リーナは言葉を切った。
右足首が血だらけの手に力一杯掴まれたと思った瞬間、
「助けて……!」
と青白い顔を上げた幽霊。
目を見開いてリーナの顔を見つめながら、咳き込み出した。
そして真っ赤な口の中から血が噴出し、リーナの脚に降り掛かる。
「ぎっ…、ぎゃあぁああぁぁああぁぁあああぁぁああぁあぁぁあぁぁぁああぁぁぁあぁぁあっ!!」
とリーナが再び絶叫したときのこと。
ズドドドドドドドッ!
という物凄い音と地響き。
そして、
スガァァァァァァンッ!
と壁を突き破って登場したのは、
「テ、テツオ……!」
ジュリの召喚カブトムシだった。
自慢の1mも長さのある角で幽霊をぶん投げる。
ビシィッ!
と天井に叩きつけられた幽霊は、
「――カハァっ!!」
と、さらに吐血しながら地に落下。
そこへ駆けつけて来るジュリとローゼ、ミカエル。
「テツオ、よくリーナちゃんの居場所を見つけたね! 偉いよ!」
と言ってテツオを消し、リーナのところへと駆けて行きながら、
むぎゅっ!
と幽霊を踏ん付けたジュリ。
「ごめんね、リーナちゃん! はぐれてるうちに、モンスターに遭遇しちゃって遅くなっちゃった!」
続いてミカエル、ローゼ。
「さっきの絶叫は何だったんだリーナ!? 大丈夫か!?」
むぎゅっ!
「まさか幽霊でも出たんですかにゃ!?」
むぎゅっ!
幽霊、踏まれまくり。
「そ、そのまさかなんやぁぁぁああぁぁああぁぁあっ!」と泣き出したリーナ。「ほら、そこに!」
と地に転がっている幽霊を指差した。
「へ?」
とリーナの指した方へと顔を向けるジュリとローゼ、ミカエル。
幽霊を見てぱちぱちと瞬きをしたあと、声をあげた。
「うわあ、幽霊さん!? こんにちは、僕ジュリです♪」
「凄いですにゃ、血だらけ幽霊ですにゃ! あ、私ローゼですにゃ♪」
「私はミカエルだ! おおおっ、凄いな。初めて見たぞ、幽霊!」
よれよれと起き上がって四つん這いになった幽霊が、咳き込みながら口を開く。
「げほげほげほっ…! ちょ、死ぬ……!」
「おおーっ」と声をそろえて瞳を輝かせたジュリとローゼ、ミカエル。「幽霊が喋った!」
「いえ、あの――」
「こいつっ」と、リーナが幽霊の言葉を遮って言う。「とんでもない悪霊やっ! うちのこと襲いよって!」
「ええっ!?」
と、ジュリとローゼ、ミカエルが再び声をそろえた。
「リーナちゃんに何もしないでください!!」
とジュリが声をあげながらリーナを背に庇い、
「私が斬り捨ててやる!」
とミカエルが腰の剣を抜き、幽霊の鼻先に鋭利な先端を突きつける。
狼狽したように、幽霊が後ずさった。
「ちょ、ちょちょちょ、何するんですか!」
「さっさと成仏しろ!」
「そうです!」と、ジュリがミカエルに続く。「ここから抜け出せずに亡くなってしまったことはとても可哀相だと思いますけど、人に害を与えるような悪霊になっちゃダメです! 成仏してください!」
「そうそう、そうですにゃ」とローゼも続く。「あなたはもう死んでしまったのですにゃ。死んでしまったものは仕方ないんだから早く成仏するですにゃ」
「――えっ、えぇえぇえぇえっ!?」
と驚愕した様子の幽霊を見て、眉を寄せたリーナ。
(なんか、この幽霊おかしくあらへん?)
そう思い、冷静になって幽霊を凝視してみる。
幽霊というと透けてそうなものだが、もろにテツオにぶん投げられていた。
しかもその後、ジュリたちに思いっきり踏ん付けられていた。
つまり透けていない。
それから幽霊というと足が無いイメージだが、か細くてもちゃんと2本生えている。
それに何より、言動が幽霊らしからない。
まるでまだ生きているようだ。
(ていうか、もしかして……)
と苦笑するリーナ。
恐る恐ると言ったように、幽霊に訊いた。
「あのう……、まだ生きてはったんです?」
「何ですか、それ! わたし死んでません!」
と、泣きじゃくる幽霊。
いや、生きてる女性。
「さっきから幽霊、幽霊って失礼です! わたしは道に迷った挙句、懐中電灯の電池がなくなったものだから真っ暗で何も見えなくなったところをモンスターに殺されかけた長月島長月ギルドの三流ハンターです! それなのにひどいじゃないですかあぁああぁああぁぁああぁぁああぁぁあっ!!」
「………………」
リーナに突き刺さる、ジュリとローゼ、ミカエルの視線。
リーナ、赤面。
「……だっ、だっ、だっ、誰にだって間違いはあんのやっ! …ああもうっ、長月ギルドの三流ハンターさん、ごめんなあっ? うちが瞬間移動で長月町まで送ったるから泣き止んでや!」
というリーナの宥めにより、涙を拭う長月ギルドの女ハンター。
それを見てほっと安堵したのも束の間。
ズドォォォン…!
ズドォォォォン……!!
と重たい物体が地に落ちる音と、その地響き。
それらが耳や尻に伝わってきて、リーナは冷や汗を掻きそうになりながら訊く。
「な、なあ、ジュリちゃんっ? テツオはどれくらい石の壁破壊したんかな……!?」
「たぶん地下3階の7割くらいかなあ」
「……。……れんで」
「え?」
と首をかしげたジュリとローゼ、ミカエル。
「ここ、崩れんで!」
とのリーナの言葉に、驚愕する。
「えっ、えええっ!?」
「はよう魔法の花持って逃げなあぁあああぁぁああぁぁああぁぁあぁぁああっ!!」
――3分後。
ジュリ一行と幽霊に間違われた女ハンターの目の前。
ズドドドドォォォォォン……!
と、崩れ去った迷宮。
「おおーっ、すごいな!」と、歓喜に声をあげたのはミカエルである。「私がまだ子供のころ、リュウが城を破壊したときのことを思い出すぞ!」
「喜ぶとこちゃうっちゅーねん……。とりあえず、みんな無事で良かったわ」
と、背負っていたリュックの中から袋を取り出したリーナ。
その中に皆が両手に摘んできた魔法の花を入れる。
迷宮が崩れてしまったらもう採れないかもしれないということで、ほぼ全部摘んできた。
「ところでリーナちゃん」と、ジュリが首をかしげる。「さっきから座りっぱなしだけど、どうしたの?」
「えっ?」と、声を裏返したリーナ。「え…、ええとぉ、そのぉ……」
と口ごもる。
実は迷宮の一番奥の部屋にいたときのまま、地に尻を着けているリーナである。
(こ…腰抜けて立てへんなんて、かっこ悪くて言えへんわ……)
リーナが返答に困っていると、ミカエルが「ぷっ」と短く笑った。
それを見て赤面するリーナの背と膝の裏に腕を当て、抱き上げながら言う。
「さて、幽霊……じゃなかったな。長月ギルドの三流ハンターさんを送ってから帰るか」
ジュリがむっとした顔をして訊く。
「ミカエルさま、どうしてリーナちゃん抱っこしてるんですか?」
ぎくっとしたリーナが、ミカエルの肩に顔を埋めて小さく呟く。
「い…言わんといてっ……」
分かっていると言わんばかりに微笑み、ミカエルがジュリの問いに答える。
「私がそうしたいからだ♪」と言ったあと、ジュリが口を開く前に続けた。「よしリーナ、瞬間移動してくれ」
「う、うんっ……」
と承諾すると、リーナは長月ギルドの女ハンターを自宅付近まで送ってやり、そのあと葉月島へと帰った。
依頼人に魔法の花を渡して仕事を完了させ、ローゼをヒマワリ城まで、ジュリを自宅屋敷の前まで送る。
「ほ、ほな、またな! ジュリちゃんっ!」
と何か言いたそうなジュリが口を開く前に、瞬間移動で逃げたリーナ。
場所は葉月ギルドのギルド長室の中。
いきなりリーナとミカエルが部屋の中央に現れたものだから、机に向かって仕事をしていたリンクが驚いて声をあげた。
「うっわ! …び、びびったぁーっ! ――って、ミカエル王子? 何うちのリーナ抱っこして……」
「どうやら腰を抜かしたみたいでな」
とおかしそうに笑いながら、ミカエルが3人掛けソファーの上にリーナを座らせた。
リンクが苦笑して言う。
「おまえやっぱりかいな、リーナ……」
「う、うっさいわっ……! うちが幽霊ダメなんは、おとん似やろっ!」とリンクを見て声をあげたあと、リーナはミカエルに顔を向けた。「あ…ありがとな、ミカエル様。その……、うちが腰抜かしたこと、ジュリちゃんとローゼさまに黙っといてくれて」
「いや。変にプライドが高いな、リーナ」
「せ、せやかて、幽霊でもないのに腰抜かしたなんて格好悪いやんっ…。うちジュリちゃんの師匠やし、昔っからジュリちゃんの面倒見とるし、あんまりダサイとこ見せたくあらへんもん。ま、まあ、迷宮に入る前から幽霊怖いて騒いでたから、何を今さらって思うかもしれへんけど……」
「まあ、そうだな。あの怯えようなら、リーナが腰抜かしても何ら驚きはないな」
「そっ、それでも、嫌やったんっ! ジュリちゃんに格好悪いとこ見せるのっ! ロ、ローゼさまにはバカにされそうやし……」
まあな、とミカエルが同意したあと、リーナが手で口を塞ぎながら大きな欠伸をした。
「うち、ここで少し寝るわ。おかんキラ姉ちゃんと遊びに行っとるから、家に帰っても誰もおらんし」
「怖いのか、リーナ」
「う、うっさいわ。おやすみっ!」
と、リーナがソファーに寝転がって目を閉じてから5秒後。
規則正しい寝息がギルド長室の中に聞こえ始めた。
「リーナは眠るのがずいぶんと早いんだな、リンク」
「いやあ、普段はそうでもないんですけどね、昨夜は幽霊怖いゆーて明け方まで起きとったみたいやから。仕事終わった途端、安心して眠くなったんちゃうかな」
「そうか」
と笑ったあと、ミカエルがリーナの眠っている向かいのソファーに顔を向けた。
そこの端に畳んで置いてある、リンクが仮眠のときに使う毛布を取り、広げてリーナの身体に掛ける。
そしてリーナの寝顔を数秒の間見つめたあと、ミカエルはリンクの方へと歩いて行った。
「私に何か仕事をくれ、リンク」
「は?」
「仕事だ、仕事」
「なっ……!」と、リンクの顔が驚愕した。「何言ってはるんですか! 1人でする仕事です!? ダメダメ、危ないっ!」
「今日のリーナの弟子ハンターとしての仕事は終わったんだからいーじゃないか」
「新米ハンターだからとか、弟子ハンターの身分だからとか、そういうんちゃいます! もし王子の身に何かあったらと思うとっ……!」
「おまえ、まだ私を特別扱いしてるのか? 止めろよ、そういうの」と、ミカエルが口を尖らせる。「私だって実力でハンターの資格を取ったんだ。仕事のあと剣稽古を欠かしてないし、私はそんなに弱くないはずだ。いーじゃないか、仕事くれたって」
たしかにミカエルは弱くない。
むしろ強い方だ。
だから仕事を与えようと思えばいくらでもある。
(せやけど、ミカエルさまは王子やし……)
とリンクが戸惑う中、ミカエルが続けた。
「買いたいものがあるんだ」
「買いたいもの?」と鸚鵡返しに訊いたあと、リンクは苦笑した。「そんなん、買えますやろ? 王子なんやから……」
「自分で稼いだ金で買いたいんだ」
リンクがその理由を訊こうとしたとき、ミカエルが笑って続けた。
「リーナへのプレゼントだからな」
「え……?」と、リンクは困惑顔になり、ミカエルから目を逸らす。「あ…あの、王子。言いづらいんですけど……」
「何だ、リンク?」
「リーナはジュリのこと……」
「知ってる」
「え?」
とミカエルに顔を戻したリンク。
にこにこと笑っているミカエルが訊く。
「なあ、リーナが今一番ほしいものは何だ?」
「う、うーん。タコ焼き器かな。この間壊れてもうたから……」
「よし、タコ焼き器だな! それを買えるだけの報酬の仕事をくれ!」
まるで諦めそうにないと、苦笑したリンク。
(まあ、ええか。タコ焼き器なんて、一番簡単な仕事の報酬でもおつりが来るし……)
と、ミカエルが誤っても怪我をしないだろうモンスター討伐の仕事を与えた。
ミカエルがはしゃぎながらギルド長室を後にしたあと、リンクはソファーで眠るリーナのところへと歩いて行った。
リーナの肩まで布団を掛けてやり、その寝顔を見つめる。
(リーナが誰を好きでも構わないってか……)
のち、苦笑した。
(どうしよう…。ミカエル王子、ほんまのまんまにリーナのこと本気やん……)
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